2000分の1の微笑

七海ポルカ

第1話





 リビングの端に何も描かれてない絵のキャンバスのようなものが一枚。

 その上にこんもりと青い細々とした欠片のようなものが三つ山形に積んである。



――何の儀式だ。



 貴田きだは立ち止まってそれを見下ろし、まずそう疑問に思った。


 こうしたのは朱理しゅり以外に無いのだが彼女は不在の時に部屋を散らかして行くタイプではない。となると少し外に出ているのだろう。

 とりあえずソファに鞄と上着を脱ぎ捨てた。冷房のスイッチを入れる。

 外はひどい猛暑だ。

 一度水を浴びたいと貴田は浴室に入りシャワーだけ浴びてすぐに上がった。

 部屋着に着替えてタオルで髪をわしわし拭きつつリビングに戻ると。


「貴田さん、お帰りなさいー」


 例のキャンバスの前に座って朱理が手を振っている。

 側に汗をかいたペットボトルが置いてあるから近くのコンビニにでも行って来たのだろう。

「今日も暑かったねぇ」

 言いながら朱理はキャンバスの上で青い欠片を弄っている。

 貴田は側まで行って、中腰にしゃがんで青い欠片の一つを手に取った。

「……。何だ」

「何ってパズル。ジグソーパズル」

「それくらい知ってる」

 朱理が遠くにあった箱を引き寄せ、まるで言いつけるみたいに貴田にそれを見せて来た。

 箱の表紙には青い海の写真が貼ってある。

『海の底』と書かれている。

 丁度透き通った海中を撮ったような写真だ。

 何となく所々に地上の光めいたものが映り込んでいる気はするがとにかく青一色、魚などの姿も何も無い。

「ここでやってもいい? あんまり散らかさないから」

 もともとまともに使っていない部屋だ。断る理由もない。

「ああ」

 やったー、と朱理は喜びフローリングの上に青い欠片を広げて一つずつ表に返し始めた。


「もう今年暑すぎて外出たくないよー。油断するとすぐに焼けちゃうし肌も何か痛いし……薄着だからナイフも仕込みにくいし、なのに変な男は常に声かけて来るしー」


 薄いキャミソール一枚に細身のデニムパンツを穿いた朱理がぼやいている。

「苛々してつい飛び蹴りを食らわしたくなっちゃうから、自重しなきゃ」

 えへ、と笑っている。

 朱理は角のピースを見つけると、キャンバスの右上において次に一つずつ無作為に青い山からパズルをとって色んな角度で当てはめて行く。

 貴田はその作業を見てちょっと待てと声を掛ける。

「それはそうやってやるものか?」

「?」

「一つずつ当てはめてくつもりか、これを?」

 こんもりとした山を指差す。

「そうだけど」

「何か先に手をつけるとこねえのか。目印とか」

「ほとんどない。だってほらこれ全部青いでしょ、でもねこっちは少し色違うんだよ。みてこっちの青と、こっちはちょっと水色、こっちは緑がかってる。目印、そのくらい。だからローラー作戦で一個ずつピースが合うか確かめないと」


 三つに分かれた山の意味を彼女は話した。

 言われてみれば少し色合いは違うが……それにしてもささやかな変化である。

 場所を明確に特定するようなものが一切無いパズルだ。

 朱理はそのピースをぺたぺたと確認作業のように右上の角のピースの接続部分に当てはめて行く。当てはまらなかったピースをフローリングの模様に沿って一つ一つ並べて行く。2000ピース。道のりは遠い。


「お店の人に一番難しいの下さいって言ったらこれくれたの」

「楽しいか」

「楽しい! 何のヒントも無いピースをひとつひとつ当てはめて行ってぴったり合うと気持ちいいの」

「何年掛かるんだそれは……」

 貴田は呆れて側から離れた。

「何年も掛からないよう。一夏で終わらせる。貴田さんもやるー?」

「やらん。ちまちました作業は煩わしい」

「あら、細かい活字はお好きなくせに」

 朱理は鼻歌を歌いながら青いパズルのピースを一つずつ動かして行った。



 それから――朱理はこの長編に没頭し始めた。



 七月の半ばすぎ。

 東京の夏の暑さを嫌い、彼女は朝昼をどうも連日貴田のマンションに、この戯れをするために通い始めたらしいと理解した。


 一週間ほど経って家に戻ると、予想に反してキャンバスの青が増えていた。

 朱理が地道にこの家に通ってる成果である。

 パズルの山は完全に解体されていて家にあった盆の上に青いパズルが一つずつ綺麗に置かれて整列していた。

 しゃがみ込んでみると、形によって分類されている。

 意外だった。

 朱理は貴田の前ではどちらかというと大らかな性格を見せる。

 だらしない訳ではなく奔放なので、ビシリと整列させた青パズルの列は、常人よりもむしろ神経質な別の人間の手によって作られたように感じられたからだ。


 こんな一面もあったのか。


 細かいピースを確実に噛み砕き並べているその様子には、情報整理と整然とした視界を愛する人間特有の執心が見て取れた。

 貴田もどちらかというと乱雑にされているものを見ると神経に障る方なので、ああ朱理が一番最初にこの部屋に転がり込んだ時から、ここを気に入ったと言っていた理由はつまり、そういう部分の共有だったのかもしれないと思い至る。


 考えてみれば情報屋としての朱理の仕事ぶりは緻密なのだから、元来彼女はむしろ奔放ではなく整然とした環境を好むのかもしれなかった。

 キャンバスの前にしっかりと居場所のように置かれた座布団を見て貴田は苦笑する。


 翌日、朝起きて寝室を出ると夜のうちに来ていたらしい朱理がキャンバスの前に座り込んでちょこちょことピースを動かしている姿があった。

「……何だ来てたのか」

「あ、おはよー貴田さん」

「何時に来たんだ」

 貴田も帰ったのはすでに二時を越していた。

「んー、三時過ぎくらい?」

 彼女はキャンバスと睨み合ったまま答える。

 貴田は時計を見た。今は五時。

 ガキは徹夜しても元気だな……と貴田が呟きながら朝の支度をする為に浴室の方へ消える。

 十五分ほどしていつものように全ての支度を整えた貴田がリビングに戻ると、十五分前までは瞬きもせずにパズルと向き合っていた朱理が同じ場所でピースをいじっていた姿のまま完全に眠っていた。突然電池が切れたみたいな体勢だ。

 貴田が呆れたような顔になりハァ、と溜め息をつく。


 俺が敵方の暗殺者だったら確実に今、こいつを殺すな。


 まるでひなたぼっこしている猫がそのまま眠っている姿と全く一緒で、朱理は正座を崩した姿のまま上半身をフローリングの上にそのまま伏せて、要するに身体をつりそうな体勢のまま器用に寝ていた。

 

「朱理、おい。夏だからってんな所で寝こけるな」

「……ん~……寝てないよぅ……」

「せめて目ェ開けて言え」

「はぁい……」

「ちゃんと寝室に行って寝ろ」

「……別に、眠くないからいい……」

 朱理の指先から握っていたピースがぽろっとキャンバスの上に落ちた。

 この有様でもまだ言うか。

「朱理」

 起きろというつもりで頭に触れたのに気持ち良さそうにすり……と手に甘えて来た朱理に、貴田は口元を引きつらせる。

「朱理……てめぇ、起きねえとこのパズル踏みつぶすぞ!」

「……ふふ……やだよぅ……貴田さんってばちょっとSっ気なんだから……でもそんなところもすき……♡」

 うふふ、むにゃむにゃ……と聞く耳持たず暢気そうに座布団の上に寝そべった朱理にブチッと貴田が切れて、彼女の首根っこを猫を持ち上げるように掴むとそのまま寝室のベッドの上にぽいっと投げ捨て寝室の扉をバン! と閉めた。



◇   ◇   ◇



貴田きださん、今から部下連れて飲みにいくんですがよろしければ一緒にどうですか」

「あぁ……」

 事務所のデスクでずっと作業していた貴田は、顔を出した久瀬くぜに誘われ、もうそんな時間かと腕時計を見た。

 それからふと目を瞬かせ手の甲を振った。

「いえ、今日は結構です」

 おや、と久瀬はサングラスを額に上げてへらりと笑った。

「先約がおありでしたか。そりゃあ失礼しましたね」

 貴田はまだ何か言いたげな久瀬を無視し、側のパソコンの電源を落として立ち上がった。



◇   ◇   ◇



 ――扉を開くと、昨日とは違う靴があった。


 リビングに明かり。

 入ると、例の場所に朱理が座っている。

 貴田の方を見て「おかえりなさーい」と笑いながら手を振っている。


 こういうことをされると、貴田は一応東京では名のある組織で幹部などをやっている自分が何者なのか、分からなくなって来そうな気がした。

 しかし「俺に懐くんじゃねえ」と言うたびに朱理が「拾って介抱したの貴田さんでしょ」とおかしそうに笑って反撃してくるものだから、閉口する。

 人間、魔が差したって表現があるだろうが。


「美味しいフルーツタルト買って来て冷やしてあるから、あとで一緒に食べよ♡」


 貴田は額を押さえて今年の夏の暑さを恨みがましく思ったのだった。



◇   ◇   ◇



 ソファに寝そべって本を読んでいる。

 珈琲が空になったので入れ直そうと身を起こした。

 すると貴田はふとそこから見える朱理の後ろ姿に気づいて、何となくそこからしばらく眺めた。ほっそりとした女の背中をこうもじっと眺めたことはあまりない。


 とにかく、この女は出会った時からどこか一カ所にジッとしていない性格をしていたからだ。


 薄いワンピース一枚の姿で背中に緩く巻いた黒髪はフローリングの上にふわりと広がっている。朱理がああやって座ると床に髪がつくのだということもこの夏に気づいた。 

 朱理がそこに座っている後ろ姿を見慣れている自分に気づく。

 確かにこの夏の盛りに軽装出来ない自分の立場を呪いながら、外をウロウロする気にもならず、仕事が片付けば何も考えずこのマンションに戻っていたのは無意識だが、それでもリビングの入り口に立っていつものポジションに朱理がいるとまたかと思い、いないと何か足りないような気分になっていたかもしれない。


(よく飽きないな)


 夏の始めからいつもあそこに座り熱心にパズルをちょこちょこ動かしている姿に貴田は内心呆れつつ、もう黙認を決め込んでいる。

 立ち上がり、台所で丁度無くなった湯を沸かし珈琲を入れる。


 こつ。


 フローリングに置かれたコーヒーカップに真剣な表情でパズルと睨み合いをしていた朱理が目をぱちぱちとさせた。

 ほら、と貴田が自分の入れるついでに朱理にも珈琲を置いてソファの方に戻って行った。

 ソファに足をあげて再び本を捲った貴田を目を輝かせて見遣った『猫』は大切なパズルのピースをキャンバスの上に投げ出してこちらに駆けて来た。


「貴田さん」


 朱理が貴田の上に乗り上げて胸の上に甘えかかって来る。


「貴田さん貴田さん」


 貴田は顔を顰める。

「……なんだ。邪魔だから下りろ」

「貴田さんの体温が欲しくなったの」

 などと言いつつ朱理は貴田の胸に顔を埋めている。

「連日こっちにケツ向けて座っててよく言うな」

「なぁにちょっと寂しかったー?」

「何を馬鹿なことを……」

 貴田が溜め息をつく。


 俺にそういう発想があると思ってるのが、この女の不思議な所だ。


「私は寂しかったよ。貴田さんが珈琲入れてくれて、貴田さんに触ってないこと思い出しちゃった! 集中してたのにー」

 すり、と薄い服に包まれた柔らかい身体を意図的に寄せて来た朱理の唇が貴田に重なろうかという寸前にガッ、と堅い音が甘い空気を切り裂く。


「いったい!」


 彼女は悲鳴を上げて貴田の上で起き上がる。


「叩いた!」


「本の角が当たっただけだ。変な角度ですり寄って来るから。人の読書を邪魔するから天罰下ったんだろ。自業自得だ」

「バシッて叩いたもん!」

「大体自分は思う存分集中して他人の集中は勝手に乱すってその心根が気に入らねえ」

 貴田が辛辣に言うので朱理がぷーっと膨れて顔を背けている。

 しかし貴田が無視して本を読み続けると、貴田の脚を手で揺すってねだっていた朱理も今は相手にしてもらえないと諦めたのか、彼の上から下りてまたパズルの方へとぺたぺたと歩いて行った。

 座布団の上に伏せてキャンバスと向き合う。


 ――と。

 

 貴田の携帯が鳴った。

 サイドテーブルの上に置かれた携帯に手を伸ばす。

 メールを見るとメール受信の欄に朱理の名前があり、貴田はちらと朱理の背中を見た。

 向こうはこっちを振り返る様子は無い。

 また妙な遊びを……と携帯を戻そうとしたが、今までの経験上無視して携帯を戻せば「読んでよぉ~っ!」とまた朱理が大騒ぎするのは目に見えているのでやれやれ……という心境でメールを見てやった。

 サブタイトルに何故か犬の肉球マークがついていて、本文に『今日は何時にお休みになられますか』と書いてある。

 貴田はまず表現するならば気ままな猫というのが一番似合っているだろう朱理が、犬の肉球マークを使用したことに強い不満を覚えて注意したくなったが、とりあえず『あと二時間後ぐらいだ』とだけ短く返した。


 向こうでメール着信の音が流れ、すぐにまたこっちが鳴った。

 今度はサブタイトルの肉球マークが二つに増えている。

 本文に『じゃ二時間後には私に構ってくださいね』と書いてあった。



『気が向いたらな。あと犬の肉球マークはお前に使用許可は下りてない』



 受け取った朱理が向こうの方で嬉しそうな声を上げて笑っている。

 彼女は機嫌良く鼻歌を歌いつつまたパズル作業に戻ったらしい。

 貴田は子供の相手をしている気持ちになり、呆れながら読書に戻ったのだが、数秒後「あっつい!」という悲鳴が向こうで上がって、カップを床に転がす音が聞こえた時にはさすがに声を立てて笑ってしまった。


◇   ◇   ◇



 ――メシの材料なんか買って来い。


 意外な言葉が聞こえすぐ部屋から貴田の部下が出て来た。


「おや珍しい。最近貴田さんはよくマンションの方にお帰りですねえ。あの立派なマンション、蜘蛛の巣張ってんじゃねえかなっていうくらい帰ってないことも多かったのに」

 

 何か山積みされた資料を見つつパソコンに打ち込んでいる貴田は、入って来た久瀬くぜに一瞥を与えたが特に何も言わなかった。

 久瀬はソファにどっかと腰掛ける。

 確実に自分の身を飾る装飾品というよりは殴った相手にダメージを上塗りするために嵌めている、派手な指輪や腕輪をジャラジャラと鳴らしながら、自慢の武器である自分の腕を楽し気に眺めながら、わざとらしく話し始める。


「いやぁ今年は特に暑いですねぇ。――貴田さんがそんなお料理上手とは知らなかった。さすがは腐ってもインテリ。やっぱり器用な人だねあんた」

「そうですか? メシくらい作りますよ。独身なんでね」

「おや貴田さんが食べるんですか? 俺ァてっきり貴田さんのトコにいる可愛い猫ちゃん用かと……アハッ」

「これぶち込まれたいんですか、久瀬さん?」

 貴田が手に持っていた煙草を揺らしてみせる。

「やだなー。貴田さん。この猛暑に火傷なんて御免ですよ」

 久瀬がだらしなくソファの上に仰向けになった。

 気ままな猫が何にも考えずにソファを占領する時の仕草のようだ。

 そういえば、朱理も時折この仕草をすることがある。


「そういやこの夏、東京の街によくいた可愛い子猫ちゃんあんまり見かけねえなぁ……たまに声かけて美味しい餌とかやるとすげぇ喜んでくれて可愛いから気に入ってたのにさ。……華奢で色白だからこの猛暑でどっかでへばってんじゃねぇかな? 心配でなんねえよ」


 久瀬は足を伸ばして部屋の隅にある観葉植物の葉を突ついている。


「俺ァ猫が好きだからさ。寂しいのなんのって。代わりに――貴田さんのとこの猫ちゃんに会いてぇなァ~~。」


 にやにやとそんな風に喋り続ける久瀬に貴田は溜め息をついた。

 このクソ暑い夏にこれ以上、この暑苦しい喋り方をする男と遣り取りを続けたくないと思ったのだろう。

「うちの猫は癇癪持ちですが」

 久瀬はソファに寝そべったまま声を出して笑った。


「そりゃ、ますます俺の好みだねえ」



◇   ◇   ◇



 ガチャンと扉を開くとやはり今日も女物のヒールの高いサンダルがあった。


 久瀬くぜが長身を折るような素振りで、玄関から入り廊下を鼻歌まじりに歩いて行く。

 リビングの入り口から顔を出した久瀬に、朱理はいつもの座布団の上で嬉しそうな声を上げた。


「おかえり……あれーっ? 久瀬さん?」


「ははァ、なるほど。貴田さんが連日マンションお泊まりの謎が、俺ァ今綺麗さっぱり解けましたぜ」


 久瀬はサングラスを頭の上に上げると朱理の側まで行き、しゃがみこんでぐいぐいと朱理の頭を撫でている。手つきが完全に猫を撫でるやつだ。


「見て見て随分出来て来たでしょ! 七月の終わりくらいからずーっとちょっとずつやってるの。あっ、お帰りなさい貴田さん」

「ああ……」

「どうしたの二人揃って、珍しいね」

「愛の巣に突然お邪魔しちゃってごめんねェ。最近嬢ちゃん街で見ないからさ。つい寂しくなっちゃって」

「久瀬さーん、私も寂しかったよう!」

「嬢ちゃん~」

 ぎゅーっと抱き合っている久瀬と朱理に、貴田は暑そうにシャツの襟を広げる。

 それからしゃがんでいる久瀬の背中を脚で踏みつけた。

「とっととメシ作って入場料払え久瀬」

「あでででで……ちょっと! 癇癪持ってんの貴田さんの方じゃないの」


「きゃーっ! ちょっとヤダぁ、ここで暴れないでよ、もぉ! パズル壊したら二人とも殺すからね!」


 朱理が遣り合う二人の長身の男の前で、両腕を広げてパズルを庇う素振りを見せた。

 それからふと気づいたように小首を傾げる。

「ん? メシ作るって久瀬さんが?」

「うん。折角お邪魔したんだ。メシぐらい作らなきゃ罰当たるからね。ちなみに献立はそうめんと肉じゃがだ。組み合わせが悪いのは貴田さんの部下のせいで久瀬さんのせいじゃありません」

「熱いんだか冷たいんだかはっきりしろってんだ……」

「わぁ、私どっちも好き! ねぇねぇじゃあ今日はここで三人でご飯食べれるってことー?」


 楽しそーっと目を輝かせた朱理に、貴田と久瀬が顔を見合わせる。

 貴田が髪を掻き、久瀬があっはっは! と笑い出す。


「?」

「いやいや……嬢ちゃんはいつだっていいこと言うなと思ってね」

「? そう? あっ、丁度私スイカ買って来たのスイカ! 冷やしてあるから後で皆で食べようよ~!」


 結局、朱理は家に三人いるという初めてのシチュエーションがよほど面白かったのか一旦パズルの手を止めて久瀬の料理を手伝うことにしたらしい。


「へぇ~久瀬さん料理手慣れてるねぇ」


 野菜を切ってる久瀬の手元を隣で見ながら朱理が感心してる。

「いやァ、そりゃ作れるよ。簡単なモンくらいパパッと作れねえとこの歳で独り身はやってられないからね」

「そうなの? 久瀬さんならそんなことしないでもぶちのめした奴にご飯作らせたら自分で作る必要ないのかなって思ってたけど」

「ちょっと! それどういうイメージ⁉ というかぶちのめした奴に作らせたご飯とか絶対美味しくないでしょ! 悲しすぎる食卓でしょそれ! せめて久瀬さんならご飯作ってくれる彼女さんいるように見えたとかにしてくれない⁉ なんでぶちのめした奴限定のイメージ⁉」

「だって久瀬さん付き合った女の数よりぶちのめした野郎の数の方が多いでしょ♡」

「そんなことない。俺だって頑張れば付き合った女の数だって…………ないか」


 本来久瀬の前で瀕死にさせられた人間の数を言及するのは「んじゃお前もその数に加わるか?」という起爆スイッチを押すので厳禁なのだが、朱理は恐れ知らずなもので笑い飛ばしている。

 久瀬も何故か、普段は昨日その辺の高校を卒業したような年齢にしか見えない朱理に明るく笑いかけられてこういうことを言われると、全く気にならないのだ。

 朱理は若い娘だったが、

 内側にはもっとパワーを感じる。

 貴田や久瀬もそうだった。

 貴田はどこからどう見ても普段有能なビジネスマンのようにしか見えないが、一旦彼の気に障ると躊躇いもなくこの稼業らしい気性の荒さで相手の顔面に拳を叩き込んで来るし、

 久瀬も、いつもは口笛を吹きながら巡回パトロールのように東京の街をふらふらと歩き回っているが、因縁を付けられた途端に内に普段秘めている凶暴性が爆発する。


 久瀬が感じる朱理の本性は、実は自分たちの方にずっと近い。


 この女も、とんでもない破壊力を内に秘めた女だ。

 これでまだ朱理は十代だ。ついこの前十九歳になったと言っていた。

 まったく十年後が末恐ろしい、と久瀬は今からワクワクしている。


「貴田さんもね、あんなだけどこの前ムカつくぐらい綺麗に魚下ろしてたの」

「ムカつくぐらいって何だ。下の棚開けるからそこどけ、朱理」


 玉葱の皮を剥いていた朱理がしゃがんで、後ろの棚を開けている貴田の背中に座る。

 ちなみに貴田の背中に座ったことがある女は朱理だけだ。

 そこらの女がこんなことしたら、多分翌日には東京の人口が一人減っているだろう。


「だって料理してる時の貴田さんも格好良くてなんか悔しいんだもん。なんかもっとカッコ悪い所見せて欲しいなあ」

「乗るな。くっそ……久瀬がいると狭いな部屋がァ」

「ちょっと。八つ当たりしないでよ貴田さん」

 玉葱を四つ剥き終えて朱理が再び久瀬の隣で人参を切り始める。

「ねえ久瀬さん。何か一つくらい出来ないことないのかな貴田さんって。私ばっかりドキドキしてて不公平だよー」

「可愛いねェ嬢ちゃんは。料理に関してはあれだァ、うちの会長が独身のヤクザは自分でメシ作れメシ作るの嫌だったら女房貰えってのが方針だから大概作れるよォ。ね、貴田さん」

「ありゃ独り身の時のわたるさんに言った言葉なんだけどな」


 食器を探している貴田に朱理がしゃがみ込んで手を貸す。


「貴田さんそうめんはこの器に入れようよ。透明でこっちの方が綺麗。こっちがいい」

「じゃ、あとは……」

「スイカ並べる大きな器。あとお味噌汁用のお椀もあったら一つ出して。……というかこんなに新しい食器あったんだねぇ。見て見て久瀬さんこれ全部贈り物だよ」

「さすが交渉人。顔の広い人の所にゃ食器が集まるんだよ嬢ちゃん」

「ふーん。あっ、目が痛いかも……久瀬さん眼鏡かして眼鏡」

 牛肉を炒めている久瀬に玉葱を切っている朱理が言うと、久瀬が笑いながら彼女に自分のサングラスを掛けてやる。


「拳も合わせずに俺からサングラス奪ったの嬢ちゃんが初めてだ」


「貴田さんにタマネギ切らせれば良かったな。そうしたら初めて貴田さんの涙見れたのに」

「なに邪悪な作戦考えてんだ」

「嬢ちゃんみたいに美人さんの味噌汁飲めるなんてぇ俺は幸せだな~。なんかこうしてキッチンに並んで料理作ってるとさあ、新婚さんみたいだよねぇ」

「新婚さんみたいだって、貴田さん!」

「……あんた誰に許しを得て人の情報屋口説いてんです、久瀬さん死にたいか」

「おお危ねえっ、後ろからすんごい殺気感じるよ! 油使ってる時はふざけちゃいけねえって学校で教わったこと今こそ思い出そうぜ先輩」


 朱理がくすくすと笑っている。


「なんか楽しいねぇ。私学生時代も寮で個室の一人暮らしだったからこういうの初めてだよ? 変なの、家族みたい! ぷぷ」

 それを聞いた久瀬が鍋を煽りながら片手で朱理の頭をぽんぽんと撫でた。

 それから新しい食器を洗っている貴田に向って手を伸ばした。


「貴田さんそこの鍋に水たっぷり入れてこっち下さい。嬢ちゃんがこんなに喜んでるんだからいいじゃないですか。今日は喧嘩はよしましょう、勿体無い」


 貴田が無言で久瀬に鍋を渡す。

 よし、と受け取って久瀬はコンロに新しい火を入れた。

 男二人の間でその様子を見ていた朱理が青ネギを細かく切りながら、ぶぶーっと吹き出して笑っている。


「何て言うか……男の人ってたまにすんごく可愛いよね」



◇   ◇   ◇


 ――妙な食卓だった。


 だが並んだ飯の味はそんなに悪くなかったと、貴田きだは綺麗になったテーブルに新聞を広げグラスに入った酒を飲んでいた。

 すでにパズルに向き直った朱理がいつものポジションに戻ってちょこちょこと手を動かしている。

 リビングの入り口から久瀬くぜが髪をタオルで拭きつつ、そんな朱理を面白そうに眺めながら貴田のいるテーブルへと歩いて来る。

 そして椅子に片膝を立てて座った。

「すみませんね、風呂まで借りちゃって。俺ァこのまま外回りに出ますんで」

「構いませんよ」

「夢中ですねぇ……最近ずっとああなんですか」

「ほぼ」

「ありゃパズル言い訳にしてあんたの側にいたいんですよ」

「その割には俺そっちのけで熱中してますがね」

 ぶはっと久瀬が吹き出し、そこにあった空いたグラスに酒を注いだ。


「あそこがお気に入りの場所なんですね。

 リビングに入りゃ一番最初に顔が見れて、

 あんたがソファに寝てても振り返れば顔が見れるっていう。

 まったく考えることが可愛いなぁ嬢ちゃんは。

 もうこのままさ、貰っちまいなさいよ貴田さん」


「貰うも何もあんなもん、どうせパズル完成したら出て行きますよ。あとは暑いのが苦手だからここに逃げ込んでるだけです」

あんなもんっていう言い方ないでしょうが。

 久瀬は笑った。

 もうこの夏で見慣れてしまった朱理の細い背を見ながら貴田は涼しげに言った。

 しかし久瀬は刹那に過った貴田の表情に、この男もこういう顔をするのだなと正直少し驚いていた。

 この世界では冷血な男として知られる貴田が、朱理とこうして仕事以上の付き合いを始めてどれくらい経っただろう。

 半年くらいか?

 ……半年でこんなに人間が変わるのかと、最愛の女に告白することすら出来ずに永遠に別れることになった男は、少しの憧憬と羨望を覚えていた。


「想われるってことは幸せなことですよ。懺悔のつもりでこの機会に言っちまいますけどね。俺ァあんたと嬢ちゃんが出会いたての頃、あんたに秘密で嬢ちゃんに脅しかけたことがあるんですよ」


 貴田はグラスの氷をカランと鳴らして久瀬の方を見た。

「六本木のメギツネが【火鶯かおうの貴田】に手ェ出すんじゃねえよってね。聞いてませんでした?」

「いや。初耳です。……そう言えばあんた今でこそ朱理のこと甘やかしてますけど、当初やたら警戒してませんでしたか」

 ええ、と久瀬が笑う。

「嬢ちゃんならあんたを誑かせるかもしれないと思ったんですよ。……それでちょいと手荒に脅しちゃったことが。ああ、殴ったりはしてませんよ。少々首など絞めてみたまでです」

「バカですねあんた……、まあ首絞めて来た相手にこんなに懐くあいつもあいつですが」


「いやあ申し訳ないですよ。あれは本当に失敗だった。――だけどね、今のあんたと嬢ちゃんを見てると、目のつけどころとしては俺の目もあながち曇ってなかったんじゃないかってさ。だってあんた、嬢ちゃんにこうやって会うようになってから確実に違う一面出して来てるしな」


 だから許してくださいよ嬢ちゃんに手を出したことはぁ、とへらりと笑った久瀬に対して貴田は煙草に火をつけて目を僅かに伏せた。


「おや、どうしましたか」

「いや、あんたから見ても俺ァ変わってってるんですかね。この前会長にもそんなこと言われた」

 久瀬はグラスの酒を飲みながら首を傾げる。

「誉めたつもりでしたが……」

「そうですかね。俺にだって自覚くらいありますよ。客観的に自分見るくらいのことは出来ますからね」

 朱理には聞こえていないことを理解した上で貴田は言った。


「俺はあの女に会ってから、自分が随分人間臭くなってってる気がしますよ。それは火鶯会かおうかいにとっちゃ一概に喜ばしいこととは言えねえんじゃねえかって思うんだが」


 カラン、とまた貴田のグラスの氷が涼しい音を立てる。

 呆気に取られたような顔をしていた久瀬がくくっと喉の奥を鳴らし、その笑いは次第に大きくなりついにはあっはっはと膝を叩いて笑っていた。


「逆だよう、そりゃ。貴田さん」


「……?」

「あの嬢ちゃんがあんたに会って、人間らしくなってってんのさ。

 あんたに嬢ちゃんが惚れなかったら【新堂朱理しんどうしゅり】は俺の予想通り、東京の瘴気にやられて本当の悪女になってたかもしれないしね。

 あの子が今大人しくあんな所でケツも背中も無防備にこっち向けて座ってられんのは、ここでそれを見てんのがあんただからじゃあないか。それ、あんたも分かってんだろ?」

「……。」

「貴田さんは街で嬢ちゃんを見かけたことが?」

「……まあ車乗りながら何度かは」

「俺ァあんたと違って徒歩で東京徘徊してることが多いんで、結構頻繁に嬢ちゃん見かけることがあるんですよ。街にいるあの子の雰囲気はあれとは別人です」

 あれ、と久瀬はパズルに熱中している朱理の背中を指差した。

「もっとギラギラしてて少しの隙も見せようとしない。人を信用してない証拠だ」

「……。」

「あんたのとこに転がり込んで来る前のあの子の評判も聞いたことあるが、とても同一人物とは思えないよ?」


 貴田も、朱理のことは出会った最初の頃部下に調べさせたことはある。

 優秀な情報屋。それ以外のことは出て来なかったので、早々に探らせるのは飽きて止めたが。


「この東京ってのは人を変える街だ。良くも悪くも……どっちに転ぶかは隣にいる人間次第ってことだよ。貴田さん」



◇   ◇   ◇



 ――夏の終わりが近づいて来た。


 一週間ほど見ない間にほぼ埋め尽くされたキャンバスがある。

 貴田はそれをじっと見下ろしていた。

 しゃがみこんで盆の上に並べてある青いピースを一つ取りあげて眺める。


「よくもまあ飽きなかったもんだ」


 飽きもせず毎日ここに座って。


『あそこがお気に入りの場所なんですねぇ』




 ――おかえりなさーい。




 ここで出迎える朱理の姿を、確かにもう覚えてしまっている。


 この青一面のパズルが完成したら、いたことを忘れるのにまた時間がかかりそうだと貴田は小さく溜め息をついたのだった。



◇   ◇   ◇


 八月が終わり、街に学生服がまた目立つようになって来た。


 貴田はしばらく仕事を抱え込んで忙殺され、自分のマンションに戻ったのは九月も二桁の日にちに入ってからだった。

 リビングに入ると朱理がキャンバスの前に座っていた。

 貴田がやって来ると「あ、帰って来た!」と顔を上げて背筋を伸ばす。

 主人の帰りを待っていた猫のような仕草。

 お帰りなさいと彼女は笑ったがすぐに眉を寄せた。


 貴田は上着を脱いでシャツの袖のボタンを外しながらソファに座る。

「出来てんじゃねえか。何で持って帰らない?」

 朱理がじいっとキャンバスの前で座り込んでいる。その体勢のまま動かない。


「完成してないの。」


 彼女は暗い声で言った。

 聞くと、どうしても一つピースが無いのだという。

 貴田が覗き込むと確かに一つピースが空いてる場所があった。

 だが2000ピースの右下の方に一つ空いたそれは全体としてはさほど目立ってはいない。


「そんなに目立たねえだろ。出来たことにして持って帰れ」


 えーっ、と朱理がたちまち不満の声を上げた。

「やだやだ、絶対やだよう! せっかくここまでやったのに何で最後の1ピースがないの⁉」

 ばしばしと朱理が悔しそうにフローリングを叩いてる。

「無いよう~っどうしよう、本当に無くしちゃったかも……私、そんなに雑に扱ったかなあ?」

 彼女は本当に泣き出しそうな声で頭を抱えている。

「貴田さん……この辺で1ピース落ちてるの見なかった?」

「いや、見てない。」

「わーん! もぉ、嫌! 最悪~!」

 朱理は貴田の元にやって来て、ソファに寝そべっていた貴田の上に乗り上げて彼の胸にしがみつく。


 こいつに初めて会った時、一番驚愕した仕草がこれだ。

 乗って来る。


 この女も手練れの情報屋なのだから【火鶯会かおうかい】の貴田が敵勢力の誰を、どうしたなどという情報は間違いなく掴んでいたはずなのに、最初からこの女はこういう言動に出て来た。


 街で聞く【新堂朱理しんどうしゅり】の噂は確かに、こういう色を含んでいない。


 若い女だが、どこの勢力にも属せず、自分の興味ある仕事しか引き受けない。

 しかし引き受けたならば、どんな場所にも潜り込んで目的の情報を入手して来る。


 パズルのピースが一つ無いだけで癇癪起こす子供みたいな姿など、こいつは外では全く見せていない。

 だが、貴田にだけは何故か最初からそうなのだ。

 それが死にかけていた時に拾って何となく気まぐれに手当など施したことと、本当に理由に繋がっているのか、いまいち貴田は確信が持てない。

 こんな慣れ合っても、朱理が自分や火鶯会に打撃を与えるような裏切りを行えば、容赦なく自分は報いを受けさせるだろうと思うのだが、いくら待ってもそういうことが起こらないから、不思議な慣れ合いがずっと続いている。

 

 今年の夏もこうだったから、

 来年の夏もこうなのだろうか。


 数日先のことさえ予想出来ない世界に生きる貴田にとって、

 そう考えることさえ未知の領域だ。


「……なんで一つだけ……」


 くすん……と本気で落ち込んでいる。

 朱理が全く自分の上からどかないので、貴田は面倒臭そうにぞんざいに彼女の髪を撫でてやった。

「分かった分かった、厚紙で同じようなピース作って嵌め込んで完成させろ」


「ヤダーッ! 貴田さん何言ってんの⁉ そんなの邪道だもん!

 ヤクザにだって破っちゃいけない掟、あるでしょ⁉

 ピースを手作りするなんてそんなの貴田さんのスーツについてる火鶯会の代紋、無くしたからって適当にその辺にある雑貨屋さんの黄色いピンバッジで代用するのと同じくらい罰当たりだよ! 私の美学にも反するの!」


「そりゃ大事だな」


 くっくと笑う貴田に朱理は顔を覆った。


「本気にしてない~~~っ! もおおおお意地悪~~~っ」


 二ヶ月掛けて頑張ったのにーと本当に残念そうに零し、貴田の胸の上で朱理はすっかりいじけて不貞寝を始める。


 それから三日連続で家に帰ったが、朱理はいずれも家にいて、服装も髪型も違うので確かに仕事をして来た後なのだろうが、まるで一日中そこでそうしていたかのようにじいっと不完全な青いキャンバスを眺めて落ち込んでいるのだった。

 ないよぅないよぅと言いながら同じ所を何度も探しては、またキャンバスの前の座布団に座りないよぅないよぅと鳴いている。


 三日連続の全く同じ反復行為にソファに座ってノートパソコンで仕事をしつつ、猫そのもの、と貴田がつい笑いを押し殺していることにも気づかないくらい彼女は真剣らしい。


 ないよぅないよぅと言いながら部屋をウロウロして、探し疲れると貴田の所にやって来て身体にしがみついてしゅんと落ち込んでみせる朱理の長い髪を、気まぐれに指で優しく撫でつつ、いつになく愉快な心境の貴田はそれを持ち前のポーカーフェイスに隠し「まぁそう落ち込むな」と心にもない声を掛けてやる。

 狡猾なはずの新堂朱理のこういう呆気ない素直さは、一体本当にどこからやって来るのか謎であった。


「貴田さん……見つけたらホントにすぐにメールで教えてね……私すぐ取りに行くから」


「分かった分かった」


 これでよく、この混沌とした東京の情報屋が務まっている。






(こいつ、俺が隠したとかは、一切考えないのか)






 交渉事を得意とする貴田は今から手札を出しても、自分の立場を一切傷つけず朱理を満足させこの騒動を全て円満に収める絶対の自信もあった。


 だが相手に一切の情けをかけない完全勝利こそが【火鶯かおうの貴田】の真骨頂でもある。


 火鶯会の事務所の灰皿に側のメモ用紙を重ねて置くと、貴田は指先に挟んで眺めていた青いピースにライターで火をつけた。

 ボッと、着火したそれを灰皿の中に投げる。

 メモ用紙にもすぐに火が引火し青いピースは飲み込まれて行った。



 貴田はふっ、と薄く笑うと煙草に火をつけ、椅子に深く腰掛けて明るい気分で目を閉じたのだった。



◇   ◇   ◇



 

 ――それから。



 ピースが出て来たら直ぐさま朱理に知らせ、朱理はピースが出て来たら直ぐさまパズルを完成させること、という約束で不完全な2000ピースのキャンバスは貴田のマンションのタンスの上に封印されることになった。


 そして朱理は今だに時々、貴田の胸の上で「見つからないなぁ……」と思い出したようにぽつんと呟くことがある。



 その呟きが、貴田を心で微笑ませている事実を彼女は全く知らない。






【終】

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2000分の1の微笑 七海ポルカ @reeeeeen13

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