第三十五話「あのふたり」

「へえ、叶冴に。そりゃ奇遇だな」


 ――診療所に帰宅してから。

 買った食材を整理しながら、ロックは買い物中の出来事をゼクスに話していた。

 その主な内容は、叶冴に出会ったことだ。ロックは久しぶりに出会った彼の様子を、にこにこと笑みを携え、嬉しそうに話していた。


「うん。久しぶりに会えたから、なんだか嬉しかったな」


 そんな実の兄の話を、ゼクスはテーブルに頬杖をついて聞いていた。

 そのまま冷蔵庫の中に食材をしまっている彼の背を眺めていると、やがて「……ん?」と疑問符を浮かべては、「叶冴だけか? 瓔珞は?」と、買い物中にも幾ばくか名前が挙がった瓔珞のことを口にした。


「一緒じゃなかったよ。家で寝てるから、その間に買い物を済ませたかったんだって」


 食材の整理を終え、冷蔵庫の扉を閉めたロックがテーブルへと近寄る。ゼクスの向かいに用意された席に座ると、ふう、とひとつ息を整えた。


「……ま、そうでもないと一人で出かけたりしないか、あいつは」


 ぼそりと呟くように言うと、ゼクスは頬杖をつくのをやめ、椅子に深く座り直した。

 「だろうねー」間延びした返事がロックから返される。その表情は苦笑にも似たものだった。


「……あの」


 そんな彼らの会話を側で聞いていたフェエルが、ふと声を掛ける。

 何事かと思いロックとゼクスが振り向くと、フェエルはおずおずとその小さな口を開いて続けた。


「瓔珞さまは、どんな方なんでしょうか? ……お話を聞けば聞くほど、よくわからなくて」


 おそるおそる尋ねる彼女の表情には、困惑に近い感情が入り混じっているようだった。

 それを見かねた二人は、「あー」と声をあげると、気まずそうに顔を見合わせるばかりだった。




第三十五話「あのふたり」




「……どんな奴、ねえ」


 椅子に座りながら腕を組むと、ゼクスはそのまま黙り込んでしまった。その表情は包帯のせいで窺うことはできないが、きっと心底悩んでいるに違いないだろう。

 その向かいにいるロックも、また然りだった。「うーん」と悩ましい声をあげると、首を傾げて考える。

 その間も、フェエルは不思議そうに二人のことを見つめたままだった。


「……一言に言うと、難しい奴って感じだな」

「難しい……ですか?」

「そ。何考えてるのかわかんねーし」


 確かめるようにフェエルが復唱すると、お手上げといったようなしぐさを見せるゼクス。

 「おまけに、兄貴は嫌われてるしな」と続けると、そんな彼女の言葉に「ぐ」と苦悶の表情を浮かべるロックの姿がある。彼はがっくりと肩を落とすと「その点、ゼクスは仲良いもんね」と羨まし気にじとりと見やった。


「仲良いっていうか、別に普通だろ」

「普通、が羨ましいんだよ」


 何食わぬ顔で言えば、ゼクスは面倒くさそうにそっぽを向く。

 それにぷくーと頬を膨らませると、不満そうにロックがため息をついた。


「……私もいつか、お会いできるでしょうか?」


 そんな二人を見かねて、フェエルが再度尋ねる。彼女が持つ薔薇柘榴石のような双眸は、まるで二人の様子を伺うように、控えめな視線を向けていた。


「会えんじゃねーの? 一応ここの患者だしな」

「……自分からは、滅多にここに来てくれないんだけどね」


 それにゼクスが早々と答えるものの、横から刺すようにロックが言い加える。

 その様子はやはりどこか残念そうで、思わず苦笑を漏らすほどだった。


「それに、ほんっとうに難しい子だからなあ。会えたとしても、仲良くできるかどうかはまた別なんだよね」

「叶冴以外の人間があいつに接するのはまあ、骨が折れるっつーか……」


 嘆くように話す二人からは、苦労が垣間見えるようだった。

 困ったようにその様子を見ていたフェエルは、ゼクスが挙げた叶冴の名前を聞いて、「そういえば」と思い出したように口にする。


「叶冴さまも、患者さまなのですよね?」

「ああ、彼は……」


 フェエルの疑問に答えようとロックが口を開いたものの、その先に紡がれる言葉の行方は、なかなか明らかにならなかった。

 瓔珞の時と同じで、何か言葉を選んでいるようだった。「えーっとねえ……」場を持たせるために口にするものの、やはり続きは語られない。

 その様子をじっと見つめるフェエルの視線を感じること数秒、やがて徐に口を開くと、控えめな口調で説明し始めた。


「……ちょっと特殊な体質でね。定期的に様子を見てあげる必要があるんだ」

「特殊な、体質……ですか?」


 不思議そうにフェエルが尋ねると、「そうだね、例を挙げるとしたら……」とロックが続ける。


「……身体能力が、逸脱してるとか?」

「身体能力……たとえば、足がとっても速い、とかでしょうか」

「うん、めちゃめちゃ速いね。たぶんそこらの車よりも速いよ」

「く、車より? 本当ですか?」


 驚きからか、薔薇柘榴石が幾度も瞬きを繰り返した。

 それにロックが「本当だよね?」と首を傾げてゼクスに問えば、「本当だよな」と頷いて、お互いに顔を見合わせるばかりだった。

 「す、すごい方なんですね……」唖然とした様子でフェエルが言う。「うん、すごいんだよね」ロックが苦笑いとともに返せば、「すげーよなあ」とゼクスまでもが反応した。


「まあ、あの二人に関しては、いずれいろんな形で関わるようになるだろ」

「そうだね。そのときは、フェエルちゃんもお手伝いしてくれると助かるな」


 にこやかに問うロックに、意気込んだ様子で「はい!」と返事をしてみせるフェエル。

 それに「ありがとう」と返せば、「じゃあ、そろそろカレー作ろっか」とその場に立ち上がって、ロックはキッチンへと向き直った。






 少々年季の入った集合住宅の一室――。

 その玄関扉を開けると、叶冴は静かに室内へと入っていく。その足でまずキッチンへと向かうと、先ほどの買い物で購入した食材が入っている袋を置いた。

 続いて向かうのは、寝室だった。叶冴は寝室へとつながる扉をそっと開けると、その中の様子を、覗き込むように窺った。

 薄暗い部屋だった。カーテンは閉め切られ、照明のスイッチも入れられていないようだった。


「……


 そんな部屋の中から、少女のような声がする。叶冴はそれを確かめると、目を凝らして室内を見た。

 部屋の中央に置かれたベッドの上に、一人の少女が座っていた。彼女は叶冴のことを見るや否や、彼のことを叶冴ではなく『ひっひ』と呼び、じっと見つめていた。


「……瓔珞」


 瓔珞――叶冴が照明のスイッチを入れながら、少女の名前を呼ぶ。ぱっと明るくなった室内に、彼女は眩しそうに顔をしかめ、その桃色の瞳を細めた。


「……起きていたのか」


 そんな彼女の様子を見ながら、叶冴はベッドへと近付く。やがて腰かけた彼を見ては、瓔珞はため息をついて、至極つまらなさそうにベッドシーツの皺を指で弄び始めた。


「……私のこと、諦めて逃げ出したかと思ったのに」

「……少し買い物に出かけていただけだ。それに、俺が逃げ出すわけないだろう」


 嘆かわしそうに話す瓔珞に、叶冴がきっぱりとした口調で言い返す。

 そんな彼をちらりと見やると、本日二度目のため息を零して、瓔珞は背中からベッドに倒れた。

 柔らかな枕と、マットレスが彼女の身体を優しく受け止める。彼女の黒い髪が、シーツの上に広がった。


「……店で医者に会った」

「ろっくんに?」


 叶冴が買い物途中でロックに出会ったことを話すと、瓔珞が確かめるようにその名を聞き返す。

 ただし、それはロックではなく、『ろっくん』と、彼女がロックにつけたあだ名だった。


「……お前のことを、色々と心配しているようだった」


 叶冴が言うと、瓔珞は今日何度目かのため息をついた。心底嫌そうに瞳を細めると、「……余計なお世話なんですけど」と呟いた。

 瓔珞がロックのことを嫌っているというのは、まさに本当らしい。


「……そういえば、見かけない女を連れていたな」

「女? ……ゼーちゃんじゃなくて?」


 この『ゼーちゃん』というのも、瓔珞がゼクスにつけたあだ名だった。

 瓔珞が不思議そうに尋ねると、叶冴が「……フェエルとか言ったか。診療所の手伝いをしているらしい」と返答する。

 「フェエル……」確かめるようにその名を呼ぶと、「そうなんだ」と口にしたっきり、彼女は寝返りを打って叶冴に背を向けた。


 数分の沈黙を挟んで、やがて叶冴が立ち上がる。彼が首から下げているネックレスがしゃりんと音を立てて、その身を主張した。


「……何か食うか? 果物なら買ってきたが」

「……や、今はいい」


 瓔珞の返事を聞き遂げると、「……そうか」とだけ返して、叶冴は寝室から出て行く。

 寝室の扉が閉められたことを音で確認すると、瓔珞はまたひとつ大きなため息をついて、静かに目を閉じた。

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