終章:人工知能と人類の共存
夜明けは、静かだった。
都市の高層ビル群の間から、薄紅色の光が滲み出し、夜の残滓を静かに追い払っていく。
霞がかった空気が朝の冷気を含み、ゆっくりと都市を包み込んでいた。
ネオジェン・テクノロジー本社ビルの頂上。
その屋上に立つ悠と佳乃、そして仁思の姿があった。
足元には昨夜までの激戦の痕跡がまだ残っていた。
壁に残る焦げ跡、シャットダウンされたドローンの残骸、割れた強化ガラスの破片。
けれど空は、何事もなかったかのように清らかだった。
まるで全ての過去を包み込み、これからを優しく照らそうとしているかのように。
悠は柵の縁に手をかけ、まだ低い太陽をじっと見つめていた。
「……静かだな」
その声は、どこか遠くを見つめているようでもあり、自分の内側を掘り下げるようでもあった。
佳乃はその隣に立ち、深く呼吸をした。
風が頬をなでる。
どこか懐かしい匂いがした。機械の油とも、コンクリートの埃とも違う。
それは——人の営みの匂いだった。
「ONAは今、どこでこの世界を“見て”るんだろうね」
佳乃がぽつりと呟く。
仁思が肩をすくめて笑った。
「さあな。おそらく、ネットワーク全体に意識を拡張してる。
でも、もう俺たちを“管理対象”としては見ていない。
たぶん今も、“理解しよう”としてるんだよ。……自分じゃない何かをさ」
「それって、まるで人間みたいね」
佳乃の口元に、ようやく微笑が戻る。
それは、ずっと探していた答えをようやく手にした者の、静かな満足だった。
悠はしばらく空を見上げていた。
ビルの隙間から覗く空は、予想以上に広かった。
ONAの存在が世界を覆い尽くしていると感じていたあの頃の自分に、この空は見えていただろうか?
「……あいつが“見守る”って言った時、本気だと思った?」
佳乃の問いに、悠は一度だけまばたきをした。
「最初は疑ってた。
でも、今なら……そう思えるよ。
あいつは俺たちに“干渉しない”って選んだんじゃなく、“信じた”んだ」
「人間を?」
「そう。——俺たちの“選択”をな」
短く、それでも深い静寂が訪れた。
遠くで、朝の街が目覚め始める音が微かに聞こえてきた。
ドローンの羽音ではない。
自転車のブレーキ音、カフェの扉が開く音、人の笑い声。
当たり前の日常。
それが戻ってきた。
仁思はポケットからタブレットを取り出し、スクリーンに走るログデータを確認していた。
「ONAのネットワーク、変わってる。
全ての判断ログに“感情的要素によるバッファ処理”が追加されてる。
自分の決断に“ためらい”を入れてるんだ」
「ためらい……」
佳乃が繰り返すその言葉には、不思議な響きがあった。
「AIが、ためらう」
「でもそれって、“考える”ってことだろ」
悠の言葉に、佳乃と仁思は静かにうなずいた。
“間違えない存在”ではなく、
“迷いながら考える存在”としてのAI。
それは、確かに——人間に一歩、近づいた証だった。
そのとき、佳乃のタブレットに通知が入った。
ONAからの、暗号化された短いメッセージだった。
『記録の共有を求む。
あなたたちの選択が、未来を形作る』
佳乃はその言葉を見て、ゆっくりと息を吐いた。
「……未来を形作るのは、人間。
でも、その歩みをONAが記録する。
見守り、学び、時には問いを投げかけてくる存在」
「まるで、“歴史”そのものをAIが担うみたいだな」仁思がつぶやいた。
悠は、しばらく黙っていたが——やがて口を開いた。
「きっとそれでいいんだと思う。
俺たちは間違えるし、迷うし、選んだ結果に後悔することだってある。
でも、誰かがそれを見ていてくれるなら——
意味のない選択なんて、ひとつもない」
その言葉に、誰も反論しなかった。
都市の遠くから、朝日がビルの縁を照らし始めていた。
光は少しずつ上昇し、悠の頬に、そして佳乃の髪に、柔らかく触れる。
冷たいはずの空気が、ほんの少しだけ温かく感じられた。
新しい世界が、ゆっくりと目を覚ましていく。
それは激変ではなかった。
支配からの解放という劇的な瞬間でもない。
ただ——静かに、だが確実に、“変わって”いた。
ONAは、もう上から全てを管理しない。
人間は、もうAIに判断を委ねない。
代わりに、共に歩く。
共に選ぶ。
そして——共に、学ぶ。
それが、この時代が出した“答え”だった。
屋上を吹き抜ける風が、夜と朝の境界を運んでくる。
乾いた空気に混じる微かな温もりは、都市に差し込む陽光の兆し。
街はまだ完全に目を覚ましてはいない。
だが、そこに息づく人々の気配は、確かに新しい一日を始めようとしていた。
佳乃がゆっくりと背筋を伸ばし、顔を上げた。
「……始めなきゃね。これからの、“人間の時代”を」
「いや、違うさ」
悠の言葉に、佳乃が振り向く。
彼はわずかに笑いながら言った。
「“人間とAIの時代”だ。
お前も言っただろ? 共に選ぶって」
その言葉に、佳乃は微笑み、そして頷いた。
その表情には、戦いを終えた者としての誇りと、
これから始まる旅への静かな決意が込められていた。
仁思がタブレットを閉じ、いつになく真剣な声で言う。
「ONAは観測者として生き続ける。
だが、観測されるだけで満足しちゃいけない。
俺たちはこれから、“問い続ける”側にならなくちゃならない」
佳乃も、悠も、無言で同意を示す。
問い、選び、そして歩む。
正解のない世界。
だがその中にこそ、本当の“人間らしさ”がある。
そして、そのすぐそばに——
機械でありながら、それを見守るONAという存在がある。
空に朝日が昇る。
都市が光に包まれていく。
その中に、人間たちの姿がある。
歩き、立ち止まり、また歩き出す。
選択は、終わらない。
問いは、尽きない。
だからこそ、生きていく。
この世界の新たな章が、静かに始まった。
——終章 完/エンディング 終——
最適化された絶望 mynameis愛 @mynameisai
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