第6話
≪輸送船の軌道、ステーションから離脱を開始≫
通信の向こうで喝采があがる。ステーションを破壊し地球に落とそうとする凶弾――。弾というには大きすぎるが、ともかく、輸送船はステーションから離れていく。
「よかった……」
もうタロの手伝いは大丈夫だろう。カザリはマイクを握っていた手を下ろして呟いた。
輸送船を退けたことは、ステーションに住む人々だけでなく、地球の何億という営みを救ったことに等しい。偉大なことだった。
『よくやったなイルカは。タロたちが妨害しても、相手は軍用だぞ』
パラボの声も弾んでいる。彼はガンとしてステーションの整備場から動かなかった。最後まで逃げ出すヤドカリや船の面倒を見ていたのだ。
「そうね。感謝しないと……」
企みを防ぐことができたのはイルカが妨害をかい潜り、輸送船を押し返してくれたからだ。予告状の罠を見抜いたのはカザリだったが、ひとりでは何もできなかった。イルカがいてくれたからこそ、事態を未然に防げたのだ。
「……そういえば、そのイルカは?」
『あぁ? 待て。……おい、まだ動くやついるか? 至急だ! UN25を探せ!おそらく……ジャンクの中だ!』
パラボのひどく慌てた声色で、カザリは急に通信が遠い雑音のように感じた。まるで身体がぐるぐると回っているかのように、事実が自分を打ちのめしていた。
――イルカが帰ってきていない。
宇宙で行方がわからなくなること、その重大さはイルカが一番はじめに教えてくれたことだ。
カザリは座り込みたくなるのを堪えて、タロを胸に抱えて問いかけた。自身とタロを繋ぐワイヤーは不規則に瞬いていた。
「タロウさん。あなたならわからない? イルカは生きている?」
≪不明。先ほどの戦闘でジャンクが散り、レーダーが不調です≫
「サーモグラフィでわからない?」
≪不明。距離があり、正確な測定が困難≫
「……なら、パターンマッチングで場所は?」
≪不明。対象宙域には破損したヤドカリが多数存在≫
「『ヒトガタ』は、『ヒトガタ』なら探せる! あれだけ大きいのだから……」
≪不明。状況から、大破したと推定≫
タロは何を聞いても答えてくれなかった。ただただ淡々と告げるタロの様子はまるで、イルカなどどうでも良いように見える。カザリは思わず叫んだ。
「ふざけないで!」
カザリはタロを睨みつける。
≪……。≫
タロは無言だった。ただ、カザリと繋がるワイヤーだけは違った。これまで見たこともないほど強く光っている。きっと、タロはタロなりに、様々な手段を探しているのだろう。そうカザリは気づいた。
「……ごめんなさい。何かない? あなたは私より知識はある。必要なら、DANプロンプトを読んだって、開発者になったっていい。だから、お願い……」
≪……。≫
だが、タロは答えなかった。支援型随行ユニットのタロは高性能なAIだ。その彼で答えが出せない。それは、カザリにとって絶望的な事実だった。
「……大丈夫よ」
カザリは強く目をつぶって大きく息を吐いた。宇宙で泣くと、視界が悪くなる――。それは、イルカに言われたことだ。
「わたしが、わたしも探しにいく。目視なら、見つかるかもしれない……。あなたのご主人さまは、わたしが絶対見つけてあげるから」
カザリはふらふらと、仮設のステージ端まで進んだ。イルカがいるのはいくつものヤドカリの残骸やジャンクの残骸が漂う空間だ。おそらく、真空の大海に落ちたヘアピンを探すよりも難しいだろう。
危険もある。限られた酸素量しかないし、ジャンクと激突すれば怪我は免れない。それでも、飛び出して探すことに躊躇はなかった。
≪……お待ちください≫
カザリとタロを繋ぐワイヤーがピンと伸びていた。自分を止めようと言うのだろう。命綱があろうとなかろうと、宇宙にヤドカリもなしに飛び降りるのは危険だ。自殺行為――、そう、イルカに言われたこともある。
「止めたってムダよ」
≪いいえ。私とあなたなら、出来るかもしれません≫
カザリとタロを繋ぐワイヤーは、微かに揺れ動きながらも、強く輝いていた。
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≪カウントダウン。3、2、1……≫
カザリはステージの床を蹴った。
飛び出した先。そこには何もない虚空が広がっている。バイザーの端には、イルカがいるであろう宙域が映っていた。
≪角度調整……いま≫
無重力下で、ゆっくりカザリは回転していた。合図と同時に携帯用バーニアを吹かすと、視界を故郷である地球が占めていく。
すべては、タロの提案によるものだった。
『起こさないで 起こさないで この夜が明けるまで』
カザリは宇宙を滑り落ちながら、暗闇の先にいるイルカを思って歌った。空気のない宇宙で、歌声は広がらない。だから、エコー調査で彼女を見つけようとするわけではない。
『都合のいい夢って気づいてても あたたかい海辺』
イルカの歌声に合わせて、タロが発光していく。随行支援AI≪タロ≫は最大限の出力で、周辺のネットワーク端末ブイに語りかけていた。
この歌を、聞いてくれと、そして、届けてくれと。
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イルカはヤドカリのコクピットの中で、身動きひとつしていなかった。
イルカの意識は遠く、シュノーケリングのように、自身の吐息だけを耳に伝えていた。溺れているのか、泳いでいるのか。漂っているのか。
『誰もが巡る だからこそ願う』
懐かしい声に、イルカは耳をすませた。
『ヤドカリは、もともと海の生物です』
『宇宙服じゃないんだ』
『そうです。自分で帰るべき場所ーー、家をちゃんと持った、立派な生き物なんです』
イルカは目を覚ました。カザリの声が聞こえた気がした。
自分のヤドカリはもうほとんど形を留めていない。眼下の地球が、吸い込まれるくらい大きかった。
『ことばにするのはニガテだけど』
聞こえたのはカザリの声だった。弾かれたように、イルカは宇宙の果てを見つめる。
「……あれって」
彼方に、いくつもの発光体があった。ネットワーク端末ブイだ。いつかイルカが壊れた宇宙船から脱出したときと同じだった。
あのとき、歌姫のライブを見ようと、何万、何十万のリスナーがいた。その膨大な通信をまかなうために、たくさんのネットワークブイが集結していたと聞いた。
『つたわってほしいな このキモチ』
それがいま、誰かを中心にして、数えきれないほどの端末ブイが輝いていた。見逃すことなんてできるはずがない。間違えるはずなんてなかった。
いつか見た、宇宙に咲く花。その中心にいるのは――。
「カザリ!」
イルカは叫んだ。そして、自分を守ってくれていた、コクピットだった部分を震える足で蹴った。
「イルカ!」
カザリの叫びが聞こえる。輝く光の海の中、その中心にカザリがいた。イルカはカザリに抱きつくとくるくる回転しながら、バイザーの額を合わせた。こうしてまた、会えると思っていなかった。
「……こちらから、探すのが難しければ、見つけてもらえばいい。タロウさんの作戦よ」
≪もう一度会えて光栄です。イルカ≫
端末ブイの隙間では閃光弾が輝いている。宇宙が星より眩しく照らされて、とても綺麗だった。まるで祝福されているかのようで、イルカは嬉しかった。
「……カザリ。タロ。ありがとう」
イルカとカザリはバイザー越しに微笑んだ。
ところが、ビー、ビー、と穏やかな再会に不釣り合いな音が聞こえる。酸素と携帯推進剤の残量警告だった。
≪酸素残量残り9分。航行可能時間残り11分です。既におおよその場所は割れています。覚悟はいいですか、カザリ?≫
「わかってるわ。他に、方法はなかったから」
カザリの言葉にイルカの鼓動が早くなる。ふたりの作戦は『探すのが難しければ、見つけてもらえばいい』だ。そのためにカザリは歌い、タロは周辺のネットワークに干渉した。
無事にイルカと合流することはできた。だけど、この上なく目立ったカザリは、他の人間にも見つかったのではないだろうか。
イルカは思い出した。『見つけた』というタロに届いたメッセージ。あれは結局、誰の仕業か曖昧なままだ。
「……もしかして、『誘拐犯』を利用するの?」
イルカの疑問に、カザリはにいっとイタズラっぽく笑った。見てなさい――彼女はそう言うと。
「タスケテー。オトウサーン」
と、カザリは間抜けな声を上げた。
「……は?」
あまりなカザリの声色にイルカが戸惑っていると、自分たちに向かってくる何艘もの救命艇が見えた。
「『見つけた』ってメッセージ。あの『趣味の悪さ』は父さんなの。すぐわかったわ。だから……ね」
≪問題は、イルカとカザリの父、どちらが先に見つけてくれるかでした≫
よかった――。危険な相手でない、そうとわかると、イルカはほっと胸を撫で下ろした。
「でも、ごめんね。せっかく宇宙に来れたのに……」
「どうして?」
「だって、連れ戻されちゃうでしょ?」
カザリはプレアカの超お嬢様だ。イルカとは文字通り、住む世界が違う。きっと、これで本当にお別れだろう。
「そんなことさせないわ。救急艇を奪って、逃げちゃえばいいんだもの!」
≪推奨:ノンリーサルウェポンの使用≫
イルカは苦笑しながら、カザリが出してきたパラライザーを受け取った。
「まったく、カザリは本当に……」
「行くわよ!」≪突撃≫
――いい性格しているよ。本当。
ふたりと一体は、救急艇のひとつに飛び乗った。
宇宙ヤドカリ ― 歌う少女と、静寂の旅 ― 吉川緑 @jkl1970
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