第3話『扉の向こうへ』
【あらすじ】
老龍との二度の対話を経て、和真は初めて“選ぶ”という行為に向き合い始める。だが、選ぶということは、何かを捨てることでもある。第三話では、和真が実際に行動を起こし、小さな衝突と失敗を経て、自分自身の「問い」の輪郭を掴み始める。物語は一つの区切りへと向かい、老龍の扉の意味も静かに明かされていく。
【登場人物】
■ 結城 和真(ゆうき かずま):迷いを抱えながらも、自分で“選ぶ”ことを決意し始めた大学生。
■ 老龍(ろうりゅう):カフェRYUの店主。“問いを抱く者”にだけ扉を開く導き手。
■ 久保田 直樹(くぼた なおき):和真のゼミ仲間。何気ない言葉が和真に影響を与える。
◇小さな決意◇
午前七時。
スマホのアラームが鳴るより前に、和真は目を覚ました。
まぶたの裏に残っていたのは、昨夜の静かな対話と、店内に立ち昇る珈琲の香りだった。
「……“問いを語れ”か」
自分には、まだ何もない。
それでも、今なら“動かねばならない”という感覚だけは確かにあった。
そう思えたこと自体が、和真にとっては大きな一歩だった。
その日のゼミでは、キャリアシートの下書きを提出することになっていた。
他の学生たちが、就活サイトのテンプレを使って作り上げた“理想像”を語る中、和真は白紙のシートを鞄から出した。
手が震える。
だが、ペンを持った。
“問い:自分は何をしているとき、生きていると感じるか?”
それが、彼の最初の一文だった。
そこから書いた文章は、就活マニュアルのどこにも載っていないような、未整理な、しかし率直な自己表現だった。
「自分が言葉を話しているのか、誰かに代弁されているのか。その違いを、ようやく意識できた気がした」
◇違和感の衝突◇
「それって……自己PRじゃなくね?」
隣で書類を覗き込んでいた久保田が、眉をひそめた。
「面接官が欲しがるのは“答え”だよ? 問いなんて書いたら、落ちるって」
和真は返事をしなかった。
否定されたくなかったわけじゃない。言い返す言葉がなかっただけだ。
「……でも、それが今の俺の“言葉”だから」
久保田は一瞬だけ黙り、それから笑った。
「……お前、ちょっと変わったな」
その一言に、なぜか肩の力が抜けた。
変わった。
変わってしまったのではなく、“変わろうとしている自分”が、確かにいる。
その日の帰り道、和真は夕暮れの中でしばし足を止めた。
ビルの窓に映った自分の姿が、少しだけ、知らない誰かのように見えた。
◇夜の再訪◇
その夜、和真は再びCafé RYUを訪れた。
カラン……
扉の鈴の音が、まるで「よく来た」と告げているようだった。
「どうやら、一歩踏み出したようだな」
老龍は変わらず、静かに微笑んでいた。
和真はソファに座り、カップを受け取りながら言った。
「今日、ゼミでちょっと衝突しました。自分の言葉を書いたら、“それじゃ通らない”って……」
「それで、どう思った?」
「……怖かった。でも、何か……すっきりしたんです」
老龍は静かに頷いた。
「“通る言葉”を選ぶか、“通じる言葉”を探すか。どちらも選択だ。だが、“魂に従った言葉”は、いつか必ず届く」
「それって、効率悪くないですか?」
「“効率”を問うなら、誰かの成功をなぞればよい。だが、“魂”を問うなら、正解は外にはない」
和真はうつむき、静かに頷いた。
◇扉の向こうへ◇
「老龍さん……俺、今すごく不安です。でも、同時に、今までになく“自由”を感じてるんです」
「それが“問いを抱く者”の証だ。恐れるな。お前はもう、扉の前にはいない。“扉の向こう”に立っている」
老龍は、棚から新たなノートを取り出した。
表紙には、こう刻まれていた。
『行動する哲学』
「これは、“答えのない問い”を抱えながらも進もうとする者へ向けた書だ」
和真はそれを静かに受け取った。
「俺、まだ正しいかどうかは分からないです。でも、選びました」
「それで十分だ。“確信”の前に、“決断”がある。“決断”の前に、“問い”がある」
◇
帰り道、春の夜風が頬を撫でる。
不安は消えていない。
だがその横に、“確信”のようなものが芽生えていた。
この道は、遠回りかもしれない。
けれど、今の自分には“嘘がない”。
街の雑踏に背を向け、和真は空を仰いだ。
星は見えなかった。
それでも、心には確かに、一つの光が灯っていた。
【エピローグ】
問いは、光である。
だがその光が本物であるかは、“行動”という影を落として初めて証明される。
和真はその夜、問いの光と影を背負って、まっすぐに歩き出していた。
#老龍 #問いと行動 #カフェRYU #成長物語 #魂の言葉 #現代寓話 #哲学的終章
龍の書斎 ~迷える若者と叡智の導き手~ 松宮 黒 @19710812
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