第11話 病室
ちょっと事件性が高くない?
目覚めた病室で天井を眺めながら考える。不幸って言ったってなんかもっと細やかなものでもいいのに、よりによって……(……お母さん)、勝手に溢れてくる涙をシーツに染み込ませてなかったことにしようとする。その熱さが、自分がどんな可哀想な目に遭ったのかを教えてしまう。凶行に及んだ私の母親を通りすがりの人が止めてくれたから、私はお腹を刺されただけで済んだ。でもお母さんの気は済まなかったかもしれない。
そんなに、嫌われてたの? たぶん嫌われちゃってるな、とは思ってたけど、殺したいほどだなんて思わなかった。でも、だけど、なんでこんなときに、あんなに優しげだったの。
お母さんが言っていたことの大半を、私はもう覚えていない。そのときに考えていたことも覚えていないけど、ああして刃物を向けられたことが初めてじゃないというのだけは、残念ながら覚えている。ごめんね、主人公だったらきっともっと、ちゃんと説明しなきゃいけないんだろうけど……私、多分たまにこういうときがある。人間って辛すぎる記憶を自分の中に隠しちゃうことがあるんだって。楽しく生きるのには都合がいいんだけど、こういうときにちょっと、困っちゃうね。
泣いているうちに病室の扉が開いて、看護師さんが入ってくる。目が覚めたんだね、よかったね、もう大丈夫だよ、と慰りを向けられると余計に、訳わかんないほど泣けてしまった。
お医者さんが来て軽く診察があった後、「ご家族の方がいらしてるけど、会えるかな? 大丈夫?」と問いかけられる。それって誰のことだろう。お父さんももういないのに、あとは
――そっか、
時間を置いてもう一度様子を見に来てくれたときには、私はなんとか泣き止むことに成功していた。目はちょっと腫れてるかな。まあなんとでもなるよね。看護師さんが部屋の外まで声をかけに行くときになって、やっと私の寝ているこの部屋は個室なんだと気がつく。半年かかる琴だって相部屋で寝てるのに、ちょっと大袈裟じゃないのかな。
からからと静かに扉が開いて、二人の人物が入ってくる。妹の瑠璃香と、叔父の
「お姉ちゃん………大丈夫? 苦しくない……?」
「瑠璃ちゃん、来てくれたんだ」
「おなか、痛くない……?」
今にも泣きそうな表情で、世界一可愛い顔が台無しだ。まだ小学五年生の瑠璃香は賢くて、見目もお母さん似で大人びていて、いつもどこか凜としているのでレアといえばレアなんだけど。やっぱり愛する妹には笑顔でいて貰いたい。「平気だよ、ちょっと痛いだけ」
「それよりも、久しぶりだね! 瑠璃ちゃんに会えてお姉ちゃんラッキーだったな」
「えぇ? 元気なうちに会いに来てよ」
「えへ、ごめんごめん」
うーん、強がってるのバレてるかな? 私の調子に合わせてちょっと口を尖らせたりはしてくれてるけどね。それにしても声出して笑おうとすると結構お腹痛そうだぞ。不便すぎる。お笑いこそが人生なのに!
「いいかな」と年雄さんが見舞客用の椅子に腰掛けながら話に割って入ってくる。ああ、難しい話始まっちゃうんだろうな。ボケる間もない。瑠璃香もすっと表情を消して、同じように椅子に腰掛けた。
「
さつじん、と聞いて、私の頭は真っ白になる。ころされたのは、わたしじゃない。誰かを殺した罪で、逮捕されている。お母さんが?
殺されたのは伯母、つまりお母さんや年雄さんの妹の、
「どうして、」
呆然と問う私に、年雄さんは淡々と答える。「君たちのお母さんはね、昔から、多重人格の
いろいろなことを一気に知らされて、私はうまく受け止めきれないでいる。瑠璃香は驚いてる様子じゃないから、もう知っていたってことなんだろう。
人格がいくつもある――それは、私に冷たいお母さんとかつてのお母さんは別の人、ということ、なのかな。そう言われてみると、なんていうのか、肩の荷が降りるような……気持ちになる。だって全然別の人になってしまっていたのなら、いつもの様子も仕方がないって思えるもんね。……だけどその理解は同時に、どうにもならない切なさを胸に滲ませた。
「柚実ちゃん、刺されたときのことを警察に話してもらわないといけないけれど、そのときの穂乃香の様子を覚えているかな?」
「………、」首を振って否定を示す。人格が違ったかも、ということを念頭においても、あんまり思い出せない。
「そうか、仕方がないね。無理はしないで、思い出せないことは思い出せないと言えばいいからね」
年雄さんはなんだか満足そうにそう言う。今の会話に満足するところなんかあったかな。ちょっと変な感じがするのを、私がそんなふうに受け取っちゃっただけかもしれないけど……。
そういえばブレスレットは私の左手首に戻ってきている。なんとなく後ろめたくて本当は隠したいんだけど、点滴を打っている方の腕だからそういうわけにもいかない。ていうか付けてていいものなのかな。指輪も、同じく右手についたままになってるからそうなのかもしれない。
必要な話は終わったようで、年雄さんは席を立つ。入院生活に必要なものは明日持って来てくれるとのことだから素直にお礼を言うけど、やっぱりなんか異様……とか言ったら失礼か、でもこんなふうに親切にしてもらうことってなかったからちょこっとだけ、なんていうの、不気味? 駄目だ失礼なやつしか出てこないや。
瑠璃香はまだ何か話したいのか、それとも離れがたかったのか椅子に座ったままだったけど、年雄さんに呼ばれると諦めたように立ち上がった。
「また来るね、お姉ちゃん」
「ありがとう」
二人が出て行って扉が閉まると個室の広さをを感じて一気に寂しくなる一方、徐々にほっとした気持ちにも包まれていく。ううん、いろいろ知ってたいへんではあるんだけど、そんなことよりも叔父と会うの緊張したな、ということのほうが一旦勝っちゃうんだよね。はあ、瑠璃ちゃんとだけ会いたい。髪の毛伸びてて可愛かったな。ストレートなのにちょっと毛先がふわふわで、あれはアイロンとか使ってるのかな? おしゃれさんなんだから。
――二人のお母さんが、いるとして。
ふと、思いついてしまう。最初のお母さんはどこに行ったんだろう、って。
その瞬間、強烈な恋しさに苛まれた。私はそう、多分ずっと、今のお母さんの中に最初のお母さんを探し続けていた。
「おかあさん、」
せっかく泣き止んだのにまた涙が出てくる。だって、寂しいよ。かつて私たちはきっと、幸せな家族だった。私と瑠璃香を置いてどこに行っちゃったの。……今はもう、お父さんのところにいるのかな。
「おかあさん……っ」
寂しいよ。もう一度、私に笑いかけてほしい。柚実、って優しく呼んでほしい。
昔みたいに眠れない夜にお話を読んで。それが叶うなら私、どれだけだっていい子にしているから。
――わたしのせいなのかな。わたしがいいこじゃなかったから、こんなことになったのかな。
根拠もない罪悪感が湧いてきたら、齢十六の経験則からいって今日はもう駄目だ。寝るしかないので指輪へのお祈りを乱用して、眠れますように、眠れますように、できればいい夢を見たいです、と念じ続ける。それが功を奏したのか、やがて私は優しい優しい眠りの中へと落ちていった。
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