その翡翠き彷徨い【第18話 愛児】

七海ポルカ

第1話



 父の瞳は世にも美しいと謳われたアイスブルー。

 母親は灰色の濃い蒼目なのだから、この娘の鳶色の瞳はむしろ両親というよりもその更に先の血筋からの隔世遺伝なのだろう。

 瞳と揃えたような茶色の髪も、両親とは全く似ていなかった。

 呆れるほど凡庸な容姿だ、と【魔眼まがん】の所有者たるサンゴール王国第二王子リュティスは思った。


 公務が早く片付きそうだから、たまには共に食事をしましょうと例によってアミアが言い出したのである。

 その両目を見てはっきりと「断る」と言ってやったのだが、今では戦場での武勲だけではなく、内外の政治を掌握し、女王としての存在感をその方向にも見せ始め【鋼の女王】と謳われるようになったアミアカルバ・フロウである。

 そちらが出向かないのなら、王宮料理人数十名を引き連れて、奥館を襲撃すると高らかに宣言されれば、リュティスはさすがに苦虫を噛み潰したような顔になった。


 始まりは隔離に近いやり方で追いやられたとはいえ、すでに二十年以上過ごした我が家である。

 奥館の人気の無さと静けさは、それはそれで気に入っているのである。

 不特定多数の人間に踏み荒らされ、そこを晩餐会会場にされるなどまっぴらごめんだと思ったリュティスはいつもの眉間の皺を三倍は深くした顔のまま、女王の庭に出向いたのだった。

 アミアはすでにいたのだが、丁度リュティスが現われたと同時に緊急の用が入り「すぐ戻るわ」と一言言いつけたまま、それまで抱いていた王女ミルグレンをまるで当然のようにリュティスに押し付けて去って行った。


 そして腕に持たされた荷物を、リュティスは初めてじっくりと見る機会を持ったのである。


 優れた魔術師として同じ空間にいる人間の魔力を察する力に長けた第二王子だ。


 彼はこの先代の王グインエルと王妃アミアカルバの間に生まれた、たった一人の娘であるミルグレンの、その取るに足らない魔力の限界をすでに見抜いていた。


 魔力と血の継承が強く結びついたものであるということは、魔術師の常識である。

 何よりこのサンゴールではそのあたりの事は王族自身が、その身を以て歴史に示して来た。

 従って王女ミルグレンの魔力が弱いのは、単純な彼女自身のせいではなく両親のせいでもあるわけだ。

 父であるサンゴール先代の王グインエルは魔力は強くとも病弱ゆえにそれを行使することが出来ず、母であるアミアもまた魔力に関しては凡庸の域を出ない。

 そうなればこの王女は極めて正しく、この二人の血を受け継いだのだと言って良いだろう。


 魔力の高いサンゴール王家の伝統を正しく受け継いだリュティスは、無能な人間を軽蔑する傾向にはあったが、この王女に対してはそんな思いも浮かばないのだった。


 もともとサンゴールにおいて王女の王位継承権は生まれながらに剥奪される。

 かつては竜の血だけを取り上げて排撃された黒い歴史も存在したようだが、今ではそんな事はない。玉座の抗争から外され――そしてただ大切に育てられるだけだ。



(王家の中にあってただ大らかに、か)



 想像も出来ない人生だった。

 だが、どんなものなのだろうかと思いを馳せるだけの響きがあった。

 リュティス自身はすでに成人の時を経て随分経ち、自分の人格も肉体も精神も王宮の因縁に半分は食らい尽くされ、もう半分は食らわれてなるものかと抗い、固く閉ざされ封じ込めてしまった。

 サンゴールの因縁に十分すぎるほど干渉された人生を歩いて来たのだ。


 この王女ミルグレンはそれとは全く別の人生が約束されている。


 幼い王女はそれまで眠そうにしていたのだが、リュティスが風に乗せられ王女の額に落ちた小さな若葉を取ってやると、急にぱっちりと大きな目を開いてリュティスの顔を見つめて来たのだった。

 彼女の鳶色の瞳は鏡のように澄んでいて、その奥にリュティスの【魔眼】が静かに映り込んでいた。

 そして動いているものを反射的に追ったのだろう。

 リュティスの方へとその小さな手の平を伸ばして来る。


 ミルグレンは自分の指先がリュティスの指に届くと、不意に明るい笑い声を立てた。


(【魔眼】を笑うか)

 

 幼子の強さだな、とリュティスはぼんやりと考えていた。


 王家の因縁も玉座の確執からも外れて、このサンゴール王宮でただ一人誇り高く、同時に醜悪な痕跡を描く轍から外れている王女。


 悲しい事に涙し、嬉しい事を無邪気に笑い、怒りも喜びもただあるがままに。


 リュティスの指を掴んだまま、またふわぁ、と眠そうに欠伸をしたミルグレンをそのままにさせて、リュティスは側にあったベンチに腰を下ろした。


 サラサラ……と穏やかな風が吹く。


 葉を揺らす音と、水の流れる音。


 兄グインエルが残した唯一の忘れ形見だ。

 凡庸な能力と、何故か人の心を溶かすような所を持つ人間だった。




「…………父似だな」




 ぽつりと呟けば、遠くからアミアが大手を振って戻って来た。

「あら~ミルグレン。リュティスに構ってもらってたの?」

「お前が勝手に置いて行ったんだ。荷物か、こいつは」

「まあいいじゃないのよ。たまには面倒見てやってよね、可愛い姪でしょ?」

「魔力の微塵も無い子供だな。もとい、それは無能な両親の咎だが」


「魔力垂れ流しのあんたに言われたくないわよ。いーのよ、この子はこれで! どうせ王女で玉座の変な期待も無いんだから。このサンゴール城でたった一人でも良い、のびのびと育ててあげるのよ」


 アミアは娘を覗き込んだ。

「好きな事を学んで、好きなものを見て、自由に夢を描く、そういう子になってほしいの」

「……ふん、母親に似せるなよ。その子供がどう成長しようと私に関わりがないが、どこかの厚顔無恥に瓜二つなどと言われれば、あまりにも人として不憫だからな」


「はいはーい、何にも聞こえなーい!」


 リュティスの毒舌をアミアが首を振って聞き流すと、その素振りを見ていたミルグレンが面白かったのか、きゃはははっと大きな声で笑った。


「リュティスの前でこれだけ派手に笑えれば、合格点だわよ」


 アミアは吹き出す。

 そのまま歩き出したアミアにリュティスは立ち上がる。

「おい……」

 ミルグレンを返そうとしたリュティスを振り返ってアミアは微笑む。

「いいじゃないの少しくらい。貴方がそうしてて」

「……」

 リュティスは不満そうな顔のまま、しかし黙って歩き出した。

 アミアが木漏れ日の中を気持ち良さそうに伸びをしながら歩き出す。


 ミルグレンは目を閉じてすやすやと眠り始めたようだ。


 自分の腕の中であどけない表情で眠る王女を見た時、リュティスは初めてこの凡庸な鳶色の瞳と髪がグインエルによく似ている、と思ったのだった。


【終】


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