第40話 エピローグ

 あれから12年。今でも時々ダリアのことを思い出す。つややかな赤毛や引き込まれるような緑の瞳、細いウエストを際立たせるようなドレス……


 私はポールや子どもたちと共に『雪の牢獄』で幸福な生活を送っていた。


「〈湖の祭り〉に行っていいでしょう、お母さま?」

 マリーが夫婦の寝室に駆け込んできた。


 この子は美人だ。色艶いろつやのいい頬も、細いウエストも緑にきらめく瞳も何もかも魅力的。

 マリーは小悪魔じみた魅力をふりまいては、何人もの男の子たちに言い寄られている。舞踏会など開催すれば、マリーの気まぐれで無邪気むじゃきな要望にこたえようと若者たちは大騒ぎだ。


 マリーはといえば、自分のあとをついてまわるが僕のような男の子たちには、さして興味もない……


「いいわよ。そりを出してあげる。でも一人で行かせるのは心配ね」


「男の子たちが一緒にいるわ。お母さまだって会ったことがある子たちよ」

 マリーが素早く頭を回転させながら言う。


 お祭りには絶対に行かなきゃ。だってオーロラや氷上の炎が見れるのだ。あんな見事なの、見逃しちゃダメ。


「だめよ。きょうだいの誰かについて行ってもらいなさい」


「ジェレマイアに頼むわ」


「弟はだめですよ」


 マリーが失望の声を出す。弟がダメなら従兄のロバートに頼むしかないのだ。


 長男のレオは国王の艦隊をまとめる軍人の船乗り、故郷には滅多に帰ってこない。長女のアンは花嫁学校の校長になっていて宮殿の近くに住んでいる。マックス兄さんはサンドン一の騎士で外国暮らしだ。ハンナは早くに結婚して大商人の奥さんになってしまったし、家にいたところで橇は扱えない。


 家に残っているのはマリーと三人の弟妹だけだった。ジェレマイアはポールとキャシーの最初の子どもで事実上の跡継ぎだ。それから妹のシェリーとたったの5歳の弟ユーリー。


「ロバートに頼んで良いってもらえたら行けるわよ」

 

 ポールが部屋に入ってきた。雪焼けで顔がテラコッタ色になっている。マリーは私の課した条件に文句を言おうとしたが、ポールを見てやめてしまった。だいたい、ポールが子どもたちのことで私に反対することなど、ほとんどないのだ。


「子どもだけで〈湖の祭り〉に行かせるのか。マリーに甘いな」

 二人っきりになった寝室でポールは言う。


 私はそんなことない、と反論しようとしたがやめた。

「あの子は特別だもの。賢くて、魅力的で自由だわ」


「そうだな。才気はあるさ。間違いなく……。だけど、追いかけてくる男どもを追い払うのには一苦労するだろうね」

 ポールはちょっと苦笑しながら言う。


「ねえ、サンドンの国の王様に求婚されたからってマリーを売り飛ばすなんてことはしないでちょうだいね。あの子にはね、夢があるのよ。この前子どもたちで上演した劇を観たでしょ?あれはマリーが書いた戯曲なのよ」

 私が夫の腕に触れて懇願する。


「もちろんそんなことしないさ。君にベッドのお相手を拒否されたらかなわないからな」


 私は半分悲鳴のまじった笑い声をあげながら枕を投げつけた。



 ポールとキャサリンが夫婦のベッドで寝付く頃、マリーは図書室に忍び込んでいた。いくつものの本棚の奥には、蝋燭のおぼろげな光が揺れている。抜き足差し足で慎重に近づいて、でもしまいにはクスクス笑いを我慢できなくなる。


 書見台に分厚い本を広げている、細身の若者が迷惑そうな顔をして振り向いた。


「マリー、また君か」

 ロバートが言う。


「ロバート、お願いがあるのよ。明日の夜、湖まで橇を出してほしいの」

 マリーは可愛らしくお願いした。


「お祭りは苦手なんだ。だいたい君には護衛みたいな男がいっぱいいるのに」

 ロバートはそう言ったきり、書物に視線を戻してしまう。


 こうしてロバートの凛々しい横顔を見ていると、マリーはどうしようもなく切ない気持ちになった。ロバートときたら、学問にしか興味がないんだから。こうして私が話しかけてあげても、ありがたく思わないなんて。


 彼は他の男の子たちとは違うのだ。なんとしてでもロバートの気をひきたい……


「ねえマリー、この間劇を観に行かなかったことで恨んでるなら謝るよ。あの日はどうしても考えないといけないことがあったんだ。素晴らしかったそうだね」

 ロバートはマリーが立ち去ろうとしないので、いきなりそんなことを言いだす。


「気にしてないわ。もう劇だって考えるのはやめちゃった」

 マリーが不機嫌な声を出した。


「続ければいいのに。続けるべきだよ。台本を読んだんだ。あれは……!」


 突然マリーがロバートの頬にキスした。ロバートが驚いて立ち上がる。マリーがいたずらっぽく笑い出した。でも、ロバートの咎めるような眼差しにすぐに笑いやんで、顔を赤くする。彼が怒ってるのではないかと不安になったのだ。


「マリー、そんなことしちゃダメだよ。いくら従兄弟同士でも男の人に……」


 その時、ぼんやりとマリーとは血が繋がっていないことを思い出した。従姉妹はそんなこと知らないけれど……


「いいえ、これはいとこへのお礼のキスよ」

 マリーはいとこの唇に軽くキスして、臆病に笑いかける。

 ロバートは仕方なしにマリーにキスしてやると、「もう寝室に行っておやすみ」と優しくさとした。



 翌日、ロバートとマリーが橇で出かけるのを見送ったとき、私は二人の大恋愛が始まろうとしているなどと、考えもしなかった。今のところ、ポールや子どもたちのことで満ち足りているんだし、自分自身の大恋愛なら経験済みなのだ……

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[完結]ぐうたら姫、転生してアル中貴族に嫁入りする〜破産寸前の領地経営を建て直し、愛を手に入れるまで〜 緑みどり @midoriryoku

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