第5話

 アザムの放った弾丸は、ベルンの頬をかすめた。

 頬から流血しても駆ける足を止めないベルンはしかし、走ったままよろけて、盛大にソファー前の平机に突っ込む。


「当主たる俺が、動くなと言ったんだぜ?」


 薬莢が床に落ち、次弾を装填しながらアザムが言い放った。


「…………れ」

「あ?」


 ぼそりと、ベルンが起き上がりながら呟く。


「9日前のお嬢様は泣き虫で、寂しがりやで、日々に疑問すら持たない普通の少女だった。なのに、こんなにも変わられてしまった。変えられてしまった。守れなかった私に、殺してきたお前に。……我々にとっては、たったの9日間。だけどお嬢様にとっては、どれほどの年月だっただろうか。それを考えるだけで、私の胸は張り裂ける思いだ」


「そうか。今までご苦労だったな」


 抑揚のない声で低く告げ、再び銃口がベルンに向けられる。

 私の体は未だ、震えていた。

 震えていたけど、ここで動けなかったら私はまた、ベルンを殺してしまう。


「っあああぁぁあッ!」


 大声をあげて自分を鼓舞し、私はアザムに向かって駆けた。

 タックル、足払い、何でもいいからベルンを守りたかった。

 だけど私の体はあまりに非力で、アザムの左手で簡単に持ち上げられてしまう。


 アザムの目は悪意のまま。

 口角だけ上げて、首をかしげる。


「そうか、親ともども、私のために死んでくれるか」


 アザムが言って、起き上がる寸前だったベルンのみぞおちを蹴り飛ばした。


「うぐっ!」


 ベルンの体がくの字に持ち上がり、苦しそうに悶える。

 そしてその顔面を、再びアザムの右足が射抜いた。

 ベルンの口から血と歯が飛び、そのまま動かなくなる。


 アザムは床に転がっている3人の輩を一瞥すると、ソファーで打ちのめされているジンにぺっとツバを吐きかけた。



「役立たず共が」


 そして私を持ち上げたまま、窓に向かって歩き出す。


「お前の結末はこうだ。“0時を過ぎ俺が書斎に戻ると、既にリリは窓から落ちて死んでいた”。……安心しな、仮に死に損なっても、ちゃんとトドメはさしてやるさ」


「くそっ! くそっ! 放してよ! 放せよ!」


 暴れてみても、私を掴む腕を殴ってみても、アザムの太い腕が離れない。


 いやだ。

 いやだ。もう死にたくない。

 もう痛いのは、苦しいのはいやだ!


 そう思うが私の抵抗はアザムに対しての攻撃にはならず、ベルンは床に突っ伏したまま動かない。

 だけどアザムの背後に、ぬるりと起き上がる影が見えた。


 そいつは屈強で、長髪で、背の高い男。

 私とベルンを幾度となく手にかけてきた殺し屋。


 その手にほとんど壊れて角材と化した机を持ち、ジンはそれを、まだ気づいていないアザムの側頭部にフルスイングした。

 バギャン! っと破裂音に似た音が響き、木材が木っ端みじんになる。

 殴られたアザムの体はピンっと伸びて硬直し、緩まった手から、私の体がするりと落とされた。


「ぎゃっ!」


 硬い床に落とされた衝撃が背中に伝わり、後頭部を打ち、私は短い悲鳴を上げる。

 けれども、けれども。


「いったぁぁあ……」


 私は、生きている。

 生き延びている。

 その嬉しさが、長く続く鈍痛を押さえつけて、私の顔に笑みを浮かばせる。


「この仕事を続けてきて、殺しの依頼は多々あったが……。『頼む、助けてくれ』だなんて、人を救う依頼は初めて受けたぜ。っと、おい起きろ。なんだ、伸びてんのか?」


 ペシペシと、ジンがベルンの頬を数度叩く。

 するとベルンの目がぱちりと開いて、すぐに絶望の表情へと変わった。


「お嬢様はッ? リリお嬢様はっ!」


 上半身を起き上がらせたベルンの目線が、床に倒れこんだアザムに向けられ――後頭部を抑えている私の目と合致する。


「リリお嬢様……。良かった、良かったぁ……」

「ベルン!」


 名前を呼んで駆け寄り、銃弾で傷つけられた反対の頬に、小さな手を添える。

 ベルンの表情は絶望から安堵へ、そしてすぐに申し訳なさそうなしょぼくれた顔に変わった。


「申し訳ありませんお嬢様。最後の最後で、気絶してしまいました」


「何を言っているのベルン。貴方はよくやってくれたわ。本当に、感謝してもしきれないわ」


 視界が潤んでいることに気づけば、私の両目からは大粒の涙が溢れていた。

 何度諦めようと思ったか。

 何度、ただ死なせてくれと願ったか。


 私はついに、最高の結末を迎えられるのだ。

 私の目から涙がとめどなく溢れ、それに釣られてか、ベルンの目にも涙が潤む。

 そんな私達の横から、ぶっきらぼうな声が聞こえた。


「よぉ。感動してるとこ悪いが、まだ終わってねえんだろ? アザムの旦那は死んじゃいねえ。いつ起きるか分からねえぞ」


「ええ、ええっ。そうね、その通りだわ」


 私とベルンが立ち上がると、ゴーン、ゴーンと0時を告げる鐘が鳴った。

 日付が変わったんだ。

 超えられなかった9日目を迎え、私の誕生日がきたんだ。


「本当に、長らくお待たせしました」

「いいえベルン。……私が待ったのは、たったの9日間だけよ」


 そんな風に会話をして、もう1度固く、だけど優しく、ベルンと手を繋ぐ。

 唯一の脱出口である窓へと歩きながら、ベルンがアザムの傍らでぴたりと足を止めた。


「それでは予告状通り、この怪盗ラビが、最も価値のあるモノを頂戴します」

「ああ、分かったよ」


 なんて、私達の後ろから声がした。

 からかうような表情で、どこか羨ましそうな顔で、ジンが私達を見つめる。


「ジン、助かりました」


「はっ、ただの釣銭だろうが。俺は手を出したことがバレねぇように、アザムの旦那が目を覚ましてから逃げるさ。……さっさと行け」

「……ありがとう」


 私がお礼を言うと、ジンは良く分からない顔をして、頭をかいた。

 そしてソファーにどっかりと座り、目を閉じて、腕をあげてヒラヒラと手を振った。



「それで……ベルン。過去の貴方が“4階からでも無事に逃げられる”と言っていだのだけど、どうやって逃げるの?」


「ああ、なるほど。私はそう言っていましたか。……ふふ。“攫われる準備はできている”と、お嬢様は前に仰っていましたよね?」


「え、ええ」

「なら、こういうことでしょう」


 ベルンは私を勢いよく抱き上げると、窓枠に足を乗せた。

 そして何の躊躇いもなく、4階の窓から身を投げた。



「えっ、ちょ、何してるのベルッ――きゃぁぁあああ!」


 闇夜に悲鳴が溶け、私は目を瞑る。

 だけど、待てども待てども衝撃が来ない。

 勇気をだして目を開けてみると、地面は眼下の遠く。私達は空を飛んでいた。


「ど、どうなっているの……?」


 顔を上げてみると、ベルンの頭上には張られた黒い布が見えた。

 どういう原理か分からないけど、きっとこれのおかげで空を飛べていられるんだろう。


「飛んでいるのではなく、滑空ですがね。怪盗の嗜みです。どうですか、夜のお散歩は?」


「そ、そうね。こわっ、怖いわ。あっ、だめ。靴が脱げちゃいそう」


「ふふっ。ようやく私が見慣れた……9日前のお嬢様の顔になりましたね。では、なるべく早く降りるとしましょうか」



 満月の夜。

 明るい月に隠れながらも輝く星々が私達を照らし、その下には民家や道を歩く人たちが見える。


「……私、本当に脱出できたんだ……」


 風のせいで目は乾くし、寒いし、地に足が付いていないのが怖い。

 だけど、生きてるって感じがする。


 私を閉じ込めていた屋敷は上空から見ればちっぽけで、そのちっぽけが、どんどん遠くになっていく。

 やがて数分が経ち、私達は屋敷からかなり離れた、空き地のような場所に降り立った。



「9歳のお誕生日、おめでとうございます」


 地面に降りるや否や、ベルンが胸ポケットからマダム・ルビーを取り出して私に差し出してきた。

 だけど私は、それを受け取らない。


「これは貴方にあげたのよ」


「そうです。これは私のもの。だから、この宝石を貴女に贈ることができるのです」


 ベルンが宝石を突き出し、ぱっと手を離した。

 私はマダム・ルビーが地面に落ちて傷つかないよう、慌てて宝石をキャッチする。


「本当はお屋敷も盗みたかったのですが、まあ今回は勘弁してあげましょう」


 そう言いながら、ベルンが屋敷のある方角を見る。

 今頃、屋敷は大騒ぎになっていることだろう。


 マダム・ルビーが失われ、私が失踪し、当主であるアザムは書斎で失神している。

 この騒ぎはきっと、内輪だけでは済まされない。


 厳重に警備された銀行家から、盗みと誘拐が行われたのだ。

 信用は地に落ち、アザムが運営する銀行も潰れるに違いない。



「今回は? 次があるってこと? ……それなら、私にも教えてよ、怪盗」


 私がそう言うと、ベルンは目をまん丸にして手を横に振った。


「だめです! だめ! お嬢様を悪党になんかできません!」


「……悪党?」


 ベルンに抱き着き、じゃりじゃりと音がなる地面を靴裏でこする。

 部屋とは違う、ひんやりとした空気。

 風が吹いて騒ぐ木々の音。

 満月の明かりに照らされる私達。


「私にとって、怪盗ラビはいつだって正義の味方だったわ。……ねえ、ベルン」


 そのプレゼントはどれも、ベルンがいなきゃ得られなかった宝物だ。

 私は顔をあげ、ベルンに向かって口を開く。


「ありがとう。とっても素敵なお誕生日だわ!」


 満面の、自然と溢れた、さいっこうの笑顔を添えて。

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鳥籠の屋敷からの脱出~怪盗ラビとお嬢様はハッピーエンドをご所望です!~ 伊吹たまご @ooswnoy

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