混沌の洗濯日和


これはアロウ、リル、フィリーが賃貸物件・月光荘にそれぞれ入居して暮らしていたころのお話。






ある平和な昼下がりの月光荘。

日差しはうららかで、庭では小鳥がさえずっている。

と、突然。


ヴンッ


低い振動音が響いた。

「…何の音だ?」

2階の自室で過ごしていたアロウは、聞きなれない音に反射的に立ち上がる。

椅子に掛けてあった剣を、帯ごと手に取り部屋を出ようとしたその時…

ひゅう、と風が吹き抜けた。

扉を開けると、廊下にはさらに強い風が吹き抜けている。

「なんだ?風魔法か?」

いぶかしげに風の向かう方向に目を向けたその時。

「だれかああああ」

助けを求める声が響く。

「…フィリー?」

同居人の声に必死さを感じ、アロウは慌てて階下へ向かう階段へと駆け込んだ。


1階ではさらに強い風が吹き荒れている。

書類が舞い上がり、観葉植物は倒れて転がっていく。

完全に異常事態だ。

「なんだこれ…【竜巻(サイクロン)】か!?」

自然のものではない風が一方向へ向かって収束している。

その強さは、踏ん張っていないと人でも引き倒されそうなほど。

「たすけてえええ…アロウーいないのー?」

フィリーの涙声が響く。

慌ててアロウは風の向かう方向へ、その勢いに乗るように走る。

風は、バスルームへと吹き込んでいた。


「飛ばされるー!」

フィリーは、バスルームのタオルハンガーにしがみついていた。

踏ん張ろうと足を突っ張るが、空をかくばかりでほとんど宙に浮いている。

「どうした!?」

そこへアロウが駆け込んできた。

だん、と衝撃音がバスルームの壁を叩く。

アロウは腰の短剣をバスルームの外壁に突き立てると、結び付けたロープを支えに暴風吹き荒れる部屋の中へと足を進める。

一歩、二歩。

じりじりと進み、その手がフィリーに届く。

タオルハンガーに掴まるフィリーの首根っこを掴むと腕力だけで引き戻して入口に引き返した。

戻りながらちらっとバスルーム内を見回すと、風の発生源は奥まったところにある一台の機械のようだ。


「死ぬかと思った…」

暴風は収まっていないが、部屋の外に出たことでフィリーが安どの息をつく。

アロウは壁越しに部屋の中をうかがいながら足元で床に膝をついて息も絶え絶えのフィリーに尋ねる。

「なんだあの機械?」

視線の先では、人が1人中に入れそうなくらい大きな機械が稼働音を立てている。

数日前、確かフィリーが「魔導式洗濯用機械」なる新型機械を搬入すると言っていた気がするが。

「あれがその"洗濯機"ってやつか?」

「そうだけど、そうじゃない!中を見て!!」

涙目でアロウを見上げるフィリー。

「中?」

身を乗り出してバスルームの中を覗くアロウ。

長身の彼からは、"洗濯機"の中が少し見える。

…洗濯機の中には、深淵が渦巻いていた。


"洗濯機"の中には、漆黒の闇が渦巻いている。

そこに向かって、あらゆるものが吸い込まれ、宙を舞う月光荘の生活用品が消えていく。

「なんだあれは」

「わかんないけど…小型ブラックホールみたい」

フィリーが自分の魔導式ゴーグルを装着して洗濯機を見る。

ゴーグルのグラス淡い光が灯り、分析結果を表示する。

「…ぶらっくほーる?それは風魔法を発生するのか?」

聞きなれない言葉にアロウが困惑する。

その間にも、洗濯籠に突っ込まれていた衣服やらそこらへんに落ちていたチリトリが洗濯機の闇に吸い込まれていった。

「ブラックホールはね、ものすごく重い物体。惑星に重力があるのと同じ仕組みで、あらゆるものを引き付ける…つまり吸い込んじゃうの。」

「はあ?そんなものがなんで発生してる。あの機械のせいか?」

「そんなわけないじゃん!!ブラックホールなんて観測すらまともにできないレア事象だよ!?」

ばっとフィリーが立ち上がってアロウに詰め寄る。

その勢いに、アロウが思わずのけぞる。

「よくわからんが…あの機械を起動したせいで起こったわけじゃないのか?」

「絶対違う!!!」

「そ、そうか…」

フィリーの勢いにたじたじとなって後ずさるアロウだが、とにかく部屋の惨状をなんとかしなければならない。

…ダイニングのテーブルクロスが目の前を飛んで行った。早く片付けないと、月光荘の中身が空になる。

「あれはどうすれば止まる?」

「わかんないよ…」

頭を抱えるフィリーにそっとため息をついて、アロウは腰の剣に手を伸ばす。

「悪いが壊すぞ。」

「えっ」

フィリーが答える暇もなく、アロウが再び部屋の中へ飛び込む。

「はっ!」

鞘から剣を抜き放ち、アロウは気合とともに斜めに振り下ろす。

ドガンッ、と派手な音を立てて洗濯機が真っ二つに割れた。

「ああー洗濯機ー!新品だったのに!!」

フィリーが絶望の声を上げる。

…とその時。


ヴンッ。


聞き覚えのある振動音とともに、洗濯機という枠を失ったブラックホールが音を立てて一回り大きくなった、気がする。

ごうっと音を立てて風が強まり、もはやごみ箱やら掃除機やらそこそこ重量のあるものまでがバスルームに転がってくる。

「うおおお!?」

アロウも吸い込まれそうになり、慌てて床を蹴って飛び下がり、剣を床に突き立てて縋りつく。

「なんだこれ!!壊せないのか!?」

「あ、ブラックホールって時間も空間も意味ないって言われていて…」

フィリーが解説を始める。

「つまりはなんだ!?」

「物理法則が通用しません。」

「打つ手なしかよ!!」

アロウが悲鳴を上げる。

シャレにならない威力となったブラックホールが、吸い込みを増していく。

と、そこに。

「ただーいまー」

玄関がガチャンと音を立て、のんきな声が響く。

「あ、リルだ!」

「やあフィリー、今日も元気だねー…ってアロウは何してるの?」

ひょこっとバスルームに顔を出したのはもう一人の同居人、魔術師のリルだ。

「こっちが聞きたい…」

剣に掴まったまま疲れたようにつぶやくアロウの視線を追って、リルは洗濯機の方を見る。

「うわー【暗黒球(ブラックホール)】の魔法?これはたいへんだ」

まったく大変そうじゃない言い方でリルはすたすたとバスルームへと入ってくる。

風か反重力の魔法でも使っているのかその足取りは軽やか、強風の中でも髪はふわふわとそよ風に吹かれたように揺れるだけ。

そのまま壊れた洗濯機の前へ行くと、無造作に深淵の中へと手を突っ込んだ。

「よいしょっと」

「おい!?」

「んー…あ、あった。」

深淵の中を探るように手を動かしていたリルが何かを見つけて手を止める。


パキン、と乾いた音が響いた。


と同時に、しゅうん…と音を立ててブラックホールが小さくなっていく。

どさどさとあちこちで吸い込まれかけていた物たちが床に落ちる音が響く。

…どこかでがちゃんパリンと食器やガラスが割れる音も響いていた。

「はい、回収~」

ブラックホールはガラス玉サイズの漆黒の球体となって、ころんとリルの手のひらに収まった。

「はあ、よかったー…ああでも洗濯機があー」

がっくりと肩を落とすフィリー。

アロウはようやく剣を鞘へと戻し、一息ついてリルに尋ねる。

「…で、結局その【ブラックホール】はなんだったんだ?どうしてここに?」

「あー…なんか『星の砂』が洗濯機の中にあったみたい。」

「『星の砂』?なんだそれ」

「惑星(ほし)が生まれるって言われてる魔法アイテムだね。」

けろっと答えるリル。

だんだん頭痛を覚えてきたアロウはこめかみに手を当てて再度尋ねる。

「…一応聞いておくが、なんでそんなもんがここに?」

「たぶんボクの上着のポケットに入ってた。洗濯機の遠心力と魔力で発動したのかも…ごめんね?」

てへっ、と上目遣いで見上げるリル。

もちろんそんなごまかしがきくわけもなく。

「おまえ一週間おやつ抜きな。」

アロウは無慈悲に宣言した。

「ええー!!なんで!?」

「なんでじゃねえ!!!」

アロウはいつものごとくリルの頭をはたき、新品の洗濯機を失ったフィリーの

「私のボーナスがあ…」

という嘆きが月光荘の廊下にこだました。


なお、月光荘全館の修繕と手洗いに戻ってしまった洗濯は、3人仲良く分担したのだった。

洗濯機が撤去された場所の壁には現在、「洗濯前にポケットの中身を全部出すこと!」と張り紙がされている。


おしまい。



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星海の守り人・外伝 -月光荘の日常- ささがき @sasagaki51

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