最終話 時の流れ

 僕は、河川敷の草原に寝ころんでいた。


 夏が近づき、空気が湿気で重くなっている中、一陣の心地よい風が頬を撫でた。

 陽が沈むまでにはまだ時間がある。


 人々に忘れ去られて、草が伸び、芝生ではなくなった運動場。

 周囲は葦やすすきなどの背の高い草に囲まれ、遠くにさびたバックネットが見える。

 その向こうの草むらの中に迷宮があり、僕はそこから出てきたばかりだった。

 

 迷宮から見つかった遺失物は、古びたグローブ。

 僕は、その持ち主に連絡をとり、彼が現れるまでの間、草が伸び放題になった野球のグラウンドで待っていた。

 グラウンドの外野の部分には、猫じゃらしや花が散ったヒメジョオン、緑色一色になったセイタカアワダチソウなどの雑草が生い茂っていた。


 

 時の廃墟が消え、刻点町こくてんちょうを中心とした彩北さいほく市の都市開発が止まってから一か月ほどが経った。

 その日、僕たちは、時の氾濫を止めることができたようだった。


 市役所に戻ってみると、庁舎は何事もなかったかのようにいつもの落ち着きを取り戻していた。

 アマネさんが組合の冒険者から報告を受けたところ、僕たちが魔女アイオーンと対峙した、時の廃墟の中心である蔦に覆われたビルが消えると、刻点町周辺の迷宮を探索していた冒険者たちは、一斉に市役所の駐車場に戻ってきたらしい。

 

 黒野課長は、

「市民や市役所の職員たちが植え付けられた記憶も消えたようです。蔦が絡まった廃墟のビルが消えてから、市民たちは何か他の大切なことを思い出したように散り散りになって役所から出て行き、職員たちは憑き物が落ちたように、いつもの仕事に戻っていきました」

 と、言っていた。


 市役所の廊下に、それまで見なかったポスターを見つけた。


「彩北市、都市開発計画 次の豊かな十年を目指して」

という文字が書かれ、ソフトモヒカンのエネルギッシュな市長の写真が添えられていた。


 違うポスターには、

「あなたの大切な記憶が宿るまち、サイホク」

という、聞いたことのないスローガンが躍っていた。



 シュウとゲンさんは、戦いの傷が癒えるとそれぞれ帰っていった。

 ゲンさんは、また一緒に仕事をしようと言ってくれた。


 黒野課長も、山梨県の甲斐路かいろ課長や全国に点在する「取戻し課」と連携を深めると言っていた。

 

 時の氾濫は防ぐことができたが、依然時の迷宮は人々の記憶が忘れ去られた場所に存在した。

 時の流れが速くなり、毎日が次から次へと過ぎ去る時代の中で、時の流れの中を立ち止まり、大切な記憶を取り戻すロスト・リストーラーの仕事は、これからも必要とされるようだった。


 アマネさんも、時の魔女のような存在がまた現れたりしないように、役所とも協力しながら、冒険者のネットワークを広げていくと言っていた。


 シュウは、また組合に来てくれ、と言った。

 僕らがまたそろって、時の迷宮に潜る日もそう遠くないかもしれないと思った。


 ナギは、刻点町と彩北市の時を戻した次の日から、学校に通っていた。


 一度、前と同じ公園でナギにばったりあったことがあった。

 ホーライさまは、秋が来る前に転校してしまうと言っていたらしい。

 僕は、しばらくの間は神様が彩北市を見守ってくれるのだと思い、少し安心した。

 

 時の魔女が消えた時に現れた、あの懐中時計の意味はわからなかった。

 ナギは、ホーライさまに、

「それには触らない方がいい」

とだけ言われたらしい。

 懐中時計は魔女とともに闇の穴の中に、草が生い茂る地面の底に消えてしまった。

 

 

 僕は、それからは一人でロスト・リストーラーの仕事をしている。

 黒野課長の指示に従いながら、まずは彩北市にある迷宮を探索し、忘れられた記憶を人々の元へと還している。


 迷宮の探索は、時の魔女がいなくなっても依然として危険な仕事には変わりがなかったが、彩北市では僕だけに与えられた特別な役目だった。

 もっとも、その職務の存在を知っているのもほんの一部の人に過ぎないのだが。


 僕は、以前より使命感を持って働くようになった。

 しかし、僕の思いが変わったのは、ロスト・リストーラーという特別な仕事を人知れずやっているから、というだけではなかった。


 僕は、この仕事をする中で、初めて市民との、人とのつながりを感じることができた。

 誰もが感じているそれを、僕は、特別な役割を与えられたことでやっと知ることができた。


 そのつながりとは、時間のつながりだった。

 同じ時の流れの中に生きている者同士、時が重なる瞬間が、小さくても大きくても確かに存在するのだということが、やっと僕にもわかったのだ。


 人々が忙しく必死に生きる中でふと失くしてしまった、その大切な瞬間を取り戻すのが僕の新しい仕事だった。



 背の高い草の間にできた通り道から、グラウンドに一人の若い男が現れた。

 その男は、かぶっているキャップを手に持って、それを僕の方に大きく振った。


 僕は立ち上がり、依頼人に向かって会釈をする。

 近づいて、古びたグローブを男に手渡すと、男は笑顔で言った。


「ありがとうございます。連絡を受ける直前、ふと記憶が蘇ったんです。ここで父とキャッチボールをしたり、子ども会のチームで野球の大会に出たり、その試合の後、皆で暗くなるまで遊んでいたりしたことを思い出しました」


 また風が吹いて、草と男の髪が揺れた。


「不思議なものです。父と何かしたこと、子どもの頃野球をやっていたことすら今まで忘れていたものですから」


「今日は、お仕事はお休みされたんですか?」

 僕は尋ねた。

 男はジーンズにチェックのシャツを着ていた。


「はい。何もない日に休んだのは社会人になってから初めてです。こんな昔の物を探してもらうためだけに休んだなんて信じられない」

 男はまた笑った。


「大切な記憶だったんですね」

 僕は、依頼人に失った時が戻ったのかどうか、そう質問して確かめるようにしていた。

 男は、はい、とすがすがしそうな表情で答えた。


「ところで、その恰好、何かと戦いでもしたんですか?」

 男は僕を見て不思議そうに尋ねた。

 おもちゃの銃が入ったホルスターは上着の下に隠してあったが、男は何かを感じ取ったようだった。


「人が失くした大切なものを探すのは、そう楽じゃないんです」

 僕は、笑いながら答えた。

 男は、そうですよね、と頷いた。



 男の後ろ姿を見送り、僕は再び草の上に寝ころんだ。

 伸びた草が頬に当たってかゆかった。


 僕は、僕の時の流れの中に確かにいる。

 そんな実感を持った。


 考えてみれば、今までもそうだったに違いない。

 何不自由のない、そして何の変哲もない人生だったが、とるに足らないことなんてなかった。


 何気ない時間の中にも、当たり前のことをするときでも、そこには僕の選び取った僕の時間が存在した。

 そこには、様々な人や物事がいつも絡み合っていた。

 そうして、時がつながっていたのだ。

 

 未来への不安がまだまだ様々あるが、僕は、自分が望んだにしろそうでないにしろ、僕が選んだ時の中を、何かを失ったり取り戻したりしながら、然るべき流れで進んでいくべきなのだと思った。


 僕も、僕以外の人も、きっと、自分で自分の時の流れ方を決めることができるはずだ。


 雲がゆっくりと流れてきた。

 僕は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 時の流れの中で揺れる、雑草の匂いがした。

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ロスト・リストーラー 田中嘉人 @t_yoshito

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