第26話 十年後

 普仏戦争から十年――記憶がまだ癒えきらぬこの大陸で、

 僕たちの会社は静かに、しかし確実に成長を遂げてきた。

 今ではワロン……いや、ベルギー全体で見ても、我が社ほどの影響力を持つ企業は数えるほどしかない。


 ゲルマニウムトランジスタの生産を独占的に担い、

 世界中の無線機器の「心臓部」を陰から支えているのが、他でもない僕たちだ。

 もちろん、後発の企業も参入してきている。けれど、

 規格通りの安定した性能、確かな品質、そして何より信頼――

 それが僕たちの強みであり、他には真似できない優位性でもある。


 街を歩けば、そこかしこからラジオの音が聞こえてくる。

 かつては技術者の夢だった乾電池式のトランジスタラジオは、今や庶民の暮らしに溶け込んだ、ごく当たり前の存在になっていた。


 ゲルマニウムトランジスタの歩留まりは、ついに90%を超えた。

 シリコンを使っていた頃の苦労が嘘のようだ。

 あの頃と比べれば、生産性は約20倍に跳ね上がった。


 かつて富裕層にしか手の届かなかったトランジスタラジオは、今ではパンと同じように誰でも手に取れる。


 街頭のトランジスタラジオからは、パリのニュース番組のあとにリエージュの歌番組が続けて流れてくる。

 国境が、あってないようなものに思える瞬間だ。


 今やベルギーでは、自分を「フランス語を話すベルギー人」ではなく、ただの「フランス人」だと考える人も少なくない。

 西ワロンでは特にその傾向が顕著で、フランスとの文化的な距離が、政治的な距離をも縮めていった。

 そして、その世論の流れは、ついに両国間の同盟締結という形になって結実した。

 背景には、我が社の作った半導体製品が生み出す両国間の複雑なサプライチェーンの存在もあると思っている。


 フランスは今、ラジオ、無線、さらには各種の軍需機器に至るまで、ベルギーから供給されるゲルマニウムトランジスタに強く依存している。

 文化と技術――それが国家間の絆を形づくる時代になったのだ。


 僕も元老院議員として、フランスとの同盟を後押ししてきた。

 国を変えるには、民意だけでは足りない。

 政治の力が必要だということを、身をもって実感した日から。

 そして、ベルギーとフランスの同盟締結に関する賛成決議が、ついに議会で可決された。

 その瞬間、僕はしばらく席を立つことができなかった。

 数年にわたる努力と、祈るような日々の積み重ね。

 あらゆる工作、資金の投入、世論の醸成。

 そのすべてが、ようやく一つの実を結んだのだ。

 静かな歓声の中、僕は一人、胸にこみ上げるものを押し殺していた。


 この世界は僕が知っている歴史からはどんどん変わり始めている。

 昨年、アメリカではラジオ番組内のジョークが原因で証券市場がパニックに陥り、株価が乱高下した。

 ――実は僕もそのとき、かなりの大損をしている。

 とはいえ、それもまたこの時代を生きるということだ。


 歴史が変わっても、世界大戦は避けられないだろう。

 もちろん、それを防ぐために僕は全力を尽くしてきた。

 資金を投じ、土地勘もないセルビアでサラエボ事件を未然に防ごうと諜報組織を立ち上げた。

 多国間同盟システムの暴発に対しても、繰り返し警鐘を鳴らしている。

 それでも、もはや賽は投げられてしまっている。

 ドイツ諸国民がナショナリズムに目覚め、統一を望んだその瞬間から、すべては始まっていたのだと思う。


 僕たちが開発した軍用無線機は、戦場の在り方を変えつつある。

 ベルギー軍での採用に続き、今ではフランスのほぼ全ての小隊に装備されている。

 かつて大砲が戦争を変えたように、これからの戦場では無線通信が“戦いの眼”になるだろう。

 ドイツ軍を圧倒的できるように、僕の出来る範囲で無線を利用した戦術なども伝えている。

 記憶のように、ベルギー単独でドイツに立ち向かい、無謀に散るようなことは起きないと確信している。


 ーーーーーーーーー


 カリーヌ先輩とのあいだには、二人の女の子が生まれた。

 上の子は、先輩のラジオ番組にたまに出演して楽しそうに話している。

“お母さんに似て、おしゃべりがうまい”と近所の評判だ。


 子供に錬金術を教えるべきか、僕は今も悩んでいる。

 トランジスタの製造において、今もまだ錬金術は必要だ。

 けれど、純度の高いゲルマニウムの工業的製法が完成しつつある今、錬金術の役割は少しずつ終わりに近づいている。

 いずれ、時代の波に押されて、その名すら忘れられてしまうかもしれない。


 それでも――僕は、錬金術という灯火を、ほんの少し延命できたのだと思う。

 父の背中を見て育ち、錬金術師として技術の橋を架け、未来を手繰り寄せることができた。

 いずれ来るであろう世界大戦。それを止めることはできなくても、

 ベルギーにその力を与えることは、きっとできたはずだ。


 錬金炉の前に立ち、僕は今日も思う。

 最善だったかどうかは、わからない。

 けれど――


 確かに僕は、自分にできることを選んできた。

 今日も変わらず、錬金炉はぼんやりと光っていた。


 ーーーーーーーーーー


 wikiより引用

 レオン=シャルボノー(1851–1920)


 ベルギーの起業家、錬金術師、物理学者、政治家。

 1902年、AMラジオの発明、1907年、トランジスタの整流作用の発見により、それぞれノーベル物理学賞を受賞。

 世界最大の半導体企業「シャルボノー」(創業時は「ワロン錬金術工業」)の創業者。


[物理学者として]


 錬金術を物理学の世界に取り入れ、半導体を発明。

 錬金術による原子分析技術を確立し、「錬金術中興の祖」と称される。

 当時衰退していた錬金術を現代科学へと応用し、原子分析技術として確立させた。この技術はイオン化測定方式が普及する1970年代まで広く用いられた。

 半導体の発見および、それを用いたラジオ技術によって、個人で最多となる二度のノーベル賞受賞を果たす。

 後述する政治的活動の影響により、ノーベル賞委員会は、彼への授賞に消極的であったとも言われ、政治家にならなければ三度以上の受賞もあり得たとされる。

 また、トランジスタを用いたロジックゲート理論を提唱し、デジタル回路・コンピュータ技術の基礎を築いた。


[起業家として]


 ラジオ技術を世界に普及させ、自社製の送受信機で一時は世界の半導体需要の大半を独占。

 世界初のコンピュータ「カリーヌ」を開発、弾道計算や暗号解析に利用された。

 特に1919年に発売された「カリーヌ5」は低価格化に成功し、LEDによる簡易的なGUIも相まって、研究機関に広く採用された。

 ラジオを活用したCM手法を確立し、現代マーケティングの先駆けとなる。

 最盛期にはシャルボノー社とその関連企業だけで、ベルギーGDPの約40%を占めるほどの隆盛を誇った。特に本拠地であるワロン地方への影響は強く、地方の主力産業を衰退しつつあった石炭鉱業から半導体産業へと転換させた。


[政治家として]


 元老院(上院)議員8期、外務卿を2期務める。

 資金力とラジオ広報を武器に、西ワロン地域を自由党の牙城とした。

 特に、自身がベルギー人初のノーベル賞受賞となった翌年、1903年の選挙では、西ワロン全域で自由党が全議席を獲得するという、現在に至るまで破られていない記録を打ち立てた。

 政治姿勢は一貫してフランスとの協調を重視し、ドイツに対しては強硬な敵対姿勢を取ったため、連邦議会屈指のタカ派と評されることも多かった。


 世界大戦において、ドイツへの早期宣戦布告を主導。

 科学的功績に対する高い評価とは裏腹に、政治姿勢については好戦的かつ民族主義的であると批判され、評価は分かれている。

 一方で、ドイツへの戦後賠償においては外務卿として寛大な返済計画を主張した。

 ベルサイユ宮殿で行われた講和会議に外務卿として参加した際には、自身の名声を武器に、小国でありながらベルギーが会議を主導する形となった。

 その影響力の大きさと小柄な体型から、彼は各国特使から「ベルサイユの小鬼」と皮肉混じりに称された。


 フランスの当初案の通りの過酷な賠償要求が実現していた場合、二度目の世界大戦が発生していたとする意見もある[要出典]


 西ワロンでは彼への支持が圧倒的だった一方で、東ワロンでは「中立を維持していればベルギーは戦場にならずに済んだ」とする意見が根強く残っていた。

 その溝は次第に地域対立へと発展し、後のリエージュ暴動では、彼に関連する企業が暴徒の標的となる事態を招いた。


[晩年]


 世界大戦後、政治活動を引退し、国際錬金術協会会長、国際電信連合理事として活動した。

 コンピュータ理論の確立に余生を捧げた。

 1920年、結核による合併症により、ワロンの自邸で死去。69歳。



 ◾️◾️完◾️◾️

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蒸気と電子の錬金術師―産業革命の時代で電気技師ができることー メモ帳パンダ @harilos

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