第5話 大神家の宴
狼族の多くは、各季に一度ほどのペースで親戚会合を開く。
会合といっても重々しい会議などをするわけではない、食事をしながら近況を報告しあう、いわば宴会だ。仲間意識が強い狼の性質を引き継いでの習慣とされているが、気心知れた身内と楽しく飲み食いしたいだけなのではないかと思う。
日本の狼族で最も繁栄しているのは大神家で、会合は決まって人里離れた所に建つ旧大神本家、大きく立派な日本建築の邸で行われる。そこに何十人もの親戚一同が集まり、皆々和装をしている。今代の会合長が就任の折に、腐っても会合であり立派な本家邸を使用するのだから身なりにも気を使うべきだ……ともっともらしく提案したそうだが、その裏にはとある欲望があった。
彼女はコンサルタントとして働き数多の企業の立て直しに成功、ビジネス誌でしょっちゅう取り上げられては才色兼備を讃えられている。その優秀さを見込まれ大神家の歴史の中で最も若くして会合長に就任したのだが……美しいものがこと好きで、特に琴線に触れる美に出会うと、息を乱しながら立板に水のごとく褒めちぎったり天を仰いだり神に感謝を捧げるという特性があった。優秀な者というのは大抵どこか一、二本ネジが外れているというのは、世の常だ。
そして狼族というのは大抵、見目にも才にも恵まれたものが多い。彼女は会合長という立場を利用して、美男美女の和装姿を存分に鑑賞しようと目論んでいたのだ。そんな彼女の欲望を会合参加者全員が見破っていたものの、しかし皆面白がって、もしくは共感して、是認された。
そんなわけで、今代の会合長が定めた和装参加の規定はここ二十年ほど続いている。
美男美女の和装は目の保養になるし、この会合に合わせて新調した着物を褒めあっている女性陣たちはなんとも微笑ましい。自分はまだ十九だから酒は飲めないが、もし飲めるようになったらその光景だけで数杯はいけるのではないかと思う。
だが、その女性陣たちよりも、珊瑚の美欲をそそり満たす者がいた。
自分のふたつ年下である従弟。おそらく、大神家の若い世代では彼が最も美しいのではないだろうか。
寡黙で、誰が話しかけても、最低限の言葉しか返さない。なにをしていても、表情はずっと淡々としている。会合でも毎度、大人たちに酒が回り出して賑わってくると、しれっと姿をくらます。会合を抜け出した琥珀は大抵、余りに余っている部屋のいずれかで、スマホすら弄らずただただ退屈そうにぼんやりと過ごしている。
そんなふうに当人の社交性は壊滅的なのに、大人たちからは可愛がられているし、年下からは憧憬を抱かれている。この会合もモノトーンの着物も仕方なくきているといった風なのに、誰よりも絵になる雰囲気を持っている。他人にも自分にもこの世界にもこれっぽっちも興味がない、なのにどうしようもなく他人の心を引き寄せる、美しく、アトラクティブな、伽藍堂。
今回も例に漏れず、琥珀は会合の席をしれっと抜け出していた。彼をちらちらと観察していた珊瑚だけがその瞬間に気づき、そのあとを追った。
気づかれないよう一定の距離を保ちながら、中庭に面する渡り廊下に差し掛かる。青が滲んだ暮天の下、満開の桜の大樹がひらりとひとつ、花弁を落としていた。本邸の桜は毎度見事なものだなと仰いで、再び琥珀に視線を戻したとき、ぽかんとした。
琥珀も、桜を見上げて足を止めていたのだ。そしてしばしじっと見つめていたかと思うと、懐からスマホを取り出し、それを写真に収めたではないか。
珊瑚が知る中で、琥珀が美しい風景に興味を示したのは、彼が幼少の頃が最後。小学生中学年になる頃にはもう、何にも興味がない大神琥珀になっていた。なにかあったのか、なにもなさすぎたのかは分からない。親戚といえど、琥珀は多くを語らず、琥珀の両親も彼のことを無闇に言いふらしはせず、所詮年に四度しか会わない間柄だ。
ただそれ以来、琥珀は会うたび会うたび美しさを増していった。まるで、関心を代償にした美の魔法をかけられているかのようにさえ感じた。
やがて琥珀は、いつも通り空き部屋に入った。それを見届けてから、気配を消して障子のそばに近づくと、声がした。
「……落ち着いたから、抜け出してきた……ああ、問題ない。うん……」
聞いたことがない、普段よりもいくらかは明るく弾んだ声。電話でもしているのだろうが、彼にこんな声を出させる相手は、いったい——。
「綺麗だと思ったから、お前に見せたくなった。ああ、お前も遠くないうちに見ることになるだろう……ふ、今から緊張してたら身がもたないぞ。大丈夫だろう、うちの連中で一番面倒な俺とうまくやれているんだから。俺以外のほとんどは気安い……おい、会えないときに、あまりかわいいことを言わないでくれ……あ?」
あの大神琥珀があんまりに甘ったるいやりとりをしているものだから、びっくりするあまりつい尻餅をついてしまった。
それに気づいた琥珀があっという間に障子を開ける。「……あとでかけ直す」と通話相手に言うと、むっすりとした様子でこちらを見下ろす。
「なにをしている」
「いやぁ、トイレ行こ思たら、琥珀くんがたまたまこの部屋入るのつい見えてな?」
「嘘つけ。会合のたびに俺の後を追ってちょっかいっかけてくるやつが、たまたまでここまで来るか」
「あはは〜……な、琥珀くん。今の電話の相手って、誰なん? もしかして、大神くんの番?」
「教える義理はない」
「え〜、教えてや。だってあの大神くんが「あまりかわいいことを言わないでくれ……」なんて言う相手、気になるやん?」
「ぶん殴るぞ、このエセ関西弁」
年下ながら珊瑚よりも背も肉体も逞しい大神が厳しく拳を握る。殴られたくはないが、しかしそんなふうに怒る琥珀を見るのも久々だった。
「遠くないうちにうちの桜を見に来るような関係ってことは、やっぱり番なんやろ? なぁ、なぁ」
「ちっ……」
「どんな子なん? 教えてや、琥珀くんの番」
「嫌だ」
「え〜、なんでなん。純粋に気になるだけやのに。あ、もしかして、琥珀くんって独占欲強いタイプなん? かーっ、あっついわぁ」
「……」
「え、ほんまにそういう理由なん?」
「用事がないなら早くどっかいってくれ」
「ますます気になるわ、琥珀くんをこました番!」
「変な言い方するな」
ぎろりと琥珀は珊瑚を睨むと、スマホを懐にしまって腰を上げる。
「お前がどっか行かないなら、俺が出ていく」
「待ってや。変な言い方したのは悪かった。でも、本当に、純粋に知りたいんや」
「……」
「だって、琥珀くん、少し前までは、どこにいてもなにをしていてもつまんなそうだった。そういう感情をまるっと魔女にでも奪われたみたいやった」
「なんだ、それ」
「そんな琥珀くんも、綺麗で眼福やったけど。今の琥珀くんは、前よりもずっと……ガキんとき一緒に遊び回っていたときぐらい、生々しくて、青臭くって、面白い。楽しそうな琥珀くんが久々に見れて、嬉しいんよ」
アイスブルーの瞳をわずかに見開いた琥珀は、やがて眉を顰めると、ため息を吐いて腰を下ろした。
むっすりと唇を尖らせながらあぐらをかき、唇を尖らせた。
「……うさぎ」
「うさぎ?」
「うさぎ族のやつ」
「うさぎ族の子と番ったん?」
「まだ正式には番ってない。けど、結婚を全体に付き合っている」
「ほ、ほわぁ……あの琥珀くんが!?」
「さっきからどの琥珀くんだ」
「どうして好きになったん?」
「……一目惚れ」
一目惚れ。この男の目をたった一瞬にして奪い世界を変えた存在がこの世にいるのか。どれだけの美しさを持っている者なのだろうか。
「年齢は? 性別は?」
「男。年下」
「え……琥珀くんより年下て……まさか、しょたこ」
「一つ下。今年から同じ高校の生徒だ」
つい身を引けば、琥珀の長い足が伸びてきて脛を蹴られた。
「ほな、今年からいちゃいちゃスクールライフが楽しめるっちゅうわけか。かーっ、うらやましい」
痛む脛を摩りながらそういうと、しかし、琥珀はわずかに表情を顰めた。また揶揄に呆れたのだろうか。つい茶化してしまうのは珊瑚の長所でも短所でもあった。しかしせっかく琥珀が番いについて多少話そうとしてくれているのにここで話を終わらせてしまうのは惜しい。
「琥珀くんの通っている高校って、結構の進学校やろ。番くんきっと、すごくお勉強頑張ったんやろな」
「……ああ」
相槌する琥珀の表情がわずかに緩む。こちらが照れてまた茶化してしまいそうになるほどに、ずいぶんと惚れ込んでいるらしい。
「写真持ってないん?」
「見せない」
「ちょっとだけ!」
「駄目だ」
「ちょお、独占欲が強すぎるのも考えもんやで? その子のこと、束縛とかしてへんよな?」
「……」
黙り込んで目を逸らした従兄弟に、流石に少し心配になる。これだけ溺愛しているのに、愛しすぎるあまり愛想を尽かされて逃げられてしまったら可哀想だ。
「愛が深いのは素敵なことやけど、多少の我慢は覚えたほうがええで」
「努力はしてる……学校に通いはじめたら、どうしたって、我慢しないといけないからな」
せっかく緩んだ雰囲気が、今度はわずかに落ち込む。本当に、こんなに感情豊かな琥珀は幼少ぶりだ。
いつ見たって退屈そうで、生まれたからただ生きているかのような従弟を長い間密かに心配していたが、ちょっかいをかけるしかできなかった。そんな彼の年相応の姿を見てしまえば、兄貴分としては放って置けない。
「なぁ、琥珀。番くんとのことでなんかあったら俺に相談しいや」
「……お前、まだ番いないだろ」
「番はおらへんけど、人生経験はお前より二年分積んでるし、交友関係も広いで? 全力でいいアドバイス用意したる」
どんと張った胸を叩いて見せれば、琥珀はじとっと瞳を細めたが、やがて、小さく息をこぼした。
「……考えとく、
「おま、その呼び方っ」
「なんだ、珊瑚」
「く、俺はちゃんと聞いたからな? 昔みたいに呼んでくれたの、聞いたからな!」
「なんのことだか」
「よぉし、珊瑚兄が早速いいアドバイスしたろ。せやなぁ……あっ」
琥珀も大概だが、琥珀からの結婚前提の告白を受け入れ、同じレベルの学校に通うための努力を惜しまないほどに、相手も惚れ込んでいる。
「桜だけやのうて今のその格好送ったったら、惚れ直してもらえるんやない?」
長身で逞しく、色白な肉体によく似合うモノトーンの着物姿。凛々しさと色気をたっぷりと孕んだそれに、惹かれない者はそうそういないだろう。
琥珀はもちろん我慢を覚えるべきだが、並行して相手方ももっと琥珀に惚れされればいい感じのところで重みのバランスが取れるかもしれない。
「……たしかに」
琥珀はスマホをつけると、インカメラを起動させた。
「琥珀くん、自撮りもできるようになったん!?」
「あいつがたまにするから覚えた」
言いながら、琥珀はあっという間に何枚か写真を撮り、スマホをぽちぽちと操作する、と。
すぐに琥珀のスマホが着信音を奏でた。そして琥珀が応答するなり——。
「お、おおおおお大神先輩、さっきの、さっきの写真っ!!」
興奮いっぱいながら、かわいらしいやわらかさを持った声がスピーカーから響く。琥珀も多少びっくりしたようでわずかに目を見開きはしたものの、楽しげな笑いをくすくすと零した。
琥珀の話だけを聞いていたら、初めて知った彼の愛情なるものの重量に、多少の我慢を覚えるべきだと思ったが……もしかしたら、あまり心配はいらないかもしれない。
そして、いっそう興味を惹かれた。琥珀が音量を下げてもなお立て板に水の如く聞こえてくるときめきに満ちた褒めちぎりは、我が母がするものに少し似ている。本当に彼の番は一体どのような男なのだろう。
——覗きに行ってまおかな。
琥珀と同じ学校に通っていることも、うさぎ族であることも、なんなら声までも知ってしまったから、探せばすぐに見つかるだろう。せいぜい琥珀に嫌な顔をされるくらいで。その顔だって、きっと面白いものに違いない。
是非とも会ってみたい。そして、感謝を伝えたいものだ。従弟の心に光を灯し、まっすぐな愛情を注いでくれている、きっととても美しく愉快であろうその人に。
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