水しぶき弾ける夏の午後

五平

読み切り

「まーたサボろうとしてるでしょ、詩織!」


 プールサイドに響く元気な声に、詩織はびくりと肩を震わせた。振り返ると、日焼けした健康的な肌に、ショートカットがよく似合う幼馴染の美咲が、仁王立ちでこちらを睨んでいる。その横では、長い黒髪を揺らしながら、おっとりとした性格の部長、優子がにこにこ笑っていた。そして、いつもは無口だけど、いざという時には頼りになる一年生のエース、涼が、タオル片手に静かに立っている。


「ち、違うもん! 準備運動、ちゃんとやってたもん!」


 思わず弁解する詩織だが、美咲は容赦なくニヤリと笑う。


「ふーん? じゃあ、なんで私たちが声かけるまで、微動だにしなかったのかなー?」


 図星を突かれて、詩織は言葉に詰まった。水泳部の練習は楽しいけれど、やっぱりきついものはきつい。特にこの暑い夏の午後は、涼しい更衣室でまったりしていたい気持ちが勝ってしまう。


「ほらほら、二人とも。早く練習始めよっか。今日はタイムを計るんだからね」


 優子の優しい声に、渋々頷く詩織。美咲は「やったね!」とばかりにガッツポーズをし、涼は無表情ながらも、どこか楽しそうに見えた。


 プールサイドに並び、準備運動を始める。股関節を回し、肩を大きく回し、入念に体をほぐしていく。涼の動きは無駄がなく、流れるようだ。美咲はパワフルに、優子はしなやかに。そして詩織は、いかに楽をするかを考えながら、適当に体を動かしている。


「詩織、手抜きはダメだよー!」


 再び美咲のツッコミが飛んできて、詩織は苦笑いするしかなかった。


「わ、分かってるってば!」


 一通り準備運動を終え、いよいよプールへ。冷たい水が肌を包み込み、夏の暑さを忘れさせてくれる。


「うわー、気持ちいい!」


 思わず声に出すと、美咲も「ねー!」と嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、まずはウォーミングアップで200m、各自のペースでね」


 優子の合図で、四人は一斉に泳ぎ出す。涼はまるで人魚のように水中を滑る。あっという間にプールの向こう岸にたどり着き、折り返していく。美咲もそれに続くように力強く水を掻き、優子は優雅なフォームで泳ぎ続ける。詩織はといえば、マイペースにゆっくりと泳いでいた。


(あー、このまま時間が止まればいいのに……)


 水中に漂いながら、そんなことを考える。しかし、美咲の「詩織ー! 遅いー!」という声が、詩織を現実へと引き戻した。


 ウォーミングアップが終わると、いよいよタイム計測だ。種目は50m自由形。一番手の涼は、スタートの合図とともに勢いよく飛び込んだ。水の抵抗をものともせず、力強いストロークでグングン進んでいく。あっという間にゴールし、電光掲示板には驚くべきタイムが表示された。


「さすが涼ちゃん!」


 美咲が拍手すると、涼は小さく頷いた。次に美咲がスタート台に立つ。彼女もまた、ダイナミックな泳ぎで水を切り裂き、涼に劣らないタイムを叩き出す。優子もまた、安定したフォームでタイムを出す。


 そして、いよいよ詩織の番だ。スタート台に立つと、心臓がドクドクと鳴り響く。


(やだなぁ、緊張するなぁ……)


 心の中でブツブツと呟きながら、スタートの合図を待つ。ピッと笛の音が鳴り響き、詩織はぎこちなく飛び込んだ。水しぶきを上げながら、必死に水を掻く。しかし、やはり他の三人とは違い、なかなか前に進まない。途中で息が苦しくなり、思わず立ち止まりそうになる。


「詩織、頑張れー!」


 優子の声援が聞こえる。美咲も涼も、真剣な眼差しでこちらを見ている。その視線に、詩織はもうひと踏ん張りしようと決めた。


 重い体を動かし、なんとかゴールにたどり着く。息を切らしながら電光掲示板を見ると、予想通りのタイムが表示されていた。


「ま、まぁ、こんなもんでしょ……」


 苦笑いしながらプールサイドに上がると、美咲がタオルを差し出してくれた。


「お疲れ様、詩織。でも、もうちょっと頑張れたんじゃない?」


 からかうような美咲の言葉に、詩織はプッと吹き出す。


「うるさいなー! 美咲こそ、もっとストロークを滑らかにしないと、後半でバテるよ!」


「な、なんだとー!」


 二人が言い争っていると、優子が優しい笑顔で言った。


「みんな、今日の練習もよく頑張ったね。タイムもそれぞれ課題が見つかったし、次の練習でまた頑張ろう」


 涼も小さく頷いている。


 練習後、シャワーを浴びて着替えていると、美咲が楽しそうに話しかけてきた。


「ねぇねぇ、今度の日曜日、みんなで海に行かない?」


「海!?」


 詩織は目を輝かせた。優子も「いいわね!」と乗り気だ。涼も珍しく「行きたいです」と小さな声で言った。


「じゃあ、決定ね! 部長、涼ちゃん、詩織、みんなで夏の思い出作ろうね!」


 美咲の言葉に、四人は顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。水泳部の活動は、時にはきつくて辛いこともあるけれど、こうして仲間と一緒に過ごす時間は、何物にも代えがたい宝物だ。


 翌日、水泳部の更衣室に、一通の紙が貼られていた。そこには、美咲の筆跡で大きくこう書かれていた。


「水泳部 夏の強化合宿計画! ~目指せ、美ボディと全国大会!~」


 それを見た詩織は、「えぇ~!?」と大きな声をあげた。美咲はニヤリと笑い、優子は困ったように微笑み、涼は相変わらず無表情でその紙を見つめていた。


(あれ? これって、まさか騙された?)


 夏の空の下、彼女たちの「キャッキャうふふ」な日々は、まだまだ始まったばかりのようだった。

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