桜道

麦とお米

 

 桜の木は、並木道の両サイドに整列しており、淡いピンク色の花びらの雪を降らせている。

 この場所を彩っているのは彼女たちだけではない。菜の花が乱れ咲き、甘く優しい香りが鼻をくすぐっている。

 この道を行くのは、ランニングをする青年、犬の散歩をする少女、並んで仲良く歩く老夫婦。そして僕。

 風には温もりがあり、冬の終わり、春の訪れを伝えている。

 陽はすでに傾いており、青空が薄っすらとオレンジ色になりつつある。

 このような絶好なお花見日和を、僕は美辞麗句で上手に表現することも出来ないほど大好きで、色々な形容詞やら比喩表現で言い表せないほど嫌いである。

 一年に一回訪れる、この素晴らしき季節は、いつだって僕の心を締め付ける。


「先輩、見てくださいよ」 

 僕がまだ高校生の頃の記憶。河合美咲かわいみさきは中学からの後輩であった。黒いジャンパーに黒い短パン。ミニスカートに見えなくもない。

 短い付き合いではなく、むしろ長い付き合いであると僕は言いたい。きっかけは生徒会。

 ボランティア活動で出逢った彼女は、後輩として先輩をたて、無邪気さを演じ、人に好かれるような気配を常に身に纏っていた。

 出逢った当初は気づかなかったが、彼女、保育園時代から中学校にかけて同じだった僕の数少ない親友のうちの一人の妹だった。彼女とは中学時代から不定期で会い、一緒に遊びにいったものだ。

 この日も同じく、つい1時間ほど前にチャットアプリで「今暇?」などと現代の若者そのもののノリで連絡したのである。

 数分後に返信は来た。

「一緒に花見でもいかない?」

 なんともごく一般的で、普通で、面白味にかけ、ロマンチックなどいささかも期待できない誘い文句に、彼女は来てくれたのである。

 僕と美咲は並んで歩いていた。二人してスマートフォンを手に持ち、見事な桜やら菜の花やらを撮っては笑うのだった。

 この子が隣に居てくれる。それだけで、僕の心臓はやや騒がしく、流れる汗を隠すのに苦労した。この日は別に暑いわけでもなかったというのに。

 互いにした話といえば、互いの高校の話や親の愚痴といった世間話とやらだったと思う。

 彼女の兄、つまりは僕の親友についての不平不満もあったようで「おう、じゃあ、気をつけるように言っておくよ」といったようなことを口にしたはずだ。

 もう、朧気な記憶なのだが。

 実際のところ、僕は彼女が好きだったのだと思う。

 年下とはいえ、彼女の優しさ、人を気遣う心は、今まで見てきた人間の中でずっとずっと大人びていたように感じられる。

 人懐い彼女。よく笑う彼女。無邪気に桜の写真を撮る彼女。

 人が桜を好み、月を眺め、星を探すのと同じように、僕にとってこの感情は当然のことのように思われた。

 花びらが美咲の髪に落ち、ピンク色の髪飾りになったとき、僕は本気だった。

 だからこそ、急に連絡が絶たれ、二度と同じ道を歩むことがないと知ったときにはすべてを嫌った。後で知ったことは、彼女は、ずっと僕のことを嫌っていたということである。


 星が見えるほど暗くなった道。

 人はもう居なくなった。

 いま願うとすれば、僕はあの年の、あの日の桜の景色を見たいのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜道 麦とお米 @mugitookome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ