三人の日々は白く

十余一(とよいち)

三人の日々は白く

 私の友だちは植木鉢で人間を育もうとしている。

 小ぶりな植木鉢には、ぐるりと一周オリーブの葉の模様が施されている。テラコッタカラーの素朴で可愛らしい鉢だ。中身は園芸用の土で満たされているが、そこには何も植えられていない。ただ土が平らにならされているだけだ。

 私の友だち――紅実くみは、その植木鉢とともに生活していた。天気の良い日は窓辺で日光浴し、雨の日は大事そうに抱え、夜は枕元に置いて眠る。じっと土を見つめていることもあれば、うわの空のままぼんやりと過ごすこともあった。そして時おり、植木鉢に向けて愛おしそうに呼びかけるのだ。

みどりちゃん」

 居なくなってしまった彼女が、植木鉢ここから戻ってくるのではないか。種が発芽するように復活するのではないか。そんな空想に駆られ、決して芽吹くことのないそれをずっと待ち続けている。

 名前を呼んでもたった三文字の音はすぐに溶けて消え、あとには恋しさと悲しみがにじむだけだ。

 大きな窓にへだてられた外では、夏空に雲が流れ、蝉が命の限り鳴いている。そんないとなみとは隔絶されたこの場所では、なにもかもが停滞し淀んでいるかのようだ。

 私は窓辺に座る彼女に声をかけた。

「紅実。お茶いれたよ」

 植木鉢を眺めていた紅実が私の呼びかけに「ありがとう」と笑顔で応じる。そして当たり前のように、用意されていたティーカップの前に植木鉢を置いた。

 テーブルには三つのティーカップと二人の人間、それから土だけの植木鉢。なんていびつな光景だろう。

「翠ちゃん、まだかなぁ。また三人で一緒に遊びたいね」

 紅茶を飲みながら期待した様子で鉢を見る紅実に、私は「そうだね」としか返せなかった。


 ◇


 私たち三人は、夢を追う若者が集うシェアハウスで出会った。

 今は紅実くみのことを遠巻きに見ている人たちも含めて、住人たちは皆仲が良かったと思う。そのなかで私と紅実とみどりは特に親しくなった。趣味も性格も全然違うのに不思議と意気投合し、互いの部屋を行き来しては楽しい時を過ごした。

 本だらけの私の部屋に来たときは、本棚からそれぞれ好きな本を選び黙々と読んだり、気まぐれに感想を共有したり。紅実も翠も素直だから、ミステリーを読めばムッと眉を寄せるし、ハッピーエンドなら自然と笑顔になる。そのころころと変わる表情をこっそり見るのが好きだった。

 服飾デザイナー志望の紅実の部屋には装飾用のレースやビーズを収めたケース、端切れを詰めこんだ箱、制作した服などが所狭しと並んでいた。使いこまれたミシンの音は心地よく、デザインをメモしたスケッチブックをめくれば心が躍る。私や翠をモデルにして考案したドレスのデザイン画は、額縁に入れて飾りたくなるほど素晴らしかった。

 翠は園芸を学び、実家の花卉かき農家を継ぐ予定らしい。彼女自身、植物が大好きだから部屋には観葉植物がずらりと並んでいた。切れこみの入った葉が特徴的なモンステラ。葉のストライプ模様が美しいドラセナ。土から飛び出した根が力強いガジュマル。つややかな葉が茂るオリーブ。ひとつひとつ丁寧な愛情を注がれたのだろう植物たちは、健康的な緑色で私たちを出迎えてくれる。


 出会ったころは緑色ばかりだった翠の部屋には、しだいに色とりどりの花が増えていった。ピンクのアネモネに水色のネモフィラ、そして黄色のキンセンカ。私の部屋に紅実や翠が好みそうな本が増えていったのと、同じことなのだと思う。

 鮮やかな黄色のキンセンカが咲く夏の初め、私たちは翠の部屋でアルバムを見せてもらった。真ん中に翠が座り、両側から私と紅実が肩を寄せる。私たちには近すぎるくらいの距離が丁度良かった。

 登山したときに撮ったという写真には、遠景の写真が数枚。そして野草の近影が並ぶ。そのなかでひと際印象的だったのが朝露とともにきらめく白い花だ。紅実も同じ花に心惹かれたようで「この白い花、すごく綺麗!」と感動している。

 翠は楽しそうに花のことを教えてくれた。

「それは薄雪草うすゆきそうと言ってね、葉に白い綿毛が生えていて薄雪をかぶったように見えるのが名前の由来らしいよ」

「綿毛に朝露の水滴が転がっていて綺麗。葉っぱだけじゃなくて花びらにも綿毛があるんだね」

 私の言葉に翠は、ふふふとたくらむような顔で話を続けた。

「実はね、その白い部分は花じゃないんだ。中央に小さな黄色い花が集まっていて、白いところは花を包んでいる葉なんだ。苞葉ほうようって言うんだよ」

 へええ、と紅実と二人そろって関心してしまった。

「あとはね、薄雪草にもいくつか種類があって、西洋薄雪草はエーデルワイスとも呼ばれるんだよ」

「ああ、それなら聞いたことある」

「ねえねえ、花言葉は?」と、紅実が翠に身を寄せて聞く。

「薄雪草の花言葉は『初恋の感動』とか、『大切な思い出』かな」

 そうして翠は花言葉の由来となった物語を教えてくれた。

 人間の世界を見てみたくなった天使は、天国を離れ地上の高い山に降り立ったらしい。それを登山家が目撃し、美しい天使に恋をしてしまった。しかし天使と人間。住む世界の違う二人が結ばれることはなく、登山家は実らない恋に苦しんだ。それを知った天使は、山頂に白い花を残し登山家の前から姿を消したという。

「天使さまの残したお花、私も見たい!」

 話を聞き終えた紅実の第一声だ。ロマンチストな彼女のことだ、きっとこの話が気に入ったのだろう。

「いいよ、見に行こう!」と二つ返事で了承した翠に、「大丈夫なの? 結構高い山なんじゃない?」と尋ねる。白く美しい花はとても魅力的だけれど、先ほど見た風景写真ではそれなりに高い山のように思えた。

「大丈夫だよ。途中までロープウェイで行けるし、コースも初心者向けだから」

 一緒に行こうよ、と翠だけでなく紅実も一緒に視線で訴えかけてくる。

 そんな目で見つめられて断れるはずがなかった。そしてなにより、私も二人と一緒に行きたい。

 その気持ちを素直に伝えると、紅実が天真爛漫に「やった!」と喜ぶ。翠も、さっそく私たちの分の登山用品を用意する日取りを決め始めた。

 三人で買い物をして、計画を練る。きっと楽しい一日になると、準備のときから気持ちがはやる。


 そして迎えた登山当日。天気は快晴。ロープウェイでたどり着いた高原は、夏真っ盛りだというのに涼やかな風が吹き抜ける。深呼吸をすれば肺がひんやりとした空気で満たされて、とても清々しい気持ちになれた。

「山頂まではのんびり歩いても二時間半くらいだから。気楽に行こうね」

 翠の言葉に、紅実と二人で元気よく返事をして山道を登り始めた。

 整備された登山道も石や木の根ででこぼこしているし、枯れ葉は足をすくおうとする。初心者向けのコースと言っても、それなりに標高のある鋭い山だ。途中、ちょっとした岩肌を登ることもあった。二メートルほどのなだらかな鱗状の岩を、手をつきながら恐る恐るという様子で登る。最後には、先に登った翠が手を貸してくれた。

 登り始めて二時間くらいは経っただろうか。周囲の森林が徐々に減り、視界が開けてくる。足元に敷かれていた枯れ葉もいつの間にか無くなり、道には大きな岩がごろごろとして歩きづらい。青い空と眼下に見える深緑の山が素晴らしいけれど、じきに見ている余裕も無くなる。

 疲れがにじみ出る私と紅実を、翠が励ました。

「薄雪草は、こういう岩場に生えてるんだよ。きっともうすぐ見つかるから頑張ろ!」

 その言葉に紅実が拳を高く掲げて「おー!」と返す。私も元気をふり絞って返事をしながら、ふと顔をあげて道の先に目を向けた。岩だらけの山肌に生えるのは背の低い野草ばかり。緑の絨毯じゅうたんにはぽつりぽつりと花が咲く。黄色や淡いピンク、そして岩の合間から白色が覗く。

「……あった。あったよ!」

 私が指差す方向に二人の視線も集まり、紅実から悲鳴じみた歓喜の声が上がる。

 疲れも一気に吹き飛んで、足取りも軽くその白色の元へ向かった。

「きれい……」

 紅実がうっとりとため息をつくように褒める。翠も満足げに微笑んでいる。

 写真で見た薄雪草も素敵だったけれど、本物の薄雪草は一層綺麗だ。葉に生える綿毛はふわふわと可愛らしく、その上に転がるいくつもの水滴が日差しに照らされ光る。まるで宝石が散りばめられているようだ。葉の白色と相まって目がくらむほどに美しい。きっと三人でここまで来たから、こんなに輝いて見えるのだろう。二人と一緒にこの場所に来ることができてよかったと改めて思うと、私の心がじんわりと暖まる。

 記念に三人で写真を撮ると、気合いを入れなおして再び山道を登った。

 それから山頂まではあっという間だ。木製の階段を上り、ゆるやかに続く尾根筋を辿ればこの山の最高峰にたどり着く。

 山頂には山の名前と標高が書かれた簡素な木杭があり、その後ろに絶景が広がっていた。深い沢と急峻きゅうしゅんな尾根により、山腹に影と光のコントラストが生まれ美しい。連なる山々は力強くそびえ、どこまでも続く。遠くになればなるほど青くかすみ、空との境界もわからなくなりそうだ。息を整えながらその景色を見ていると、登頂したんだという実感が湧いてくる。

 山頂からの光景に圧倒されていると、翠が改まった様子で口を開いた。

「私、二人とこの景色を見れて嬉しいよ。一緒に来てくれてありがとね」

「わたしも!」

 と、疲れて座りこんでしまっていた紅実が勢いよく立ちあがる。

 私も負けじと声を上げ、二人をまとめて抱きしめる。競うものでもないけれど、この感情すべてを伝えたくてたまらなかった。三人で過ごす日々は、まばゆいほどに白く輝く。紅実と翠が幸せなら、私も幸せだ。

 和気あいあいとした空気も束の間、翠が西の空を見て険しい顔になる。そこには黒々とした雲が広がっていた。

「天気急変しやすいから、そろそろ帰ろうか。名残惜しいけどね」

 そうして下山して、楽しい一日が幕を下ろすはずだった。

 どうして、あんなことになってしまったのだろう。山頂を後にして間もなく、雨が降り始めたのだ。足元が濡れて危うくなる。これ以上雨が強くなる前にという焦りもあったのかもしれない。紅実が、岩場で足を取られ滑落しそうになった。すぐ後ろを歩いていた翠がとっさに支え助けたが、翠もバランスを崩して体が大きくかたむく。私が翠に向けて伸ばした手は空を切った。あとにはただ、翠の名前を呼ぶ悲痛な声と雨音だけが響く。

 救助隊の捜索もむなしく、そのまま翠は見つかっていない。


 事故から数週間経ったころだ。憔悴しょうすいした様子の紅実が、突然、植木鉢を手にして言う。

「翠ちゃんのことだから、こういうところからひょっこり出てきたりして」

 泣きはらした赤い目で無理に明るく振る舞おうとする様子が、痛々しくて悲しい。

 紅実が翠のことを友情だけではない、もっと別の感情を秘めた瞳で見つめていたことを知っている。だからこそ余計につらいのだろう。その胸中はきっと、私では推し量れないほどの恋しさと悲しみで満ち溢れている。

 もしも翠の遺体が見つかったら、棺の窓から安らかに眠る彼女を見て、その死を受けいれられるのだろうか。泣いてすがったとしても、最後には前を向いて歩けるだろうか。なにもないから、彼女が無事に帰ってくるという空想を捨てられず過去に囚われたままでいる。

 紅実だけではない。きっと私も心のどこかで、空想に浸ってしまいたいと願っている。三人で過ごした輝かしく楽しい日々も、紅実と翠のむつまじさに暖かくなる心も、忘れられそうにない。


 ◇


 みどりが行方不明になってから、もうすぐ一年が経つ。私と紅実くみは、二人ぼっちの夏を迎えようとしていた。

 紅実は変わらずに植木鉢の世話をしている。翠が残した植物――半分はご家族が持ち帰ってしまった――の世話も欠かさない。。それから、時おり私とお茶を飲む。外出する機会は減り、服飾の専門学校も辞めてしまった。ミシンの音もしばらく聞いていない。

「紅茶ありがとね。おいしかったよ」

 そう改めてお礼を言うと、紅実は植木鉢を大事そうに抱え自室へと戻っていった。

 今の紅実は、まるで中身だけ枯れた空虚な木のようだ。このままでは、いつか枯死こししてしまうかもしれない。けれども植木鉢の空想が一縷いちるの希望で、これに縋っていないと生きられないのだとしたら。それを彼女から奪うことができるだろうか。はたして、紅実にとっての幸せとは何か。考えは堂々巡りだ。

 翠だったら、いったいどうするのだろう。

 私はただ、友だちの幸せを願いたい。


 その日の夜、すすり泣く声を聞き階下へ行くと、窓辺に紅実が座っていた。もちろん傍らには植木鉢がある。

 私に気づいた紅実は慌てて目元を拭い、笑顔をつくろった。

「日光だけじゃなくて月光も必要かもって思って。翠ちゃんは晴れの日の太陽が似合うけど、それだけじゃあ飽きちゃうのかもしれないし」

 いつになく饒舌じょうぜつになる紅実。まるで、そうでもしないと耐えられないかのように。感情が決壊しそうになるのを必死に押しとどめようとするさまを見て、やはりもう、紅実自身もわかっているのではないかと思った。

 私はとうとう意を決する。私たちの停滞した心を動かすときが来たのだ、と。

「……本当は、わかってるんでしょ。翠はもう――」

「――翠ちゃんは、翠ちゃんは天使だから、もしかして天国に行っているのかな。花言葉の物語みたい。地上に戻ってくるのが楽しみだね」

 紅実が私の言葉をさえぎり言った。声は震え、今にも涙があふれそうなほど瞳がうるむ。

「違うよ」

 まっすぐに紅実の目を見つめて伝える。初めての明確な否定かもしれない。

「翠は私たちと同じ人間で、私たちと一緒に夢を追っていた」

 紅実が唇を噛み、涙をこらえる。

「ちゃんとお別れできなかったけど、別の時間を歩むしかなくなっちゃったの」

 私は自分にも言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「過去に囚われないことが、亡くなった人を忘れることとイコールで結ばれるわけじゃない。だから、翠との思い出と一緒に歩んでいこう。今を生きて、幸せになるの。私は、紅実に幸せになってほしいよ」

 これは私の、心からの懇願こんがんだ。

 そして、少しずるいとは思ったけれど、一緒に背中を押してほしかったから名前を借りた。

「翠もきっと、それを望んでる」

 とうとう涙が堰を切ってあふれ出す。声をあげて泣き始めた紅実を抱きしめて、背中をさすり慰める。今もこの先もどれだけ泣いてもいいから、泣き止んだらまた笑顔になってほしい。紅実が自分の人生を歩むために。そして、翠が安心できるように。

 気づけば私の頬にも涙が伝っていた。この涙が止まったら、私もきっと前を向ける。


 ◇


 紅実くみは、再び夢に向かって歩み始めた。軽快なミシンの音が響く日が増え、スケッチブックの白紙も徐々に減ってゆく。一度は辞めてしまった専門学校も、再入学を考えているようだ。

 みどりが育てていた植物たちは、二人で世話をしていくことに決めた。健康的な緑色の葉は、まるで私たちを励ますかのように揺れる。


 生活が落ちつきを取り戻したころには夏の暑さも和らぎ、すっかり秋めいていた。大きな窓に隔てられた外では、染まりかけの紅葉を爽やかな風がくすぐる。高く澄み渡る空には雲ひとつない。

 紅実と二人、暖かな陽だまりでゆったりと紅茶を楽しむ。ティーカップは二つしかないけれど、たくさんの観葉植物に囲まれているおかげで寂しさも少しだけまぎれる。

 お茶を飲み終えると、紅実に球根の植えつけの手伝いを頼まれた。

 小ぶりな植木鉢には、ぐるりと一周オリーブの葉の模様が施されている。テラコッタカラーの素朴で可愛らしい鉢だ。中に満たされた土を少しだけ掘り、そっと球根を植える。最後に二人で静かに土を被せた。

 このチューリップの球根は、翠が紅実の誕生日に贈ったものだ。機会を失っていたそれを、やっと植えることができた。

 私が誕生日に貰った種は、見事な青いカンパニュラを咲かせた。種をくれた日、翠が「花言葉は『感謝』だよ。いつもありがとう」と太陽のような笑みで告げてくれたことを、今でも鮮明に思い出せる。

 けれども紅実には、「花が咲いたら、花言葉を教えてあげるね」と言っていた。チューリップは色によって様々な花言葉があるらしい。

「どんな色の花が咲くのか楽しみだね」

 以前翠が教えてくれた色々な種類のチューリップを思い浮かべ、まだ見ぬ花に思いをせる。

 すると、紅実が私の名前を呼んだ。そしてまっすぐに私の目を見つめて言う。

藍佳あいかちゃん、ありがとう」

「どういたしまして。たいした手伝いはしてないけどね」

「ううん。今日だけじゃなくて、ずっと」

 無理に繕っていない心からの笑顔だ。泣きはらした目元でもない。自分の人生を歩むと決め、しっかりと未来を見据えている顔だ。

「友だちだからね」

 照れもなく、当然のように返す。

 私は心の底から、二人の友だちの幸せを願っている。

 翠、あと何十年かしたら笑顔の紅実と一緒に会いに行くからね。翠のことだから、きっとどこにいても楽しく植物を育てているはず。だから、お互いにたくさん楽しい思い出を話そうね。


 翌春、紅実の植木鉢からは厚い葉が芽吹き、立派な赤い花を咲かせた。赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』。翠との思い出がまた増えたと、二人で泣いて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

三人の日々は白く 十余一(とよいち) @0hm1t0y01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ