水底で待つひと
及川稜夏
遥か遠い場所。
満天の星空の日のことでした。そこはきっと「水族館」と呼ばれるべき場所なのでしょう。無数の水槽と泳ぐ生き物たちの立ち並ぶところ。キラキラと輝く水と魚たちは宇宙のよう。琥珀と翡翠はその場所に来ておりました。
とはいえ、場所と同じく本当はそんな立派な名前もついていないのです。ただ互いにそれらしいからそう呼び合っているだけなのでした。イワシの大群が通り過ぎ、アシカが芸を披露するとても興味の惹かれる場でありましたから、両方の性格の差は顕著に表れておりました。琥珀はその飴色の体を反射させながらはしゃぎ回って、泳ぎ回る魚を見てまわっています。翡翠は一言も喋らずに薄緑の体を椅子に落ち着けて、延々とイルカショーを見続けておりました。そうと思えば思いついたようにフラフラと他の水槽の前に向かってしまいます。そのようでしたから、琥珀と翡翠はこの場所にやってきてすぐに逸れてしまいました。
先にそのことに気がついたのは琥珀でした。
「どうしよう、翡翠が逸れてしまった」
二人は、まだ、やってきた目的も果たしておりませんでしたから、とても琥珀は焦ってしまいました。
「翡翠、翡翠、どこにいるの?」
辺りを見回しますが、周りには色とりどりの似たような石たちがいくらでも歩いていますから、そう簡単にはいきません。どの石たちも、琥珀や翡翠たちときっと目的は同じなのでしょう。どうにも翡翠の行方はわかりません。ただひとつ、石の大群の中に異質なものがありました。それは人間でした。女性であって、どうやらここの係員であるようです。ほんのり光るバッチを胸につけた、黒髪で、なんだか真面目そうな女性でありました。意を決して琥珀は女性に声をかけます。
「すみませんが、翡翠……薄緑でキラキラとした石をこの辺りで見かけませんでしたか」
「薄緑、ですか。少々お待ちくださいね」
見た目に反した優しげな対応なのでした。
程なくして、琥珀の前には薄緑の石たちが複数並ぶことになりました。
「この方は?」
「私はペリドットです」
「この方は?」
「僕はエメラルドです」
「この方は、少し違いますね」
「翡翠ですがこの琥珀と名乗られる方に面識はないですね」
どうしようもない会話が延々と続いて、結局探していた翡翠は見つかりません。その頃にはすっかり琥珀が疲れ切っておりました。
「この辺りには、いないようですね」
真面目そうな女性が言いました。
「そうですね」
力なく琥珀も言葉を返しました。
「もうそろそろ時間ですし、もしかしたらお連れの石の方はもう会場に行かれているのでは?」
仕方なく琥珀は会場に向かって行きました。やがて真っ白なだだっ広い場所にやってきました。ここが会場です。そこには天井がなく、頭上には星空が見えて、どこか神殿めいた雰囲気を漂わせておりました。会場にはまだあまり石が到着してはおりませんでした。そのために、琥珀は簡単に翡翠の元に辿り着くことができました。
「もう、逸れたらダメ!」
「翡翠が逸れたんだよ、お陰で困ったんだから」
二人は短く言い合うフリのようなものをして、それから互いに吹き出して笑いました。
「それにしても、随分早くに会場に着いたようだけれど、もっと魚を見ていなくて良かったの?」
琥珀は問いかけました。
「うん、もう良いの」
翡翠は頷く代わりに輝いてみせました。それはもう楽しんでいたようで普段の何倍も輝いておりました。それからしばらく過ぎると予定の時間が近づいて、大量の石たちが押し寄せてきました。
「そろそろだね」
「そう」
琥珀と翡翠はささやき合いました。そして、とうとう翡翠の番がやってきてしまいました。
「また今度」
その言葉を残して翡翠は空高く打ち上げられて星になりました。琥珀はそれから順番が来るまでずっと、星空を眺めておりました。翡翠をずっと探しておりました。
水底で待つひと 及川稜夏 @ryk-kkym
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