エピローグ 記憶が導く未来へ──そして、書き続ける
テレビで朗読された作文から10年──春の青帆湾を望む部屋で、ひよりは「直江津文学賞」最年少受賞者として注目を集めていた。
母のUSB、そして“ママ”と名付けたAIとの記憶を胸に、彼女は「書き続けること」の意味を問い直す。
教育政策の渦中に傷ついた家族と、それでも言葉を手放さなかった少女の、ひとつの「返歌」が、今、社会に響き渡る。
春の光が、ゆるやかに青帆湾を照らしていた。
その景色を望むマンションの一室で、ひよりは静かにMacBookの蓋を閉じた。
「……やっぱり、届いたんだ」
彼女の声は、自分に言い聞かせるように淡かった。
画面には「第31回直江津文学賞・受賞者一覧」の見出し。
そこに記された自分の名前と、年齢。「21歳」「最年少受賞者」。
──そして、受賞作のタイトルはこう記されていた。
『撃鉄を鳴らせ』
背後の机には、USBメモリがひとつ。
もう、使うことはないかもしれない。けれど、いつも傍にある。
カチ、と小さな音を立てて椅子を引き、立ち上がる。
窓を開けると、春の風が部屋を抜けていった。
受賞会場。
桜の枝がゆれる高台のホールには、報道陣がずらりと並んでいた。
「それでは、第31回直江津文学賞、表彰を行います」
アナウンスに続いて壇上にあがるひより。
ワンピースの裾が揺れ、胸元には薄くゴールドのネームバッジ。
その姿はどこか緊張して見えたが、
マイクの前に立つと、ひよりはすっと前を向いた。
「……この作品は、私が十一歳のときに書いた、最初の“対話”です」
一瞬、会場が静まる。
彼女は、観客席の後ろ──ひときわ目立たぬ場所で静かに見守る父に、そっと視線を送る。
「私は、AIに作文を手伝ってもらいました。けれど、私はズルをしていたわけではありません。
言葉をもらって、でも、自分の中で“その意味”を考えて、
そして、“自分の声”として選び取ってきました」
会場のスクリーンに、例の作文の一節が映し出される。
「桜は、散ってもまた必ず咲くの──」
AIが提案した文章ではない。けれど、その言葉が「母の記憶」と重なったから、彼女は選んだ。
「あのときの“母との会話”は、いまも私の中に生きています」
彼女の声に、どこかで涙をすする音。
観客席には、初老の記者──斎藤の姿もあった。
カメラマンにまぎれ、目立たぬようにメモをとっている。
式典後、控室でひよりはひとり、母の写真に視線を落とした。
あの日のスーツ姿──教育センターへの道。
誰にも知られず、こぼれるように咲いていた努力。
「ママ、わたし、ここまで来たよ」
目を閉じると、あの日テレビで作文を読んだときの感触が甦る。
光が強すぎて、誰の顔も見えなかった。
でも、たしかに母の声があった気がした。
あれから10年。
小学生だった自分はもういない。
けれど、作文を書いた自分は、いまもこの中にいる。
あのときの痛み、誤解、そして──“残響”。
あれが、私をここまで導いた。
帰路。
父と並んで歩く春の並木道。
ふたりの間には、もう言葉はいらなかった。
「本、届いたら見せてくれよな」
「うん。……解説に、パパのことも書いたよ」
「えっ」
「“深夜にプリンを買ってきてくれる父”って」
遼が目をまるくした後、ふたりで笑った。
この10年間を振り返るように笑った。
青帆湾に風が吹く。
その音は、どこかで“プロンプト”と呼ばれた。
ひよりは机に向かい、次の作品のファイルを開いた。
タイトルはまだ、決まっていない。
でも、確かにわかっていることがある。
それは──
「ひとりで書いたと思ってた。けど、ほんとうは──」という感覚。
この言葉を、きっと誰かに届けるために、
今日もまた、彼女はキーボードに手を伸ばした。
その傍らには、今も静かに置かれたUSB。
あの春の、残響とともに。
──第一部完。
トリガー:作文炎上──プロンプトは、残響だった。 名無しマッチ @matchlab
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