白み初めて染まりゆく。

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

しらみはじめてそまりゆく。

 午前四時、私はそっと布団を抜け出して、ひとりベランダへの長窓を開けた。

 四月初旬のひんやりとした窓枠の取手が、まだ寒いよ。と知らせてくれる。聞き分けのない子供のようにそのまま窓を開けて、知らされていた肌寒さに身を浸し薄い彼のシャツを着て、ベランダで朽ちてゆくのを待つサンダルを履いて外へと出る。


 小規模都市の町は静かだ。

 営む音が消え、空も大地も空気さえも澄んでいる。

 聞こえくるのは、モノの音、動物の声、そして、自らの呼吸の音。

 愛用のシガレットケースの留め具を外し、幼子の小指のような細長いシガーを指の合間に挟んで取り出せば、夜の闇の中でも色を失わず鈍く輝いて見えた。


「おはよう」


 手にしたシガーに挨拶をして両手を上に向けて背筋を伸ばせば、固まっていた関節の節々が寝起きを唄う。そして程よい脱力感を味わいながら、そっと唇にシガーを咥えた。お婆ちゃんから譲って貰ったzippoのオイルライター、その慣れ親しんだ耳触りの良い音で蓋を開け火花を散らせば暗闇に黄金色の火が灯る。


 幼い頃、眺めるのが好きだった。

 小さなスナックを営んでいたお婆ちゃんの綺麗な手で包まれて、自らのシガーに、お客さんのシガーに、幸せを灯していた。


 お客さんが居ない時には吸わなかった、お店の二階にあった自宅は禁煙で、母がシガー嫌いだった事もあったから。


「シガーはね、誰かと吸うもんだ。一人で吸ったらダメなんだよ」


 何故、お店でしか吸わないのかと尋ねてみると、祖母はそう言って素敵な笑みを見せた。


「一日が終わって、一息ついて、お酒を飲んで、ゆっくりシガーを吸って、一日のすべてを吐き出して、誰かの煙と溶かしあって帰っていくんだ」


 早朝に目覚めた幼い私がベランダで外を見つめて立っていた祖母に、机の上に置かれていたシガーケースとオイルライターを持っていき、そんな話になった。


「それにね、朝は風を感じるもんだ」

「風を感じる?」

「そうさ、朝の風、特によく晴れた日の夜明けの風はね、色を纏うのさ」

「どういうこと?」

「見ていればわかるよ、こっちにおいで」

「うん」


 外にある腰掛けに座った祖母の膝上に保育園児だった私が座れば、ゆっくりと手が回ってきて、私をしっかりと抱きしめてくれる。背中の温かさが心地よくて堪らなかった。


「さぁ、朝の風が色を纏うよ、よく見てごらん」

「うん」


 空が白み始めてゆく。

 真っ黒だった空がその色を落として染まってゆく。

 薄い青へと染まってゆく。


「地球の色だね」

「地球の色?」

「そ、宇宙から地球を見た時と同じ色さ」

「ほんと?」

「今度調べてごらん、きっとあってるよ」

「うん」


 薄い青がやがて白色へとなり、お日様が顔を覗かせると、それは朝焼けに染まってゆく。


 そのときだ、風が吹いた、色を纏った風が確かに吹いたのだ。


 何色だったか、どんな風だったか、もう忘れてしまったけれど。


 オイルライターに灯る火を消しシガーケースへと咥えたシガーを戻してから、暗い夜空を見上げる、しばらくすると背後から声がした。


「おはよう、早起きだね」

「おはよ、目が覚めちゃったの」


 同じ指輪の光る手が私の頭をそっと撫でる。


「朝の風でも感じてた?」

「え?」

「違うの?」

「そ、そうだけど……」


 祖母と同じ言葉を口にした夫に驚き、戸惑った私に更に夫が言葉を紡ぐ。


「白み始めた、朝の風が色を纏うね」

「うん」


 その言葉に安心を得た私は夫へ背中を預け優しく受け止めて貰う。


 夫婦となって初めて迎える朝。


 風の始まりの色は、懐かしさと安心感、そして幸せを与えてくれた。

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白み初めて染まりゆく。 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki

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