第14話 新たな風が舞う時

 俺とリンネアは地下鉄に乗って、新宿まで訪れた。


 地上の大通りに出て、目指す場所は『焼鳥侯爵』――紫乃さんが予約をしてくれた少し高めの焼き鳥のレストランである。


 俺たちはそこで紫乃さんのほかに、アイザックさんと律希にも会うことになっている。新しく家族に加わったリンネアの歓迎も兼ねて、先日行われた機構第2支部への襲撃成功を祝う祝賀会を開く予定だ。


 メールには、俺たち以外のメンバーはすでに揃っていると書いてあったので、そのまま店に入った。


「いらっしゃいませ。ご予約のお名前をお伺いできますか?」


「はい、午後6時を予約した菅原紫乃です」


「菅原様ですね。こちらの席になります」


 従業員に案内され、予約した個室へ向かう。


 襖の扉が開くと、飲み物を飲みながら俺たちを待っている三人の姿があった。


「待ってたわよ、景明。ほら、入って入って」


 紫乃さんが軽く右手を挙げながら、俺たちに向かって手招をした。その隣と反対側には、アイザックさんと律希が座っていた。


 何気なく食事をしながら、レストランに長居する彼女たちは、何を隠そうあの今村の件で一役買った戦闘部隊『ラーカー』の面々である。


「それでは、ゆっくりお楽しみください」


「ありがとうございます」


 俺とリンネアは、従業員の人に一礼をする。それから靴を脱ぎ、畳が敷かれた部屋に上がった。


「お久しぶりです、紫乃さん」


「ええ、久しぶり。見ないうちに、また一段と男前になったじゃない」


「はい、おかげさまで」


 長い黒髪に、ビシッと決めたオフィスカジュアルな服装、サバサバとした性格の女性、菅原紫乃。ラーカー部隊のリーダーであり、幻影の擬態を操る異能力者のラーカー1――『幻影法師』の二つ名を持つ。


 また、彼女は櫛名田と並ぶ古い陰陽師の家系、『菅原家』の跡取りでもある。そして、俺の家が機構に焼かれた際に、おばあちゃんの治療など、さまざまな支援をしてくれた人物だ。


 普段は、慶應大学の法学生として弁護士を目指しており、最近では事務所の研修の方で忙しかったと聞いていた。


「よう。相変わらず真面目だなぁ、景明」


 くだけたスーツ姿で、軽いジョークを交えて話す外国人男性はアイザック・ゼイン。サイバー戦のエキスパートで、電子機器のハッキングからありとあらゆる機械類を意のままに操るラーカー2――『電子の蛇毒』という異名を持ち、ハッカーの界隈では有名な人物だ。


 普段は英会話講師として目立たない役職に就いているが、実は本職以上に副職のホワイトハッカーとして活躍しているのだとか。


「でも、そこに憧れます。僕もいつか景明先輩のような立派な大人になりたいです」


 俺に尊敬の眼差しを向け、先輩と呼ぶこの少年は三鷹律希。部隊の中では最年少であり、現役の高校二年生だ。


 雷を自在に操る異能力者で、戦闘においては雷を纏いながら、対人戦をこなす驚異的な人材のラーカー3――そのコードネームは『雷鳴の狩猟者』だ。


 ちなみに、彼は高校テニス部のエースで、男女問わず、学校では人気者である。


「アイザックさん、それに律希も。俺の頼みを聞いてくれて、ありがとうございました」


 俺はアイザックさんと律希の目を見て、感謝の言葉を伝えた。


 すると、彼らはその気持ちを快く受け取ってくれた。


「よせよせ、俺たちの仲だろ? それよりも、そろそろお前が助けたエルフの美女さんのことを、俺たちに紹介してくれよ」


「まったく、そういうところだけはブレないんだから……でも、私も気になるわね」


「そうですね。僕も知りたいです」


 そう言うと紫乃さんは手で印を切り、人除けの結界を張った。


 一般人に大事な話を聞かれないための考慮だ。


「これで、邪魔は入らないわ。さて、どうして敵である彼女を助けたのか、教えてくれるかしら?」


 紫乃さんの言葉に合わせて、他の二人のラーカーたちも真剣な表情を取り、場の空気は重いものへと変わった。


 俺の独断ではあるが、敵対者だったリンネアを助けた。その上、機構の支部を壊滅させるよう、三人にお願いした。俺のことを信頼してくれた彼らだからこそよかったものの、危険な任務を請け負わせたことには変わりない。


 故に、彼らはそれ相応の理由を求めているのだ。


 気になってリンネアの方へ軽く目を向けると、彼女は微細ながらも不安げな表情を浮かべていた。さらに、姿勢よく正座した膝に置かれた両手を強く握りしめていた。


 俺は彼女の震える手に、そっと自分の手を重ねた。


 そして、リンネアが少しだけ落ち着きを取り戻したのを見て、俺は口を開いた。


「彼女はリンネア。機構に家族を人質に取られ、やむなく俺たちに敵対していた元神格兵の被害者です。彼女を助けた理由は、不本意にも自分の過去と重ねてしまったからです」


「過去、ね……それは、あなたが奴隷兵士として戦っていた時の経験からくるものなのかしら?」


「はい、そうです」


 紫乃さんの問いに、俺は迷いなく断言した。


 過去に機構におばあちゃんを傷つけられ、人の心を失いかけた俺は、ただ自分の復讐心に駆られた。それまで親身になってくれてた人たちの声に聞く耳を持たなかった。


 その後、心を取り戻すため、ニリアに贖罪の試練を与えられた俺は異世界に行っていた。何より、俺が不在の時も紫乃さんと彼女の一族は、人でなしの俺に代わって、昏睡状態のおばあちゃんに寄り添い続けてくれた――だから、彼女には感謝の二文字しか浮かばなかった。

 

 それから異国で自分と同じ、もしくはそれ以上の過酷な運命を背負ってきた者たちと出会った。たとえ、血が繋がっていなくても彼らと家族になり、数多の苦難を乗り越えた末、自分が如何に未熟で愚かだったのかを実感した。


 その仲間たちと過ごした日々と絆が、リンネアへの理解と共感を深めることになった。


「まあ、そうでしょうね。実際、あなたはバシレイアから帰ってきたから、人が変わったように大人びていた。そして、私やアイザックのような社会のはみ出し者を束ねる良き導き手にもなったわ」


「そんな大層なものではありません。ですが、組織を大きくできたのはメンバー全員の支えがあったおかげです」


「そういうところよ。私たちがあなたを信頼するのは、あなたの行いを見てきたから。そんなあなただからこそ、私たちは喜んで力になったの」


「……信頼してくださって、ありがとうございます。その期待に応えられるよう、これからも努力していきます」


 俺は三人に深々と頭を下げた。


 人の上に立つことの重大さを経験してきたからこそ、今なら信頼とは何なのかがわかる。導き手――大それた聖職者には程遠いが、それでも隣に座っているエルフの女性に希望を与えられる存在にはなりたいと思う。


「それで、リンネアさんはどうするんですか? エルフですから、やっぱり向こうの世界のメンバーたちに保護してもらいますか?」


「俺はリンネアを、エントロピーの一員に加えたいと思っています。名目上は、俺の助手ということになりますが、皆さんはどう思いますか?」


「リーダーであるあなたが決めた以上、わざわざ採決をする必要はないわ。でも、エントロピーに身を置くということは、嫌でも機構と敵対することになるのよ?  あなたはそれでもいいの、リンネア?」


 紫乃さんは、話をリンネアに向けた。


 律希の言う通り、異世界からの放浪者であったリンネアは本来、向こうの世界に帰るべきなのだろう。そのことで彼女に、もしバシレイアに帰れる選択があるなら帰るかと聞いたところ、半日は口を聞かないほど怒られた。


 リンネアにも、彼女なりの信念がある。彼女の意思を尊重した上で語るのなら、彼女のはすでに決まっている。


 けれど、問題はその覚悟がどれほどのものか、なのである。


 それを、今から紫乃さんは見定めようとしていた――。


「まず、私を救ってくださって……復讐の手伝いまでしていただいて、ありがとうございます。向こうの世界に帰っても、記憶のない私に居場所は……ありません。でも、景明はそんな私に温かい家をくれました。だから、私は景明に恩返しがしたい、です」


 緊張が走る中、リンネアを自分の想いを告げた。

 

 紫乃さんはそんな彼女のまっすぐな目を見つめて、再び静かに話し始めた。


「その恩返しは、人の命を奪うことになるわよ? あなたにその業を背負う覚悟はあるの?」


「あります。私は戦うことしか知りませんが、それでも彼を支えたいです」


「一途ね……あなたの覚悟は伝わったわ。でも、好きな人のために献身的になれるのは素敵ね」


「私は、そんなのでは……」


「あら? でも、景明はモテるから、早くしないと誰かに取られちゃうわよ?」


「……はい」


「ふふふ、応援しているから頑張りなさいな。さて、『コブナント・オブ・エントロピー』へようこそ。私たちはあなたを同胞として歓迎するわ」


「ありがとうございます。これからは、よろしくお願いします」


 紫乃さんはリンネアの覚悟に満足し、微笑んだ。他のメンバーたちも、彼女の純粋な想いに心を打たれ、組織への加入を認めた。


 ただ、その想いの大部分には俺が関わっている。


 リンネアの恋心の芽生え――それに応えられるほど、俺自身、成長できたのだろうか……。


「おいおい、新入りにそんな怖い顔をするなよ。まるでお見合い相手の姑みたいだったぞ、お前」


「うるさいわね。可愛い子が恋してるのを見ると、どうしてもお節介になっちゃうのよ」


 アイザックさんが場の空気を和ませようと紫乃さんをからかうと、彼女はビールが入ったジョッキを持ち上げ、一気に飲み干した。


 お酒にあまり強くないのに、少し無理しているように見えた。リンネアに対して厳しい言葉をかけていた紫乃さんも、きっとそれなりに緊張していたのだろう。


 ――そうして、俺たちは注文した料理に舌鼓を打ち、しばらく会話を続けた。


 すると、少し酔いが回った紫乃さんが、パウラについて尋ねてきた。


「ねぇ、景明。もう一人の新しい女神様は、どんな人なの?」


「とても可愛らしくて、知的な女神ですよ」


 俺は自分の右手を全員に見せ、手首の内側から触手を伸ばしてみせた。


 エントロピーのメンバーたちは特に驚く様子もなく、それをまるで普通のことのように受け入れた。


「初めまして。わたくしは夜闇の女神、パラモリアと申します。パウラと呼んでいただいて構いませんわ」


「へえー、お嬢様口調の女神様なんだな。ジャスパーが言ってたように、二人の女神様とリンネアに囲まれてハーレム生活まっしぐらだな。ははは」


「これも『源氏の法則』のおかげなんですか!? 女神も口説いてしまうなんてすごいです!」


「いや、俺をジゴロのように言うのはやめてくれ、律希。あれは結構、俺の中では黒歴史なんだ。この前だって、ブリジットに言われたばかりだから……」

 

 お嬢様口調がどうやらアイザックさんの性癖を刺激したらしく、アイザックさんは俺をからかいながら笑い、律希も目を輝かせて俺と触手を交互に見つめている。


 仲間内、特に男性陣の間では、源氏の法則はよく話題になるってのはわかってる。


 今となっては、あんなものを世に出してしまったことを後悔しているが、若い頃の俺は光源治を平安時代随一の恋愛マスターだと思って、真剣に研究をしていた。


 そんな中二病全開の教義を真面目に、尊敬の念を抱きながら語られると、その分だけ俺の心に反動が返ってくる。しかも、中には本気でこのおかしな法則を実践しようとする者まで現れる始末だから、余計に厄介なのだ。


「だが律希。尊敬するだけじゃ、まだまだ半人前だぞ。お前、高校で好きな女子の一人や二人はできたか?」


「いえ、僕にはまだそういう人はいません。でも、この前、テニス部のマネージャーをやっている後輩の子に告白をされました」


「おお、よかったじゃないか! で、返事はしたのか?」


「まだ返事はしていません。けど、僕は多分……断ると思います。彼女は一般人ですし、僕たちのやっていることに巻き込みたくないですから」


「そうか。まあ、そうだよな。俺たちは異常者だもんな……」


「そうよね……相手を傷つけたくない気持ち、すごくわかるわ」


 律希の葛藤する様子に、アイザックさんと紫乃さんが理解を示す。


 機構という巨大な組織と対立する俺たちにとって、一般人との恋愛は単なる足枷にとどまらない。最悪、最愛の人を人質に取られ、逆にその状況に陥った者が仲間を裏切ることだってあり得る。


 だから、恋愛をするならせめて組織内の身内、もしくは異世界の者と結ばれるのが理想的だ。しかし、向こうの世界には向こうの世界の悩みもあるため、そう簡単な問題ではない。


「紫乃さんとアイザックさんはどうなんですか? 二人は付き合いが長いようですし、恋人同士にならないんですか?」


「私とアイザックが? そうね……考えたことはあるわ。でも、私たちの仕事って、常に死と隣り合わせじゃない? アイザックがもし亡くなったら、きっと私は立ち直れないと思うの。だから、ね?」


 憂鬱な気持ちを隠すように、紫乃さんはグラスを傾けた。けれど、すぐに酔いが回り、彼女はそのまま眠ってしまった。


「あらら、完全に酔いつぶれてるわ。こりゃ、もうお開きだな」


 そう言って、アイザックさんは勘定を済ませた。


 そして店を出る時、ふと目にしたのは紫乃に肩を貸し、彼女に気を遣うアイザックさんの表情だった。その表情には、優しさがにじみ出ていて、彼女への想いが感じられた。


「俺はこのまま紫乃を家に送るけど、何かあったら連絡してくれ。お前が東京に引っ越してきたから、これからは会いやすくなったしな」


「わかりました。ですが、アイザックさん。送り狼にならないでくださいよ?」


「けっ、余計なお世話だ!」


「でも、自分の気持ちに素直になった方がいいですよ? 後になって後悔を残すより、今この瞬間を大切にするべきです」


「……考えておく。おら、ガキどもは家に帰って早く寝ろ! じゃあな!」


 文句を言いながらも、アイザックさんは紫乃さんを支え、ゆっくりと帰路に着いた。


 その声には、何かを決心したような強い意志が感じられた。


「じゃあ、景明先輩、リンネアさん。僕もそろそろ失礼しますね」


「ああ、またな」


「さようなら」


 律希も俺たちと別れを告げた後、バス停に向かって歩いていった。


「楽しかったか、リンネア? みんな、いい人たちだっただろ?」


「うん、みんなすごく優しかった。ありがとう、景明」


「どういたしまして。俺たちも家に帰ろう」


「うん。手、繋いでもいい?」


「ああ」


 俺とリンネアは手を繋いだまま、並んで歩いて帰った。


 初春の夜はまだ少し肌寒かったが、彼女の手の温もりは温かかった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

(仮)ネフィリム~女神と混沌の盟約を交わし、正常性を狩る者~ 冬椿雪花 @dio_voynich

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画