局所的正義(読切版)

高州

局所的正義

 俺は今、人を殺した。


 祭りの帰りだった。大量の蝉どもが腰を無様に振っていた。いつもより大きな声で喋らないと何も届かなかった。あの悲鳴は誰かに届いたのだろうか。

まだ残る蒸し暑さをタンクトップ一枚で凌ぐ。気を紛らわすために寄り道をした。爺ちゃんが甘いぞと言って塩をかけて渡してくれた西瓜はちっとも甘くはなかったが、おいしい。と呟くと爺ちゃんはとても喜び、来年もまた作るからなと言ってくれた。

 来年も寄れるといいな。

 健気に笑う爺ちゃん。俺に会うだけが生きがいと語っていた爺ちゃん。いつまでも僕が純粋だと勘違いする爺ちゃん。眩しくて少し目を細める。

 太陽を雲が覆い少し影が濃くなり涼しくなった。

 心がある場所がわかった気がした。

 爺ちゃん家からの帰り道。爺ちゃんの笑った顔と罪悪感を交互に掘り起こした。




 朝、四コマ漫画のついでに梅雨明けの見出しを見た。文字を追っかけながら雑穀米を口の中に押し込む。鮭は少し塩っぱかったのを思い出す。

 朝はお腹がはち切れそうだったのに、二限目には空腹になって、耳の奥からきゅるきゅるという音がした。今日も担任であり、社会科の大村は唾を飛ばしながら熱弁する。

 竹刀で教卓を打ち付ける。そうすると生徒達の座高は少し高くなる。軍隊に入ったようだ。

「いいか!我らが皇國は、この亜細亜あじあの平和を脅かす大国、露西亜ろしあを打ち破ったんだ‼︎」

小さな軍人達の背中にはずいぶん前に買った竹のようなものでできた物差しが入っているようにピンと伸びていた。千代子ちゃんの胸の膨らみはいつもより大きく見えた。

 ずいぶんと前、二人で一緒に風呂に入ったのを思い出す。その記憶が俺を誘う。

風呂に入っている昔の俺たちが今の俺に、手招きしているみたいだった。その記憶が俺を狂わす。ピンと伸びた。

「特にな!東郷平八郎連合艦隊司令長官は素晴らしい‼︎」

大村は軍歌を歌うように授業を続けた。

「日本海で当時世界最強と呼ばれていた波羅的ばると艦隊を丁字ていじ戦法という戦法で完封、圧勝したんだぞ‼︎」

少し前、どこかの教室から似たような言葉が聞こえてきたのを思い出した。

窓の外からは体育をやっている隣の組の声が聞こえる。

「そして、波羅的艦隊の十九隻の軍艦どもを木っ端微塵にして、さらに約六千人の優れた軍人を殺すことに繋がった‼︎これは皇國の勝利、亜細亜の正義、解放への足がかりになった!」

 風がどこかの海の水面を揺らした。

 殺すことに繋がった、正義、これらの単語を舌だけで発音しそっとポケットにしまった。

大村先生が殺人を肯定してくださっている。

帝国民も肯定してくださっている。



 学校から帰ると、ポストから新聞が図々しく顔を出していた新聞を引っこ抜く。植木の影に移動して、ある記事がないか探す。

 いつからだろうかこの自分自身の特性について気付いた、の、あった。

 『尾久待合のグロ殺人 阿部定遂に逮捕。』体の中心点に段々と血液が集まりだして、先ほどまで隠れていた陰部の形が自分の中で知覚できるほど身体中の血を吸い上げていた。その記事を女性器を舐め回すように読み回す。俺は殺人事件の記事を見たり、殺人を想像したりするとゾクゾクする。身体中を鳥肌が伝播し、ブルっという身震いが背中や肩を伝い、すぅと消えていく。そして、ほおが重量に逆らい、口と目は線となり恍惚な表情を浮かべ鼻息が荒くなる。

 人の死でたくさんの生を生み出した。

 これは俺の性欲だった。

 いつからか殺人事件というものに興奮を覚えるようになってしまったらしい。


 居間に行くと胡座をかいた親父が朝刊を読んでいた。

「おう。キヨシ。阿部定、捕まったか?」

どうやら父も僕と同じで殺人事件が好きらしい。

 大村先生みたいにいつか肯定してくれるのだろうか。

「うん」

 やっぱり阿部定事件の狂気性はとてもいいね。などと吐きたくなるような言葉が食道を超え喉仏のあたりまで来ているのを必死に飲み込んだ。

僕が異常だということは承知しているつもりだった。しかし今日の授業で少しそれが揺らいだ。今までは堂々と鎮座していた蝋燭の炎も、揺れ始め、揺れるたびに小さくなっている。

机の上に夕刊を置く。もう用はない。

「はい。あなた、キヨシ、ご飯ですよ」

エプロンを着て微笑んでいる母が、ちゃぶ台に色とりどりの朝食を並べていく。

ちゃぶ台の木と茶碗の陶器がぶつかる。よく考えたら父さんも母さんも性欲を満たした副産物として僕ができた。

 性欲は満たすものだ。

 風が吹くと少し肌寒くなる。窓は下が橙色になり、ポタポタと垂れてきてしまいそうな雲が見えた。


 朝刊には局所的な豪雨が起こると書いてあった。五限終わりの月曜日。梅雨明けの見出しを見たばかりなのに。雨だ。月曜日の雨ほど最悪なものはない。学校に行けた僕を表彰台の上に乗せてくれてもいいぐらいだ。

 傘を差し、泥濘を歩く。石がゴツゴツして痛い場所を選ぶか泥で足元を掬われコケるかの二択しか僕には与えられていなかった。雨の中歩くのは嫌いだった。「歩く」という同じ行為をしているのに、晴れの日歩きと雨の日の歩きは違った。なぜ同じ行為なのに晴れの日の歩きは喜び、雨の日の歩きは嫌になるのだろうか。

そういう錯視をどこかの本で見た気がする。だけど錯視は脳が起こした間違い。という意味だ。つまり、背景の色でその行動の本質が変わることなど、ありえないという意味だ。戦争での殺人が正しいなら、日常での殺人も正しいということだ。

雨は依然として降り続け、空はズンと黒かった。

殺人事件をまとめた本が濡れないように、見つからないように自分の隅に追いやった。

そしてある家の中に少女が入るのを確認して、暗い局所的な豪雨の道を進んだ。新聞でいっていた言葉を使ってみた。

千代子ちゃんは家に間違いなくいつもだいたいこの時間に帰る。

傘を忘れたのだろうか。カバンを抱え家の中に入っていった。

暗い局所的な豪雨の中一人で家に帰る。強い雨が音を遮断し、分厚い雲が太陽の光を遮断してより一層「僕」を浮き彫りにした。


 みんな自慰行為だけじゃ飽きて足らなくなってしまい、性行為をしたがる。それを何千年と続けてきたわけだ。無論俺もそうだった。

 異常者はほんのどこか一部がすぐ隣の人と違ったから「隣の一般人だとしたい者」と対比され、異常者、キチガイとして扱われる。

自分は間違いじゃない、自分は正しい側にいると思いたい奴らによって間違いが作り出されている。

差別反対!と言っている奴らの心の深海には差別が不法投棄され堂々と佇んでおり、周りには目につかないようになっている気がする。

僕の方が普通だ。

 

 千代子ちゃんの帰り道を辿る。あ。いた。そっと千代子ちゃんの足跡をなぞる。

誰だって好きな女の子の後をつけたがるものだ。

今更だが、俺は殺人事件でも興奮するが、普通の生きている人間も好きだ。

前者さえなければ、俺は何ら変わらない隣人である。

そんな俺は側から見たら、何の変哲もない隣人である。

「あ!千代子」

「キヨシくんー久しぶりー」

「暑いよな。最近」

「ねー扇風機の前から動きたくないよー」

「そういえばさ、今度祭り行かない?」

「うん‼︎いいねー」

足音が四つ地面をふみつけていく。

千代子にとって俺は隣人であり、幼馴染だ。

そして仲が良い。完璧だった。人類の生産ラインにようやく乗り直すことができる。

「七月のお祭り?」

「うん」

斜め上から見る横顔は少しふっくらしていて可愛かった。ほっぺも柔らかそうだった。いつか千代子に白いワンピースと麦わら帽を着せて、ひまわり畑に連れて行ってやりたい。ほら。普通の人間だ。スカートがたなびく。

蝉どもの声が聞こえないおかげで、自分が蝉のように思えた。けどそれでいいのだ。

燕が俺たちの横を通り過ぎる。蟻どもが巣に戻っていく。



 外からは祭囃子が聞こえてきた。神社に向かうための雑踏が聞こえる。

待ち合わせは昼過ぎ。千代子の家の前だ。朝から何者かが体の奥底で膨らみ続けていた。それは期待だろうか。

千代子は青色の着物と茶色いブーツを履いていた。上を見ると白い髪飾りで艶やかな長い髪が一つにまとめられていた。

ベビーカステラを買った。一個あげようとすると、「あーん」と言いながら手ではなく口を差し出してきた。

喉奥が露わになる。その狭い通路に誘われた気がした。少しいい洋食屋に連れていった時の光景が目に浮かぶ。「オムライスも食べたい」と言われスプーンにそれを掬うと眼前にはその表情が待ち構えているのだろう。はたまた、俺の股の間でも似たような顔をしてくれるのだろう。


 しばらくして、花火が上がり始めた。

 ふと、目があった。薄暗い提灯に照らされながらもよくわかった。千代子が笑った。愛おしすぎて、抱きしめたい。喉の奥からじわじわと上に上がっていった。そのまま首に手を伸ばしてしまいたい。

 その瞬間何かが弾け飛び、薄い倫理観の膜が破られた。咄嗟に手を掴んで千代子と共に駆け出す。何か言っていたが、蝉と祭囃子の前、小さなか弱い少女の声など、無いのと同義だった。楽しそうな笑い声が聞こえる。いくらか走った。泣きそうだった。俺じゃない。千代子が。何発か殴られたように顔をぐちゃぐちゃにし、泣いている。もう今までの「僕」には戻れなくなっていた。泣いているその顔も可愛かった。恐怖が様々な血管を通り身体中に行き渡っていた。足には水が滴り地面に落ちていた。太鼓の音がこだまする。

抱きしめた。鼻と目を赤くして泣いていた。大丈夫だよ。と耳元で言って抱きしめてあげた。嫌も嫌よも好きのうちだった。祭囃子や蝉の鳴き声なんてなくても千代子の声はもうすでに届かなかった。無意味だった。明るくなり、花火が連続で上がる。

千代子を押し倒した。高い声の後に鈍い声が聞こえた。木の根か何かに当たってしまったのかもしれない。可哀想で、胸の中心がパカっと割れて裏返ってしまいそうだった。しかし誰にとっても自分の欲を満たすことは正義なはずだ。ずいぶん前の社会科の教師で担任も殺人は正しいというようなことを言っていた。

押し倒した。千代子のお腹は意外にも柔らかかった。近くにあった石を握りしめた。

鈍い声が聞こえた。鈍い声が聞こえた。鈍い声が聞こえた。鈍い声が聞こえた。

帝国民も戦争に大賛成だった。

 そして性欲によって人類はここまで生きながらえてきた。

 恐怖の次は苦しみが血液を介し、身体中に充満し始めた。段々と顔に悶えが表れていくのが堪らなかった。それに呼応して俺の体にも動脈や毛細血管を通り背徳感が行き渡り、思わず恍惚な表情を浮かべてしまう。太ももが熱くなっていくのを感じる。普段は何も存在感がないものが体の中心から頭角を徐々にあらわにしていくのがわかった。そこだけ異常に熱く苦しい。このままでは胸を張って堂々と歩けないだろう。

また鈍い声が聞こえた。高い声で助けを呼んでいた。大村先生、太郎、進、幸子、お父さん、お母さん。何で俺以外の名前を呼ぶんだろう?この俺がいるのに?助けてあげられるのに?また鈍い声が聞こえた。少し明るくなる。また花火の音が聞こえた。

つまり、殺人に大賛成だった。

つまり、性欲に大賛成だった。

腹式呼吸が途絶えるのと同時に、絶頂が腹の奥底からものすごい勢いで駆け上がり、命の素が溢れ出した。

大きな花火が上がった。

俺は今、人を殺した。


 初めてなんてこんなもんか。

血がついた服と熱気を脱ぎ捨てると、タンクトップだけになった。

穴を掘り、そっと土をかけた。









 街は直方体の大群で構成されている。


軍隊のように足並みを揃えて進軍する。


大量の足音に踏まれたアスファルト。


いつも同じタイミングで覚める窓の明かり。


いつも同じタイミングで眠る窓の明かり。


交差点の赤信号が止めた進歩。


薄い直方体の中では、天秤を偏らせたまま騙る真実。


欲望でパンパンに膨らんだ議会では札束と兵器を数える。


植物の生命を頂いておきながら、死肉を守っている。


生態系のためにと生態系を壊し、鉄板で覆う。


自己の願望を司法と取り違え、下す私刑。


子供の未来を考えた上での鋭い鞭。


善意と指先だけで流布できるデマ。


正義がいいねと再生回数に変わる。


正義がポップコンテンツになる。


電車の窓から見える建物が段々と近く、低くなっていく。


誰かの足音だったものが、誰のものでもなくなる。


扉を閉めると部屋の中には無音が充満し始めた。


ずいぶん前に変えた電球が瞬く。


向かいの部屋の電気が点いた。




局所的正義は今もひどく降り続けている。

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