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 十年前、ウイルスZに感染した〈俺〉は破壊に持ち込まれるはずだった。

 ――愁君を助けたいんです

 ヒューマン地区の道端で、セーラー服を着た華奢な肩が震えている。

 ――私はロボット工学を学んで、必ず愁君を助けます

 機能停止した〈俺〉のボディを隠し持つことは、法的にギリギリアウトだ。どうしてそこまで、と訊ねたのは雄大の声だった。濡れた瞳が眼鏡のレンズ越しに強い色を放った。

 ――HAIである愁君に、恋をしたからです

 それは雄大による記録だった。いつの間にかフォルダの奥底で共有されていた十年前の映像が、芽吹くように〈俺〉の脳内で再生される。



 重なった色彩が、ひとつの絵画として青春の情景を映していた。

 それは、教室だった。海だった。家族の形だった。悠里自身の心だった。

「愁君」

 悠里が俺の名前を呼ぶ。頬は涙で濡れていた。

「カカオのいる家に、一緒に帰りましょう」

 誰もいない美術室には、絵具の匂いが充満していた。座り込んだ教室の床の冷たさが、デニムパンツを通じて人工的に造られた皮膚に浸透した。俺は悠里を抱きしめる。記憶されていたものと同じ柔らかさに気道が狭くなる感覚を抱き、目を閉じた。悠里の腕が背中にまわる。悠里の涙が俺のジャケットを濡らしていく。俺には持てないもの。

 限りなく近づいた今の俺達には、言葉は必要なかった。

 窓の向こうにある空が、眠っていた記憶を映し出す。悠里の制服姿、潮の匂いを伴った海風、ハート型のネックレス。キャンプファイヤーにフォークダンス、クラスメイト達の談笑、引き取ってくれた笹山夫妻。彼らは元気にしているだろうか。

 皮膚を伝って伝導する悠里の体温が、俺に存在理由を教えてくれる。不老不死はもういらない。だから金も必要ない。スピードは違っても、流れ続ける時間の欠片をひとつずつ重ねていけるといい。わずかに開いた窓から入り込んだ風には、秋の気配が混ざっていた。

 俺は悠里に恋をする。限りある時間のなかで、何度も、何度でも、恋をする。


〈了〉

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僕は人間に恋をする 宮内ぱむ @pum-carriage

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