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 数日後。


 春の陽気に包まれた王都ヴェルガルの街は、昼下がりの賑わいを見せていた。

 石畳を踏む馬車の音。屋台から漂う甘い菓子の匂い。そしてどこからともなく響いてくる楽団の調べ。

 すべてが平和そのものだった。


 ルーシアは、そんな景色の中をゆっくりと歩いていた。隣には、いつものように明るく笑うフィオナがいる。


「この街とももうお別れだねぇ……」

 フィオナが小さく背伸びをしながら、名残惜しそうに石畳の道を見回す。陽射しは穏やかで、空気は甘く、あまりに平和すぎて、あの事件の気配すら霞んでしまいそうだった。


「名残惜しいのか?」

 ルーシアが隣を歩きながら問うと、フィオナはふふっと笑う。


「うん、そうだね。だって……」

「ん?」

「ルーのスカート姿、可愛かったなーって」

 ルーシアの足が一瞬止まる。すぐに歩き出すが、その耳がわずかに赤く染まったのをフィオナは見逃さない。


「……そんな昔の話を蒸し返すな」

「昔って、三日前だよ? ねぇ、今度はもっとひらひらのとか挑戦してみない? 膝上くらいのやつ!」

「断る」


 あくまで真顔のルーシアに、フィオナはおかしくて仕方ないといった顔でくすくすと笑っていた。


 アフタヌーンティーでの仮説披露後、ルーシアは特に表立って動いてはいなかった。ただ、あの仮説を口にした手前、王都で何かしらの動きがあるか、それとなく耳を傾けていた。

 けれど、何も聞こえてこなかった。

 学院内で取り沙汰されていたはずの事件については、街の噂には一切のぼっていなかった。


「……ルー、見て」


 フィオナの声が少し低くなる。

 ルーシアが顔を上げる。

 学院の石造りの壁の向こう側。議会場のドアが、音もなく開かれた。

 そこから、カトレアが姿を現す。


 彼女はすぐにこちらに気づく。

 だが、歩いてくるわけでもなく、追いかけるように呼び止めることもなかった。

 ただ学院の門の前に立ち、風に揺れるスカートの裾を押さえながら、じっとこちらを見ていた。


 彼女は手に、花瓶を持っていた。

 見覚えのある、銀色の縁取り。そこに挿されていたのは、白と紫が混じり合うような色をした、響奏花のつぼみ。


 その瞬間、ルーシアの脳裏に、なにかが走った。

 軽い、けれど確かな緊張が、後頭部の奥を刺すように抜けていく。




――あれは、議会場の出窓に飾られていた花瓶……か?




 カトレアは、変わらぬ表情のまま、こちらに向かってゆっくりと、深々とお辞儀をした。

 品があり、柔らかく、感謝の気持ちを込めた、完璧な礼だった。


 だが。


 その一瞬、ルーシアの呼吸がふっと止まった。

 心臓が、一拍だけ早く鳴った。皮膚の下を、冷たい何かが這いずるような感覚。



 身体が。

 本能が。

 違和感を訴えていた。


 なぜ、彼女はあそこまで丁寧に事件の説明をしたのか。

 部外者の自分たちに、推理の手がかりを一つ一つ並べ、現場まで案内して。

 あの落ち着き。あの完璧な口調。

 まるで、最初から"正しく"考えてほしかったみたいに。


 なぜ、魔法監察官の気配がまるでなかったのか。

 ただの一人も。事件の担当者の名前すらも。

 まるで、"誰も携わっていない"かのように。


 ルーシアは唇を噛んだ。

 喉奥で、何かがずるりと落ちていくような不快感があった。


 なぜ、カトレアはあんなにも"推理の筋道”を気にしていた?

 学院秘書という立場であれば、事件に関心があるのは当然だ。

 だが、彼女が問いかけてくる内容すべてが、まるで答え合わせをするような口ぶりではなかったか?


 そして、今。

 なぜ、彼女は、議会場から響奏花の花瓶を持ち出しているのか


 あの花瓶だ。


 議会場の小さな出窓。その位置に、あの響奏花が『咲いていたか』『咲いていなかったか』で罠が仕掛けられる、そう仮説を話した、あの響奏花。

 


(……事件への障害を……潰したのか?)


 その思考が、氷の棘のように、静かに脳髄を刺した。

 瞬間、ルーシアの背筋に、ぞわりと何かが走る。

 皮膚が総毛立つ。音もなく、鳥肌が浮き上がった。


 まるで、見てはいけないものを見たような感覚。

 触れてはならない核心を、誤ってなぞってしまったかのような。




 ―― 本当に、あの事件は、起きていたのか?




 違う。

 もっと恐ろしいのは。




 ―― まだ、起きていなかったとしたら。




 ルーシアは、無意識に肩をすくめる。

 不快な冷気が、心の奥に根を張っていく。


 カトレアは、お辞儀を終えると、静かに背を向けた。

 花瓶を抱え、ゆるやかな足取りで学院の奥へと歩いていく。


 銀の鍵が、彼女の指先でくるりと回る。

 細い指で、何の意味もないように、くるくると弄ばれながら。

 


 去っていくカトレアの背中は、どこまでも穏やかで、優雅で。

 だからこそ、ぞっとした。


 あまりにも自然で、あまりにも出来すぎていた。

 彼女の歩く足音が、次第に静寂に吸い込まれていく。


「……なあ、フィオ」

 歩き出した足を緩めながら、ルーシアはぽつりと呟いた。


「なぁに?」

「私たち……何か、おかしなことをしてしまった気がしないか?」


 フィオナは小首をかしげるように笑う。


「え? 何が?」

「……いや、なんでもない」


 ルーシアは、それ以上なにも言わなかった。

 ただ、カトレアの後ろ姿を見送るだけ。

 目を逸らさず、瞬きもせず、微かな肌寒さを頬に感じながら。



 響奏花は、まだ咲いていない。

 まるで、悲鳴が聞こえるのを待っているかのように。


Fin.

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【灰色探偵録】『灰色狼の少女と、咲きそびれた響奏花』 かげ @tokatou

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