人魚姫〜Mermaid〜

安部 真夜

第1話 海辺の街

 毎朝、僕は潮騒の音で目を覚ます。



 ザザーン、ザザーン……。



 その度に、ああそうか、ここは祖母の家で……僕の生まれ育った家ではないんだ、と思い返す。


 僕の名前は如月きさらぎ啓一けいいち

 かつては政令都市の隣の市に住んで、自宅から大学へ通い、勉学に勤しんでいた。

 僕の進んだ大学は所謂いわゆる難関大学の一つで。 高校の頃、そこへ入学するのを目標に、来る日も来る日も勉強して。 休み時間も、休日も、参考書や単語帳に目を通し。 勉強して、塾に通って、また勉強して……。


 その結果、見事志望していた難関大学への合格通知を手にし。


 いざ入学……という時期に、世界的な感染病が流行し。 最初はオンライン授業やレポート提出のみの授業ばかりで、少し拍子抜けしていた。


 また、その感染病に僕も罹り……未だに倦怠感と疲労感という後遺症があるのだが。


 そして。 入学した所が難関大学なだけあり、有意義な講義が多かった。

 だが---少しずつ、そう少しずつ、講義の内容についていけなくなり。 キャンパスへ実際に通うことが少なかったから、というと言い訳にしかならないのだが、前期後期の試験や効率のいいレポート提出法を先輩や同じ期の学生に聞くこともできず。


 感染病が終息へ向かい、第五類へとなったある日。 僕はもう、大学へと向かうこと自体が怖くなったのだ。

 

 自宅の自室に引き篭もる僕をみて、心配した両親はカウンセリングや心療内科……様々なところへ僕を向かわせ、その度にますます元気を失う僕を見、さらに心配して……の繰り返しだった。



 正直僕はただ放って欲しかったのだ。


 自分でもわからない何かを、寄ってたかって調べよう、探ろう、とされ。

 私はいかにも分かります。理解しています。 さあさ、怖がらず打ち明けなさい。

 何も怖くないですよ、としたり顔で近づくカウンセラーや医者……全てに不信感を抱き、そこにいけばきっと元の啓一に戻るんだ、きっとそうだと思う両親にも大きい壁を感じ。



 笑うことも、泣くことも、何一つできなくなっていた。



 そして、祖母の家に居候することになった。

 ここは静かな海辺の街で、そう、ただただ静かな……潮の香りと、波の音が聴こえる町だ。


 何も考えず寝て起きて寝て起きて…を繰り返す日々を過ごし。


 祖母はただ見守ってくれて、余計な干渉や期待をするわけでもなく、程よい距離感で接してくれた。 そのおかげで次第にちょっとした出来事に笑うこと、おいしいものを食べた時にそれを感じ、小説の中の事象に心を動かせるようになり。


 本当に少しずつ、すこしずつではあったが、人らしい感情が戻りつつある。


 

 この静かな町で、ただただゆっくりと流れる時を過ごす日々だった。

 そう。 あの時、君に出会うまでは。

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