ひとおもいの夢

谷口慎己

ひとおもいの夢


 日本の文学は、とっくに死んでいる。


 これは、誰の言葉だっただろうか。

 偉人の迫った名言だったか、文学に通ずる著名人――いや有名人の知ったかだったか、それとも高校の恩師の返した戯言だったか、はたまた通りすがりの変哲のない口笛だったか。

 もしくは、私が巡って感じた儚き世情か。

 実のところは何にも分かりゃしないけれど、その言葉だけが酷く私の脳にこびりつく。

 誰かが述べる。

 歴史ある文学賞も時の流れに従いすぎて、すっかりと形骸化してしまった。

 …………。

 おっと、これはどこかの誰かが書き込んだSNSのコメントだった。

 わずかながらも共感してしまうコメントだったので、つい座右の銘張りに私の脳内辞書へと保存してしまっていたようだ。

 私が本当に述べるのは、


 商業に犯されすぎた芸術は、技術のみを追求するだけの機械に成り下がってしまった。


 という多種多様な界隈へ全力で喧嘩を売っているであろう、けれども、この事実のせいでひとりの人間を殺された私の恨みも兼ねた、まあ胸糞のわるい真実である。

 この考えを私に孕ませたきっかけは、私の大学時代まで遡る。

 地方の国立大学の情報系の学科へ入学した私は、特段、情報の業界に興味があったわけでも、これだと将来を見据えていたわけでもなく、ただ時の流れに身を委ねただけの、つまらない人間であった、と、とある大手出版社の編集部で働く今になっても思う。

 しかし恨むことは無い。この道程を辿っていなければ、今の私がいないのも紛うことなき事実だからだ。――いや、無味無臭の大学時代にせめてもの色付けをしようと、色取りを加えようと、あるいは私の今後一生ないだろう罪悪感を掻き消すために、あの残虐な日々を正当化したいだけなのかもしれない。

 きっとそうだろう。

 ただ、その過去という忌まわしき真実には、確実に存在しているのだ。

 日本の文学が死んでしまったと言わしめてしまうだけの落胆が。

 文学賞の形骸化に共感してしまうだけの異端が。

 商業に犯された芸術と罵ってしまうだけの悲嘆が。

 今となっちゃあ、夢のように思う。

『彼』と関わってしまった、あの二年を。






 私が私を私と名乗る以前、すなわち大学二年生の冬。

 私は、駐車場だけがめったやたらと広い田舎のコンビニでアルバイトをして、大学卒業後は首都圏に本社を構える企業で働いてやろうと、少ないながらも生活資金を貯めることに勤しんでいた。

 大学というのは仕組みが分かれば存分に楽なもので、必修以外の履修登録はなるべく取りやすい単位であったり、オンライン授業に期末試験がないものだったりを選択すれば、最近話題のモラトリアムが半端な学生にとって大切な、自分時間を作れるというわけだ。私はそれなりに本を読むことが好きだったので、その時間を読書とアルバイトに費やした。

 アルバイトにおける早朝、もしくは深夜帯のシフトはいい。身形みなりの怪しい人であったり酔っ払いであったりが来店するものの、接客に対してケチをつける人は少なくて、ただただ流れ作業のようにレジ打ちに品出し、商品の個数管理をやっていれば、あっというまに終わりが訪れる。

 しかも私の働いていたコンビニでは、過去、深夜帯の時間に強盗が入ったらしく、どんなときでも最低二人以上でシフトを組まされる。そう、流れ作業でさえ、それをさらに分担して行える。なるべく面倒なことをしたくない私にとって、とにかく都合のいい職場であった。

 そんなアルバイト先にて、深夜帯のシフトでよく一緒になる男がいた。見た目といえば、髪の毛がぼさぼさで、とってもじゃないが顔も整っていると言えず、私服もぼろぼろで、不潔感満載の男。

 それこそ、『彼』だ。

『彼』は、『彼』自身が述べる話では、大学卒業後、就職したり大学院に進んだりせず、フリーターとしてここのコンビニでアルバイトを始めたらしい。『彼』の学生時代も、私と似ており――否、時間軸においては『彼』のほうが先輩になるのだろう、とにかく『彼』も私のように学生時代はテキトーに大学を選択して、文系の最も安定しているだろう、と――そんな安易な理由で経済学部に入って、特に何をするわけでもなく卒業研究をして卒業論文を書いて大学を去ったらしい。

 そんな『彼』だが、私と異なる部分がひとつだけあった。

『彼』には夢があった。どれほど苦しい思いをしてまでも叶えたい夢を持っていたのだ。

『彼』は夢の話をしたとき、気まずそうに、気恥ずかしそうに、されども去らずの気を引き締めた覚悟のある眼差しで放った。


「夢を叶えた後、それこそ大作家になったときにさ、若かりし頃の話をするときに面白いバックストーリーがあったほうが、人々に魅力や興味を植えつけられると思うんだ。――なんて、本心三割くらいのふざけた理由を建前に、本当のところは生き方が下手だって言われようと、馬鹿だって言われようと、僕はどんな思いをしてでも、ただ小説家になりたいだけなんだ。

 そこに大義や正義、礼儀は無くて、大儀に死にそうだった僕に生きようとする意思をくれた『小説』っていう無限に創られる誰かの人生を、僕自身が書いてみたくなったんだ。

 たったそれだけの、僕が生きるための意志であり、僕という人間に付き纏う愚かな夢だよ」


 そんな『彼』の長ったるい言葉を要約すれば、


 ただただ小説家になりたいだけなので、それ以外のすべてが僕には必要ない。


 ということ。

『彼』の言うように、『彼』の生き方はとても愚かだと思うし、真似なんかしたくもないし、はっきり言って夢が叶わなければ嘲笑ものだ。

 しかし、あの長ったるい言葉の中に、決してさめぬ『彼』の夢が燃えていた。

 尊敬なんて大層なものではないが、この話を聴いた私は、『彼』に対して畏敬を抱いた。

 それからだ。

 このときの私はまだ『彼』の小説なんか読んだこともないくせに、すっかり『彼』のためだと思い込み、『彼』とシフトが重なっている日は、『彼』にバックヤードで小説でも書いてください、と、私一人で業務をこなすようになっていた。今にして思えば、私より先輩なくせにレジ打ち以外のことはろくにできない――商品の個数管理の際に個数は誤るし、品出しは雑で店長に怒られるし――『彼』を表から追い出し、効率よく業務を進めたかったという気持ちもわずかにあった気がする。

 つまるところ、『彼』は、やりたいことには忠実で、真摯で、しかし、それ以外のことには何の取り柄もない人間であったから、それにやったというわけだ。

『彼』は僕の提案に「ありがとう」と毎度毎度言ってくれる。

私はそんな『彼』に対して、


「感謝はいらないので、さっさと小説家になって退職して俺の業務を減らしてください」


 と、冗談交じりに冷たい檄を送った。『彼』がこの言葉をどう捉えていたのか、今の私には分からないし、知りたくもない。

『彼』は、私になかなか小説を読ませてくれなかった。

 幾度も読んでみたいとか、純文学だろうが大衆小説だろうが、ライトノベルだろうが、なんでも読めるので――と、そうやって、どうにか読ませてもらえるよう説得を試みたが、『彼』はいつも同じことを言う。


「きっと君だけじゃなくて、誰が読んでも面白くないよ。僕のそれは小難しいだろうから。――あ、でも、べつに読んでもらうのが嫌ってわけじゃないんだ。読まれるのが恥ずかしいなんて浅ましい感情は、とっくに存在しないから」


 と。

 いつもこんな言葉を返されるばかりだった当時の私は、「どうせそれでも照れ隠しなのだろう」と『彼』の薄ら笑みを見て、蔑み交じりに諦めていたが、その感情は『あれ』を読んだとき、綺麗に吹き飛んだ。

 あれは、私が、大学が全休で昼前から夜にかけてのシフトに入ったときだった。

 私がコンビニへやって来る、その前のシフト――深夜から早朝にかけてのシフトに『彼』が入っていたわけだが、私がコンビニのバックヤードへ訪れた時、共有スペースのテーブルに、文字の羅列で敷き詰められた十数枚の用紙が重ねて置いてあったのを見つけた。

時々やってくる本部からの面倒な書類の類だろう、と、億劫になりながらも店長から気怠げに指示される前に読んでおこうと、その紙の束を持ち上げたときだった。

 最初に書いてあったのは、たった五文字のひらがな、一文字の漢字、それと何文字か空けて書かれた見覚えの有るような無いような、見たことのない名前。

 いや、原稿用紙に手書きの時点で気づくべきだった。

 それは、『彼』が置き忘れた『彼』の小説であった。

 最初こそ、『彼』に許可なく読んでしまうのは悪いな、とそんな気持ちがあったが――いや、原稿用紙に手書きだと気づく以前に、それを見入った時点で、既に私は『これ』に魅入られていたのだろう。

 それはもう歯止めが効かず――否、手止めが効かず、生物学における反射というのか、私の目は無限に広がり、ぞくぞくと展開される文字の羅列を追いかけ、その紙を舐め回していた。


 舐めていた。


 そして、私自身が本好き――というか、日本語という言語を教養程度に認知していたことを惜しみもなく感謝した。

 はっきり言って、詰まらない話であった。

 構成はぐしゃぐしゃであるし、文章も漢字だらけの箇所であったり、逆に擬音語のやたらと多い箇所であったり、常用漢字のくせして滅多に合わさらない組み合わせの熟語であったり、そんなみにくい文章であるのに、実に詰まることのない物語なのだ。

 たしかに面白くなかった。だって、構成がぐしゃぐしゃである理由を――、漢字だらけや擬音語だらけの箇所がある理由を――、小難しい熟語を小賢しく使用する理由を――、その仕掛けに気づく度、ふたたび、みたび、幾度と何度でも――、顔が恍惚と興奮して熱くなっているのだから。面白いわけがないのだ。それに、延延と留まらぬ涎を零さないか心配だった。

 淡淡端的に言ってしまうなら、『彼』の書く物語――物語と言うより『彼』の書き方は、前衛的で、どちらかというと死後にその凄惨さに気づかされるタイプの変態であった。

 技術自体ははるか昔から存在していたと思う。それこそ掛詞や韻踏みのような感じで存在していただろう。だが、『彼』の文章がその技巧を明確にして、その技術の広義的な名称を付けてくれたと思った。

 文字として現すだけでなく、その文字に心裏を宿して表す技巧、


 表現不一致、とでも名付けようか。

 実際、将来的にはそう名付けられる。


 さらにその技巧に、『彼』の脳内だけにしか真理がないような、それでもその心理が見え隠れしているような、その中にも共感できる合理性はあるし、その文字の羅列にひき寄せられる――なんというか『カフカの断片』のような、だがカフカと異なり日本語という言語の真骨頂、その煮詰めた具象そのものを目にしているような――

 アバンギャルド――けれども、けれども、いくら蹴っても、そこにアーバンのお洒落さはないし、ギャルのようなところかまわずの陽気さもないだろう。そもそもその小説の真理が断頭されていて、その正体が明白には分からず仕舞いなわけだから――

 だが、日本という島国の運命が辿る、訛りの如く独特しい癖があって、『ドグラ・マグラ』のチャカポコの如く中々に毒々しい、されども去らずの妙な陽気さがあって、真理が断頭され不完全だからこそ、そこには、みにくい美しさが実存している――


 頭を無くして、ヴァンガードな小説といってやろう。


 また、辛辣に、気色悪く述べるなら、私は『彼』の小説を読み、はかなくその文字の羅列に犯され、くわえて表現不一致という表現技巧を脳内に孕まされ、やがて、次第にやがらず『彼』の小説に快楽堕ち。


 白面暴いて、紅潮曝した。


 白と紅という二色のみの国家へ産み落とされたくせして、私は『彼』のトリコになるという役割を担っていた。


 スマホのような端末で出勤の登録をする前に、それを読み終えた私は、共有スペースにあるメモ用紙を千切って、一言添えて、『彼』の原稿用紙とともに『彼』のロッカールームへ仕舞った。

 そして、数日後、再び深夜帯のシフトで『彼』と一緒になることがあったので、メモ用紙にも書いたが、一応、謝罪を口にした。

 すると『彼』は開き直ったように、「どうだった?」と半笑いで訊いてきた。

 私は正直に言う。

「とても惹きつけられました」

 と。

 それに対して、『彼』が「本当かい?」と言うものだから、仕方なく、深夜で客もいなかったので、感じたことを一から説明してやった。そこでようやく『彼』は、私が本心から言っていることを理解してくれたらしくて、


「けっきょく若者の心が引き寄せられるのか」


 と浮かばぬ顔を浮かべて言った。

 なんだか本音を心から伝えたことに申し訳なさが押し寄せて、その本意を訊ねる。

 そしたら『彼』はこう答えた。


「きっと僕の書く文章は硬派だから、ネットに投稿しても気づいてくれないと思ってね。大学卒業後しばらくは大賞や新人賞ばかりに投稿していたんだけど、当時の僕の技術の拙さもあって全然よくなくってさ。

 だからさ、変なプライドは捨てて、ネットへ投稿するようになったんだけど、来るコメントと言ったら『難しいですね』だとか、ひどいときには『日本語をもうちょっと勉強した方がいいですよ』とか、まあ、案の定いい結果は出なかったよ。

 そもそも今の人たちは文学なんて硬派なものより、一話目で、あるいは一文目で、なんなら一文字目で、どれだけの印象や影響を与えてくれるか、それだけが重要なんだよ。たとえその後の構成や結末がぐしゃぐしゃで締まらないものだったとしても、最初だけでも刺激的であれば神様みたいに崇めだす。そういうものだって気づかされたね。

 あーでも、唯一ネットで評価してくれた物語があってね……。それは、ものの数分で書き上げた、そこに魂みたいなみにくくも美しいものなんて存在しない、僕の特徴的な文章力を抽出しただけのちんけで陳腐な物語――それだけが『おもしろい』って、初めて評価されたよ。

 その中で、君だけは僕をしっかりと評価してくれた。若者の君だけがね――」


『彼』の言葉からは、私が評価してくれて嬉しい――というよりは、ようやく正当に僕を見てくれる人が現れた、そんなメシアに救済を受けた人のような安堵感や、あるいは疲弊感があったのを今となっても色濃く覚えている。

 私は、『彼』の小説について述べる。


「俺は、最近のありふれた――皆が身につけられる技術で鋳型に敷き詰められたような物語より、書いた本人だけが真実を知る――みたいな、小難しくて小賢しくて、けれどそこには答えが確実にあって、だけどやっぱり初読では決してすべてを理解できない。

 みんながおもしろいって言っているから読んでみたとか、感動する話だから神作だとか、そういう単純な評価なんじゃなくって、その本に、その文に、その一文字一文字に、作者の魂が乗り移っているんじゃないかって、いつの間にか、みせられていて、ひき寄せられていて、みにくいくせして心にはしっかりと残り続ける。いや、心に傷として刻まれる。

 個人的には、そんな小説のほうが大好きです。

 だから、


 絶対に今の形で小説家になってください。――それと、今後も読ませてください」


 そう言うと、『彼』は、不細工に愚者ぐしゃっと口角を上げて、

「そこまで言ってくれるなら、添削くらいはしてもらおうかな……」

 と、当時二十代だった私にとって、三十代の男のはにかみというのは、大変見苦しいものであったと同時に、私の思い出の一つとしてどうしても心から亡くせず、忘れられなくなってしまった。

 それ以来、私は、『彼』のファン第一号として、心から『彼』を応援するようになった。






 それから一年半は経っただろうか。たしかそんな気がする。ちょうど企業の新卒採用エントリーが開始されるか、されたかくらいの時季で、幾人かの同級生が講義にスーツを身につけ参加する姿を見かけるようになったときだったので、そのくらい経過していたと思う。

 だけど、相も変わらず『彼』はアルバイトとしてコンビニで働いていた。大賞や新人賞なんかでは最終選考に残ることが多くなったが、あと一歩のところを理解されないのか、なかなか受賞せず。

 私もそろそろ企業の新卒採用サイトでエントリーをしなければいけない頃だし、あと数か月もすれば、卒業研究や就職活動など自分のことで手一杯になってくる時期だったので、店長にシフトを減らしてもらうように頼み、生活リズムを整えようと深夜や早朝のシフトをやめて昼から夕方にかけてのシフトが多くなった。

 そのため、深夜帯が主なシフトである『彼』と会う機会が減ってしまうのではないか、と心配していたが、実のところそんなの杞憂に過ぎず、『彼』もまた昼から夕方にかけてのシフトが多くなった。理由はいろいろあったと思う。深夜帯に入れる海外から来た人が何人か入ってきたし、逆に昼から夕方にかけて入れる人がやめていったし、たぶんそこら辺の職場の事情もあるのだろう。しかし、環境が変化したばかりの頃の私は、オールエブリデイで時間を余している『彼』が店長の意向でシフトを変更させられたのだろう、と思い込みが込み上げていた。

 だが、変化というのは、知らず知らずのうちに完了しているものである。

 本当は、この段階で『彼』に対しての違和感に気づくべきだったのかもしれない。

 私はそれを見抜けなかった。


 昼から夕方のシフトが増えた『彼』は、身形みなりをきちんと整えてくるようになった。

ぼさぼさだった髪は短髪になり、へんてこだった眉の形は整えられて、剃り残し髭はなくなって、肌艶が良くなったようにも感じた。また、ぼろぼろの私服は新調されただけでなく、見慣れぬコーディネートをするようにもなっていた。

 当時の私は、昼のシフトに移ったことで、さすがに店長から指摘されたのだろう、とか、生活リズムが変わると見た目も変化するものなのか、とか――そんな外的要因を疑うばかりで、『彼』の内情に大きな変化があったなど知る由もなかった。

 ……否、ただただ私が、本当の『彼』を知ろうとしなかっただけなのかもしれない。


 ある日、『彼』に恋人(?)のような女性がいることを知る。

 その日は、深夜帯のシフトに出ている人がインフルエンザを患って出られなくなったということで、急遽、私が深夜帯のシフトへ入ることになった特殊な日であった。

 ちょうど『彼』と入れ替わりで私が出勤し、レジの周辺の品物を整理していると、建物の外で帰宅している『彼』を見つけた。しかも、私がコンビニへやって来たときから、コンビニに入らず店の前でずっと突っ立っていた、やけに若い――それこそ、今年大学生になったばかりの若々しい女性と一緒に帰路へと着いていた。

 私は、『彼』がその女性の下もとに現れた際の、彼女の今か今かと待ち侘びていたような明るい表情から、恋人に違いないと確信したものだ。まあ、仕舞いには、女性のほうから『彼』の腕に自身の腕を絡ませていたので間違いなかった。

 だが、だからといって、私と『彼』との関係に変化があるわけでも、ましてや私自身、あまり能動的に他人のプライベートに干渉するタイプではなかったので――『彼』の小説だけは異例だったが――、『彼』のファン第一号として『彼』の小説を読ませてもらうかわりに添削をする、その関係を何事もないように続けていた。

 ここまでの出来事で『彼』の人生が終わってくれたなら、私がこの世界を恨むことはなかったのかもしれない。ちなみに「この世界」というのは、私や『彼』、それと『彼』を正当に評価できなかった社会、そのすべてを含めたものである。


『彼』の小説が徐々に、徐々に、暗いものから明るいものへと変わっていった。


 今までは、明るい人生を送っていた主人公が、自分の心理や悩みにヤミ、救いようのない現実に犯されたまま暗めの後味を残して終わる――そんな理不尽で不条理な結末が多かったが、ここ最近の『彼』の作品といえば、暗い現実に挑む主人公が葛藤や苦悩に苛まれながらも、ちょっとの明るい現実を受け入れて、明るいと信じた未知へと歩み進んでいく――みたいな、希少の望みを含んだ結末が多くなっていた。

 しかし、今も昔も『彼』の物語の中心は、表現不一致の文章力と、『彼』の特徴であり武器でもある細かな心理描写で共感を生むことだったので、ここ最近の『彼』の小説を読んだ私は、明から暗のネタが思い浮かばなくなり、心機一転、暗から明の物語を書いているのだろう、と思うだけだった。本当は、これを指摘するか、あるいは些細な質問として訊ねるべきだった。

 さらには、『彼』の小説がずいぶんと読みやすくなっている事実にも気づいていたくせに、私自身が読み慣れてきたのだろう、と自慢げに自惚れていたのだ。

 私もまた世間一般の、メロウな誰何すいかを神と崇める群衆となんら変わりない、モブやエキストラと呼ばれる部類の、そこらの一般人であったのだ。つまり、『彼』を神のように崇めていた私は、『彼』の小説の些末だろうと粗末だろうとどんなものにも「すごい」と、ただひたすらにそれだけを示し申していたことだろう。

 懺悔でもすれば許してくれただろうか。いや、それでも『彼』は、浮き足だった私を見捨てていたに違いない。私が地に足を着け、祟るのを恐れて。




 殺人は、日常の些細な最中さなかに起きてしまう。

 殺人に気づける者とは、その場に居合わせたごくわずかな者だけであり、多くの人が事後に知る。いや、知らぬままのほうが多いだろう。なんなら、見知らぬ人の死に対する関心などもぬけの空っぽ。空しさすらもない、むじょうの日々に追われることで精一杯。ひとの心は、忙しなさが優先されるようにできているため、むじょうの日々に追われると、心から関わろうとする意思を遠ざけてゆく。

『彼』は私に何を言うでもなく、そういう態度や雰囲気を一切見せることなく、私が東京へ赴き、「受かったらいいな」くらいの軽い気持ちで応募した、大手出版社での面接を受けていた日を最後に、コンビニのアルバイトをやめてしまっていた。

 ここのアルバイトは、基本的に辞める時期の一か月前に店長へ申請しておかなければならない。すなわち何も知らず、知らされず、相も変わらず「彼」の小説を添削がてら楽しく読んでいた。知らず、知らされず、相も変わらず「彼」の小説を添削がてら楽しく読んでいた。

 そんなところへ、突如として『彼』が殺されたのだ。

 来月のシフト表に『彼』の名前がなかったことで、ようやくその事実を知った。

『彼』が辞めた理由を店長に訊ねると、曰く「家庭の事情で遠くに引っ越すことになったらしい」と、明確な理由は店長も把握していないようだった。

 しかし、その真相も風のように時の流れが運んでくれる。

 とあるネット記事に目がいった。


『新たな小説のジャンル開拓か!?』


 そんな、一読書好きとして絶対に開けざるを得ない文字の羅列――見出し。

 さっそく手っ取り早く開いてみると、何度も何度も見てきた筆名とともに、『彼』の恰好つけた表情の写真が現れた。

 そんなネット記事の内容を要約すると、こういうものだった。


「日本語という言語の真骨頂を魅せつけるが如く、『    』の開拓した技巧『表現不一致』は、多くの未来ある小説家に影響を与えることになるだろう。

 また、『    』の書く小説は、とても読みやすく、それなのにその内容は感動的で、老若男女に愛される物語となっている。

 ぜひ、あなたも『    』の処女作『――――』を読んでみてはどうだろう」


 私の知らない小説が、『彼』の処女作として紹介されていた。

 他にも、『彼』が小説業界の新星と呼ばれるまでの、『彼』の過去に迫ったインタビューが出てきたが、それを一瞥すると、私との過去は一切も合切もどこを切り取っても載っておらず、苦難を支えてくれた十九歳の妻とともに乗り越えていった――生臭いヒューマンドラマが作り上げられていた。

 この事実を知った私は、怒りだとか、失望だとか、そういう負の感情を抱くより先に、『彼』がこの世界に殺された――という私のみぞ知る真実がどうしようもなく悔しくて、どうしようもなく仕様がなかった。

 だが、『彼』が殺されたと認識したあとの私は、冷淡淡淡とテレビやネットで引っ張りだこの彼を眺め、ただのの有名人枠として捉えるばかりで、流行りが終わればゴミのように捨てられる未来が視えてしまった。

 こういういい加減な取り上げられ方をしたモノに碌な未来がないことなんて、ここ数年で分かり切っていることなのに、それでもその一瞬に縋ろうとするモノが多いものだから、テレビもネットも楽な商売だと思う。

 まあ、強いて彼への不満を述べてやるなら、別れの一言くらい欲しかった――なんてところだろうか。

 そんな私に共鳴したのか、私がコンビニのアルバイトを辞める当日――長く使わせてもらったロッカーの内部を整理しているときだった。

 ロッカーの奥の方で、二つ折りになったメモ用紙を見つけた。

 なんだろうか、と開いてみる。

 するとそこには――、


『 一思いの夢を抱くより、人想いの夢を抱き抱えてしまいました。

  夢はかなし、はかなき墓標よ 』


『彼』の未知に満ち満ちた遺言書が見つかった。

 こんな既知の外にあぶれた遺言書を見ても尚、彼を嫌いになれなかった私は、ひと流れに逆らう夢であるのだろう。

 これ以降、彼に後を惹かれることは無くなり、『彼』への忌みだけが中心の言と成る。



 そして今日も私は、ひとおもいの夢に耐えうる、生きた文学を探そうと青山へ参るのだ。

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ひとおもいの夢 谷口慎己 @sinkey

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