第12話 不変の真実
どうだった、と問われて瑠璃香はやや俯きながら「わからなかったです」と答える。十一にして、その言葉が責任を負わない便利な言葉であることを覚えていた。
「まだ瑠璃香は力が弱いだろうからね。母様に視ていただいた方がいいかもしれない」
予想通り、叔父はあれらの呪物をまるきり見落としているようだった。本当は事前に聞いていたブレスレットも、聞いていなかった指輪についても瑠璃香には見えていたし、それぞれがどんな役割を為すものかもなんとなくは感じられている。それを得意には思わなかったけれど、見えない叔父を愚かだとは思う。霊能力のない者には見えにくいようにできているのだからそれ自体を咎めはしないが、見えない上で、わかったような口を聞くのが愚かしい。
瑠璃香は憂鬱に目を伏しながら、お姉ちゃんとだけ会いたい、と心の中で呟く。それが叶うのは二人がこの家から解き放たれたときだから、それまでは口を噤んでいるけれども。
§
私はどこかの劇場の席に座っていた。満席で、けれど開演前にも誰もお喋りはしていなかった。
ブザーが鳴る。幕が開く。
藍色に塗り込められたキャンバスのような舞台で、寂しい悪魔がただ一人でいる。
悪魔は死神を訪ねて、鎌に付いていた小さな鎖を分けてもらう。次に人間の彫師のところへ行って、自分の指をちょっと傷つけてもらう。それから流れた血を石にして、鎖につけてアクセサリーを作った。
寂しい悪魔はそれを、最初に出会った人間に譲り渡した。するとその人間の周囲でひっきりなしに不幸が起きる。その人はたちまち周囲の人に嫌われて、……最後には殺されてしまった。
私はこの話を、知っているなあと思った。劇場で見たのははじめてだけど、誰かに教えてもらったはずだった。だって覚えてるんだよね、それからお話に悪魔は出てこない。その悪魔は寂しくなくなったのか、それが気になって……たぶん、聞いたような気がするんだけど。「何を?」悪魔はどうなったの? 悲しいことが起こって、それでよかったの?って。
「うーん、どうだろうね」隣に座っている知らない女の子と私は喋っている。その声色はなんだか、妙に懐かしい。「……だけどもしかしたら、寂しいのは私たちなのかもしれないね」そうだ、あのときも、彼女はそう答えた。
ブザーが鳴る。幕が開く。藍色に塗り込められたキャンバスのような舞台で、寂しい悪魔がただ一人でいる。
不思議な夢を見たなあ、と思いながら私は目覚めたけれど、その内容を詳細には覚えていなかった。なんとなく居心地がよかったような、懐かしいような、指輪に祈った甲斐があったかな?っていう夢だったように思う。サイドボードに置き時計があって、時刻は八時頃だった。夜ご飯の時間過ぎちゃってるな、と気づくと猛烈にお腹が空いてくる。……え? お腹空いてるけどお腹に傷がある場合……?
「しばらくは点滴ですね」
巡回してきた看護師の
「し、しばらくってどれくらいですか……」
「どれくらいにしようかなぁ」
「どれくらいにしようかな……!?」
そんな、どちらにしましょうか神様の言うとおり、に決めるようなノリで決まるもの? まあ数日ですよ、と笑っている彼女は手際良く点滴を変え、これからの入院生活について教えてくれる。数日は絶食、その後流動食から食事が始まって、退院できるのは早くても一ヶ月後くらいになるらしい。担当の先生の診察で経過がよかったら最短距離だからがんばってね、と応援された。なかなかパワフルな要求をしてくるお姉さんだ。
「はいっ」
「はい、文月さん」
「いつから歩いていいですか?」
「えー、元気いっぱい! 点滴が主食の間は安静にしてくださいね」
釘を刺すところはちゃんと刺すんだ。思いっきり琴と同じ病院に運ばれちゃったから遊びに行きたかったんだけどな。
最後に、と彼女は言う。
「毎日のお祈りを欠かしませんように」
「……えっ?」
「主治医の
「せ、せがれ……」
諸々の疑問をすっ飛ばしてしまいたくなる語彙の選択、どうしようなかなか手強いかもこの人。「あの子がいないときに
携帯を開くと、琴からのメッセージがたくさん入っていた。「いつくるの?」「まだ?」「寂しいんだけど」「ゆずみー」「何してるの?」「無事?」「ゆずみ返事して」……寂しい思いさせないように「早く行くね」って言ったのが仇になっちゃったみたい。あわてて、「無事だよ、ごめん」と送る。それから……「勢い余って私も入院しちゃった」。うん、これでいいかな。
既読はすぐについて、だけど返信が届くのには時間が空いた。「何言ってんのかわかんない。マ?」だって。それはそうだよね。
『マ。数日間は歩いちゃ駄目らしくて会いに行けない、許して』
『うそでしょそんなことある?』
『私もそう思ってるとこ』
『ねー方向音痴かよ。あたしの隣に入院してよ』
『ね。ちょっと見誤ったわ』
続いて、「さみしい」と届くのでもう一度「許して」と送ってハグのスタンプを押す。向こうからもハグのスタンプが来て、「ゆるした」と返事してくれた。でも本当はまだまだ寂しいんだろうな、と思って歯痒い気持ちになる。患部だけベッドに置いてけないかな。
仕方がないから、私たちは文字の魔法を駆使して画面越しに話し尽くす。なんで運ばれたのかとか、お互いの病室の違いとか、やっぱり純が死んだこと、全然受け入れられないって話とか。十パーくらいしか残っていなかったバッテリーが切れるよりも先に琴の返信が途切れて、きっと彼女はまた泣いていた。いくら泣いても泣きすぎることなんてないと思う。大切な人がいなくなるのは悲しい。私は、お母さんもそうだったのかな、なんてことを考えた。悲しすぎて、最初のお母さんもどこかへ消えてしまったのかもしれない。
考えていたらまた泣けてきて、私も携帯をサイドボードに置いた。悲しいときは眠るのが一番いい。微睡みに溶け消えて、朝にはきっと忘れている。
§
柚実たちの入院している総合病院には、煉の父親が塚佐の旧姓で勤めている。婿養子として遊李夜に入った血族外の者にはなるが、最低限の霊力と祓えの術は持ち合わせており、妻や子らの取り扱う案件のサポートに回ることが多かった。それで煉は今回も一旦、柚実のことを父に任せて帰宅した。
門を構える日本家屋は屋敷というには小さいが、個人の住宅というにはやや豪勢な建築で、由緒ある家系でありそうなことを推し量れる。遊李夜の家はそういう佇まいだ。
煉はまっすぐに地下書庫へ向かう。聖句による祓魔を試みていた通りに、かつてこの家はキリスト教の洗礼を受け、地下書庫はキリシタンの信仰の砦のひとつになっていたという。が、遊李夜の家自体はキリスト教を真に信仰してはいなかった。正確なところは、受容していた、と表現すべきだろう。『教義の棚』はそのようにして、すべての信仰を肯定するところから始めるのだ。
ここ数日読み耽っていた西洋呪物の棚を横切り、土着の伝承の棚へと向かう。柚実の母方である
「母親のこと、話すの?」
弟に問われたとき、煉はまだ答えを持たなかった。不安や恐怖、悲しみはブレスレットの悪魔の糧になるはずだ。彼女の精神が不安定なうちは避けた方がいい……が、ブレスレットの儀礼が止められなかった場合、不幸が重なるにつれて状況は複雑化するだろう。そのときに、儀礼外の呪が手の施しようもない作用を引き起こすリスクを考えれば機をみて明かした方がいいように思う。けれども……酷であることもまた間違いない。
「『真実はいつまでも変わらず、嘘で塗り固めたものはすぐにはがれ落ちる』」
箴言の一節を呟きながら、考える。知らないままでいられたらいい、なんてことは世の中に数多ある。それは一つの事実だ。真実なんてものは追わなくていいこともある。……けれども、剥き出しになろうとするそれを覆い隠すのには限界もあるのだ。ならば不意に傷つく前に済ませたい。導き手として、煉はいつもこの選択を選び続けている。
ため息をついて、読みかけていた資料を棚に戻した。『
母親の件は、話す。出来るだけ早く。
それはそれとして、悪魔については調べておかなければならない。次に様子を見に行くのはその後だが、なんともいえない口惜しさがこの身を巣食う。情を抱きすぎるのも差し障るが、彼女はなんというか、ほっとけない。煉にとってそう思わせる何かがある気がする。
呪いのブレスレット 外並由歌 @yutackt
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