血煙

チンアナゴ(かたゆで)

血煙

 吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ

            天誅組 吉村寅太郎

 

 1


 吊革にやっとの思いでぶら下がりながら、九鬼奈々美は虚無で濁った仄暗い瞳を、地下鉄の暗い車窓に映していた。ウルフカットの黒髪に整った顔立ちだが、どこか退廃的な、危うい美しさを纏っていた。

 残業帰りだったが、人身事故の影響で満員電車となっていた。小柄な九鬼はもみくちゃにされながら、眠気と苛立ちをどうにか抑え込んでいた。

 耐えること半時、やっとの思いで最寄り駅に着いた。ごった返すサラリーマンや学生とともに、ホームに雪崩のごとく放り出され、流されるように改札をくぐった。

 九鬼は歩き慣れた住宅街をとぼとぼと歩いた。今日も尊大な上司や、嫌味しか言わない先輩社員に馬鹿にされ、心底面白くなかった。

 九鬼は沈鬱な表情で唇を噛む。重い気分を振り払うように頭を振ると、いつのまにか帰り着いていた古びた我が家の玄関をくぐった。

「ただいま」

 殺風景な室内に、寂しく九鬼の声が響いた。視線の先には、どこか雰囲気の似ている青年の写真がある。

 九鬼の仄暗い瞳に、一瞬光が差した。愛しさと懐かしさで、彼女は切れ長の瞳を細めている。

 写真の青年は九鬼の兄で、数年前に自殺していた。人間不信に陥り、社会と将来に絶望しての自殺だった。

 九鬼は兄の葬儀を思い出すと、人形のように整った顔を無表情にして、ぽつりと呟いた。

「兄さん、私はあなたのようにはならない」

 社会と人間の悪意に押しつぶされてしまった兄のように、九鬼は死にたくなかった。彼の二の舞になるぐらいなら、加害する側に自分はなろうと九鬼は誓っていた。

 九鬼は着替えもせずに、遅めの夕食を作った。カリカリに焼いた肉汁滴るハムと二個の目玉焼きを頬張り、胃に野菜ジュースで流し込む。

 自室に行くと、堅牢なつくりの鍵付きロッカーの前に彼女は立つ。

 鍵を開けて、中に収まった黒の布袋を取り出した。細長い棒状のものが入っているように見える。

 九鬼は先端の紐を丁寧に解くと、中のものを取り出した。

 日本刀の黒い拵が姿を現す。鞘の先端が丸みを帯びた突兵拵だ。鞘自体は叩き塗りが施されている。

 九鬼は慣れた手つきで鞘から抜き放つと、刀身を改めた。

 小切先にすらりと伸びた体配の刀身には、樋が入り、直刃の刃紋が現れている。

 銘は源良近だ。和鋼と洋鋼を合わせて鍛えられた刀身で、その切れ味から皇宮衛士の佩刀とされた。実戦でも評価された軍刀だ。

 九鬼は軍刀良近の美しい刀身を眺めながら、冷たい微笑を浮かべた。

 この良近と己の技術さえあれば、くだらない社会や腐った豚ども全てを敵に回しても良いと九鬼は思った。

 

 2

 

 九鬼は軍刀良近をケースに入れ、スーツから道着に着替えるとブーツを履き玄関を出た。春先だが、夜の空気は冷たい。

 ケースは肩に担ぎ、ウルフカットの髪を揺らして道場へ向かう。

 残業で疲れた体でも夜に家を出たのは、どす黒い静かな怒りと、内から湧き出ようとする破壊衝動は道場で鎮めるしかないと思ったためだ。幸い明日は休みで、いくら寝坊しようが関係ない。

 九鬼はケースに入った良近の重みを心地よく思いながら、夜の住宅地を歩く。人通りは少なく、静かだった。古びた空き家が黒いシルエットで浮かび上がっている。

 道場は家から徒歩数分のところにあった。九鬼は幼い時から道場に通い腕を磨いていた。流派は陸軍戸山学校の軍刀操法の流れを汲む戸山流で、叔父が道場を運営している。その叔父から道場の鍵は貰っているので、自由に使っているのだった。

 九鬼は見慣れた小さな神社に入ろうと、脇道に入った。道場へ近道をするには神社の境内を突っ切る方がいい。

 ふと、前方に黒いハイエースと黒塗りのクラウンが一台止まっているのを九鬼は見つけた。狭い脇道なので、非常に邪魔だ。

 怪しい。九鬼は警戒しながら、横を通り過ぎようとする。

 通り抜ける直前に、ハイエースの扉が横に開いた。

 スーツ姿の男たちが車内にいた。見た目はいかつく、ヤクザのようだった。

「見られた!」

 そのうちの誰かが鋭く言った。

 それに呼応するように、車から飛び出そうと男たちは身を車から乗り出してきた。

 本能的に九鬼は危険を察知して、駆け出した。袴を踏まないように走るのが不安だったが思ったよりも素早く身体が動いた。

 幸いにも、男たちは慌てたのか車内から出るのにもたついて、意外に距離を稼ぐことができた。

 早鐘を打つような心臓の鼓動を感じながら、ケースから刀袋に入った良近を取り出した。紐を解き、良近を抜き出す。緊張からくる手汗で柄が湿った。額に汗をかき、顔が強張る。

「待て!」

 境内の真ん中で男たちに追いつかれたが、九鬼の軍刀を見て驚いたのか、男たちは足を止めた。男は4人で、全員似たようなスーツを着ていた。

「一緒に来てもらおう」

「その刀を置け」

 男たちは九鬼に恫喝じみた声で命令した。九鬼は素早く刀を腰の帯に通して、抜刀した。

 いつのまにか月が煌々と輝き、青白く境内を染め上げている。良近の刀身も青白く、冷たく輝いていた。

「俺たちとやり合おうってのか?」

 一人の男が凄みながらバタフライナイフを抜き出した。

 九鬼は間髪入れず、軍刀を上段に構え、男を首から肩にかけて右袈裟に叩き斬った。迷いは無かった。

 パックリ首筋が割れたかと思うと、噴水のようにどす黒い血が湧き出し、男は痙攣しながら倒れた。夥しい血が、砂利の上にぶち撒けられる。

 一瞬の出来事に男たちは動きを止めた。九鬼は大きく息を吐き、切れ長の瞳を見開きながら、良近を正眼に構え、残る3人に良近の不気味に光る切先を向ける。

「う、動くな」

 声を震わせた男が、西部劇に出てくるような古めかしい回転式拳銃を九鬼に向けた。22口径スタームルガー・シングルシックスだ。小口径の長い銃身が青黒く光っている。

 九鬼は口元を歪めると、鋭い一歩を踏み出し、捻り突きで男の鳩尾を良近の切先で貫いた。柔らかい感触と衝撃が九鬼の両腕に伝わり、確かな手応えを感じた。

 男はスタームルガーの撃鉄を起こして引鉄を引くまもなく、身をくの字にしながら膝をつく。

「私が大人しく従うとでも思った?」

 九鬼は冷たい声で言った。彼女自身、自然と声が出たことに内心驚いていた。緊張が解け、冷静と高揚が入り混じっていくのを感じた。

 男から引き抜かれた良近の刀身は、切先から鮮血が滴り、月下で青白い光を放っていた。

 恐怖で顔を歪ませた男二人は、腰を抜かして動けない。

 九鬼は男たちが情け無く同じような格好していることに苦笑しながら、突き殺した男が落としたスタームルガーを左手で握った。

「腰抜かしてるところ悪いけど、その死体運んでくれない? お互いに死体が見つかると困るでしょ?」

 九鬼の発言に男たちは困惑の表情を見せたが、九鬼の切れ長の瞳に射すくめられ、催眠術にかかったかのように死んだ男たちを担ぎ始める。

 撃鉄が起きたスタームルガーの死の銃口で追い立てられながら、車まで男たちは死体を運んだ。上等なスーツはすっかり血で台無しになっていた。

 車内に死体を詰め込ませている間、九鬼は死んだ男から奪ったハンカチで良近の血で濡れた刀身を拭い、鞘に納めていた。

 作業を終えた男二人は、九鬼の銃口の前で力なく項垂れている。

「ご苦労様」

 そう言って、突然九鬼は腰だめで1人の男の頭に銃口を向けて撃った。

 閃光が迸り、.22WMR弾が直撃した男の頭が柘榴のように弾けた。中心の窪んだホローポイント弾の威力だ。

 男はハイエースの車内にそのまま倒れ込んだ。甘い硝煙の匂いが周囲に立ち込めた。

 ただ一人生き残った、ハイエースの運転席の側で失禁している男を尻目に、九鬼は死んだ男のポケットから手早くバラの弾薬を奪って道着の懐に入れた。30数発あった。

「ん、何これ?」

 そう言って、車内に転がっている鞄を九鬼は見つける。鞄のチャックを開けると、札束が数個入っていた。九鬼は止まっているクラウンに目を向けながら、何か取引きを行っていたのだろうかと思った。

 九鬼は乾いた笑いをして、札束の鞄を持ち出す。

「あとはさっさと車運転して逃げてよ。警察来ると面倒だし」

 九鬼は生き残った男に投げやりに言って、その場を離れた。男は悪くて殺されるかもしれないが、知ったことではなかった。途中で投げ出したケースや刀袋も回収するのは忘れなかった。

 家に向かって走りながら、人を斬り、撃ち殺した感触を何度も反芻していた。

 反芻しながら、体の底から震えるような快感に戸惑いを覚えていた。

 

 3

 

 九鬼は目を覚ますと、布団を跳ね除け、半身を起こしながら源良近の軍刀に手をかけた。

 室内はカーテンを閉め切っていたので薄暗く、外では静かに雨が降っている。

 九鬼は周囲に異常がないのを確認して、ほっとしたように良近の柄から手を離した。

 服はシャツにスカートという普段着に着替えていたが、いつでも外に出て逃げられるような格好だった。昨日は用心をして、札束を背嚢に詰め替え、スタームルガーを枕の下に突っ込み、軍刀を抱いて寝たのだった。

 九鬼はスタームルガー・シングルシックスの回転式拳銃を枕の下から取り出し、フラットで小さなシリンダーの後部のローディングゲートを開いた。シリンダーを回転させ撃ち殻薬莢をエジェクションロッドで弾き出すと、細長い.22WMR弾を込めた。スマートな銃身に無骨なフレームが凶器としての美しさを引き立てていた。

 九鬼はスタームルガーを眺めながら、会社に入る前の陸自で勤務していた頃を思い出していた。89式小銃の射撃訓練での、硝煙の甘い匂いや、引鉄を絞る瞬間の銃と己が曖昧になる感覚がスタームルガーを撃った時と重なった。

 九鬼は拳銃と軍刀を抱いて、鋼鉄の重さと冷たさを感じながら、押し殺すような哄笑をした。

 兄のような被害者にならず、ついに加害者になったのだ。

 九鬼は人を殺し、金を奪ったという達成感に酔いしれた。持っている凶器があれば社会の何もかも敵では無くなったような気がしたのだった。

 

 九鬼は後日、会社に辞表を出し、旅行に出かけた。

 温泉旅館やビジネスホテルに泊まり、各地を巡る。良近の軍刀やスタームルガーはもちろん持ち歩いている。

 日がな一日、ぶらつくか温泉に浸かりながら何も考えずに過ごした。部屋では本を読みながら、ゲバラのパッケージのタバコを吸った。

 欲しかった自由と暇だった。しかし、物足りないものを九鬼は感じながら、物憂げにタバコをふかす。

 そんな無為に過ごしていたある日、金を奪った夜に殺さずにおいた男と再会した。旅館のロビーでソファに座っていた時に、向かいに座って来たのだ。

 殺しに来たかと身構えたが、取引きだった。

「あなた生きてたんだ」

「……金は今残っているものでいい。返してくれ」

 男は淡々と言った。九鬼はショルダーバッグに入っているスタームルガーの重みを確かめながら、男を見つめた。

「月並みだけど、嫌だと言ったら?」

「組織は全力で殺しにかかる」

「まあそうだよね……いいよ、返してあげる」

 男は無表情に頷くと、取引き場所に近くの廃工場を指定し、時間を伝えた。九鬼も出向く条件を伝え、男はそのまま去っていった。

 男の左手は指が全て無かった。

 

 4

 

 九鬼は指定された廃工場に鞄を持って現れた。トレンチコートを羽織り、白ブラスにハイネックスカートを身につけ、腰に革ベルトを巻いて良近の軍刀を落とし差しにしている。スタームルガーは左肩からショルダーホルスターに納めていたが、トレンチコートで見えない。

「持って来たよ」

 九鬼は大きな扉を開け、入り口で呼びかけると、工場の工作機械の影からぞろぞろと男たちが姿を現す。各々、手に刃物や銃器を持っている。

「組長は来てる?」

「俺だ」

 九鬼の呼びかけに、一人の男が前に出て来た。ネットであらかじめ確認しておいたが、間違いなく本人だった。厳つい顔に上等なスーツを着ている。

 九鬼は残酷な笑みを浮かべ、突然鞄の中から銀色のパイプ爆弾を抜き出し投げつけた。同時に低く飛んで、近くにあった梱包箱の陰に伏せる。

 爆弾製造法が書かれた『腹腹時計』や『薔薇の詩』を参考に作リ、チープカシオの腕時計を時限装置に使ったパイプ爆弾だったが、見事に組長の男を轟音とともに吹き飛ばした。

 土煙がおさまらないうちに、部下の男たちは恐慌状態に陥り、拳銃や散弾銃を撃ちまくる。虚しく九鬼からは外れ、甲高い音とともに地面や壁を銃弾や散弾が食い込み、跳ね返る。

 少し耳鳴りのする頭を振って、九鬼は自身に気づいていない散弾銃を持った男にスタームルガーの照門と照星を合わせ、引鉄を絞る。男は喉元を銃弾でぶち抜かれ、地面をのたうち回った。

 九鬼は工作機械や木箱の陰に隠れつつ、移動しながら、スタームルガーの早撃ちで一人ずつ確実に倒す。右手で銃把を握りつつ、左手の親指で引鉄を絞りながら撃つ、サミングという射撃法で連射する。

 トレンチコートは邪魔なので物陰で脱いでいた。九鬼が走るたびに、スカートが華麗に翻った。

 途中、弾が切れ、木箱の背後に隠れた。冷静にしゃがみ込み、弾を数個地面においた。ローディングゲートを開き、エジェクションロッドで一発ずつ撃ち殻薬莢を弾き出し、再装填しようとする。

 突然、箱の上から鉄パイプを振りかぶった男が躍り出てきた。九鬼は良近を右手で抜き辛くも受ける。青白い火花が散って、儚く輝く。

 パイプの連撃を軍刀で防ぎつつ、咄嗟にスタームルガーの銃身を右の脹脛と腿に挟み、一発だけ込めた。

 左手で再度握り直し撃鉄を起こして、引鉄を落とした。乾いた銃声とともに、敵は吹き飛ばされて地面の上で動かなくなる。

 再装填を終えたスタームルガーを撃ちまくり、良近の軍刀で斬りまくる。白いブラウスは土と血で赤黒く汚れていた。

 日本刀で打ち込んできた男には左上方に擦り上げ一歩踏み込み、左袈裟で首から胸にかけて斬りつける。血煙とともに男は地面に倒れ込んだ。

 右袈裟と左袈裟を交互に行う軍刀操法の「突撃」で敵を圧倒し、斬り伏せる。周囲は死体や斬られた腕、指が散らばっていた。

 スタームルガーを撃ち、軍刀で敵を斬りつけながら、九鬼は生の実感を覚えていた。

 兄のように死ぬことなく、戦いの中で死ねるのだ。九鬼はウルフカットの髪を振り乱し、静かに笑う。絶頂のような快感が持続しているようだった。

 その時、焼け火箸を突っ込まれたような熱さが脇腹を襲った。銃弾が腹を貫いたようだった。

 九鬼は残弾少なくなったスタームルガーと血塗られた良近の軍刀を両手に、吶喊とともに敵に突っ込んでいく。銃弾が連続し、土煙がいくつも立った。

 鋼と鋼が打ち合う音と、乾いた銃声、悲鳴がこだまし、やがて静かになった。

 

                    終

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血煙 チンアナゴ(かたゆで) @chinanagokatayude

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