第43話 ごめんね

 青い軽自動車は、あの日のように駅前にやって来た。

 荷物くらい乗せるの手伝えよ、と涼ちゃんが不満を言う。

 ハッチバックを上にあげて、彼は自分の荷物とわたしの荷物を車に乗せてくれる。

 帽子は、持ってこなかった。もっとも、もう必要のない季節だったけど。


「悪いな、迎えに来させて」

「いつものことだろう?」

「まぁ一応、礼くらい言っておこうと思ってさ」

 涼ちゃんがドアを開けて、乗るように促してくれる。但し、いつもと違うのは助手席ではなくて後部座席だということ。

 ぐるっと車の後ろを回って、涼ちゃんはわたしの隣に座ると、いつもみたいにするっと手を繋いでくれた。


「ふたりとも、シートベルト着けた?」

「大丈夫だよ」


 車はゆっくり走り出す。

 シャッターを閉めたお店が増えた商店街を抜けて。

「また店減った?」

「後継者、いないしな」

「モールもあるし、仕方ないのか」


 そんなつまらない会話をして、ふたりは無言になった。

 カーステレオは冬の曲を流している。オルゴールのような音が前奏に入って、backnumberの曲が流れる。その片想いを延々と歌うクリスマスの曲は、わたしの胸を突き刺す。

 涼ちゃんに気持ちが伝わってしまったのか、わたしの手を握る手に、グッと力が入る。

 青龍は何もなかったかのようにbacknumberをスキップして、次に流れたのは軽快なマライア・キャリーだった。


「これ聴くと、クリスマスって感じがするよなぁ」と涼ちゃんが言った。


 ◇


 車は見慣れた車庫に入って、ふたりがわたしの荷物まで母屋に運んでくれる。

「よく来たねぇ」とおばあちゃんが言って、後ろから少し大きくなったたけちゃんが飛び出してくる。

「りょー!」

「おお、まだ覚えてたか!」

 荷物を下ろして、涼ちゃんはうれしそうにたけちゃんを抱き上げた。


「妬けるんじゃない?」

 青龍がふっと笑って小さな声でわたしに言った。

「別にそんなことないよ。大体、たけちゃんは男の子だし」

「女の子だったら妬けるのか」

「だから、別に⋯⋯」


 喉元まで言葉がせり上っていた。

 いつか言わなきゃと思っていた言葉が、喉から出てこない。思い切って、口に出す。


「あの時、ごめんね」

「謝ることないって。俺の方こそ、自分の気持ち、押し付けて」

 その厚い手のひらが、頭の上にポンと乗って、「昼飯用意してあるから、配膳手伝ってくれよ」と言った。

 その言葉がありがたくて、うん、と答えた。


 食事の時も当たり前のように涼ちゃんはわたしの隣に座って、みんなに冷やかされる。

 明日香ちゃんが「あーあ、真帆ちゃんが義妹になってくれたら良かったのに。やっぱり田舎の男より、都会の男かぁ」とわたしを赤くさせることを言う。


 涼ちゃんがチラッとわたしを見てから「そんなことないですー。俺の粘り勝ち。しつこいからね、俺は」とみんなを笑わせる。

「確かにしつこそうだわ」と明日香ちゃんが返して、またみんながドッと笑う。


「まぁ、涼平は優しそうだしねぇ。ねぇ、真帆ちゃん、浮気されそうで心配じゃない?」

「うーん、心配にはならないって言ったら嘘だけど、約束してくれたから」

「どんな約束よ? まさかアンタ、プロポーズとかしてないでしょうね? アンタ、してそうだもん。彼女のこと束縛するタイプに見える!」

「あー、その辺はセンシティブな問題だからノーコメント」


 ノーコメント。

 確かにここでプロポーズされてもサプライズすぎる。

 いくら涼ちゃんがノリがいいとは言え、プロポーズにはまだ早いし、もうちょっと彼にも真剣に考えてからにしてほしい。

 センシティブな問題で良かった。


「だけど、真帆はこの家にはやらないから、そのつもりでいて」

 一瞬、食卓はしんとしたけど、次の瞬間、笑いに包まれた。


「アンタ、どこでもそうやって言ってんじゃないの?」

「そうよ、真帆ちゃん、固まってるじゃない」

「え、いや、わたしは⋯⋯」

 実際わたしはその台詞にはすっかり慣れていた。涼ちゃんはわたしを誰に紹介する時でも、同じように言ったから。

 涼ちゃんの友達は「涼平がフリーじゃなくなったって、泣いてる子、いっぱいいるよ」と笑った。


 青龍もみんなと一緒に笑っていた。

 心の何処かがホッとする。

 やっぱり、ここに来てよかった。


 ◇


 お風呂を上がると居間からふたりの声が聞こえてきた。

 夏と同じく、ふたりで飲んでるのかと思って、相変わらずアルコールがダメなわたしはパスしようかと思う。

 そこに、ふたりの話が耳に入る。


「お前さー、もっと上手くやればよかったのにって、恋敵の俺が言うことでもないけど」

「⋯⋯逢いたかったからさ」

「今の時代、ネットもあるじゃん? 離れててもコミュニケーション取れるんだよ」

「お前みたいに言葉がするする出てくるならいいけど、俺はそういう気の利いたこと、できないから」


「大体、俺が来る前とか何してたの?」

「一緒に買い物行ったり、飯の支度したり。それでいいと思ってたんだ。一緒にいて空気が良かったし⋯⋯」

「それは俺の勝ちだね。全力で行かせてもらったから」

「かもしれねーな。一緒にいる時間で何とかなると思ってた俺の負けだ」


「だってよ、真帆。隠れてないで出ておいで」

 おい、お前、と青龍は狼狽えた。わたしはちょこちょことふたりのところに向かった。

 立場がない。


「お前、真帆とキスしたりしてないだろうなぁ? 真帆としたキス、返してもらうぞ」

「ちょ、ちょっと涼平待て! お前、酔ってるのか!?」


 信じられないことに、涼ちゃんは青龍の首に手をかけて、青龍にキスをした! 触れただけとは言えないような。


「!!!」

「なんか逆に俺から真帆の成分、吸い取られた気になったな。これは失敗だった」

「涼ちゃん!」

「え? これ、浮気カウントに入る?」

 酔った顔をして涼ちゃんはわたしを見た。青龍は走って洗面台に向かった。


「⋯⋯真帆、怒ってるの?」

「もう! ふざけすぎ!」

「悪かったってー」

 涼ちゃんはわたしのまだ短い襟足に触れた。

「短いのも似合ってるよ、このままでもう少しいればって言っちゃったけど、冬空の下じゃ首が寒そうだなぁ。仕方ない、これは涼ちゃんの責任だから、今度涼ちゃんの好みのストール、買いに行こう。でも、髪が短くても長くても、俺は真帆が⋯⋯」


「寝ちゃった?」

「みたい。ごめんね、ふざけてキスするとか」

「よく歯を磨いてきたよ」

 ふふっと、リラックスした微笑みを青龍は見せた。あの日以来、見られなかったもので、今見てもまだ眩しく思えた。


「涼平はいいヤツだから、大切にしてもらえよ」

「⋯⋯」

「いいんだよ、俺はもう降りたんだから」

 胸の中にこみ上げるものがあった。

 わたしはずっとふたりの間で迷ってて、どうしてあの時、あの瞬間、涼ちゃんの方に走り出したのか、何が決め手だったのか、今でもよくわからなかった。


 涼ちゃんのことは好きだけど、青龍がダメってわけじゃなかったのに――。どうしてあの水槽の前で。


「真帆子、そんなに考えるなよ。好きになるって感じることだろう? お前はあの時、あの金魚の群れの前で、俺より涼平が好きだって思ったんだ。⋯⋯俺が言うのも変だけど、その時の気持ちを大事にしろよ。涼平はきっと、その気持ちに応えてくれるから。だからもう『ごめん』なんて言うな。夏、楽しかった。思い出がいっぱいできたから、俺はもうそれで十分なんだ」


 横から長い腕が伸びてきて、肩に乗る。まだ座卓に伏せたままの涼ちゃんが「だってさ、真帆。これからも俺たち、従兄妹であることは変わらないからさ。泣くなよ」と言った。


 下を向くと、膝の上に水滴がぽつぽつと、まるで雨粒のように落ちた。涼ちゃんが顔を上げて、わたしの頭を撫でる。まだ焦点の定まらない目をして「よしよし」と言った。

 わたしはまだまだ子供だった――。


(了)



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すきに、なった。 月波結 @musubi-me

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