【過去編番外】君の一番喜ぶものは

「ふむ。開かないね。さてどうしたものか」


 広い部屋。そこらじゅうに置かれた小物たち。この摩訶不思議な部屋に、三角帽に詰め襟姿の学生二人は閉じ込められていた。


「なんなんだここは…!俺たちは街を歩いていたはずだろう、なんだってこんなところにいるんだよ」

「さぁ……。人も俺と葉山だけのようだね。それにこの物の多さ……何か意味はありそうなものだけれど」


 葉山と綾瀬は、実に授業を終えて下校している最中だったのである。それが気がつけばこんな部屋に閉じ込められていたのだ。

 部屋に置かれている物は、服、楽器、洗剤、文具、植物、家具、食器、など幅広い数多の物が取り揃えられていた。


「おや」


 はらりと、葉山の頭上に落ちてきた紙。二人で紙面を覗き込めば、そこには

『雙方 最モ喜ビ笑フ物 選ビテ贈ルベシ。協議此レ禁ズルモノ也』と記されていた。


「この中から互いが喜ぶものを探して贈り合えばいいのか?」

「相談は禁止か……なかなか骨が折れるね」


 二人は話すような仲になってから、まだ幾日も経っていないのである。そんな互いに相手を知らない状況で、葉山と綾瀬は互いへの贈り物を考えた。


(葉山の好きなものか……。共に暮らしてはいるがそう簡単に思いつくものではないな)


 綾瀬は自身の未来を縛る家から飛び出し、現在は葉山の家に居候しているのである。しかし、家では言葉を交わすものの学校では友好関係を隠し関わらないばかりに、綾瀬が葉山を知る時間はほぼないに等しい。家にも趣味と思える物が置かれていた記憶はなし、さて何を選ぶべきか。


(それに……)


そして綾瀬にとって一番の問題は、また別にあった。綾瀬は自分の好きな物というのが見当つかないのである。何を渡されても、そこまで喜べる自信がなかった。自分でも自分の喜ぶものが分からない。


(この際レコードでも文学書でもなんでもいい。喜んだフリで)


綾瀬は感情を無に、葉山への贈り物を探した。



(綾瀬が喜ぶもの……。なんだ……?)


 うんうんと悩んでみても、思いつく兆しはない。綾瀬が何かを見て笑っているとか、喜んでいるとか、そんな状況に覚えはないのである。


(あれは……喜ぶ、か?)


 そこでふと、目についたある物が、葉山の記憶を蘇らせた。前に綾瀬が眺めていたもの。一つ、手にとってみる。が、これ単体で喜ばれるとは到底思えなかった。


(仕方がない)


 葉山は思いついたもう一つの実行に移った。



「用意はどうだ」

「あぁ。できたよ」


 長い時間を要し、二人はついに準備を整えた。葉山が先に贈り物を見せる。


「俺からは、これだ」


 彼から渡されたのは、季節外れの向日葵と一枚の紙。渡したらすぐに葉山は外方を向いてしまった。


「花?君は俺が花に喜ぶと思ったのかい?」

「こ、この前家に生けてある花を眺めていただろう。だから花が好きなのかと思ったまでだ」


 綾瀬は何も言えなくなった。自分が花好きなんて、自覚がなかったからだ。でも今、葉山からもらったこの花一つで、妙に胸がざわついている。


「……」


 何も言えないまま、共に渡された紙を見てみた。そこには『いつまでも元氣でゐるやうに』という言葉が、普段の彼にしては少し乱雑な書き方で記されていた。


「ははっ。おいおいなんだこりゃ。元気でって、君は俺のなんなんだい」

「何か書いた方がいいかと思ったんだが……あまりいいのが思いつかなかったんだ。いいだろうそれくらい。さ、お前のも出してくれ。早くここから出たい」


 その言葉に流されるように、綾瀬も葉山への贈り物を手渡した。


「これは……箸か?」

「ああ。何がいいか随分悩んだのだけれどね。君、もう箸の先端が剥げていただろう」

「ああ確かに……。あれは昔から使っている物だからな」

「洗い物をしていたときに気づいたのを思い出してね。まあ何、不要だったら捨ててくれ」

「いや……。嬉しいよ。よく見てくれているんだな。ありがとう」

「え……」


 ガチャ、と扉が開錠される音が響く。葉山は喜び勇んで綾瀬の手を引き、外に出た。


 気がつけば、そこは自分たちの通う東京帝大の冠木門の前であった。確かに下校の最中で、もうすぐ家だったはずであるのにおかしなものである。

 あの部屋で互いに贈り合った花や箸は手元から消えていた。綾瀬の手元には、葉山からの手紙さえ無い。その事実に、なぜか綾瀬は多大な喪失感に襲われた。


「……元気でいるさ。君が言うのなら」

「ん、何か言ったか?」

「いいや。なんでもないよ」

「この後、花屋にでも行ってみないか。その……お前が好きなら、買おう。花でも花瓶でも」

「花……」


 部屋から出られたということは、自分はあの場所にあった何よりも花に喜んだ、そういうことなのだろう。自分が花好きだったのだと、綾瀬は葉山にこの時初めて気づかされた。


「それじゃあ、箸も見に行かないかい」

「ああ、いいな」


 傾きかけの夕陽に軽快な足取りを見せつけ、地を這う影に喜び揺れるマントを映す。

にこやかに笑う二人は街への一歩を踏み出した。

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花影水月、徒然日記。 緋川ミカゲ @akagawamikage

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