第53話 「もういいから」
「……でも、もういいから」
高瀬さんは荷物をまとめながら言う。
「帰ろう。雫も見つかったし。わたしも、少し疲れちゃった……」
「高瀬さん……」
「雛子くんも、いろいろありがとね」
「……」
なんて声をかけてあげればいいんだろう。父親の恋人のこと、盗みのこと、妹がそれをなすりつけようとしたこと。一度に受け止めるには多すぎる。
「みんなも……いろいろ話はあるけど……帰ってからにしよう」
そう言って高瀬さんは雫ちゃんを促し、立ち上がらせる。雫ちゃんは不安そうに姉の手を取った。
そして、高瀬さんは泉さんに頭を下げると、背中を向けて歩き出す。
そのあとを、少し遅れて父親が頼りない足取りで追う。
「澪」
高瀬さんは立ち止まり、振り返らないまま呼びかけた。その声音はどこか疲れた、けれど優しいものだった。
澪ちゃんはバッグの紐を固く握りしめ、立ち尽くしていた。けれど声に促され、顔を上げないまま固い動きで家族のあとを追いかける。
離れていく高瀬さんたちを、泉さんはまっすぐ見据えている。
いつも思う。真実に意味はあるのか。本当のことを知って、救いは得られるのか。
嘘と曖昧さは、人を包む優しいゆりかごだ。みんなその優しさに救われている。深くは考えなくても、それがわかっている。
だけど泉さんは真実にこだわる。真実を知るのが正しいことだと信じている。その愚直さは、見ていて時々あぶなっかしくなる。今回のことだって……やりすぎだ。
盗みの犯人が澪ちゃんであることを全員の前で明かす必要があったのか? 高瀬さんやお父さんにだけ、こっそり伝える手もあった。
それに何より、お父さんの秘密を娘たちの前で暴露する必要があったのか? 恋人がいることは悪いことではない。奥さんはいないようだし、不倫には当たらない。娘たちの感情はわからないが……。配慮をして伏せていたという慎さんの言い分は理解できる。それでも、今朝は子供との約束を反故にして、恋人に会いに行っていたのは事実だが……。
「……慎さんに、怒ってたでしょ」
「……そんなことない」
固い声だ。ムキになってる。きっと……子供の頃のことを思い出したのだろう。
彼女は許さなかった。父親が浮気をしたこと。その嘘をつきながら、家では笑顔を作り続けたこと。夫の浮気に気がつかないふりをした母親のこと。
何より、嘘と秘密で成り立った仮初の平穏を。
……泉さんは父親が好きだった。子供の頃を思い返してみればわかる。彼女はお父さんっ子だった。だからこそ、お父さんを許したくなる自分が、一番許せなかったはずだ。
それを高瀬さんに重ねた。見ないふりをしようとしている彼女に、昔の自分の面影を見た。
「……このまま帰しちゃっていいの?」
すでに高瀬さんたちはフードコートを離れ、エレベータの前にいる。
「聞きたくないみたいだから」
泣き言を言ってる。僕は思わず笑った。いつもなら、断られたって自分の推理を話すくせに。
「伝えたいことがまだ残ってるんだよね?」
「……」
泉さんは答えない。手を握りしめ、唇をかむ。
迷っているのは、きっとこれ以上友達を傷つけたくないと思っているからだ。
それでも、彼女は信じてる。嘘と秘密で成り立つ仮初の平穏より、真実の先に見える景色に価値があると。
僕は、そこまで彼女の信じる真実に価値は見いだせない。だけど、その信念を抱く彼女のことは信じている。
……仕方ない。このままだと彼女は一生後悔することになりそうだ。幼馴染として、それは見過ごせない。
僕は走り出す。泉さんが驚いた顔でこっちを見る。
「高瀬さん!」
直前にエレベータが開いたところだった。高瀬さん以外の三人は、すでに乗り込んでいる。足を踏み出そうとしていた高瀬さんがこちらを振り返る。
「ごめん、少しだけ話したいことがあって」
「……雛子くん……。わたし……」
「……わかってる。嫌な思いをしたよね。でも、もう少しだけ聞いてあげてほしいんだ」
目を見据え、はっきりと聞こえるように言う。
高瀬さんの瞳が揺れる。
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名探偵の恋は真実から始まる。 ハチクマ @poopoppop
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