剣呑で、混沌とした、代わり映えしない日常

白洲尚哉

剣呑で、混沌とした、代わり映えしない日常

「安いよぉ、安いよぉ」


 威勢の良い露天商のがらがらした声が聞こえてくる。目を遣ると、腹を割られ、内臓がすべて取られたヒトの赤子が、鶏や子豚のようにフックに吊るされている。それを、ピューマの頭が二つついた筋骨隆々の男が一つ買って、銀貨を何枚か渡して去って行く。ここを通るたび、血と脂の臭いに鼻が曲がりそうになる。普通の肉も売っているが、ここで買うのは気が進まない。


 こういった露店が立ち並ぶのは、この街の周縁部にある魔物の地区だ。そこでは、たいていのものが売っている。人間が買えるものももちろんあるが、人間にとっては無用のもののほうが多い。赤子や、妊婦の生き胆といった、五歳の子どもの干物なんかがそうだ。


 そういうのを買うのは、たいてい魔物だ。というのも、人間の居住区、中間区域、魔物の区域の三重円構造になっているこの街で、住んでいるのは魔物のほうが圧倒的に多い。十二年前、次元の亀裂が生じたために魔物が流入し、まともな人間はあらかた外へ逃げたからだ。


 残ったのは、まともでない人間と魔物だけ——例えば、俺のような。

 上着のポケットに手を突っ込んだまま、中間区域へ急ぐ。ポケットには、古いリヴォルヴァーが一丁入っている。魔物に効く特殊な弾だ。もちろん、人間に効く弾も持っている。この街で施行されているのは暴力という法であり、この街に住むなら、それに対して、それとともに生きるいう気でいなければならない。


「おい、ヂャーナ」


 後ろから、名前を呼ぶ声がした。立ち止まり、ポケットの中でリヴォルヴァーのグリップを握ったまま振り返る。

 人間だ。男、浅黒い肌、彫の深い顔立ち、薄い茶色の目。年かさは二十代の後半くらいか。黒の十字と絡みついた双頭の蛇のタトゥーが手首に彫り込まれている。〈クロス・アンフェスバエナ〉のメンバーだろう。


「何か用か?」

「てめぇに用なんて一つしかねぇだろう。〈ヒューロ〉はあるか」

「ああ、あるよ。ちょっと、ここじゃあれだから」

 俺はその男を道端から路地まで連れて行った。じめじめした路地裏の地面には、生き物だったなにかがぬるぬるの液になって溜まっている。

 俺は、懐から小さいポリ袋を見せた。白い結晶が中に入っている。


「いくら要る?」

「二百グラムだ」

「結構買うな。じゃあ銀貨五十枚か、二百ドルだな。どっちでもいいぞ」


 男は銀貨五十枚を出した。俺はそれを一枚ずつ、本当にここで流通している銀貨か確かめる。この街で偽造通貨を掴まされることなんて日常茶飯事な上に、その被害を訴え出る機関がこの街から消えて久しい。


「うん、確かに銀貨五十枚。じゃあ渡そう」


 ポリ袋に入った〈ヒューロ〉を男に渡す。おそらく、男はこの〈ヒューロ〉の山をさらに小分けにして、街の外で売りさばくのだろう。そのときには、一グラム一ドルから、一グラム三ドルか五ドルにはなっているだろう。そのうち三割から四割が〈クロス・アンフェスバエナ〉に入り、残りがこの男の儲けになる仕組みだ。


「まいど。また買ってくれよ」

「おうよ」


 男と別れ、俺は自宅のある人間居住区を目指す。

 この街には、〈クロス・アンフェスバエナ〉を筆頭に、いくつかギャングやマフィアのグループが拠点を置いている。〈クロス・アンフェスバエナ〉は凶悪犯罪の総合商社のような組織だが、他にも麻薬密売専門の〈ベルーナ・ロッド〉、詐欺集団の〈アルディーナ〉、人身売買の〈カポス・XX〉など。どの組織もまだこの街が人間だけだったときはたびたび抗争を起こしてはポリ公の厄介になっていたが、人間以外も住む街になってからは、共生することを選んだ。彼らは互いに利益を分け合うことでゆるやかな協力関係を構築している。俺のような人間は、その利益のおこぼれを頂いて生きている。


 この街を支配するのはそういった組織の暴力と、もう一つの暴力——魔物たちの暴力だ。


 犯罪組織が暴力を振るうのは、彼らが怒ったとき、名誉を傷つけられたとき、相手を支配したいときだが、魔物が暴力を振るうのに理由はない。息を吸うように、何の理由もなく、ただ我々が弱い人間であるという理由だけで、頭から吞み込まれたり、体をかじられたりする。


 ——そこにヒトがいたから。


 そんな理由で殺されるのだから、人間は生き延びないといけない。この街で生きると決めたのなら。この街でしか生きられないのなら。

 だから、俺は今日もこうやって生き延びることを最大の目的に、クスリを売って、金を得て日々を送る。それが俺の日常であり、それが積み重なって、俺の人生になるだろう。




 中間区域を抜けて、人間の居住区に入った。人間の居住区は魔物の区域に比べて整備されている。ただそれでも、コンクリートの建物はひび割れ、すすけて、ガラスというガラスは割れている。かつての市役所の上層階はえぐれていて、現時点の最上階になった七階はギャングのミーティング・ルームになっている。


 俺は路地裏に入ると、狭い道を縫うように進み、かつてパブがあった建物に入った。電気もガスもないから寒い。地下室に続く階段を下りると、地面の冷えた空気が出迎える。


 ランプに火を点け、辺りを照らす。地面に敷いた床代わりの板、その上に中間区域で拾ったマットレス、毛布が三枚。その横にこれも拾ってきた椅子、机。机の上に銃とランプを置いて、ポケットに入れていた〈ヒューロ〉の袋を放り出す。ランプの光を受けて、〈ヒューロ〉の結晶がキラキラ光る。いくつかは〈ベルーナ・ロッド〉の若いのから買いたたいたものだが、ほとんどは魔物から譲ってもらったものだ。


 マットの上に転がって、息を深く吸い込む。埃っぽくて、かび臭い空気が肺に入って来る。今日の稼ぎがあれば、しばらくは生きていけるだろう。いくつかは新しく〈ヒューロ〉を買う資金にするとしても、しばらくの飯代くらいはある。


 俺はマットから起き上がると、ランプの火を消し、銃と金をポケットに突っ込んで家を出た。〈ヒューロ〉は置いて行った。

 階段をのぼり、建物を出るとまた曲がりくねった路地を抜ける。そしてまた別の路地に入って、いくらか歩く。すると、路地を抜けた先に小さなかつての駐車場が現れる。ぽつり、ぽつり、と小さな橙色の灯りが見えてくる。どれもバラックのようなトタンと鉄骨でできた屋台で、スパイスの匂いや肉の焼ける匂い、温かい湯気が漂ってくる。

 そのなかの一つ、アジア料理屋の小屋に入った。


「おう、ヂャーナ。いつものかい?」

 料理屋の親父が、にっかりと笑って言う。丸顔についた肉が綻んで揺れる。

「おう、いつもので」

 俺はいつものよく知らない東南アジアの香辛料が使われた、豚肉の塊を煮込んだものを頼み、ついでに外の街から輸入のビールも頼んだ。


「どうしたんだい、ヂャーナ。今日はよく売れたのかい?」

「そうでもないがね。まァ、景気づけさ」

「良いじゃねえか。すぐ出そうか?」

「ああ、頼む」


 カウンターの向こうから親父がビール瓶を手渡す。横流しの輸入物だから、少しビンが汚れている。まァ、きれいなほうだろう。魔物から買えるこの街のビールは安くて美味くもない。輸入のビールは高い。しかし、味が良い。なにより、ヒトの作ったものだから安心して飲める。

「ほいよ、いつものね」

 店の親父が料理を出す。黄色いプラスチック製の深皿に豚肉の塊とその煮汁が入っていて、エスニックな香辛料の香りを含んだ湯気が立ち昇る。フォークとスプーンをもらって、肉をほぐしながら口に運ぶ。肉の油と、甘じょっぱい煮汁の味が口の中に広がり、ビールで流し込んだ。


「うまい」

「そりゃあ、どうもね」

「やっぱ、親父さんの飯食ってると、生きてるって感じするよ」

「はは、そうかい。おだててもサービスしないぜ?」


 この街では、どんなに犯罪集団が幅を利かしていても飲食店を始めとした生きるのに必要な店は襲撃に遭わない。むしろ、それぞれの犯罪集団が進んで用心棒を申し出るほどだ。日頃どんなに暴力を振るっているようなヤカラもこの街では人間が作る飯は稀少だし、襲って手中に収めるよりも、金を落とし続けて今日も明日も食うほうが有益だと分かっている。


「ごちそうさん、会計は」

「銀貨五枚か二十ドルだ」

 俺は十ドル札を二枚と銀貨一枚を出した。親父はすべて本物かどうか確認して、カウンターの下の金庫に入れた。銀貨一枚は、チップのようなものだ。

「じゃあな、また来いよ」

「おう、親父さんも、明日もやっててくれよ」

「おうとも」


 俺は店を出て、また路地に入っていった。

 路地をくねくねと進んで、家と呼んでいる廃屋に戻る。腹が膨れて満足した。ランプに火を点け、銃をテーブルに置いてマットに倒れ込む。

 かつてなら、家でテレビを見たり、ラジオを聴いたり、スマホでYouTubeなんかを見たりしたかもしれない。でも、送配電設備が機能不全となったこの街で、そんなものを見れるのはこの街に迷い込んだ旅行客か、ずいぶん稼いでいるギャングの幹部なり親玉なりだろう。


 この街の夜は、ほかの街よりも暗く、長い。


 きっと外に出て空を見上げれば、ほかの街より明るい空が見えるだろう。この廃屋の中からでは、カビと埃だらけの灰色の天井しか見えないが。

 テーブルに置いたランプの火を吹き消す。毛布をかぶり、横になる。目をつぶって息を吸う、吐く。


 こうして一日が終わる。


 また明日も、同じような日が繰り返されるだろう。

 魔物たちから〈ヒューロ〉を仕入れ、それを外の街でさばきたいギャングたちに売り、その金でさっきの店でいつもの料理を食べて、ここに戻ってきて寝る。ただそれだけ。この街で暮らすギャングたち、魔物たち、あるいは、街のそとで暮らす賃金労働者たちだってきっと同じで、この日常を繰り返した果てには死が待つのみで、そのときに俺の人生がどんなものだったか分かるだろう。



 終えるまでは、俺の一生がいかようなものだったかなど分からない。それまで、この日常をただ過ごしていくのみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

剣呑で、混沌とした、代わり映えしない日常 白洲尚哉 @funatuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ