第3話
「リリお嬢様は、少なくともこの数時間に起きることを、すべて知っているのですね。差支えなければ、回避するために教えて頂けませんか? リリお嬢様を危険に晒す、その状況を」
私を優しく抱きしめたまま、ベルンが耳元で尋ねてくる。
「……このあと、私達は誰にも見つからずに隠し通路に移動して、アザムの書斎に行くの。玄関は厳重に警戒されているのだけど、大きな窓がある当主アザムの書斎だけは手薄でね」
怪盗ラビの予告状が届いてからというもの、アザムは屋敷の外の見張りを数倍に増やした。
しかし防犯ブザーが鳴ったことで、アザムは書斎を出てマダム・ルビーを確認しに行くのだ。
そして侵入は不可能と考えているアザムは身内に敵がいると判断し、今頃は駆け付けた使用人を疑い、身体検査を行っているはず。
「書斎には、どんな敵がいるのですか?」
「ゴロツキ4人よ。最初に仕掛けてくるのは1番左の男で、すぐにナイフを投げてくるわ。その対処はしちゃダメ。自力で避けるから、貴方は私達の後ろにいる男を気絶させて」
そう、書斎に入った私たちの視界に入るのは3人の男だけ。
だがドアを押し開けたその裏に、もう1人いたのだ。
初回は、ソイツに殺された。
ベルンの相槌を待ちながら、敵がどんな行動を取ってきて、どう対処すれば生き残ることができるか、説明していく。
「――それで、最後の1人が危険なの。殺し屋ジンって名前、知っているでしょう?」
「屈強な男という噂を聞いたことがあります。なるほど、私達は彼に殺されるのですね」
「ええ。本当に申し訳なく思っているわ。こんなことに貴方を巻き込んでしまって。怪盗ラビの計画通りなら、貴方は死ぬことなく華麗に宝石を盗み出していたでしょうから」
「何をおっしゃいます。たかが石のためにお嬢様を失う未来など、こちらから願い下げです」
ベルンが立ち上がり、右手の人差し指を自身の唇に這わせる。
「この盗み、今のいままでの成功率は0%。そういうことですね。……。リリお嬢様、アザムの書斎で、私は何度殺されましたか?」
「19回よ」
「では、私が考える19番目までの最善手はすべて失敗に終わったと……。なるほど、なるほど」
ピタリと、さんざんうるさく鳴っていたサイレンが止む。
出発の時間だ。
「行くわよ、ベルン」
「仰せのままに」
そうして私達は、手を繋いで厨房を飛び出した。
誰にも見られぬよう――アザムの目が私達に向かわぬように――気を付けながら、何度も殺されて確立したルートを走り抜け、私達は自室へとたどり着く。
直接アザムの書斎には行かずに、わざわざ部屋に戻ってきた理由は2つ。
1つ目は、単純に目撃されてしまうからだ。
この時間帯はどのルートを通っても使用人に見つかり、それをアザムに報告されてしまう。
するとアザムは犯人捜しをやめ、私が脱出できるだろう書斎と玄関に、大勢の人間を配置するのだ。
「じゃあベルン、手筈通りに」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、リリお嬢様」
そうしてベルンが部屋の明かりを消すと、窓が塞がれたこの部屋は、真っ暗になる。
私は柔らかなベッドに体を横たわせ、睡魔に負けぬよう唇を噛んで寝息を立てる。
しばらくするとガチャリと音が鳴ってドアが開き、真っ暗だった部屋に、一筋の光が差し込んだ。
会話や足音など聞かずとも、その人数と名前は把握済みだ。
「な? 言っただろ? 22時過ぎには、もう寝てんだよ」
「ははっ、楽勝だな。さっさと縛って――ぐえっ!」
入ってきたのは2人の執事。
同僚だというのに遠慮なく、ベルンは2番目に入ってきたロイズを殴って気絶させ、先頭に立っていたワルスを後ろから羽交い絞めにする。
「あら、ごめんなさいね。暗くてよく見えないでしょう?」
言いながら、私はベッド脇の机に置かれたロウソクに火を灯す。
ぽぅっと少しだけ明るくなった部屋で、私は羽交い絞めにされている侵入者のワルスに目を向ける。
「ワルス・ワイルズ。ワイルズ家の4男、25歳で既婚。貴方はアザムの命令で、私を拘束しに来た。合っているわよね?」
「な、なにを……? ひっ――」
問答を正しく行わなかったワルスの首元に、ベルンが右腕で体を抑え込んだまま、左手で持つナイフを首元に近づける。
「返答は正しく行うことよ。10日前の夜、Cブロックの裏路地で人さらいをしていたなんて、奥さんは知っているのかしら? 娘さんは? ピューレ通り9番地に住んでいるんでしょう? お手紙でも書こうかしら。ああそれとも攫われた子のお母さんに、あんたの住所と悪行を教えた方がいいかしら?」
「な、なんでそのことを――ひぃぃ!」
ツプリと音を立て、ワルスの首元から一筋の血が流れる。
ナイフを握るベルンの顔は、恐ろしく険しいものになっていた。
「人さらいだと?」
「落ち着いてベルン。貴方の信念を曲げるのに、この悪党は相応しくないわ。……さてワルス、あんた、生きたい?」
「は、はい……!」
「そうよね。それなら倒れているロイズを縛り、私のベッドに寝かせなさい。その後、あんたはアザムに『拘束を終えた』と報告しに行くこと。その後、警察に自首することをお勧めするわ。いいわね?」
「はいぃ……!」
情けない返事がワルスの口から飛び出ると、ベルンが彼の頬を左手で殴った。
利き腕じゃないにも関わらずその威力は相当で、ワルスは横に吹っ飛んだ。
その間にベルンがベッドに駆け寄り、お姫様抱っこで私を胸に抱きかかえて『隠し通路』に続く壁の前で下ろす。
そしてワルスから私を隠すように仁王立ちしながら、起き上がるワルスを睨みつけた。
ワルスはビクビクと怯えながらも素早い動きで相方のロイズを縛り上げ、ベッドの上に放り込み、布団をかぶせて部屋を出て行った。
「リリお嬢様、アイツには天罰が下るべきです」
「ええ、罰は受けてもらうわ。この部屋を確認しにきたアザムが、虚偽の報告をしたワルスを殺さないとでも? 結末は見れた試しがないけれど、自首しなきゃそうなるわ。だけど、いえ。だからこそ、ヤツは法に裁かれるべきよ」
ベルンがにやりと笑い、私に振り向く。
「さすがです、リリお嬢様」
「おべっかは止して。私は道を整えただけよ。……さてと。これで準備は整った。あとは私を盗み出すだけよ、怪盗ラビさん」
「ふふ、腕がなりますね」
ベッド脇の燭台を手に取り、私達は再び、あの隠し通路に足を踏み入れた。
僅かな明かりを頼りに、私を先頭に歩いていると、ベルンが尋ねてくる。
「玄関に姿を現せば、数多くの使用人に拘束される。仮に脱出できても、外を警備する者に捕らえられてしまう。そういう認識で良いのですよね?」
「そうよ。私達が脱出できるのは、唯一、アザムの書斎からだけ。そのはずよ」
まだ脱出できた試しがないから、この計画が本当に正しいかも分からない。
だけど、脱出が望める場所はその2つだけ。
仮にアザムの書斎からも逃げられないのなら、私に打つ手はない。
「思ったのですが……。いえ、過去に私が尋ねた質問であろうことは想像できるのですが、食料を持ってこの隠し通路に逃げ込み、手薄になったタイミングで逃げれば良いのでは……?」
「この隠し通路は万能じゃないの。満月の夜の22時からしか使えず、滞在を許されるのは30分だけ。穴ぼこだらけの逃げ道なの」
「なるほど、だから決行日が今夜だったのですね」
会話を終え、ピタリと足を止める。
「準備は良いわね? 今からがクライマックスよ」
そうして『隠し通路』から瞬時に移動し、私達は豪華な装飾が施された扉の前に立っていた。
言わずもがな、アザムの書斎のドアだ。
ベルンと立ち位置を交代し、私が右側、ベルンが左側に立つ。
「素敵なハッピーエンドを迎えましょう」
ベルンが扉を押し開けると、目に入ったのはいかにもガラの悪い男3人。
左手の本棚に寄りかかる短髪。
右手のソファーに座っているスキンヘッド。
そして大きな窓を背後に、机の上に座っている30代ほどの長髪――殺し屋ジン。
「ああ? なんだてめぇ!」
私は素早く、短髪が言った『て』の部分でしゃがみこんだ。
ナイフが私の頭上をかすめ、それと同時にベルンが入ってきたドアを思いっきり蹴飛ばす。
「がはっ!」
とドアの向こうから声が聞こえ、ベルンがひび割れたドアを乱暴に閉じる。
現れたのは白目を剥いて鼻血を垂らしている男。
ソイツの体を持ち上げると、ベルンはナイフを投げた左手の短髪に男をぶん投げた。
「相変わらず、もの凄い怪力だこと」
ナイフの男はそれをよけ切れず、背後の本棚の角に頭を強打し、気絶。
間髪入れず、未だソファーに座ったままのスキンヘッドに向かって、ベルンが獣のように低い姿勢で突進する。
そして手が届く距離まで近づくと曲がったヒザを伸ばし、起き上がる力で左拳をその顔面に叩きつけた。
スキンヘッドの体が宙に浮き、うつ伏せになって倒れる。
だが、私の情報を得たベルンは止まらない。
起き上がろうと床に手を付いたそのスキンヘッドの頭を、ベルンが右足で力の限り踏みつける。
男は力なく横たわり……。
残るはプロの殺し屋、ジンのみ。
「……てめぇ、何者だ?」
低く、しわがれた声で。
悠々と机の上に座ったまま、ジンが問う。
その真っ黒な瞳に、表情に、余裕の笑みを浮かべながら。
「私の名は怪盗ラビ。ハッピーエンドを望む者だ!」
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