おやすみシエフリーゼ

クニシマ

◆◇◆

 ——だからね? そう、あのかたのこと、ほんとうのお姉さんみたいに思ってるんです、わたし。

 ふと、今、突然に始まったように、その声が聞こえた。春の昼下がり、鉛筆を握って一枚の紙に向かう傍らで、ずっとつけていたFMラジオ。品のいい女優おんなの喋り声。伊町いまち美優子みゆこだ。かつてであったその愛らしい声は、そろそろ古希の近い今でも健在だ。なんだかほっとする。

 あのかた、というのは、美優子の大先輩である花間はなま百合ゆりさんのことである。百合さんは、喜寿を迎える今年いっぱいで芸能界から引退することを発表した。素晴らしい女優だった。どれだけ歳を重ねても衰えぬ美貌となにげない仕草にさえ溢れ出る気品、それでいて少女のような可憐さをも兼ね備えていて、誰からも憧れられる彼女を、私は深く尊敬している。

 美優子が語る百合さんとの思い出話に、思わず頬がゆるむ。百合さんと美優子は公私ともに仲がいい。ほんとうのお姉さんみたいに思ってる、とは、ふたりが最初に共演したドラマでの役柄に起因する発言だろう。ふたりが腹違いの姉妹を演じた『かしまし天使』は私——脚本家升原ますはら代利子だりあが脚本を書いた連続ドラマで、ありがたいことにかなりのヒットを記録してシリーズも何作か続き、最初の放送から長く経った近年もたまに単発で新作をやっていた。

 そして、私は今、その最終回を書こうとしている。

 書こうとしているだけであって、決して書けているわけではない、というのが少し痛い。数ヶ月前、百合さんの引退発表から間を置かずに筆をとってはみたのだけれど、なかなか進まないままに時間だけが過ぎていく。毎朝、机の上の白い紙に向かって鉛筆を構え、ときたま少しばかり文字を書きつけてはまた手を止めて、それを繰り返しているうちにゆっくりと、しかし確実に日が暮れていくのだった。誰に催促されているわけでもないのだ。今の時点で企画が立ち上がっているわけでもなく、ただ私がひとりで勝手にやっているだけで、そんなことはそもそもする必要がないのだけれど、それでも私は姉妹の物語に別れを与えて幕を引こうとしている。年老いた仲良しの姉妹に、平凡でささやかで、長い物語の締めくくりにふさわしい、幸せな別れを。なぜって、それは私と私の姉にとっても与えられるべきであったものなのだから。

 幼い頃、私にも腹違いの姉がいたのだった。歳が離れているせいでよけいにそう思えたのもあるだろうけれど、とてもきれいな人だった。背が高くて、日本人離れした顔立ちをしていて、癖っ毛のロング・ヘアーがまるで海外のモデルや女優のようで羨ましかったのをよく覚えている。その人の母は早くに亡くなってしまっていて、それからその人の父、私の父でもあるけれど、彼が再婚相手に選んだのが私の母だったのだ。ちょっとだけややこしい経緯に反して、ごくごく普遍的な、幸せな家庭だった。私たち家族はお互いにお互いのことをそれぞれ心の底から愛していた。

 小生意気な子供だった私に、姉はいつも優しかった。あるとき、父に買ってもらった絵本がつまらなく思えたので、自分で考えたもっと面白い話を姉に語って聞かせたことがある。当たり前ではあるが、年相応の拙い出来だったと今は恥ずかしい。それでも姉は満面の笑みで私を褒めそやしてくれた。思えば、それが現在こうして物書きをしている私をつくったのかもしれない。

 私が小学生になる年、姉は高校生になった。小学校の入学式には家族全員が来てくれた。高校の入学式にも家族全員で参加した。ありふれた家族の生活はそれからも続いていくはずだった。けれどそれから間もないある日、父母が事故に遭って死んだ。遺された私と姉を引き取ろうかと手を挙げてくれたのは、姉の生みの母の妹で、明るくて面白くて私たち家族とも以前からとても仲のよかった人だった。その人は他の親戚にフランスかぶれとからかわれるようなフレンチ趣味で、私たち姉妹のことをおそらくフランス語だろう不思議なあだ名でそれぞれ呼んでいた。私たちはその人のことが大好きだったから、引き取られるのも嬉しかった。しかし彼女は近いうちに長年の憧れだったフランスへ移住することが決まっていたから、小学生を連れていくのはどうしても難しいという話になって、それで結局私は都内に住んでいた私の母方の親戚に引き取られることとなったのだった。

 こうして私と姉は別れた。お互い、今生の別れだなどとはちっとも思っていなかったのに、激しく変わる生活にごたついている中でいつしか連絡も途絶え、そして今に至るまで再会できてはいない。姉が今も元気で生きているのか、そうでないのか、そんなことさえわかりはしない。私たちは私たちに与えられて然るべきだったごく普通の幸せ、お互い順当に歳をとっていって、そしていつか寿命をまっとうして天に召される、そんな当然の幸せをも取り上げられたのだ。だから私は与えてあげたい。百合さんと美優子の演じた姉妹に、ありふれた別れを迎えさせてあげたい。物語の中にくらい、完成しきった幸福が存在していてほしいのだ。そしてそれが初めから終わりまで、すべて私の手の中にあったなら、それはとても喜ばしいことだ。そうだ、こんなまぶしい春の日に、微笑みを交わして、たっぷりと存分に時間をかけて、そうやって愛の限りを尽くしてさようならを伝えられたなら、それが姉妹の完全な姿であるのだと思うから。

 けれどそれはわがままであるのかもしれない。そうでしかないのかもしれない。そんなこと、本当には誰も望んでいないのかもしれない。それは私自身ですらも、もしかしたら、きっと。

 はっ、とする。美優子の声が私の名前を口にしたのだ。代利子というのは本名だ。読み間違えられることも多くて、好きな名前ではない。脚本家としてこの先ずっとやっていくことを決めたとき、よっぽど筆名を考えようかとも思ったけれど、本名を使ってそのまま名が売れていったなら、いつか姉が私を見つけてくれるんじゃないかと期待して、この名前で今日までひたすらに書き続けてきた。

 代利子さんには感謝してもしきれませんよ、と美優子が言う。こうして百合さんが芸能界を去っても、それから、いつか、まだずっと先のことでしょうけど、わたしも百合さんもこの世にいなくなってしまってからも、あのドラマを見てくれる、『かしまし天使』を見てくれる人がいる限り、その中でわたしたちはずっと姉妹のまま、永遠にあの幸せな生活を続けていくことができるんですから、ね。

 私は手を止めた。鈴を転がすような、美優子の笑い声がする。私と美優子とは小学校が同じで家もご近所さん同士だった。五つ下の彼女は勝ち気でしたたかで、そしてとにかく自己の主張が強くて、そのかわいらしい容姿を除けば、私によく似ているとずっと思っていた。両親の英才教育もあって早いうちからアイドルとして芸能界に入った彼女を、女優としてドラマに使ったらどうかと某テレビ局のプロデューサーに進言したのは私だ。あれからずいぶん長い時間が経った。鉛筆を机上にそっと置くと、穏やかな春の日差しがすぐさまその隣に影をつくる。ラジオから、『かしまし天使』の主題歌だった古いシャンソンが流れ出した。

 姉もこんなふうにどこかで平穏に、健やかに暮らしているだろうか。あたたかい日差しのある部屋で、家族や親しい人と楽しい時間を過ごして、おいしいご飯を食べて、昼寝なんかもしたりして。もしそうだったなら、それ以上に何かを望むのは、きっとやっぱりわがままなことなのだ。

 遠い日の姉の笑い声が、ふと、耳元に聞こえた気がした。

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