第13話 須藤美月2




「そっか……そんなことがあったんだ」


lotus flowerで話を聞いた愛梨が、しょんぼりと肩を落とす。


その場には、愛梨、海桜、葉菜と悠、それに悠と一緒に来ていたマスターもいた。


「美月は?」


「外で煙草吸ってる」


「またアイツ……」


悠がため息をつき、席を立つ。様子を見に行くつもりだろう。


「でもさ、美月ちゃんってそんなに自由にされてたの?」


と、ニンファーについて詳しくないマスターが、首を傾げながら訊ねる。「まあね」と、愛梨が軽く頷いた。


「美月がお願いしたことは、何でもやってくれるお父さんだったよ。私たちがこうして灰狼町でチームを作れたのも、美月のお父さんのおかげ。他の不良とか、危ない連中に私たちが大きな顔できてるのも、バックに彼がいるからだし。……マスターが前にいたホストクラブも、美月の家の系列なんでしょ?」


「うん、そう聞いてる」


「でもそれが全部、あとで政略結婚させるためだったなんてさ……」


葉菜が悔しそうに眉をひそめ、ため息をつく。自分たちもその恩恵を受けていたからこそ、感情が複雑に絡まって言葉にしづらいのだろう。






「……みんな、ごめん」


沈黙が続いた頃、ガチャリと扉が開き、美月と悠が戻ってきた。


「美月、大丈夫?」


「うん……心配かけてごめん。大丈夫。ニンファーには、迷惑かけないようにするから」


「そんな心配してないよ!」


愛梨が立ったままの美月に駆け寄る。


「美月、このままでいいの? 知らない人と結婚なんて、絶対にやめた方がいいよ!」


「…………」


美月は唇を噛み、目を伏せた。


「でも……だって……あんなに怒ってる父さん、初めて見た……。多分、言うこと聞かなかったら、今までしてくれたこと、全部なかったことにされる。……この場所も」


たしか、このlotus flowerという店は、美月の父親が与えた場所だと前に聞いた。


「そうなったら……ニンファーも……」


そこまで言って、美月が悠の顔を見た。


なぜ、そのタイミングで……? 悠はニンファーの一員じゃないのに。


美月にじっと見つめられた悠は、複雑な顔をして言葉を失った。その絶望を帯びたような目に、美月の表情がさらに歪む。


……なにが?


「そんなの、どうでもいいよ!」


その場の重苦しさを断ち切るように、愛梨が声を上げた。


「ニンファーは、美月のお父さんのものじゃない。私たちのための、私たちだけのチームだよ! ねぇ美月、もう一度だけでいい、ちゃんとお父さんと話してみようよ!」


「説得……そうよね。でも……怖い。あんなに冷たい父さん、初めてだった。……アタシ、愛されてなかった。ずっと勘違いしてた……大切にされてるって思ってた。でも、違った。……アタシはただの道具だった」


美月がそう言って肩を落としたその姿が、あまりに痛々しくて、胸が張り裂けそうになる。


『愛されてなかった』


その言葉が、心に深く突き刺さった。


……そうだよ。ほんとに、可哀想だ。


今までしてくれたことのすべてが、娘の幸せのためじゃなく、ただ家のための準備だったなんて――。


怒りが、胸の奥からどくどくと湧き上がってくる。


体が熱くなって、感情が制御できなくなって、


「……やめなよ!!」


思わず、叫んでいた。


なんだろう、この胸の奥のざわつきは。


「そんな両親、最低だよ! もう、捨てちゃえばいいんだよ。子どもを道具みたいに扱う親の言いなりになる必要なんてない。そんな奴のために、美月が苦しまなきゃいけない理由、どこにもないよ!!」


「捨てる……?」


「そう。嫌なことを我慢して、そのまま受け入れる必要なんてない。全部捨てて、逃げ出しちゃえばいいじゃん」


――私は、そうした。


「美月には家族のほかに、ニンファーも、友達もいる。家のお金をちょっともらって、家を出ればいい。大丈夫、いなくてもやっていけるよ!」


――私がやっていけてるんだから。美月だって。


「私だって、手を貸す。ね、美月」


そう言って微笑みながら手を差し出した――その瞬間、


パンッ


横から、その手を振り払われた。





え……?



私の手を叩いた人物を呆然と見る。


――海桜だ。


海桜が私のことを鋭い視線で睨んでいた。



どうして……?



部屋を見渡すと、愛梨と葉菜は困った顔で、美月はまるで心にひびが入ったかのように、ショックを受けた表情で立ち尽くしていた。



あれ…???



「なんで…そんなこと言うの?」



海桜が怒りのこもった声を出す。



え……?



「美月は……自分の父親のこと、すごく尊敬してたんだよ! 家族のこと、大好きで、忙しい両親と一緒に出かけた思い出とか、よく私たちに話してくれてた。それなのに、こんなことになって凄いショックを受けてるの!」


海桜の声が、段々と感情を抑えきれなくなる。


「なのに、なのに…そんな家族を捨てる?? それが絶対できないから、美月はこんなに悩んでるんじゃない! なんでそんな無責任なことが言えるのよ!!」



「あ……」




間違えた。



瞬時に、そう思った。




「ごめ、な……」



海桜の剣幕に負けて、謝ろうとするが、声が震える。違ったんだ。この感情は、この行動は、違ったんだ。



間違えた。



「……美咲ちゃん?」



今まで黙っていたマスターが、震える私のことを呼んだ。


それに、海桜がハッとしたような顔をして、罰の悪い表情をする。



「……ごめん、言いすぎた」


「……」



何も言えない。私は。


わからない、何もわからないんだ。家族のことなんか、私には何もわからないから。




「美咲ちゃん!」



何も言えなくて、何もわからなくなって、傷つけてしまっただろう美月の顔も見れなくて、私はその場から逃げ出した。




.


.


.







「――美咲ちゃんっ」



loutus flowerから少し離れたコンビニの前でボーッと空を見ていると、肩を掴まれて、ぐいっと振り向かされる。




「え、マスター…」



私は驚いて目を瞬かせた。



「追いかけて来たの?」


「……なんだよその感じ」



マスターの整った眉が寄る。その真剣な表情に首を傾げる。



「な、なに? どうしたの?」


「どうしたのじゃないよ…。美咲ちゃんが急に様子おかしくなってクラブから飛び出ていくから慌てて追いかけてきたんだろ」



少し怒っている様子の彼に、えっと目を丸くし、すぐにふっと笑う。



「そうだったんだ。ありがとう」


「……」



マスターの顔が気味悪そうに歪む。



なに、その顔……。



「私、まだ変…?」



夜風に当たって、冷静になったつもりなんだけど。



「変だ。めちゃくちゃ変」



マスターがそう言って、はぁと息を吐き出し、私の隣に座り込む。



「あんな震えて飛び出してったから、てっきり泣いてんのかと」


「……え」



心配…してくれたの?



まさかいつも軽口を叩きあっているマスターに心配されてるとは思わず、少し動揺してしまう。なんとなくドギマギして、マスターから顔を離す。



「……悠と一緒にいなくていいの? ていうか、美月は大丈夫かな…。私のせいで傷つけちゃった」


「それこそ、悠や他の子がついてるから大丈夫だよ」



マスターはそう言って黙り込む。私も黙って、もう一度空を見上げた。




優しいな、マスター。マスターの名前ってなんだっけ…。


Bloomに行った時に悠が言ってたな。


えーっと、




「透さん」


「……?」




マスターが不思議そうにこちらを見た。




「透さんって悠に呼ばれてたよね?」


「まあ、そういう名前だからね」


「ホストの時の源氏名じゃなくて?」


「別にこだわりもなかったし、本名のままだよ」


「ふーん…」



そういえば、愛梨との時も透さんが来てくれたから助かったし、話も聞いてくれた。


まだ知り合って日も浅いのに私の事いろいろ気にかけてくれる。


なんでだろう。もしかして、これが、



「親心ってやつ…?」


「親心…?」


「透さん私に優しいじゃん。私のこと見て親心感じてるの?」


「……君が生まれた時、俺はまだ7歳にもなってないんだけと? 女の子が泣いてるなら普通に心配するでしょ。美咲ちゃんは大切なお客さんだし」


「美月もお客さんじゃん。しかも私より上客」


「だから、美月ちゃんには悠や、他の女の子がついてる」


「……私には誰もいないって?」


「俺がいてあげてるでしょ」




思わず透さんの顔を見た。彼は相変わらず真剣な顔で私を見てくる。


私はじっと透さんの顔を見て………





ぷっと、吹き出した。




「あははっ、何その顔ー」



指さして笑うと、透さんは顔を歪めた。



「なんで笑うんだよ」


「いや、透さんって性格悪くて女の子いっぱい誑かしてるタチの悪いチャラ男だと思ってたけど…」


「……」


「逆だったんだ。そうやって本心から誰にでも優しくしてるからモテるんだね」


「美咲ちゃんは俺をなんだと思ってるの…」



透さんは疲れたように髪をかきあげ、立ち上がると、私へ手を伸ばした。




「こんなとこだと寒いでしょ。店来なよ。それとも、クラブに戻る?」



そう言われて、うーん…と考え込で、立ち上がり、



「……一旦Bloom行く」




透さんの手を取った。












「……私、物心ついたときにはもう両親がいなくて。親への想いとか、そういうのを考えるの、うまくできないんだ」


Bloomのテーブル席で出してもらった烏龍茶を飲みながら、私はぽつりと呟いた。

透さんは隣に座って、黙って私の話を聞いてくれている。


営業していないバーはいつもより明るく、どこか別の場所みたいだった。


「透さんは……親、いる? どんな関係?」


“普通”の家族の話を聞いてみたくて、そんな質問をした。


けれど、透さんは一瞬だけ表情を曇らせた。


あ――しまった。


彼も何らかの事情があって灰狼町にいるのだ。


「ごめんなさい。話したくなかった?」


「……いや、大丈夫」


透さんはそう言って、小さく息をついた。


「俺の家族は――平凡以上に、愛情をくれる人たちだった。俺も、大切に思ってるよ」


「だった、ってことは」


「……いや、ただ会えてないだけだよ」


何かをごまかすように、彼はふっと笑って見せた。


「俺の家はうまくいってた方だけど、やっぱり“親”っていうのは、子どもに対しては強い感情を抱くもんじゃないかな。ただ、それが良い方に働くことも、悪い方に転がることもある」


「……」


「美月ちゃんのお父さんもさ。きっと彼女のことをちゃんと考えてるんだよ。ただ、その“やり方”にちょっと問題があるだけで。

……それに、美月ちゃんだって、お父さんのことを大切に思ってるからこそ、今回のことがあんなにショックだったんだと思う」


「うん……」


私は肩を落とす。


「私、美月の気持ち、全然わかってなかった。お父さんのことも。でもね、こうやって透さんと話してて、頭では理解してるつもりなんだけど、海桜に言われたこととか……まだ正直、あんまりピンと来てないんだよね」


そう言って、ため息をついた。


「……どうしたら、美月を助けられるかな」


透さんを見ると、彼は少しだけ目を細めて、優しく微笑んだ。


「――優しいね、美咲ちゃん」


「え……?」


「まだ出会って日が浅いのに、そんなふうに本気で何とかしてあげたいって思えるなんて」


「それは……」


――違う。

完全に善意で動いてるわけじゃない。


ニンファーの五人目を突き止めるため。

そのためには彼女たちに信用される必要がある。それが、動機の一部になってしまっている。


そんな自分に、胸がチクリと痛んだ。


言葉を失った私に、透さんが少し顎に手をやって、考えるように言った。


「……わからないなら、話を“聞いてみたら”いいんじゃないかな」


「え?」


「実際に――美月ちゃんのお父さんから。

本当は彼が、どうして欲しいと思ってるのか。俺も少しだけ知ってるけど……あの人は、ただ結婚させたいだけじゃないと思う」


「それは……確かに」


「もしかすると、何か別の目的があるのかもしれない。ちゃんと話をすれば、お互いに譲れる部分も見つかるかもしれない。……美咲ちゃんなら、それができるんじゃない?」


……確かに、私の“変装”を使えば、美月のお父さんに近づくことは難しくない。


話を聞くだけなら、きっと――できる。


「……ありがとう、透さん。ちょっと、やってみるよ」


私は静かにそう言った。








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Cosmic Dust 砂沙 @sasha11

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