第4話

 今まで怪盗ラビは、その正体を頑なに隠してきた。

 それは怪盗ラビとしての信念の1つ。

 亡き初代の意向を汲んでのことだと言っていた。

 なのに。


「なんでバラしちゃうのよ!」


 かれこれ19回、ベルンと一緒に殺し屋ジンと対峙してきたけど、自分の正体をばらすなんてことはしてこなかった。


 当然だ。

 正体を晒すなんて、したくなかったはずなんだから。


「考え付く最善手は、すでに殺された19回目までの私が試していました。戦ってもダメ、逃げてもダメ。それなら、最善とは思えない手段で勝つしかありません」


 私のことなんて眼中にないのだろう、ジンは私達の会話を無視して、ベルンに疑いの目を向ける。


「怪盗ラビだと? ハッ。てめぇは執事だろうが」

「ええそうです。両方とも、私にとって大切な本職ですとも」


 言いながら、ベルンが胸ポケットから深紅色の宝石、マダム・ルビーを取り出す。

 ほとんど見せびらかすようにベルンが宝石をかかげると、マダム・ルビーが火の明かりで極彩色にキラキラと輝いた。


「おいマジかよ。おめぇそれ、ただの執事が素手で握っていい代物じゃねえぞ。本当に、怪盗ラビなんだな?」


「ええ」


 ジンの目は、マダム・ルビーに釘付けだった。

 目線はそのまま。ジンが机から降りて、ベルンにゆっくりと近づく。


「殺すように言われていたが、気が変わった。お前、俺と手を組まねぇか?」


 その距離は、ベルンの拳がすぐには届かない距離。

 だけど、ヤツの身のこなしを見てきた私には分かる。

 この間合いは、ジンが簡単に手を汚せる距離だ。


「……残念ながら、怪盗ラビは殺人を犯さない。この信念だけは曲げるなと言われておりますので」


「いい度胸だ。ますます惜しいぜ。どうだ? 俺は殺し、お前は盗み専門。俺の下につくってんなら、その嬢ちゃんをみすみす見逃してやってもいいんだが」

「ほう、それは興味深い話ですね」


「だめよっ!」


 邪魔にならないよう動かず、2人の会話に割って入る。

 思わず甲高い声で叫んだ私を、ギロリ、と野生の肉食獣のような冷たい視線でジンが見下ろした。


「そんなに死にてぇか? おい、ガキにも分かるように言ってやるが、この場は俺の支配下にある。俺が殺そうと思えばお前らは死ぬし、反対も然りだ」


 そんなことは分かっている。

 分かっているからこそ、大声で反論したのだ。

 数えきれないほど殺されてきた私を不憫に思うベルンは、きっと私が叫ばなかったら提案を受け入れてしまっただろうから。



「……と、お嬢様が申しているのでね。残念ですが、お断りさせて頂きます。…………。代わりと言っては何ですが、どうでしょう。私達を見逃がしてみては?」


「おいおい、俺に何の得があるってんだ? でけぇ報酬を振れってんなら、それよりでけぇプレゼントを用意しろよ」


 ジンの目が、再びマダム・ルビーに向けられる。

 だけどベルンは、マダム・ルビーを自身の胸元にしまいなおす。


「マダム・ルビーを除いた、今までに怪盗ラビが集めてきた盗品の全てでいかがでしょう。価値で言えば、この宝石単体よりも高いかと」


「今ここにねぇ物で俺を釣ろうってのか?」

「あら」


 わざとらしい猫なで声を出して、視線を私に向けさせる。

 怪盗ラビが集めた財宝を交渉材料にするのは申し訳ないけど、今はこの流れに乗るしかない。


「アザムの報酬も後払いなんでしょう? ダデン家は今、権威を示せるマダム・ルビーを売り払おうと考えるほどに財政難だもの。即金で渡せるはずがないわ」


「成功報酬だからな。少額の前金は貰ったが……。おい、その盗品は、金額にしてどれほどあるんだ?」


「そうですね……。所有すべき人物のもとに返した物もありますが……。ざっと2億ジェルはくだらないでしょう」


「にっ」

「……2億だと……?」


 ジンが目をまん丸にして驚くが、私も開いた口が塞がらない。

 働かずに老衰で死ぬ人生を3度繰り返しても使いきれない金額じゃない。


「……貴方、なんで執事なんかしてるのよ」

「マダム・ルビーを盗むため潜入していたに決まっているじゃないですか。最も、当初の計画とは大幅なズレがありましたけどね」


 しれっと答えたベルンに、ジンが大口をあけて豪快に笑いだす。


「だはははっ! いいぜ、その提案、乗ってやる。ただし、俺を騙そうだなんて思うなよ。それが嘘だと分かった時にゃ、地の果てまで追いかけてやるからな」


「構いませんが、足元を見られて買いたたかれないようにしてくださいね」


「ふんっ、盗品を売るってんなら闇市場だ。この世界で俺の恨みを買うようなマネをする奴はいねぇ。よし、怪盗ラビ。俺を殴って気絶させろ。貴族の依頼主を裏切ったことが知られればさすがの俺も生きづれぇが、負けたとなりゃあ俺の力不足で話がつく」


 自分の頬をペシペシと叩き、ジンが両腕を上げる。

 ベルンは腰のベルトに付けていた鈍色のカギを取り出すとジンに近づいて、それを彼のポケットに忍び込ませた。


「ディレン通り9番地・オルネ家です。では私も、遠慮なく」


 ほとんど倒れそうなほどに体を傾けて、何度も殴ったせいで赤く腫れてしまった、硬そうな握りこぶしでベルンが陣の顎を勢いよくぶん殴った。

 ドゴッ! と痛そうな音が響いて、ジンがソファーに倒れこむ。


「がっはは、お前、いいパンチもってんな。視界が点滅してやがる」

「……今ので気絶しないのですか」


 硬い顎を殴ったせいだろう、皮が剥けて血が滲む拳を左手でさすりながら、呆れたようにベルンが言う。

 でも、どのループでもそうだった。

 打たれ強い屈強な体にベルンの攻撃は耐えられて、結局殺されてしまうのだ。


「まあいい。このまま仮眠を取らせてもらうさ。……っと、俺の経歴を傷付けるのに、怪盗ラビの名は出していいのか?」


「構いませんが、執事ベルンとは似つかない人相で報告して下さると助かります」

「いいぜ。莫大な報酬の釣りだ。床に転がってる3人にも、よぉく言い聞かせておくさ」


 ジンはそれだけ言うと目を閉じて、静かになった。

 あの殺し屋ジンが。

 私達をなんども殺してきたジンが、今では床に倒れ、身動き1つしていない。


「すごい! すごすぎるわベルンっ!」


 興奮を隠せず駆けだして、私はベルンに思いっきり抱き着いた。

 死の恐怖を感じていないのに、こんなにも鼓動が早い。


「リリお嬢様、夜の散歩にお付き合い願えますか?」

「ふふっ。喜んで!」


 ベルンが差し出してきた大きな左手を、大切にぎゅっと握り返す。

 そんな私を見て、ベルンは優しく微笑んでからゆっくりと歩き出した。


 向かう先は、私のベッドがすっぽりと入りそうなほど大きいガラス窓。

 王都でも珍しい両開きの窓の前に立つと、ベルンはそっと私の手を放し、鍵を外して窓を開けた。

 ぶわり、と、冷たくも柔らかな風が私を包む。


「風よベルン! 見て! 風が私に吹いてるわ!」


「リリお嬢様、風は目に見えませんよ」


「そうだったわね! ああ、なんて気持ちが良いのかしら!」



 っと。

 部屋の扉が、ガチャリと音を鳴らして開かれる。


 入ってきたのは長身の男。

 派手な緋色のローブを身にまとい、あごひげを生やしたこの部屋の主。

 手を汚さずに私を確実に殺してきた張本人、アザムだった。



「こりゃあ、どういう状況だ?」


 その鋭い目つきに、思わず背筋が凍り付く。

 刻み込まれた恐怖心が私の高鳴る鼓動を押さえつけ、体ごと動きを止めてくる。


「リリお嬢様、早く私に捕まって下さい! 逃げますよ!」


 ベルンが叫んでくれるが、体が動かせない。

 アザムを直視したまま呼吸は早くなり、喉が詰まっていく。

 次第に私には、浅くて早すぎる呼吸音しか聞こえなくなっていった。


「この一連の騒動の原因はてめぇか、ベルン。なぜリリを連れて逃げようとする」


「……。い。いやあ。旦那様でしたか。失礼、見間違えておりました。先ほど、屈強な男が窓から逃げて行きまして、その仲間かと……」


「バレバレな嘘ついてんじゃねえ。何故リリ担当のお前が書斎にいる? 何故、捕縛されているはずのリリがここにいる? 何故、お前の拳には血が付いているんだ? 答えは1つしかねえだろうが」


 上下の歯はガチガチと震えて音が鳴り、私はしゃがみこんで震えることしかできなかった。

 そんな私の肩に、ベルンが優しく手を置く。

 そして私の耳元で、小さく囁いた。


「逃げますよ。諦めてはいけません」


「2人とも、そこを動くんじゃねえ」


 ベルンの言葉で穏やかになった体の震え。

 力を振り絞って立ち上がって見えたそれはしかし、アザムの手に握られた拳銃だった。


 カチャリと金属音が鳴り、撃鉄が起こされる。

 銃口が向けられる先は、私。



「ああ。はは。やっぱり、無理なんだ。私は、逃げられないんだ」


 死んで終わりなら、どれだけ救われただろう。

 だけど死んでも、私には次の死がある。

 死んでも死んでも、何度死んでも、殺されるために死に続ける。


 誰か教えてよ。

 ここは、なんていう地獄なの?



「お嬢様。私は誓ったはずです。――おそらく・・・・、何度でも。リリお嬢様を、必ず盗みだすと」


 その瞬間、ベルンはアザムに向かって駆けだした。

 銃口の標的は、私からベルンに移り。


「だ、だめよ! だめぇえぇええええぇっ!」


 手を伸ばしてベルンを止めようとするが、短すぎる私の8歳の腕はただ、空を切る。


 そして。

 パンッ。とあまりにも軽く、乾ききった音が私の耳にこびりついた。

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