放課後パレットクラブ
辰巳しずく
放課後パレットクラブ
「ここが昔、美術部が使っていた部屋?」
「そうらしい――よっ、と!」
引き戸がガタリと重い音を立てたとたん、ようやく隙間ができた。
人が入り込めるには十分だ。ミオは手についた取っ手のほこりを払うと、スルリと体をすべり込ませる。
私もミオに続き――広がっていた光景に圧倒された。
「すご、普通の教室と全然違う……」
「わかるー。なんか机も大きいし、椅子もがっしりしてんねー」
きょろきょろと見回すミオ。
長年放置された部屋はとても空気がよどんでいるが、それ以上に異様な内装が目を引いた。武骨な机と椅子。広々としたスペースと窓。そしてどこからともなく漂う、乾いた絵具のにおい。
「……なんかいいね、こういう部屋」
「だね。絵を描くことを許されているってカンジに時代を感じるわ」
「……もしも、もしもさ。今も創作活動が禁止されていなかったら、まだ美術室は使えていたかな?」
もちろん、それはあり得ない。
私たちが生まれるずっと前――二十一世紀のどっかでバーチャルとかAIとかがめちゃくちゃ進んだらしい。それが社会にすごく影響を与えたり、問題を起こしたりしたそうだけど、同じ頃、一部の国で『過度で刺激的な表現が青少年に悪影響をうんちゃらかんちゃら』とかで表現の仕方に対する批判が激化。
とにかく難しいことは分からないけど。
そんな先人たちが揉めた結果、美術部は世界から消えた。
ここ――私たちが通う学校の旧校舎にある美術室も十年以上前に廃止されている。創作を助長する、それが国の指導が入れた理由だったという。
けれど、ここには確かにあったのだ。誰かの“好き”と“想像”が。
「さてね。もしもの世界なんて分からないよ」
でもさ、とミオは呟く。
「今日から私たちがここを使うから、それでいいんじゃね?」
力強く、不敵な笑み。
その笑みといつもと変わらない声色に体の力が抜けていく。まったく、ミオには敵わないなぁ。
「そうだね……じゃあ何から始める?」
「んー、とりま物色してみようか。昔のノートとかスケッチブックとかがあれば、それにイラストを描こーぜ」
「こういう時、昔のノートとかっていざという時の言い訳に使えるからいいよね」
「それなー」
そう言って、さっそくミオは教室の奥へと移動する。
どうやら机の中をひとつひとつ確かめるみたいだ。なら私はこの美術室をざっと調べてみよう。入ってすぐのところにある教壇らしき机に何かあるかもしれないし。
「って、あれ?」
かがんですぐ、私は机の下に置かれた木箱に気づいた。
念のため、持ってきた軍手を制服のポケットから出して装着。それから木箱を持ちあげる。
「何だろう、これ」
首をかしげながらも木箱を机に置き、何気なく開けてみた。
中にあったのは固くなった絵筆、汚れたパレット、そして――。
「ミ、ミオミオ! ミオ!」
「おっ? どうしたん、ユイ?」
「色鉛筆! 色鉛筆、見つけた! あとキャラモノの缶バッジも!?」
「なぬ!?」
とミオがすっ飛んでくる。そして目を輝かせた。
「うわ、マジ? これって昔の実物画材ってやつじゃん! それにこっちはマジもんのキャラグッズか! スゲー!!」
私も興奮で首を縦に振ることしかできない。
私たちが見下ろしている先にあるのは二つ。一つは蓋のない長方形の缶に入った色鉛筆、もう一つは擦り切れた小さな缶バッジだった。
色鉛筆は長さがバラバラで、何本かは芯が折れており、削らなければ使えそうにない。それでもモノクロの本や看板しか見慣れていない私たちにとって、希少な“色”が横たわっていた。
そんな私たちを色褪せているものの、缶バッジのキャラが明るく笑いかけている。
「よしっ、今日はこの子を描こうっ! せっかくだから色鉛筆も使ってさ!」
「でも紙が……って、よく見たらノートも入ってる。端っこがちょっと黄ばんでいるけど」
「くぅー! どこのパイセンかは知らないけど何から何まであざーっす!」
ミオの両手が元気よく上がった。
その気持ちは分かる。私だって口元がゆるんでコントロールできないから。
私たちは笑いながら適当な机に座り、古いノートを広げて自前の鉛筆を手に取った。もちろん机の上には色鉛筆と缶バッジも置いている。
「そういえばさ」
「ん?」
「この子の名前、なんて言うんだろうね?」
「あー……そうだ、ユイがつけなよ」
「えっ、私が?」
「そう。この子の名前はもう知っている人しか知らないし、私たちも知る手段もないけどさ。ここだけの名前ならいいっしょ?」
「うーん……」
私は少し考えて、思いついた単語を口にした。
「『カラフル』ってどうかな?」
それを聞いたミオが吹き出す。
「いや、皮肉かいっ」
「いいじゃん。これから私たちでこの子に色をつけていくんだから」
「オチがよろしいようで」
もうっ、と言い返しながらも私もちょっと笑った。
――それから私たちはノートにキャラクターを描いた。
思いのままに描いているから走らせた線はキャラの体を歪にさせている。配色もめちゃくちゃだ。
だけどひたむきに描いたイラストは授業を受けるよりも楽しかった。
しまいには缶バッジのキャラだけでなく、自分たちも知らないヒーローやお姫様、ライバルキャラも描いていく。
誰かに評価されるわけじゃない。禁止されたわけでもない。ノートには私たちの世界が息づいていた。
「今日からここが
「異議なし」
夕暮れの光が古びて曇った窓から差し込む。
オレンジ色の光が埃をかぶった机を照らし、その上に開いたノートすらも染めていく。描かれたキャラクターたちはまるでスポットライトを当てられたようにボンヤリと浮かんでいた。
ここには先生も活動費もない。何なら違法だ。
でも――ここでなら私たちの描きたい気持ちは許される。
「ちなみにミオ、この絵を誰かに見られたらどうする?」
「燃やす」
「ひどくない?」
「だいじょーぶ。その気になれば全部、描き直せるんだから。私の頭の中にも、ユイの頭の中にも残っている限り、何度だって描き直せる――でしょ?」
(了)
放課後パレットクラブ 辰巳しずく @kaorun09
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