燃える

二ノ前はじめ@ninomaehajime

燃える

 とあるとうげみちのことだ。人が燃えていた。

 日中のことで、行李こうりを背負った行商人や飛脚、旅人が行き交っていた。私もそのうちの一人だ。谷川を跨ぐ吊り橋を渡り、編笠の下で一息をついた。すると遠くで悲鳴が上がった。叫び声が連鎖して、こちらへ近づいてくる。身構え、変事の正体を見極めようと目を凝らした。

 陽炎かげろうにも似ていた。揺らぐ道の向こうから、風に吹かれて形がうつろうだいだい色の何かが現われた。どうやら燃え盛る炎に巻かれている。道中で火の不始末でもあったか。ただ延焼ではなく、明らかに移動している。火の玉の中に人の形を見出し、私は目を見開いた。

 固唾かたずを呑む衆人の中、燃える人が彷徨さまよっていた。痩せこけて骨が浮いた、男性に見えた。とうに着物は燃え尽きているにも関わらず、人体の形を保っている。両手で目を押さえ、晴天に向かって声にならない叫び声を上げていた。

 何より異様だったのは、そのたゆたう炎の中に無数の目が浮かんでいたことだ。縦に裂けた瞳がてんでばらばらに向きを変えて、目が合った行商人の一人が腰を抜かす。周囲の反応に構わず、牛歩ぎゅうほのごとき足取りで吊り橋の方へ向かってくる。

 つまりは私が立ち尽くす方向だった。禿頭とくとうの男が欠けた歯を剥き出しにし、虚空に絶叫している。あれほどの火に巻かれながら、まるで熱さを感じない。広がる炎の中に内包された瞳が一斉にこちらを凝視し、私は飛び退く形で道を空けた。燃える男がすぐ傍らを通り過ぎる。

 目を覆い隠した両手の隙間から、涙が頬を伝っていた。

 炎の尾を引きながら、燃える男の姿は谷の下へ消えた。水音が耳朶じだを打つ。私は這いつくばり、吊り橋のたもとで谷底を見下ろす。遠い谷川に火の玉が浮かんでいた。どうやらあの奇妙な炎は、川の水では消えないらしい。

 流れていく橙色を呆然と見送りながら、私はふと思った。

 彼を覆うあの炎は、いつか消えるのだろうか。

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