桜色に染めて

mikanboy

第1話

「卒業証書授与──A組代表、田中たなか颯太そうた

「──はいっ!」


 3月1日、春。


 全校生徒が体育館に集められ、卒業式が行われている。

 クラスの担任は代表生の名前を呼び上げ、代表生は大きな声で返事をして前に出る。

 私語を挟む者など1人もいない。


 いつもジャージを着ていた先生や、髪がボサボサだった女子、どれだけ注意されてもシャツを出し続けていた男子さえも、今日に限ってはまるで別人のよう。

 全員が今日という日を忘れられない思い出にしようとしている、至って真面目な雰囲気。

 高校3年生になっても、この息苦しい空気感には慣れそうにない。


 ……これも全部、春のせいだ。


「──C組代表、佐藤さとう冬花ふゆか

「は……はぃっ……──はっくしゅんっ!!」


 そんな真面目な雰囲気に合わせるため、私も大きな声で「はいっ!」と返事をした──いや、しようとした。


 ……実際に口から出たのは、とびっきり大きな“くしゃみ”だった。



 3月1日、春──花粉症の季節。


 毎年この時期になると、私はスギ花粉に殺されそうになる。

 鼻は詰まるし、くしゃみは止まらない。呼吸をする隙も与えずに、花粉は私を攻め立てる。

 それも卒業式のような真面目な雰囲気の中だと尚更だ。

 周りが静かになればなるほど、鼻をすする音は大きくなり、私のくしゃみは威力を増す。


 せっかく空気を読んで息を殺してたのに、まさかあのタイミングで暴発するだなんて……。


 1時間前の私の体には、何百本もの槍のような視線が突き刺さっていた。


 物理的にも、社会的にも、私はスギ花粉に殺されそうになるのだ。


 そりゃ高校3年生になっても、あの息苦しい空気感に慣れないわけだよ。


 ……これも全部、春のせいだ。

 春に卒業式を行うのが悪い。

 春に花粉が舞うのが悪い。


 だから、くしゃみを暴発させた私は悪くない。


「はぁ~……ほんっと、春って嫌い」


 卒業式の後のHRホームルームを終え、周りのクラスメイト達がお互いの名前をアルバムに書き合っている頃、私は自分の席に座って外の景色を眺めていた。

 私の席は窓際に位置し、2階の教室からは正門の様子がよく見える。


 桜の木を背景に写真を撮り合う人達、お互いの肩を寄せ合い別れを嘆く人達……。


 毎日違う景色を見せてくれるこの席は、私のお気に入りの場所だ。


 ここは私の絶対領域テリトリー、誰にも譲る気はない。


「──呼んだ~?」


 ……そんな私の考えなんてお構いなしに、1人私の領域に侵入してくる女子がいる。


「いや、呼んでねーし」

「えーうそ? 今、絶対アタシのこと嫌いって言ってたじゃんっ!」

「自意識過剰すぎ。 ハルじゃなくて、春。 季節の方の春」

「あそっち~? なんだ、勘違いしちゃったじゃ~ん」


 コイツは幼少期からの知り合いで、名前はハル。

 隙あらばぼっちの私にダル絡みしてくる、いたずら好きなギャルだ。


「それで、フユはなんで春が嫌いなの~?」


 そう言ってハルは1つ前の席に座り、私の顔を覗き込んできた。


「だって春になったら、桜の木に毛虫が湧くでしょ? それに寒くなったり暑くなったりで、めっちゃ体調崩しやすくなるし」


 窓から薄っすらと見える山の方を睨みつけて、私は続ける。


「そして何より花粉症よ、花粉症。 ほんっと、なんでこんな時期に卒業式なんてやらなきゃいけないんだか。 おかげで大恥かいたし」

「あっはは! アレ狙ってやったんじゃなかったの?! アタシ笑い堪えるのチョー大変だったんだけど!」

「はー? んな訳ないでしょ。 せめて委員長じゃなかったら、まだマシだったのに……」


 卒業証書を受け取るのはクラスの委員長だと決まっている。

 もし私が委員長じゃなかったら、返事をしたり席を立ったりする必要が無いため、あれだけの視線を送られることは無かったはずだ。


「あ~、それは何というか……ドンマイ?」

「アンタのせいでしょがっ」

「あははっ! やっぱり~?」


 ハルはいつもの調子で、いたずらっぽい笑顔を浮かべている。


 私をクラス委員長に推薦したのはハルだ。

 しかも今年だけではない、小学校からずっとだ。

 毎年の恒例行事であるかのように、4月になると私とハルは同じクラスになり、私は委員長の役を押し付けられる。「面白そうだったから!」とかいう理由で。


 私はクラスでも一匹狼みたいな存在で、委員長なんてガラじゃないのに……。


 ……これも全部、春のせいだ。

 春にハルと出会ったのが悪い。

 春に委員会を決めるのが悪い。


 だから、委員長を断り切れなかった私は悪くない。


「アタシは結構、春好きだけどな~」

「えぇ……なんで?」

「だって桜チョー綺麗じゃん! いい匂いするし! それになんか気持ちが前向きになるっしょ?」

「そー?」


 ハルは私と全く逆の性格をしている。

 いつも笑ってるし、友達は多いし、私みたいな面倒な女に絡んでくるし。


「私とハルって正反対だよね。 多分季節の中だったら冬が一番嫌いでしょ」

「えスゴっ! フユ、エスパーじゃん!」

「あーやっぱり。 私、冬が一番好きだから。お鍋美味しいし」


 私は春が嫌いで、冬が好き。

 コイツは冬が嫌いで、春が好き。


 私はフユで、冷たい性格。

 コイツはハルで、暖かい性格。


 ──私とハルは、正反対。


 ……ほんっと、なんでこんな奴と卒業式の日まで絡んでるんだろ。


 視線を正門の方に戻す。

 既に学校を背にして歩いている人がいる。


 今度は教室の方を見渡してみる。

 まだ残っている人は多いが、さっきより人が減っている気がする。


 …………帰るか。


 考えていてもしょうがない。

 どうせ今日でコイツともおさらばだ。


 私たちは4月から別々の大学へと進学することになっている。

 ついに『ハル』という呪いから解放され、1人平穏な生活を送ることができるのだ。


 ……そう思っていたはずなのに。


「──でもアタシ、冬の季節は嫌いだけど、フユのことは好きだよ」

「…………は?」


 コイツはまた、私の領域に許可もなく侵入してきたのだ。


「えっ?は? 何急に? 私達そんなこと言い合うような仲じゃないでしょ」


 ハルが私にちょっかいを出してきて、私はそれを適当にあしらう。

 ──それが私たちの関係。


 アルバムにお互いの名前を書き合ったり、桜の木を背景に写真を撮り合ったり……。

 お互いの肩を寄せ合って別れを嘆いたり、好きって言い合ったり……。

 ──そんな些細な出来事で心が乱れてしまうような、不安定な関係ではない。


 私が求めるのは心の平穏。

 感情が大きく高ぶることがなければ、落ち込むこともない。


 だから私は誰かと深く関わることを避けてきた。

 できるだけ目立たないよう、息を殺してきた。


 なのにコイツは卒業式の日まで、私の心を乱そうとする。


 ……そうだ、これも全部春のせいだ。

 春の空気がコイツの気持ちをおかしくさせたんだ。

 春の風がコイツに変な事を言うようそそのかしたんだ。


 だから、心の領域への侵入を許してしまった私は悪くない。


「……何で急に、そんなこと言ったの?」


 私は動揺と疑念が混じり合った顔でハルを睨みつけた。


「あははっ! さぁ~? なんでだろ~っね!!」


 そんな私の顔が気に入ったのか、ハルはさらなる追い打ちをかけてきた。


「──え、ちょっ……!」


 ハルはカーテンをパッと広げさせ、私たちを包み込ませたのだ。


「ちょっ何してんのっ……!」

「にへへっ、いーじゃんいーじゃんっ!」


 ハルはそう言って、いつも以上にニヤニヤした顔で私の机に寄りかかってくる。

 机に両肘をつかせて、脚も私のに絡まるんじゃないかというぐらいの位置まで来ている。


 ……私はいつ、コイツにここまで侵入するのを許したんだっけ。


 私たちの距離は、気付けば机半個分。

 カーテンは私たちを覆い、クラスメイトからの視線は遮断される。


 そこには教室からは隔離された、たった2人だけの世界が作り上げられていた。


「それで、フユはどうなの? ハルのこと好き?嫌い?」


 ハルが喋りかけてくる度に吐息がかかる。


「は、はぁ~!? し、知らねーしっ!」


 私は咄嗟に拒絶する。

 私の心が完全に侵食されないように。


「あれ~? さっきは嫌いって言ってなかった~? アタシ今、季節の方の“春”を聞いてたんだけど~?」

「へ…………?」



 鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのは、今の私のことを言うのだろう。


「あっはは! やっぱりフユ面白~い!」


 ハルはまた、いたずらっぽい笑顔でこちらを見つめている。


「……また揶揄ったの?」

「う~ん? さぁ~、どっちでしょ~?」

「…………ったく」


 私も私だ。

 ハルのいたずらは今に始まったことじゃないだろ。

 こんなことで心を乱してどうする。


 今日はハルと話していると、どうも調子が狂いそうになる。

 私は視線を窓の方へと逸らした。


 ……なんだか顔が熱い。


 きっと春の陽気に当てられたせいだろう。

 窓を少し開けることにした。


 カラカラカラ……。


「あっ──」


 窓を開けると一片ひとひらの桜がひらひらと迷い込み、私の頭へと着地した。


 やれやれ……どうやら『構ってちゃん』は1人じゃないらしい。


 しかし私の方に来られても困る。

 私はいつも通り、塩対応ではらけることしか出来ないのだから。


「──あっ、ちょい待ちっ!」


 頭に乗った桜を手で摘まみ上げようとした途端、ハルが私の手を掴んできた。


「……なに」

「せっかくだし、そのまま一緒に写真撮ろっ! 桜チョー似合ってるから!」


 ハルはまた、何か企んでいるかのような笑顔を浮かべている。


「はぁ……好きにすれば」


 私はそっぽを向いて答える。


「やった~!」


 ハルはさらに顔を近づけて、私たち2人が映るようスマホを構えた。


 そういえば、コイツと写真を撮るのなんて初めてだ。

 そもそも「写真を撮ろう」なんて言われたことがないし、言われたとしても断っていたはずだ。


 ……そのはずなのに、どうして私は断らなかったのだろう。


「それじゃあ、いっくよ~!」


 ──いや、深く考えるのはやめておこう。

 どうせこれも全部、春のせいなんだから……。


「──はい、チー…………ちゅっ!」


 ──パシャッ。


「……ッ!!??」


 は……? 今、何した……?


 シャッターを切る瞬間、私の右頬に柔らかい“何か”が当たった。


「にへへ~、待ち受けにしちゃお~っと」


 ハルのスマホの画面には窓の方を向いている私と、私の右頬に口づけをしているハルが映っていた。


「は、ハル……アンタ今……」

「いや~、フユのほっぺが真っ赤で可愛かったからさ~。つい、ね?」

「つ、ついって……」


 確かにさっきから顔の火照りが止まらない。

 今見た写真からでも分かるぐらい、私の頬は赤く染まっていた。


 ……それでも、コイツはそんな簡単な理由で人に口づけをする奴だったか?


 なんやかんやでハルとは10年以上の付き合いだ。

 学校でしか会ったことは無いが、ハルが誰かに口づけをしているところは見たことがない。


 今の状況だってそうだ。

 こんな風にハルとカーテンにくるまって、写真を撮るのなんて初めてだ。


 ……今日は、何かがおかしい。

 いつもより距離感が近いハルも、それを許してしまっている私も……。


「……ねぇ、何で急にこんなことしたの」


 コイツに聞いても仕方がないのは分かっている。

 コイツはただ、私が困っている顔を見たいだけだ。


 それでも、私は何か納得できる理由を見つけたくて、ハルの顔を見つめ直した。


「う~ん、強いて言うなら~…………“春のおかげ”ってやつ?」


 あ…………そっか…………。


 ハルは私と正反対の性格をしている。

 ハルは私には持っていないものを持っている。


 だからこそ、私はコイツと深く関わろうとしなかった。


 ──絶対、好きになってしまうから。


 誰かと深く関われば関わるほど、失った時の反動は大きくなる。

 だから私は誰かと深く関わることを避けてきた。


 ……だったらどうして、今私はここにいるんだ?


 関わりを避けたいのならHRホームルームが終わった後、すぐにでも帰るべきだった。

 窓から正門を見る暇があるのなら、その間に荷物をまとめて教室から出るべきだった。


 ──でも、そうしなかった。


 これも全部、春のせい?

 ……いや、違う。


 それは自分の心を偽り、冷静にさせるための常套句。


 私は──今日という日を忘れられない思い出にしたかったんだ。


「ちょっ! ふ、フユ!?」

「あぁっ……」


 ポタ、ポタ……。


 ──気付いた時にはもう遅かった。


 私の目からは大量の涙が溢れていた。


「──るっさい! ただの……花粉症だしっ……!」

「いやいや、そんなワケないっしょ……」


 私……もうとっくに、ハルのことが好きだったんだ……。


 ハルはいつも私に笑いかけてくれた。

 そんなハルの笑顔が大好きだったんだ。


 なのに私はいつか来る別れの日を恐れて、自分の心を偽り続けた。

 ハルのことを友達だと思おうとしなかった。


 ──だからこそ、せめてハルの笑顔だけは目に焼き付けておこうと思って、この教室に残ることにしたんだ。


「ご、ごめん……アタシ勝手にキスしちゃって、嫌だったよね……?」


 ──違う。


「勝手に待ち受けなんかにして、キモかったよね……」


 ──嬉しかった。


「こんなに近くに寄ってこられて、ウザかったよね……」


 ──幸せだった。


「……あ、アタシ、もう帰るねっ!」


「──待って!」


 カーテンを広げようとしたハルの手を掴み、そのまま身を乗り出して右頬に口づけをした。


「えっ……ふ、フユ、今……!」

「…………お返し」


 ここはカーテンの中の世界。

 教室からは隔離されていて、誰の目にも触れることは無い。


 ──だから、今だけは素直でいよう。


「……ハル」

「な、なに……?」

「私と…………友達になって欲しい」


 ハルの目を見て、真剣に尋ねる。


 大丈夫、もう涙は出さない。


「……! そんなの……モチのロンっしょ!」


 ハルの顔に笑顔が戻る。


「ってか、それ言うの遅くな~い? 私、10年以上待ってたんだけど~!」

「ふふっ、ごめん」

「……じゃあ今まで待たせた分、これからちゃんと埋め合わせしてね?」

「うん……!」


 ハルと肩を寄せ合って、私は笑顔でそう答えた。


 ──私たちの距離は、机半個分。

 たとえ離れ離れになっても、心の距離はずっとこのままで──


「──よっし、そうと決まれば一緒に帰ろ、フユ」

「……ん」


 少し名残惜しい気もするが、ハルと同じ道を帰れると思うと楽しみだ。


 カーテンを広げ、席を立つ。


 ──瞬間、周りの人達の視線が降り注ぐ。

 しかし今度のは体育館の時とは違う、どこか温かい視線。


「あれ、2人とも帰るんだ~? お幸せにね~!」

「……?」


 どこかニヤついた顔で、クラスメイトの1人が話しかけてきた。


 ハルの友達だろうか。


「ちょいちょい、お幸せにってどういう意味よ~?」


 ハルがその人に問いかける。


「え~? そりゃあ……ねぇ?」


 その人は私たちがくるまっていたカーテンの方に視線を移した。


「今日はよく晴れてるから、カーテン越しでも影がくっきり映るんだよね~」

「…………マジ?」


 周囲の人も頷きながら私たちを見ている。

 試しにカーテンの中に自分の左手を突っ込んでみた。


 ……マジだ。


「よかったね、ハル。ずっと冬花ちゃんと仲良くなりたそうにしてたもんね!……まぁ、あそこまで行くとは思わなかったけど」

「あ、あそこまでって……?」


 その人はハルの右頬に指を当てて、耳打ちした。


「冬花ちゃんのほっぺた、柔らかかった?」

「~~~~っ! し、知らないしっ!」


 珍しくハルが動揺している。


「──フユ、早く帰ろっ!」


 ハルは急いで荷物をまとめ、私の手を引っ張った。


「キャー! ハル、格好良い!」

「ヒューヒュー! 見せつけてくれるじゃん!」


 ハルの友達らしき人達が歓声を上げている。


「お前らうるっさい! …………でも今までありがとねっ!」


 ハルはその人たちに怒りつつも、律儀に別れの言葉を言い放った。


「──ごめんね、フユ!周りがうるさくって」


 ──ホントだよ。

 私たちの痴態は晒されてるわ、周りの注目は浴びるわ……。

 おかげで私の心の平穏は壊されっぱなしだ。


 ……それでも、今日という日は忘れられない思い出になるだろう。


 こんなにハルと近づけたのも……こんなに幸せな気持ちになれたのも……あれもこれも、全部全部──


「まったく……ハルのせいだからね」

「だからごめんって~!」


 手を繋いで逃げるように教室を出た私たちの頬は、頭に乗ったこの桜のように赤く染まっていた。

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