メイドの土産

出浦光吉

最初から完結まで

   メイドの土産


 重いものが倒れるような大音響が鳴り響いた。佐々木健次郎は部屋を飛び出す。

廊下に出てみると、隣の部屋から竹丸、花子夫妻がおっかなびっくりに顔を覗かせた。

「今の音はなんです?」

健次郎は問いかける。

「何でしょ?私もビックリしましたよ」

目を白黒させながら花子が不安そうに応えた。竹丸も目を見張ってキョロキョロとしている。

「旦那様の部屋からでしょうか?」

そう言って夫妻の部屋とは反対側、左隣りの部屋のドアに歩み寄った。

「旦那様、旦那様。如何なさいましたか?」

ノックをしながらドア越しに声を掛けるが返事はない。

何度かノックを繰り返した健次郎は「開けますよ」と大声で言ってから、ドアノブに手をかけた。鍵は掛かっておらず押し開ける。十センチ程押したところでドアがつっかえて止まってしまった。

「ん、何か当たってるみたいだ。旦那様?」

そう呼びかけながら部屋の中を覗き込んで、健次郎は息を呑む。

花子も何事かと後ろから恐る恐る部屋の中を覗き込み、ヒイッと短く悲鳴をあげた。

ドアは、倒れた本棚につっかえて開かなくなっていた。その奥に、先ほどから旦那様と呼ばれているこの屋敷の主人。田所収蔵が仰向けに倒れているのが見えた。

「下がってください!」

健次郎の一喝で、花子はビクッと肩を震わせ、慌てて後ろに飛びのいた。

健次郎は勢いを付けてドアに体当たりをする。

「手伝うか?」

竹丸が進み出る。

「お願いします!」

二人の体がドアに勢い良く当たる度に、少しずつ押し開けられていく。何とか人が通れる隙間が出来ると、健次郎と竹丸は部屋に滑り込んだ。

 収蔵は頭から血を流して倒れていた。その肩を叩きながら「旦那様!」呼びかけるが反応は無い。

「花子さん、救急車を!早くっ!」

「は、はいっ」と花子は、わたわたと電話を掛けに駆けだした。

救急車を手配した健次郎は、改めて収蔵の手首を握り脈を確かめたが、すでに事切れていた。


 猪野郷弘は帰り支度を整えていた。

隣のデスクの電話が鳴る。時計を見ると八時をまわっていた。郷弘は嫌な予感がして頬を引きつらせる。

 先輩でもあり、バディを組んでいる藤野春彦が受話器を取った。はい、うん、了解。と返事をして電話を切る。

「サト、事件だ。行くぞお」

藤野はそれだけ言って上着を羽織る。

「マジすか。俺」

今帰るとこだったんですけど。という言葉を飲み込んで郷弘は「了解」と溜息交じりに応えた。

 郷弘がハンドルを握り車を出す。

「どういう通報だったんですか?」

横目に藤野を見ながら訊ねる。

「ああ、救急からの通報だそうだ。事故かもしれんがって話だ」

助手席に座った藤野はゴマ塩頭を撫でながら、窓の外を見る。

マンションや商業施設のビルディングの明かりが車窓を流れていった。

「死んだのは田所収蔵、四十九歳。自宅で後頭部を強く打って倒れていたそうだ」

そこで一息吐き「あの田所だとよ」と言う。

「あの田所?」

「お前の年頃だと知らんか。この辺の土地持ちでなぁ。いわゆる豪農だったんだが。最近の都市開発で土地を売って、大分儲けたそうだ」

「へぇ、それはうらやましい話ですね。じゃあ、死んだのはそこの主人ってことですか?」

「ああ、現当主ってところか。まあ詳しいことは着いてからだな」

それきり藤野は黙り込んだ。

 碁盤の目のように区画整理されたつくば市街を抜けると、途端に建物が少なくなる。

闇を車のヘッドライトが押し退けながら進んでいく。

やがて、稲が刈り取られて丸坊主になった田んぼの中に、ぽつんと佇む屋敷が現れた。

「お、あれだ、あれだ」

藤野が眉間に皺を寄せながら目を凝らした。

「はあー、立派なお屋敷ですねぇ」

 近づいてゆくと鉄製の門扉が開け放たれていた。郷弘はゆっくりと車を門の中に進ませる。門の先にはまっすぐにお屋敷に続く道が伸びていた。

暗くて良く見えないが、道の両脇には庭園が広がっているようだ。屋敷の前に救急車が一台止まっているのをヘッドライトが捉えた。

その横に付けるようにパトカーを滑り込ませた郷弘は、藤野とともに車から降り屋敷に向かう。

 洋館風のレンガ造りの屋敷は古めかしく見えたが、玄関にはカメラ付きのインターフォンが付いていた。藤野が胸ポケットをまさぐりながらボタンを押した。

やや間があって神経質そうな男の声で「はい」とスピーカーから聞こえてくる。

「警察のもんです。救急からの通報で来ました」

両開きの扉の片方がそろそろと開く。藤野が警察手帳を示して名乗った。郷弘もそれにならう。

「お待ちしておりました。どうぞ」

 屋敷内に入ると、二十代だろうか、整った顔立ちの青年が深々としたお辞儀で出迎えた。

「ご苦労さまです。こちらへ」

そう行って二人を先導する。

 玄関を抜けて、階段のある広間をまっすぐに突っ切る。黒光りする艷やかな床板。壁紙はクリームがかった白。シャンデリアがキラキラと輝いていた。

青年は広間の奥のドアを開けて、チラと振り返ってからまた前を向き、進んでいく。

二人は無言で従った。前を行くワイシャツ姿の背中は、服の上からでも引き締まった広背筋をしているのがわかった。郷弘は、アイドルみたいな顔立ちしてるくせにガタイは良いなと思った。こういうやつがモテるのだろう。妬ましい。

更に廊下を進んでいく。突き当りを左に折れて、右手側にドアが並んだ一番奥の部屋の前で青年は止まった。

「ここでございます」


 二人が部屋に入っていくと、目の前には倒れた本棚の先に死体がひとつ。その周りを三人の救急隊員が取り囲んでいた。部屋の隅にはずんぐりとした小男が所在無げに立っている。

「ご苦労様です」

藤野と郷弘に気付くと救急隊員が敬礼した。

「どうも、ご苦労様です。どういう状況ですか?」

藤野が軽い調子で聞く。

「私たちが到着したときには、もう既に亡くなっておりました。現着が七時五十五分、同五十七分に死亡を確認しました。こちらの棚はもっとドアの方に寄っていたんですが、私たちが入る際に押し広げています。それ以外は生死確認をしただけで手を付けていません」

「そうですか。手遅れでしたか」

「残念ですが」

「分かりました」

そう言いながら藤野は綿手袋を着ける。メモを取っていた郷弘も慌ててそれに倣った。

隊員達は「では私たちはこれで」と言い残して撤収していく。

さて、と腰に手を当て藤野は現場を見渡す。

 現場となった部屋は書斎の様である。床には毛足の長い絨毯が敷かれ、部屋の奥には黒檀の机が据えられている。その脇には頑強そうな金庫が置かれていた。

部屋の中央には革張りのソファと応接机が置かれ、ドアがある側の壁には背の高い本棚が並んでいる。そのうちの一つ、ドアの脇に据えられた一台が倒れ、本や書類などが床に散乱していた。

遺体は倒れた本棚の先に仰向けに倒れており、頭は反対の壁側を向いていた。その頭の脇に金色の重そうな置時計が転がっている。

「この時計が死因か」

屈みこんで覗き込む藤野。カチ、カチ、と時計は時を刻み続けている。角には血がべっとりとこびり付いていた。

「こりゃあ、ひでえや」

目を剥いて動かなくった被害者の頭を少し持ち上げて藤野が呟く。

横に中腰になった郷弘は、うっと声を上げた。後頭部が陥没し、皮膚が裂け、血と脳漿が流れ出しているのが見える。

なるほどこれは手遅れだな、と手の甲で口を押さえる郷弘。

 藤野が立ち上がって死体の周辺を観察している。倒れた頭の周りの絨毯は血が染み込み赤黒く変色していた。被害者の身に着けた白いガウンの肩口にも血が広がっている。

床の絨毯は棚を押し動かしたためか寄れて波打っていた。部屋の隅を見ると天板が外れて壊れた木製の踏み台が目に入った。

「なにか動かした物はありますか?」

ドアの横に佇む青年に目を向けて藤野は聞いた。

「いえ特には、あ、いや。この棚はもっとドア側に寄っていて。扉が開かなかったものですから、体当たりをして無理やり押し開けました。それから旦那様の体は声を掛けながら揺すぶったりはしました。まさか亡くなっているとは思わなかったものですから」

「なるほど。あなたがたは、この方とはどういった関係で?」

「私は、佐々木健次郎と申します。この家で住み込みで働いている者です」

青年は名乗って、もう一人の小男に目配せする。

「柏木竹丸ですだ。同じく住み込みで働いとるもんです」

ムスッとした表情で浅黒い角ばった顔の小男が名乗る。

「佐々木さんに柏木さんですか。どういう状況だったのか詳しくお聞きしたいんですがね」

そう聞かれた二人は顔を見合わせた後、青年が代表して田所の書斎に踏み込んだ経緯を説明した。

「もう一人いらっしゃるんですね。その花子さんという方はどちらに?」

「花子さんは気分が悪くなったようで、部屋で休んでもらっています。呼んできたほうが宜しいでしょうか」

「いえ、後で私どもの方から話を伺いに行きますから良いですよ」

そう言いながら藤野は部屋の奥、入口のドアの対角線の壁のほうへ歩いてく。そこにはもう一つ、ドアが付いていた。

「このドアはどちらに通じてるんですか?」

「そこからは庭に出られるようになっています」

「ほうほう」

そう言いながらドアノブに手を伸ばし捻るが開かない。

「ここの鍵も触ってはいませんか?」

「ええ、触ってません。そこの鍵は、夜は戸締りを確認するようにしております」

青年が答え、小男もしきりに頷いている。

「外から開ける鍵とかは?」

「それはありますが、旦那様が持っているだけです。いつもそちらの机の引き出しに入れていたと思いますが」

健次郎は黒檀の机を指差す。

「ちょっと失礼しますよ」

そう言って藤野は引き出しを上から開けると、一段目に鍵束が入っているのを見つけてつまみ上げ「これですか?」と訊ねる。

「はい。それです」

「これのほかに合鍵なんかは?」

「私の知る限りではありません」

健次郎はきっぱりと答えた後、竹丸のほうを窺った。

「俺も聞いたことねえな」

老人も片眉を釣りあげて答える。

ふむ、と頷いた藤野は机の後ろにある窓に掛かったカーテンを摘まんで少し開ける、窓にも鍵が掛かっていた。

「その時計は元々この部屋にあった物ですか」

カーテンを閉め直して振り向く。

「はい。その倒れた本棚の上に乗ってたものです」

腕を組んで考え込む藤野の様子を見ていた郷弘が、藤野に近づき小声で話しかけた。

「藤野さん、これは事故でしょ。この仏さんは本棚の上の方にあるものを取ろうとして、棚に登ったんじゃないですかね。踏み台が壊れてて使えなくて。それで本棚が倒れて、その拍子に頭をドカンと。この人たちが駆けつけた時、この部屋はいわゆる密室だったわけですよね。誰も入れなかったんだから、事故って考えるのが自然じゃないですか」

「密室ねえ」

藤野が胡散臭いものを見るような目で郷弘を見る。

 その時、ガチャという音がどこからか響いた。部屋にいた人間は皆、何事かと耳をそばだてる。再びガチャリと音が聞こえたかと思うと唐突に庭へと続く扉が開いた。

「ただいま戻りました。ご主人様」

そこにはメイド服を着た女が立っていた。


 突然の闖入者に部屋はしばし沈黙に包まれた。

当のメイド姿の女も、おろおろと部屋にいる面々に視線を走らせている。

その目が床に倒れた収蔵の死体を見つけ「キャッ」と短い悲鳴を上げて後ろに後ずさった。

郷弘が詰め寄り声を掛ける。

「あんたはいったい誰だ?なんでここに来た?カギはなんで持っている?」

藤野は音もなく女の後ろに移動し、退路を塞ぐようにドアを閉めた。

女は「えっ、えっ?」と青ざめた顔でうろたえている。

「この方もこの家の使用人の方ですか?」

藤野が健次郎と竹丸の方へ視線を送って尋ねる。

二人は首を横に振り「いえ、違います」と答えた。

「お嬢さん、私たちは警察なんですけどね。見ての通りここは人が亡くなった現場でね。あなたには話を伺わなければいけませんな」

藤野は穏やかだが有無を言わさぬ口調で言った。

 その後、鑑識官や応援の警官達が到着し、場は騒然となった。

鑑識作業が慌ただしく進められる中、藤野と郷弘は健次郎の案内で応接間へと場所を移した。

 部屋の中央に据えられた応接セットのソファに藤野と郷弘が座り、メイド服姿の女は促されて向かいのソファに腰かけた。落ち着きなくスカートをいじっている。

黒のワンピースに白いフリルの付いたエプロン。膝上丈のスカートの先にも白いフリルがあしらわれていて、黒髪のボブヘアの上にもフリルのカチューシャが乗っている。

小柄でほっそりとした体型。丸顔に二重のパッチリとした目をして、幼い印象を受ける。伏し目がちにした目には長いまつ毛が覗いていた。

竹丸と健次郎は部屋の隅に置かれた椅子に座り、事の成り行きを見守っていた。

「まずは名前を伺いましょうか」

藤野が切り出す。

「マリーです。あ、いえ。高木麻里子です」

顔を赤らめながら名乗る。

「職業は、なんです?メイド?」

「はい。いわゆる出張メイドのサービスをしています。これがお店の名刺です」

麻里子は名刺を差し出した。

藤野が受け取ったそれを、郷弘は横から覗き込んだ。そこには『ハウスキーパーサービス ハニービー』と印字されており、名前はマリーとなっている。

「ほう、出張メイドねえ。近頃はそんなのがあんのかい?」

「東京の方でなら聞いたことありますけど、こんなところにもあったんですね」

「ふーん。で、何であの場に来たの?」

「それは、二ヶ月前ぐらいから週一で雇われていて、通っているんです。業務内容は部屋の掃除だけでしたが」

「それで今日がその週一の日だったって事ですか」

そこで藤野は振り返り「ご存じでしたか?」と使用人に問いかけた。

「いえ、おそらく旦那様が呼んだのでしょうが。聞いておりませんでした」

健次郎が答え、竹丸も頷いている。

「あ、あの。多分、家の人には内緒だったんだと思います。入るときも玄関からは入らないように言われていましたし、掃除していたのも、あの部屋だけですから」

「鍵はなんで持ってたの?」

「合鍵を受け取ってたんです。呼ばれる様になってから一ヶ月ぐらい経った頃にこれで入ってくるようにって渡されて」

「ここまではどうやって来たんです?ひとりで?」

「はい。ここに来る時はいつも一人で来てます。屋敷の裏にスクーターを止めて裏門から入ってくるようにとも仰せつかってました」

藤野は顎に手を当てて、ふむ、と唸ってから

「それで、田所収蔵氏とトラブルがあって殺してしまったと」

ニコニコしながら言う。

「えっ、いやそんなわけないじゃないですか!なんでそうなるんですか!」

麻里子は顔を赤くして腰を浮かせた。

「いやね。あの部屋に出入り出来たのはあなただけみたいですからねぇ。殺してしまって、一旦逃げた後に何か取りに、もしくは証拠を消す為に舞い戻ったとか。犯人は現場に戻ると言いますからな」

藤野はニコニコ顔を崩さないが、その細めた目の奥で相手の反応を鋭く見据えているのを横の郷弘は感じた。

メイドは蛇に睨まれた蛙の様に固まり口をパクパクさせて、あうあうと言葉にならない声を発している。

「あのう、刑事さん」

それを見かねたのか健次郎が口を挟んだ。

「それはちょっと無理があるかと思いますよ」

「ほう、そうかね」

藤野は視線をメイドから青年に移した。

「まず、仮に旦那様がその方に殺害されたのだとして。揉み合いになって本棚が倒れた、もしくは本棚をわざと倒したのだとしてもですが、その時この方は、あの部屋にいたことになります。その後すぐに私たちが声を掛けて部屋に踏み込みましたから、慌てて逃げたことになると思います。であれば、わざわざ裏口の鍵は閉めないと思うんです。逆に冷静だったとしても、鍵を掛けるメリットがあるようには思えません」

健次郎の理論立てた説明に感心したように、さらに目を細めた藤野は興が乗ったのか体を捻って青年のほうへ向き直った。

「人間の行動は分からないもんですからなぁ、理屈に合わなくても無意識に鍵を閉めたってことも考えられるんじゃあないかね」

「もう一点、彼女が戻ってきたとして、あのタイミングで戻ってくるでしょうか。あれだけ派手な音がしたんです。家人が気付いて騒ぎになっていることは安易に予想出来るはずです。犯人は現場に戻る。とは言ってもそんなところには戻らないでしょう。それに、彼女の第一声は『ただいま戻りました、ご主人様』でした。犯人であり何かを回収しに来たのであれば、こっそり入ってくるのではないですか?」

藤野は、にっと唇を歪め「まあ、私もちょっと言ってみただけですから。ごめんないね、お嬢さん」と麻里子に向かってちょこんと頭を下げた。

麻里子は頬を赤らめて青年に潤んだ視線を向けていた。

 それからまた藤野は健次郎の方を向いた。

「使用人の方にも話を伺いたいのですが、まずは佐々木さんからこちらへ」と健次郎をソファの方へ手招きした。

 健次郎がメイドの脇へ着席するのを待ってから藤野は話し始めた。

「この屋敷ではどのような仕事をなさってるんですか?」

「私は雑用全般と秘書のようなことをしております」

「この仕事は長いんで?」

「はい。なんと言いますか。私たちは、ええと妹がいるんですが。小学生のころに両親を事故で亡くしまして、遠縁の親戚にあたる旦那様に引き取って頂いたんです。それ以来この屋敷に住んでいます。私が高校を卒業してからは雑用と秘書をやらせてもらっています」

「ほう、その妹さんは、今はいらっしゃらないんですか」

「今は全寮制の高校に行っているので、この屋敷には居ません」

「念のため、妹さんのお名前と通っている高校を教えてもらっても宜しいですか」

「あかり、と言います。字は明るいに里です。清涼女子高校に通っています」

郷弘はお嬢様学校だなと思いながら、聞いた情報をせっせとメモしていく。

「今夜の行動を聞いておきたいのですが、田所収蔵さんを最後に見たのはいつですか?」

「夕食をみんなで摂った時ですね、その後は旦那様は書斎に籠っていました。まあ、旦那様はいつも夕食後は就寝前まで、書斎にいらっしゃいますのでいつもの事ですが。私も夕食後は自室に引き取っていました」

「では、いつもと違う様子なんかは無かったですか?不審な物音なんか聞いたりは?」

「特に無かったと思います。いつも何かあれば隣に控えていますので申しつけられますが、今日はそんなことも無かったです。あの本棚が倒れる音がするまでは物音も特にはしませんでした」

「ふむ、では、なにか部屋から無くなっている物なんかはありますか?」

「詳細に見たわけではありませんが、パッと見た感じでは特にないかと」

「そうですか。あなた方が部屋に入った後、裏の扉や窓に近づいた方はいませんでしたか?あなたも含めて」

「いなかったと思います」

健次郎は不安げに首を傾げた。藤野が竹丸の方を窺うとしきりに頷いている。

「救急隊が到着するまで、書斎にはお二人でいたんですか?僅かな時間でも一人になった人はいませんか?」

健次郎と竹丸を交互に見ながら問う。

「ええ、二人とも書斎から離れていません」

竹丸も頷いている。

「なるほど、わかりました」

 それから藤野は竹丸に、次はあなたがこちらへと言って呼び寄せた。竹丸が健次郎と入れ替わりでソファに腰かける。

「竹丸さんと奥さんの花子さんは、どのような仕事をなさってるんで?」

「ワシは庭師をやってる。花子のヤツは料理婦やってるだ」

竹丸はおっかなびっくり答えた。

「ここは長いんですか?」

「ワシらは長いよ。先代様のころから仕えてる」

「あなたが田所さんを最後に見たのはいつですか?」

「健次郎と一緒だよ。夕飯の後は見てねえ」

「あなた方も夕食後はずっと自分の部屋に?」

「んだ。ワシはすぐに引っ込んだよ。花子は洗いもんが終わってから戻ってきた」

「不審な物音とか聞いたりはしてませんか?」

「特になんもねえよ。急にドーンって音がして飛び起きちまった。この屋敷は割と防音がしっかりしている方なんだが、凄い音だったな」

「そうですか。あなたは部屋に何か異変、無くなっている物とか気付いた事はありますか」

「いんや、ワシもわからんですだ。ワシは、あの部屋には入らんで」

「念のため、後ほどもう一度確認願いたいですね」それから健次郎に向けて「あなたにも」と付け加えた。

「そういえば、あの部屋に金庫がありましたが、あの中もなにか被害が出ていないか確認して頂きたいです」

「ワシは開けらんね。開け方知らねえよ」

「あの金庫はダイヤル式になっていますが、番号は旦那様しか知りませんでした」

健次郎も口添えした。

「ふーん、じゃああなたは知ってます?」

藤野は麻里子に話を振る。

メイドは跳ね上がるように顔を上げ「知ってるわけないじゃないですか」と叫んだ。

「そうですか。それは失礼」

いたずらっぽく笑ってから、健次郎にむかって金庫の中に何が入っていたか分かるかどうかと、警察のほうで金庫を開けて良いか確認した。

健次郎は中身は詳しくは知らないが、現金を入れてあると聞いたことがある事と、開けることに関しては致し方無しと了承した。

「そういえば、使用人は三人だけですか」

「んだ、前はもっと居たが」

「そうですか、やめていったってことですか」

「ん、まあ、そうだな」

竹丸は目を伏せた。

藤野は目を細めて竹丸を見据えた。

「やめていった方について詳しくお聞きしたいですな。最近やめていった方もいらっしゃる?」

「まあ、そうだ。なかなか若いメイドが居付かなくての」

そう言ってチラッと横のメイドを見やる。

「ほう。入れ替わっているって事ですか。で今は居ないと。その中に裏の合鍵を持っている方とかはいないですか」

「ワシはそんなことは知らんよ」

竹丸は助けを求めるように健次郎の方を見た。

健次郎がそれに応える。

「去年までは旦那様のご意向で、若い女性のメイドを住み込みで求人していました。それで何人か雇ったのですが。皆、職が合わなかったのか辞めていかれています。その中で合鍵を渡している人はいらっしゃいません」

そこで少し考えてから「ですが、私の知らないところで旦那様が渡していれば別ですが」と付け加えた。

そこへ扉をノックする音が響き、制服警官が顔を出した。

「警部ちょっとよろしいでしょうか」


 藤野と郷弘が関係者の面々を残し、廊下へ出るとそこには鑑識官もいて、ひと通りの報告を受けた。

 それによると、死後硬直等の具合から死亡推定時刻は夕方五時から八時頃。健次郎らの証言によると夕食が終わって被害者が書斎に入ったのが六時二十分頃。書斎に駆け付けたのが七時半頃ということだったため、死亡したのはその時刻の間であると考えられた。

死因は見ての通り頭の傷が原因であり、かなり大きな力が加わったものと思われる。おそらく即死だっただろうという事だった。窓や裏庭へ続く扉には細工されて施錠された形跡は無し。

窓の下は芝生。扉の外から裏門までは砂利道になっていて、足跡等の痕跡は確認出来なかった。

裏門の外には高木麻里子の証言通り、スクーターが置かれていたが、特に不審な点は見られなかったとのことだった。

書斎の指紋の採取結果としては被害者、使用人達、麻里子の指紋が検出された。

また、例の置時計及び、金庫からも麻里子の指紋が検出された。この事実は藤野の興味を特に引いたようだった。

「シゲさんよお、あの金庫、鑑識の方で開けられるかい」

どうやら見知った間柄らしい鑑識に向かって藤野は聞く。

「んー、ぶっ壊して良けりゃ開けれるよ」

シゲさんと呼ばれた鑑識はぶっきらぼうに答えた。

「それはさすがにまずいな。じゃあ、あれか」

「あー、呼ぶかい?」

「そうだな、呼ぶか」

何を呼ぶんだろう?と郷弘は首を傾げた。


 「どうも、ご用命ありがとうございます。甲斐錠前店です」

しばらく待っていると、赤いツナギを着て短髪を金色に染めた、いかにも生意気そうな若者がやってきた。

歳は二十歳に届くかどうかといったところか。あいさつした後にニッと笑った顔は、まだあどけない印象も受ける。

「あれ?ずいぶん若いのが来たな」

藤野は意外そうな顔をした。

「あー、じいちゃんは腰が痛いって言って、もう出歩きたがらないんす。お前が行ってこいって全部押しつけるんすよ」

「ほお、じゃあジョーさんの孫かい」

「そうっす。ちなみにじいちゃんが錠之助で俺が錠太郎なんで。俺もジョーっすよ」

そう言ってまたニッと笑う。

「腕のほうは問題ないのかい?」

「それは任してください。父ちゃんは向いてないってやめちゃいましたけど、俺はじいちゃん譲りだって言われてますんで」

「へえ、そいつは楽しみだ」

藤野は目を細めて笑った。

 それから書斎に案内するまでの間、錠太郎は立派なお屋敷っすねえ、などとずっと喋り続け郷弘を辟易とさせた。

現場に着いた錠太郎は、真っ先に金庫に向かうことをせず、ちょろちょろと辺りを見て回り始める。

「ちょっと君、勝手にうろちょろされちゃ困るよ」

郷弘は注意したが、錠太郎は悪びれもせずに「まあまあ、いいじゃないっすか。サービスですから」などと言っている。

「いやいや、君の仕事は金庫を開ける事でしょ」

郷弘と錠太郎が問答しているところに、藤野が割って入る。

「サト。良いから良いから。好きにさせてやろうじゃないか」

「良いんですか?まあ、藤野さんが言うんなら」

「あと何があったのかもザッと説明してやんな」

「え、マジっすか」

 それから郷弘はしぶしぶ手帳を開いて事のあらましを鍵屋に説明してやった。

それを聞き終えた錠太郎は「あざっす、だいたいわかりました」と敬礼する。

なにがわかったんだかと苦笑する郷弘を尻目に、倒れた本棚をふんふんと言いながら調べだす錠太郎。

ドア側の縁を見ながら「お、これは」と満足そうに頷いている。

「勝手に触らないようにしてよ」

郷弘が近付いて覗き込むと棚の縁に幅二センチ程の僅かな窪みがあるのが見えた。もっとよく観察しようと屈みこもうとしたが、錠太郎がすっくと立ち上がり後ろにいた郷弘にぶつかりそうになり慌ててのけ反った。

「ちょっと急に立ち上がるなよ」

郷弘の文句を意に介さずに錠太郎は部屋の奥へとスタスタと歩いていき、今度はカーペットの端を観察している。

何を見ているのかと、郷弘もそちらの方に歩み寄っていく。

カーペットが少しズレたせいなのか、床に付いた日焼け跡の境目が見えている。使用人達が本棚を押し込んでドアを開けた際にズレた跡だろうかと郷弘が考えていると、

錠太郎が「なるほど、納得したっす。じゃあそろそろ」と振り向きながら言う。

「おっ、やっと金庫を開ける気になったか」

「トイレ借りていいっすか?」

ガクッとうなだれる郷弘に、すんません、漏れそうなんすよ。と笑いながら言い、立ち会いで部屋の隅に控えていた健次郎にトイレの場所を聞くと、錠太郎は部屋を出て行った。

「大丈夫なんですか?アイツ」

郷弘が不満顔で藤野にぼやく。

「あの坊主がじいさん似なら、好きにさせとくのが一番良いんだよ」

藤野は呑気に答えた。


 書斎を出た錠太郎は廊下に誰もいないことを確認すると素早く隣の部屋に滑り込んだ。

健次郎の部屋に入った錠太郎は、キョロキョロと部屋の中を見回し始める。

右手側の奥にシングルのベットが据えられて、その脇には書き物机が置かれている。左手側の壁際にはオーディオセットが置かれたキャビネット、中にはクラシックのCDが並んでいるのが見えた。

扉の正面奥にはアルミ製のラックが置いてあり、雑用に使うのであろう工具類等が仕舞ってあった。そこに置いてあった工具箱を物色して満足したのか錠太郎は部屋を出た。

 続いて錠太郎は、さらに隣の部屋のドアを音もなく開ける。闖入者の気配に気付いた花子はベットから起き上がると、ツナギ姿の男を見て肩を震わせながらヒャッと小さく声を上げた。

「どなたかしら?」

おっかなびっくりしながら訊ねる。

「あっすんません、甲斐錠前店のものです。警察に金庫を開けてほしいって呼ばれて来たんすけど、トイレを借りたくて。どうも場所間違えたみたいっす」

「あら、そうなの?トイレなら廊下の突き当りのドアよ」

花子は少し警戒を解いたようだ。

「あーそうでしたか、あざっす。ところで今日は大変でしたね。こんなことになって」

そう言いながら部屋の中を観察する。花子が寝ているベットの横に竹丸が使っているのであろうベットがもう一台据えられている。

間に置かれたサイドボードにはランプが置かれていた。健次郎の部屋と同じでドアから見て右手側が寝床になっている。

部屋の中央には二人掛けの小さなテーブルが置かれていて、奥の壁側にはテレビ台に40インチ程のテレビが乗っていた。

その横の本棚には雑誌サイズの本が詰められている。料理関係か、庭木関係の本だろうか。

部屋の左手側には電気ポットが置かれたキャビネットと、手入れをしていたものか枝切ばさみが乗った作業机が見えた。

「そうねえ、まさか収蔵様が亡くなるなんてね。金庫を開けるなんて警察は強盗の仕業だと思っているのかしら」

「ところで、花子さんでしたっけ。金庫の番号って知ってたりしないっすか?知ってれば俺の手間が省けるんで一応聞いときたいですけど」

錠太郎は頭を掻いて笑った。

「ごめんなさいねぇ、私は知らないわ。収蔵様しか知らないはずよ」

「そうっすか、それは残念。その収蔵さんは女癖が悪かったんすか」

「あら、そんなことまで聞いたの」

花子は眉を八の字にして困った表情をする。

「そうねぇ。ちょっと困ったところのある方ではあったわね」

「若い使用人に手を出して逃げられてちゃあ、困ったんもんすよね」

「ええ、短いスカートを穿かせて喜んでたり。ちょっとね、良くないわよね。先代様もねぇ、最後まで結婚なさらない収蔵様を心配なさってたわ」

「そうなんすか。ああっ、そろそろ行かないと警察に怒られちゃうんで、失礼しまっす」

予想が当たっていたことを確認した錠太郎はそそくさと柏木夫妻の部屋を後にした。


 「いやぁ、すっきりしたっす」

錠太郎が書斎に戻ると、郷弘は呆れたような目で溜息を吐いた。

藤野は相変わらず目を細めて微笑んでおり、健次郎は直立不動で机の脇に立っている。

「じゃ、さっそく取り掛かりましょうか」

ニコニコと笑いながら金庫の前にしゃがみ込み作業を始める錠太郎。それを横目に見ながら郷弘は藤野に歩み寄った。

「藤野さん、あいつの好きにさせてますけど。本当に大丈夫なんですか?先代の爺さんと知り合いみたいですけど」

「ああ、あいつの爺さんはなかなかの切れ者でな。今まで何度か鋭い助言をもらってるんだ。サトも長い付き合いになるかもしれんから仲良くしとくに越したことはねえよ。まあ、孫が同じく切れ者かはわからんがな」

「はあ、鍵屋なんですよね。そっちの方の腕はどうなんですか?」

「爺さんは良い腕をしてたな。鑑識がお手上げの鍵を安々と開けちまうから」

「そうなんですか。でも今回の事件ってどうなんですかね?金庫開けてまで調べる意味ありますかね」

そう郷弘が言った時、金庫からカチャッと微かな音が響いた。

「開いたっすよ」

錠太郎が得意げに振り返る。

「おっ早いな。良い腕してるじゃないか。どれどれ」

開いた金庫の中を覗き込む藤野。郷弘もそれに続く。

 中には封をした札束が五つほど入っており、郷弘は思わず、おおっと声を上げた。

その他には土地の権利書などの書類がまとめられて箱に収められたもの。貴金属類が雑多に入れられた箱などが置かれている。

金庫内の金目のものが盗まれているようには見えない。その隅の方にケースに入れられたSDカードを見つけて藤野は慎重に摘み上げた。

「これはなんだ?」

「デジカメとかで写真を記録したりするメモリーカードですよ」

「ふうん、じゃあ何か写真が入ってるかもしれないな。シゲさんよお」

そう言って部屋の隅に待機していた鑑識を呼ぶ。

「これの中身見れるかい?」

「ああ、ちょっと待ってな」

鑑識のシゲさんは部屋を出ていくとしばらくしてノート型のパソコンを持って戻ってきた。

「なんだい、シゲさんパソコンなんて使えんのかい」

「あたりめぇだ、舐めんなよ」

悪態を付きながらパソコンの電源を入れると、冷却ファンが回る音を立てながら画面が立ち上がった。

「ほれ、貸してみな。ここに差すんだ」

藤野からカードを受け取るとそれをパソコンの脇の溝に差し込む。

SDカードの中には動画ファイルがいくつか記録されていた。

「なんだこりゃ」

再生した動画に写っていたのは女性を後ろから撮影したものであった。短いスカートをローアングルから撮影しており際どい画角だ。

チラチラと写っているものを見てシゲさんは「盗撮動画か?」と呆れたよう言う。

健次郎も頭を抱えて「まったくあの人は」と嘆いている。

動画を次々と再生していくと、どうやらこの書斎で撮影されたものもあるようだ。

そこで「あっ」「こりゃあ」「おっ」と郷弘、藤野、錠太郎は声を上げた。

「藤野さん、これってあのメイド、高木麻里子じゃないですか?」

「ああ、そう見えるな」

「これは良いっすね」

その場にいる全員から白い目で見られる錠太郎であった。


 マリーこと、高木麻里子は書斎に呼び出され、件の動画を見せられてた。

「なんなんですかこれ、最低!」と憤慨する。

「あなたはこのような動画があることをご存じなかったですか?」

「あるわけないじゃないですか!早く消してください!」

「まあまあ落ち着いてください。警察が責任を持って消去しますから」

顔を赤くして怒っている麻里子をなだめつつ、血が付いた時計を指しながら更に質問する藤野。

「あの置時計からあなたの指紋が検出されたんですがね。どうしてでしょ?」

「えっ?それは掃除をしている時に触ったから当然でしょ、あのエロじじい、棚の上をよく掃除させようとしてたのは隠し撮りするためだったのね。ホント最低っ!」

「まあまあ落ち着いて。あなた、隠し撮りされてたことに腹を立ててガツッとやっちまったなんてことはないかい?」

「なんでそうなるんですか!そんな訳ないじゃないですか!こんなの撮られてるなんて今知ったんですから」

青ざめた顔で訴える麻里子の額には興奮のためかうっすらと汗が滲んでいる。

「あの刑事さん」

事の成り行きを見守っていた健次郎が進み出た。

「その方に犯行は無理だったのではないかと思います」

「ほう、そりゃまた、なんで?」

「その方の身長では踏み台に登らなければ置時計に手が届かなかったと思います。ですが踏み台はあのように壊れていました。では、時計を取った時に踏み台が壊れたのかというと違うと思います。なぜならこれが殺人だったとして収蔵様は後ろから殴られたことになりますが、台が壊れたのならそれなりに音がしたでしょうから気付いたはず。後ろから殴られたというのは不自然です」

藤野とメイドの間に割って入り庇うように手を広げる。

麻里子は「ステキ……。」と頬を赤らめている。

「じゃあ、揉み合いになった拍子に本棚が倒れて、落ちた置き時計を拾って殴ったとかどうだね?」

「そもそも、後ろから殴られたのなら、遺体はうつ伏せに倒れてなくてはおかしいのではないですか?棚が倒れた音がして私たちが駆け付けるまで、それほど時間はありませんでした。すぐに逃げ出さなければいけない状況でわざわざ遺体を仰向けに動かす意味は無いんじゃないかと。それにこの女性の力で、あそこまでの一撃を加えられるでしょうか」

「ふむ」顎に手を当てて藤野は思案している。

「警察はどうしても殺人事件にしたいんですか?私には事故のように見えますがね」

「藤野さん、やっぱり事故じゃないですかね。最初に俺が言った通り」

それを聞いて郷弘も言う。

「うーん」藤野は煮え切らない表情。

「俺は殺人だと思うっすよ」

そこへ錠太郎が口を挟む。

郷弘は話を混ぜっ返されて迷惑そうな顔をした。

「そうは言っても、この部屋は密室だったんだよ?鍵を持っていたのは、このメイドさんだけだし。こんな鍵ならどうにでもなるっていうつもりじゃあ無いだろうね?みんながみんな鍵屋じゃあないんだからさ」

「そんなこと言わないですよ。ピッキングしたんなら、鑑識さんが痕跡を見つけてるんじゃないっすかね」

カラッと笑う錠太郎。

「ていうか、全然密室じゃあないすよね、これ。こっちのドアが開いてるじゃないですか」

そう言って廊下に通じるドアを指す。

「いやいや、今は開いてるけど、この本棚で塞がってたんだってば」

「でも、ちょっとは開いたんすよね。部屋の中が見えるぐらいには」

「そうだけど、せいぜい十センチ程度だったんだから、人が出入り出来る訳ないでしょ?」

「別に入る必要は無いっす。出れりゃいいんだから」と首を傾げる。

「ん?同じことだろ。なんか違うの?」

釣られて首を傾げる郷弘。

「全然違うっすよ。犯人は被害者を殴り殺した後、本棚をわざと倒したんです。人が通れるぐらいにはドアが開く位置に。それから犯人は部屋を出て外からバールのような物を使ってドアの隙間から本棚を引き寄せる。これでこの部屋は密室っぽく見えるって算段っす。この本棚の窪みは棚を引っ張ったときに付いたものだと思うっすよ」

錠太郎は、先ほど見ていた棚の窪みを示した。郷弘は、でもなぁ、とぼやく。

「これだけじゃ、この棚が動かされた証拠とは言えないんじゃ」

「それから」郷弘が喋るのを構わず遮って、部屋の奥側へ歩いて行く錠太郎。しぶしぶ付いていく郷弘。

「このカーペットの端ですけど、ズレて床の日焼け跡が見えてるっすよね。最近ズレたものです」

「いやいや、それは本棚でドアが塞がっていて、無理やり押し開けたんだからズレもするでしょ」

「ドア側から押したんじゃ、こっち側に日焼け跡が見えるようなズレ方はしないですよ。ドア側に引っ張られなきゃ、こうはならないっすよ」

錠太郎は呆れたように郷弘を見た。

「ん?ああ、確かにそうか」気まずさを隠すように「でもさ」と続ける。

「本棚が倒れる音がしてから、使用人の人たちが廊下に出てくるまでそんなに時間は無かったよね。そんな工作をしてたら鉢合わせしちゃうじゃないか」

「その聞いた音ってのがホントに本棚が倒れた時の音だったらっすけどね」

「時限装置的な仕掛けで音を出したってことかい?でもそんな物この部屋にはないじゃないか」

郷弘は書斎をぐるりと見回した。

「それなら、そこにあるっすよ」

倒れた本棚が据えられていた壁を指さす錠太郎。

「え?ただの壁じゃない」

「ちょうどこの壁の向こう。そこの執事さんの部屋にオーディオセットがあったんすよ。それが音の出所です」

壁に向けた指先を健次郎の方に向ける。

「じゃあ、君はこの人が犯人だって言いたいのかい?」

「そゆことっす。実際に本棚を倒した時はゆっくり、音を立てないように倒したんでしょうね。事故に見えるように死体と置時計を配置したり踏み台を壊した後で。もしかしたらそういった工作をしてる間は、ふいにドアを開けられないようにホントに鍵を掛けてたんじゃないすかね。それから、廊下に出て本棚を動かして部屋を封鎖する。この人の体格なら一人でも動かせると思うんすよね。で、自分の部屋に戻って準備しておいた音を大音量で再生して、他の使用人さん達と一緒に何食わぬ顔で廊下に出るって寸法です」

藤野はいつの間にか健次郎の後ろに回っていつでも取り押さえられるように控えていた。

「ちょっと待ってください」

眉間に皺を寄せて聞いていた健次郎が声をあげる。

「あなたは見てきたように言いますけど、証拠は提示出来るんですか?」

麻里子も「そうよ、そうよ」と小声で抗議している。

「申し訳ないんすけど、さっきトイレに行った時に部屋を見させてもらいました。部屋にあった工具箱にバールが入ってましたよ。棚の窪みと照合すれば形状が一致するんじゃないっすかね。あとは、オーディオに残された音源なんかを調べるって手があるんじゃないかと思うんすけど。でもまあ、実際に見てみましょっか」

その場に居た全員が怪訝な顔で錠太郎を見た。


 錠太郎は「まあ、上手く行けばっすよ」と言い訳をしてから収蔵が倒れていた頭側の壁際に寄って行き、画角的には、などとぶつぶつと呟きながら満足そうに頷いた。

「ここっすね。多分これっす」と言って屈みこみ、そこにあった埋め込み式のコンセントカバーを、ツナギのポケットから取り出したマイナスドライバーで取り外し始める。

「あっ駄目だよ勝手にそんなことしたら」

郷弘が慌てて止めようとするも、手際よくカバーは外され壁に開いた穴が露出した。

「これって」

穴を覗き込んだ郷弘が目を丸くする。

「隠しカメラ?」

壁の中には小型のカメラが仕込まれていて、コンセントカバーにはよく見ないと分からないほどの穴が開けられていた。

「さっき見たこの部屋の動画は、このカメラで取られたものでしょう。ここなら給電にも困らないっすね」

「なんでここにあるってわかったんだい?」

錠太郎の顔をまじまじと見詰めながら訊ねる郷弘。

「さっき見た動画の画角から予想しただけっすよ。撮られてた本人が気付いて無かったんだから、ここでカメラを構えてたらバレバレじゃないっすか」

「ああ、まあそうか」

「それよりも、ほら見てくださいよ、今日はそこのメイドさんが来る予定になってたみたいだから、もしかしたらって思ってましたけど、このカメラ、録画回ってるんじゃないっすか」

そう言われてカメラに視線を戻すと確かに赤いランプが灯っており、起動している様に見える。

「じゃあ、さっそく見てみましょっか」

錠太郎は振り返って朗らかに笑った。

 健次郎が青ざめた顔で立ち尽くす中、シゲさんが慎重に隠しカメラからSDカードを取り出すと、その映像がパソコンに表示された。

 まず映ったのは田所収蔵の顔のアップだった。ちゃんと録画しているか確認しているところだろうか。

それからしばらくは何事も無く、シゲさんが早送りしていく。するとそこへ、健次郎が部屋に入って来たのが映り、慌てて通常スピードの再生に戻す。

どうやら、マイクも付いている様で二人の会話が聞こえてくる。

「失礼します。旦那様」

健次郎は後ろで手を組み一礼する。その手には白い綿手袋がはめられているのが見えた。

「どうかしたのか、僕は忙しいんだ。用なら手短にしてくれ」

画面外から不機嫌そうに喋る収蔵の声が聞こえる。

「あの、妹の件なんですが、考え直して頂けないでしょうか」

多少のノイズが混じる

「またそのことか。いいかげん諦めなさいな。明里ちゃんは僕のお嫁さんにするってもう決めたもんね。文句があるんなら今まで君たちに使った金、全部返してもらうよ。利子を付けてねえ」

下卑た笑い声をあげる収蔵。

「そうですか」

俯いた健次郎の目が暗い光を湛えている。

健次郎は本棚に近づき置時計に手を伸ばす。

「なんだ。何をするつもりだ!」

「ああいえ、時間が狂っていたようなので電池切れでしょうか」

「まったく、まぎらわしいことをするな」

「申し訳ありません」

感情の無い声で言いつつ、時計を床に置く。

そこから俊敏に収蔵の方へ飛び掛かり、画面から消えた。

「ムグゥ」とくぐもった声が聞こえたかと思うと、口を押さえつけられて、襟首を掴まれた収蔵が引きずられる様に画面内に入ってきた。怯えた表情でモガモガと声を発している。

健次郎は、置時計との間合いを計ると柔道の大外刈りのように収蔵の足を払うとその頭を思い切り置時計へと叩きつけた。鈍い音が響く。

収蔵の体はビクビクと痙攣していたが、すぐにピクリともしなくなった。

はあ、はあと画面の中から健次郎の荒い息づかいが聞こえる。

それを見ている健次郎はただただ、唇を強く噛みしめていた。

 

 そこからは、ほぼ錠太郎の推理通りであった。その一部始終が画面内で再現され、健次郎が竹丸と共にドアを押し開けて部屋に入ったところでシゲさんによって再生はストップされた。

「佐々木さん。ひとつ聞きたいんだが、あんたはなんでこの人を庇っていたんだい」

藤野がメイドを指しながら問いかける。

「その方を巻き込んでしまったのが、忍びなかったからですかね。簡単に事故として処理してもらえると思っていたんですが、難しいものですね」

健二郎は俯いているが、肩の力が抜けたような穏やかな声をしていた。

「なんて誠実な人なの、素敵。妹さんの為に……こんなの悲しい」

高木麻里子は涙ぐんだ目で健次郎を見ている。

藤野は呆れた顔で麻里子を横目で見て咳払いをした。

「佐々木健二郎さん。署までご同行願います」

厳かに言う。

「じゃあ、そういう事で。甲斐錠前店のまたのご利用をお待ちしてます。今回の請求書は後で送らせてもらうんで」

ニコっ笑って一礼する錠太郎。

「……君はもうちょっと空気を読んだらどうなの」

郷弘は苦虫を噛み潰したような顔をした。


 終

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メイドの土産 出浦光吉 @ideura-h

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