タンスの中に、理想の女

DITinoue(上楽竜文)

タンスの中に、理想の女

「爪と眉毛もやるか?」

「え、また?」

 耳元で、ハスキーボイスで囁かれれば、そうするしかない。

 私は彼の膝に右手を置く。


「……今度、うちに来ないか?」


「えっ?!」

 私は思わず、大きな声を出してしまった。

「明後日は、付き合って三カ月だろ? そろそろ、さ」

 クールな彼が珍しく、俯いてキャップを深く被り直す。

遼次りょうじがいいなら……喜んで」

 彼の家に二人きりを想像すると、このまま椅子に身体が溶けていってしまいそうだった。


「で、来るときは、日曜にカフェ行った時と同じメイクで、あの白に黒の花柄のワンピースを着てきてほしい」


 と、遼次は一転、感情があるのか分からないような声で話す。


 ――またか。


 私は、胸の中が、少し乾くのを感じた。

 彼は早口で、髪形や、パジャマ、香水、ネイル、さらに下着まで事細かく指定していく。


「面倒で悪い。オレは、オレが、一番好きな早百合さゆりで来てほしいんだ」


 そう言って、私の爪を切るのをいったん止め、遼次は、その美しく通った鼻筋を私の鼻にちょん、と触れさせる。

 ……ならばいつワンピースを洗濯しようか、なんて、知らぬうちに考えていた。




 彼と会ったのは、取引先の店長のおかげだった。

 年末休みに入り、久々に髪を染めていたというのに、突然、連絡が入った。

 普段の美容院は休みに入っていて、仕方なく、通り道の「FANCY」に入ったのだ。


 そこにいたのが、“百年に一度のカリスマ美容師”、遼次だった。


 金色のショートに、癖のかかった前髪。

 俗に言う塩顔という感じの細い男。

 彼は色抜きだけでなく、鏡に映ったのが俳優かと思うほど美しいロングを彼は作ってくれた。

 会話も、ハスキーで静か、反応はドライだが、どこか私に親身になってくれた。

 それから、私は、「FANCY」に入り浸り、気づけば遼次と毎日連絡を取るようになっていた。

 口調やメイク、ネイル、洗濯物を数日間溜めてから洗う、夜のコンビニスイーツなどを指摘されることよりも、彼の底の無い深い愛情に、私はずぶずぶ溺れていった。




「へー、早百合さんでも付き合うんですねぇ」

「恋なんてしないのかと」

 ヒソヒソ話の元を、普段より強く私は睨んだ。

 ――いつの間に、知られたんだ。

「へー、早百合さんいいですね! ますます、業績も伸びそうですね!」

 と、業績トップを独走する二年目、千早ちはやが笑顔で言ってきた。

「煽ってる?」

「えー? そんなわけないじゃないですかぁ。私、彼氏がめちゃめちゃ細かいんですけどぉ」

「うるさい。早く出てって」

 ドがつくほどの童顔は、笑顔でバッグを持って、仕事へ出ていく。

 常に愛想を振りまき、周りからも好かれ、業績は右肩上がり。

 それでいて、馬鹿らしいほど純粋なのが、私の心の浅瀬を硬化させる。

「いつもより、機嫌悪くね?」

 どこかから耳に入った声。

 それを振り切るように、私は外に出た。




 マンションの高層階にある部屋のインターホンを押すと、遼次がカーキのエプロンを着て出てきた。

「いらっしゃい」

 彼の家は、必要最低限のものしかないようだったが、ソファには、アニメキャラのぬいぐるみが所狭しと並んでいる。

「ぬいぐるみ好きなの?」

「え? え、あ、ああ、あれか」

 パスタを作ってるという遼次は一瞬、オリーブオイルを落としそうになった。

「そう。元々好きだったんだけど、両親にほとんど捨てられたから」

 私は心が、磁力の強くなった彼に引き寄せられるのを感じた。


 ペペロンチーノからは、どこか懐かしさがあり、でもフレッシュさを感じた

「おいしっ」


「よかった、喜んでくれて。……このネイル、前と一緒か?」


「えっ?」

 私はふと、手元に視線を落とした。

 エメラルドグリーンの中の金粉が、キラリと光る。

「あっ、塗り直す時間無くて……」

「オレのためなら塗り直して来いよ。こんなのすぐだろ? あっ、口紅も薄い。もうちょっとしっかり塗ってこいよ」

「……ごめん」

 彼の額が、にわかに険しくなった。

「しかも、昼、キムチでも食ったんじゃないか? せっかく作ったのに」

「……ごめん、そこまで考えてなかった」

「ったく、オレの彼女、しっかりしてくれよ。ま、今は今で可愛いから、いいけど」

 ごく自然な一言に、しょぼんと萎れた私の頭が、スクリと立ち上がる。


 と、先に食べ終えていた遼次が、油でこてこての唇を唐突に合わせてきた。


「えっ……」

「先、シャワー浴びてくるわ」

 表情をあまり変えない彼が、いたずらな中学生のように、ニヤリ、笑った。




 ブルリと身体が震えて、意識がピンと糸を張った。

 遼次は、赤ん坊のように寝息を立てている。

 シャワーから出る時のタオルの巻き方で文句を言われた以外は、完璧な夜だった。

 ふと、尿意をおぼえたので、上下のパジャマを着て、布団から出る。

 と。

 置いてあるタンスからだらんと垂れた“奇妙なもの”が目に留まった。


「……髪の毛?」


 どこかホラーじみた光景に、私は思わず引き寄せられる。

 そっと、タンスを引いた。


「……えっ?」


 ぎゅうぎゅうに並べられたのは“マネキンの頭部”だった。


 どのマネキンも、髪の毛が植え付けてあり、それが様々なヘアスタイルにセットされている。

 そのうちの一つを手に取ってみると。


『早百合』


 と、首の付け根に、マジックペンで几帳面に書かれていた。

 顔面には私の顔写真が貼られ、アイメイクや口紅が施されている。写真の眉には、ホンモノの眉毛と思しきものが。

 さらに、袋にはカラフルな爪。

 貼ってあった紙には、『早百合の理想像』と題した様々な注文が、紙を真っ黒に埋め尽くしていた。


 ――まさか、美容室で爪切ってたのって。


 拍動が、にわかに早くなった。汗が、首筋にじとりと被さる。

 私はもう一つのマネキンを手に取ってみる。


『茉莉花』


 付けられた髪はツインテールに分けられ、ショッキングピンクの口紅、さらにサングラス。

 ――なにこれ、ナニこれ、ナニコレ。違う女?

 さらにもう一つを手に取る。

 その瞬間、背骨が凍結した。


『千早』


 控えめな口紅とアイシャドー。幼稚園児を大きくしたような顔写真が貼られている。

 ――私、彼氏がめちゃめちゃ細かいんですけどぉ。

「あの女、まさか」

 と、その下に、一枚の紙が敷いてあった。


『目的:オレに懐く、可愛くて個性的な人形を置く。彼女らに囲まれて、全てを満たされる。マネキンは、オレが彼女たちに一番似合う見た目を作り出すためだ。学生時代、失ったものを全部取り返す』


 もう一度、私は彼の寝顔を見た。

 鼻筋の高く、洒落た大人の男の寝顔だ。

 一体、学生時代、何によって彼は歪んでしまったのだろう


「早百合、似合ってる……」


 と、耳馴染みのいいハスキーボイスが、私の耳を包んだ。


「……遼次?」


 私はタンスを閉めて、ベッドに飛び込んだ。

 彼の手を握って、目を閉じる。


 ――歪んでても、私の好きな遼次はこれだ。


 満たされた意識は、沼にはまったように落ちていく……。

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タンスの中に、理想の女 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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