今回の総理選挙における一連の騒動を見ていると
若い人の政治リテラシーあるいはモラルの低下が著しいと感じました
自民党総裁選ではネット上に「〇〇△△」と候補者名が記入された投票用紙の写真がアップされ、それに何万人もが「いいね」を投げている
自民党員のレベルの低さに驚かされました
これはひとえに「教育」に問題があると思います
今の高校教育は相変わらず「社会科」では歴史、地理偏重で
社会に出てもっとも必要とされる「公民」が軽視されています
拙著「国民をバカにしておく教育」でも書きましたが
国民がバカな方が政治がやりやすいからかもしれません
私の時代には「公民」は必須科目にすらなっておらず
高校生が政治を語ること自体おこがましいと考えられていました
太平洋戦争も教育を誤ったため起きたと考えると
今も昔も余り変わってないなという気がして
この国の未来が案じられます
このエッセイは、穏やかな語り口で、令和を生きる私たち一人ひとりにそっと問いかけてくれます。社会参加の意味や、自由と責任のつながり、ことばの力と危うさ、そして歴史や文化という土壌を丁寧に耕すことの大切さ……どのエピソードにも、まっすぐで誠実なまなざしが感じられました。
なかでも、「政治的な話」と「党派的な話」をきちんと区別できる理性的な社会への願いが心に残ります。声を荒らげるのではなく、静かで確かな意志で綴られているからこそ、やさしく届くのだと思います。
感情をあおらず、心の奥にゆっくり沁みていく文章の力で、「ほんの少しの想像力」が未来を変えるかもしれない──そんな灯りを、静かにともしてくれることでしょう。
心が疲れてしまった今日、このエッセイの静かで穏やかな語り口が、少しささくれた心にとても効きました。
お礼を言いたくて、いまこのレビューを書いています。
断定しない柔らかな表現。
書き手自身の迷いも含めた、人間味あふれる自己開示。
声高に正しさを主張せず、隣に座って「私も同じように迷っているよ」と、静かに寄り添ってくれる。
そういったものが、きっとこの作品の優しさを形作っているのでしょう。
文章全体を流れる独特のリズムは、このエッセイの魅力です。
時に詩のように紡がれる言葉の連なりや、思考の合間に置かれた余白。
読み手が自分のペースで考え、感じるための「間」が大切にされていると感じます。
静かな対話の時間は、騒がしい世界からいったん心を切り離し、心を穏やかな場所へと連れて行ってくれます。
もし、あなたも少しだけ立ち止まりたくなったなら、このエッセイの静かな言葉に、少し耳を傾けてみることをお勧めします。
『令和を生きる 〜 分断と対立を超えて 〜』は、現代社会の課題にまっすぐ向き合った誠実なエッセイです。インターネットやSNSが当たり前になった今、“言葉の自由”や“社会参加”の意味が大きく変わってきています。著者は、その中で「自由と責任」「傍観せずに参加すること」の大切さを静かに、しかし力強く語っています。
特に印象的なのは、“サイレント・マジョリティ”と呼ばれる人たちへの呼びかけです。声を上げることに慣れていない人たちも、これからの時代をより良くするために、ネット上でも社会に参加してほしい――そんなメッセージが心に響きました。
内容は難しいテーマながら、語り口はやさしく、初めて社会問題を考え始める人にもおすすめです。「自分ごと」として考えるきっかけをくれる、価値ある一編です。
筆者から見た【著者の主張】
・最近はネットで「自由な発言」が増えたが、暴力的な言葉や“炎上”が多いのも事実。
・企業も「儲かればいい」だけではなく、社会的な責任を果たす時代になった。
・「サイレント・マジョリティ」と呼ばれる一般の人たちも、もっとネット上で積極的に参加し、“社会を良くするための声”を出すべきではないか。
・特に、年配の世代も“傍観者”にならず、ネット空間で責任ある行動をとることが大切だと考えている。
・民主主義(=みんなで社会を作る仕組み)を守るためには、手間も時間もかかるが、私たち一人ひとりが努力していくことが必要である。