王様は、それでも鏡を見ていた

古木しき

― "The King Still Faced the Mirror" ―

いつもの楽小の部屋でグダグダとスマホを弄っている私は気になるものを見つけた。

「ねーラッコー黒乃ディアってイケメンインフルエンサー知ってるー? いろんな化粧品とか健康法とか教えてくれるんだよねー」

ラッコは全くこっちを見ずに、

「知らん」

 即答だった。しかも一切こちらを見る気配なし。

 いつもの薄暗い六畳の部屋、ペットボトルの山とノートPCの光だけが彼を照らしている。

 どうせまた、深層Webの怪しい掲示板か何かを漁ってるのだろう。

 そう言いながら、私はスマホの画面を指で拡大する。

「なんかねー、最初は普通にかっこよくてオシャレな人だったのに、最近……ちょっと、いやかなり変な格好してて」

「ふうん」

 ラッコはやはり画面から目を離さない。

「ほらこれ、見てよ。“今夜はカーテンにくるまって月を感じるルック”だって」

 そう言ってスマホを突き出す。そこには、カーテンのような布を羽織った黒乃ディアが、月明かりを背にキメ顔をしている投稿が映っていた。


 ラッコはちらりとも見ない。

「カーテン」

「うん」

「月」

「うん」

「頭に蛍光スプレーしてる?」

「そう、それも! それにこの間なんて、ビニール袋とハンガーでできた“透明性ファッション”とか言ってたし」


 さすがにそこで、ラッコの指がキーボードの上で止まった。

「……それでフォロワー減ったか?」

「減ってない。むしろちょっと増えてるっぽい」

 私はちょっと苦笑しながら答えた。

「しかも、それを批判した別のインフルエンサーが炎上してるの。『嫉妬でしょ?』とか『ディア様の表現を理解できない人』って」


「裸の王様だな」

 ラッコがぽつりと呟いた。

「……自覚のあるタイプの」


「え、ラッコ、知ってたの?」

「知らなかったが、今のでわかった」

 そう言うと、彼はPC画面の何かを操作しながら、低い声で続けた。

「“着せ替え人形以下”って言われた日から、この王様はたぶん決めてたんだ。『いっそ完全に笑われてやろう』ってな」


「やだなー、そんなヒロイズム」

 私は鼻で笑いながら言った。

 でも、どこか、その“覚悟”みたいなものがひっかかっている。


   ♦


 翌朝。ラッコの部屋は相変わらず薄暗く、カーテンは閉ざされたまま。ペットボトルは三本増えていた。

 私はコンビニで買ってきたアイスコーヒーとプリンを差し出し、床の上に座る。


「……で、昨日の続きなんだけどさ」

「裏垢、あった」

 ラッコはコーヒーを受け取らずに言った。


「えっ、マジで? 黒乃ディアの?」

「間違いない。名前は《@clown0》。ゼロじゃなくてオーの方な」

 画面を覗き込むと、黒背景に赤いピエロのアイコン。投稿は少ないが、内容がヤバい。


 一つ目の投稿には、黒乃が全身を銀テープで巻いた姿。


「これが“メディアからの祝福”ってやつか。反射して目が痛いよな、みんな」


 二つ目には、打ち捨てられたブランド服の山と、足元に転がるスマホの画面が映る。


「流行を着せられ、言葉を教えられ、立ち位置まで用意されて。俺はどこにいるんだろうな」


 三つ目は、音声のみ。低い声でつぶやいている。


「“バズる”って言葉が好きな奴らは、自分で服を着たことがないんだろうな」


「……これ、本人でしょ」

 私は思わず言った。

「言葉が、全部アイツっぽい」


「ここが決定的」

 ラッコが投稿一覧をスクロールし、最新の動画を開いた。


 音は無し。画面いっぱいに映るのは、白い壁の前に立つ黒乃ディア。

 上半身裸。

 胸に黒のガムテープを斜めに貼り、その上に契約企業のブランド名を油性ペンで殴り書きしている。

 下は、何かの紙袋を穿いていた。ブランド名を潰すように赤ペンで“FAKE”と書いてある。


 動画の最後、彼はカメラに目を向け、何か口を動かす。

 音は無いが、ラッコが呟いた。

「“これが俺のさよならの服(笑)だ”」


 その直後、アカウントは削除された。

 本アカウントも同様に消去。

 黒乃ディアは、ネットから消えた。


 だが、それで終わりではなかった。

 数時間後、誰かが《@clown0》のバックアップ投稿群を拡散し始める。

 そこには企業からのメール、DMのスクリーンショット、マネージャーとのやり取りの音声データ――暴露の数々が。


『もっと“バカっぽく”振る舞っていい。笑われるのも“広告価値”だよ?』

『とにかく目立て、数字だけが正義なんだ』

『お前の思想なんていらない。俺たちが選んだ“着せ替え人形”であれ』


「……うわぁ」

 私はプリンのスプーンを持ったまま固まった。

「ガチじゃん。これ、リアルなやつじゃん」


「リアルだが、公開は意図的」

 ラッコは言う。

「投稿時刻、動画の形式、保存方法。プロの手口だ」


「本人がやったってこと?」

「本人、あるいは“全部わかった上で”その道化を演じきった誰か。どちらにせよ──」

 ラッコは手元のPCを閉じた。


「これは、誰も止めようがなくなった裸の王様の、その続きだ」


 《@clown0》の投稿群が拡散されてから、ネットは真っ二つに割れた。


 一方には、**「黒乃ディアを救え」と叫ぶ信者たち。

 もう一方には、「これは自己演出の延長だ」**と突き放す冷笑者たち。


 だが、信者たちの一部は“救済”などではなく、復讐を選んだ。

 ブランド企業の公式アカウント、事務所、批判した同業インフルエンサーたちへ──連日怒涛のリプライと通報、誹謗中傷。

 果ては住所特定、身内晒し、捏造リーク……。

 それはまるで、王様の消失によって崩れた王国を守る民衆の狂気だった。


「民衆の方が、先に服を脱いだな」

 ラッコはため息交じりに言う。


 彼のモニターには、ニュース記事がいくつも並んでいた。

「“黒乃ディア炎上問題”で〇〇社が業務停止」

「有名インフルエンサー、家族への中傷で引退」

「過激派ファングループ、企業の公式イベントを妨害」


 私は言葉を失った。

「……ディア本人は、もう関係ないよね?」

「そうだ。とっくに舞台から降りた。なのに観客はまだ拍手してる。いや、他の役者を引きずり下ろして“自分たちこそ主役だ”って叫んでる」


 ラッコは冷たい目でキーボードを叩く。

「……彼らが裸だと、誰が言ってやるんだろうな」


 それからしばらくして。

 私は通りすがりのリサイクルショップのウィンドウに、奇妙なマネキンを見つけた。


 白地のTシャツに、雑に貼られたガムテープ。

 そこには、あの手書き風の文字――黒乃DIAの五文字。


 けれどその下に、今はもう黒く塗りつぶされていた。

 “FAKE”と大きく書かれた赤マジックの上から、さらに“FREE”と重ねるように。


 私はしばらく、そのマネキンの前から離れられなかった。

 たぶん、もう彼はいない。どこにも姿を現さない。


 けれど、誰かが――この街の片隅で、「それでも何かを残す」ことを選んだように思えた。


 ジーっと裏垢と表の騒動を見ていたラッコは、

「結局、“王様は裸だ”って叫ぶ子どもが現れたとしても──それを“バズらせたら勝ち”って思う奴が、すぐそばにいた時点で、もうおしまいなんだよ」


 今もSNSの向こうで、誰かが王様を担ぎ上げている。

 そして、次の誰かが――笑いながら、服を脱いでいる。

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王様は、それでも鏡を見ていた 古木しき @furukishiki

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