灰と狂気
GOG本部の地下深く、Dr.神室の研究室は、もはやその機能性を失いつつあった。 イリスという、彼岸の存在に触れる唯一の手がかりであり、最高のサンプルを失った今、彼の行動は合理性を欠き、純粋な狂気と幼児的な癇癪へと回帰していた。
「なぜだ……なぜだ……!」
研究室の片隅には、彼がGOGの潤沢な資金と情報網を駆使し、世界中から秘密裏に収集させた、曰く付きの玩具が山のように積まれていた。そのうちの一体、ブリキ製の旧式なロボットを、神室はまるで憎しみを込めるかのように乱暴に掴み取った。
ポケットから取り出したドライバーで、その頭部を容赦なくこじ開ける。ネジが飛び、塗装が剥げるのも構わず、彼はその内部構造を暴き出した。
「……ただのブリキと、歯車……簡単な配線だと……?」
いくら分解し、スキャンし、解析しても、そこにあるのは子供騙しの機械仕掛けだけ。
「動け! 動くはずだ! あの時のように!」
だが当然、バラバラになったブリキの塊はピクリとも動かない。
「なぜ動かない……!」 「だが、この、我々の科学的合理性を嘲笑うかのような『非合理性』の奥にこそ、真理が隠されているのだ!」
その姿は、かつて兄の愛した『レオナルド』を、嫉妬に狂い、ドライバーでバラバラにした、幼い日の彼の姿と、何一つ変わっていなかった。
玩具を床に叩きつけると、神室は次に、ポート・モロウズの爆心地から回収させた瓦礫の破片へと向き直った。 「痕跡が、魔法の残滓が必ずあるはずだ……!」 様々な計測器を、まるで縋り付くように瓦礫にあてる。だが、エネルギー検出器も、物質構成スキャナーも、虚しいゼロを示すだけだった。
その一連の狂態を、研究室の入り口に佇む影――ヴァレリアは、冷め切った目で見つめていた。
(魔法に着目し、魔法と科学の融合という謳い文句でバーンズから金と力を引き出した手腕だけは評価してあげるわ。でも、やっていることは、ただの子供の癇癪。これでは使い物にならないわね)
彼女の視線は、神室の背後で、屈辱を噛み殺すように直立不動の姿勢を保つ、もう一人の男へと移った。ケルベロス総指揮官、マクシミリアン・グレイヴス。
ヴァレリアは、音もなく彼に歩み寄った。
「こんな狂信者の下につくことになって、災難ね、グレイヴス指揮官」
「……黙れ」 グレイヴスの喉から、低い唸り声が漏れた。バーンズCEO直々の命令とはいえ、この狂った科学者の指揮下に入るなど、彼のプライドが許すものではなかった。
「私と組まない?」ヴァレリアは、その耳元で、甘く、しかし蛇のように冷たく囁いた。「いつまでも、あんな子供の玩具遊びに付き合わされるのは、退屈でしょう? ――魔法の手がかりは、まだ消えていないわ」
グレイヴスの氷のような灰色の瞳が、初めてヴァレリアを捉えた。
────
ポート・モロウズの夜は、もはや夜ではなかった。 赤と青の回転灯が、立ち上る黒煙を不気味に照らし出し、規制線の黄色いテープが、地獄への境界線のように張り巡されている。廃工場地帯は、地獄の業火の後も、くすぶる炎と、燃えた化学薬品の匂いを撒き散らし、肺を焼いた。
現場は、赤と青の回転灯が煙の中で狂ったように乱舞し、消防隊員たちの怒号が飛び交う、完全なカオスと化していた。
「立ち入り禁止だ! 下がれ!」 薄っぺらな黄色い規制線が、日常と非日常を分かつ最後の境界線として張られている。ノエルは、その向こう側、今も赤黒い炎を上げる瓦礫の山を、呆然と見つめた。 「イリスが、あの中に」
「通してください!」 彼は、制止する警官の腕を振りほどこうと、衝動のまま規制線に駆け寄った。 「お願いします! 中に、女の子が……銀色の髪の、女の子がいるかもしれないんです!」 その声は、煙と絶望で掠れ、彼自身のものではないように響いた。
「おい、坊主! 危ないぞ、下がれ!」 警官が、無理やり彼を引き戻そうとする。
「離して! 探さないと! 見ませんでしたか!? 銀色の髪の女の子を! 僕と同じくらいの歳の!」
ノエルは、炎の熱気で顔を歪ませながら、煙から逃れてきた消防隊員、警官、そして遠巻きにこの惨状を見つめる野次馬たちに、片っ端から尋ねて回った。
その絶望的な姿は、マスコミにとっては格好の「絵」だった。数台のカメラがノエルに向けられ、マイクが突きつけられる。 「君は、被害者の知り合いか!?」 「中に誰かいたのか!」
だが、ノエルの耳に、その無神経な問いは届いていなかった。ノエルは、規制線の向こう、まだ熱を帯びる瓦礫の山を食い入るように見つめ、救急隊員と思しき男の腕を掴んだ。
「怪我人はいませんでしたか? 誰か、運ばれていくのを見ませんでしたか?」
その必死の形相に、現場を指揮していたらしい一人の消防隊長が、重い口を開いた。彼の顔は煤で汚れ、その瞳には、この世の地獄を見た者の、深い疲労が宿っていた。
「中に誰かいたのか? ……気持ちは分かる。だが、坊主、現実を見ろ」 彼は、無慈悲な真実を告げた。 「行方不明者の捜索手続きは、あっちの指揮所で受け付けている。だが、この規模の爆発と火災だ。もし、あの中心に誰かいたとして、生存者はゼロだ。……分かるだろう」
生存者は、ゼロ。
その言葉が、ノエルの最後の希望を、粉々に打ち砕いた。足元から力が抜け、アスファルトの上に崩れ落ちた。
「イリス……」
絞り出した声は、誰にも届かない。赤と青の回転灯が、ノエルの顔を無情に照らし続けていた。
聖夜の黄昏 那王 @ne_net
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