ドッペルライバー

春咲夏花

第1話


 仮想空間に響く歌声が、夜を彩る。その歌声の持ち主は近頃流行りの人気バーチャルアイドルである【アノニマス・リリィ】という名前の少女だ。

 今日はライブ配信の日。今夜、彼女は電脳世界に華開く。

 淡く照らされた銀髪。夜空の様に輝く紋様混じりの瞳。そしてアイドルらしいジャケットとミニスカートでバッチリとキメた華やかな衣装が視線を釘付けにさせる。

 その衣装は白と黒の花柄の装飾が施されており、それがより一層彼女を飾りたてる。揺れ動くアバターが、透明感のある声で歌う。

 そこに込められた叙情的な歌声は、正に絶唱と呼べる歌声だった。歌い踊り、リリィは曲を更に盛り上げてより一層ボルテージを上げていくために蠱惑的なステップを踏む。

 その一挙手一投足が見惚れるほど軽やかな様相を帯び、高まったボルテージにより画面越しのファン達がコメントを連投し、電脳世界に熱狂が渦巻く。


 ライブが終わり、そこには水を打ったように静寂が訪れる。ただ熱の残滓と鼓動する心音を鳴らす一人の体温がそこに残った。


「リリィ、遅刻するよ!」


 その静寂を切り裂くように叫んだのはリリィのマネージャーである佐倉さくらミツキだ。通信機としての役割も兼ねたヘッドセット越しに叫ぶ。

 それを聞いたリリィは──本名は花宮はなみやリリカというのだが──急いで撮影用スタジオから楽屋へと直行し、握っていたライブの熱がまだ残っているマイクをテーブルに置きながら笑った。


「大丈夫、はまだ待っててくれるから!」


 ヘッドセットを外すと、彼女の表情は一変した。覚悟を決めた様に瞳から光が消える。それは闇夜を思わせる瞳だ。

 黒いフード付きコートに着替え、特殊なスタンガンを手に持つ。その他必要な物をまとめてコートに仕舞い込み、慣れた手つきで手早く準備していく。

 彼女のもう一つの顔が動き出そうとしていた。そう、彼女の裏の顔は殺し屋なのだ。

 ただしその武装から分かる様に単なる殺し屋ではない──彼女はマイクは握るが銃は握ったりしない。


 路地裏で男が倒れる。全身痺れて硬直したまま倒れたその男はマフィアの下っ端だった。

たかが不意打ち程度で動じる様な男ではなかったのだが、あまりに早くリリカのスタンガンが電流を放っていたため彼は相手の攻撃を防ごうとすることすら許さなかった。

 呻き声を上げて気を失おうとしていた。彼女は気を失おうとする男の耳元でそっと囁く。


「殺さないよ。未来のファンを失いたくないから」


 彼女はそう言って手際良く男を拘束する。

それは彼女の所属するバーチャルアイドル事務所「スターリット」の方針だ。もっともそれは表の顔であり、裏の顔として殺し屋の養成機関としての面も持っている。

 殺し屋としてそれは不合理で、あまりに甘い幻想として馬鹿げていると理解しつつも、「アイドルと兼業する者にその手を汚させない」という掟を掲げていた。

 しかしそれはリリカにとって、掟としての強制された不殺主義というだけでなく、より自らの信念に直結した深い考えだった。

 未来のファンを失いたくないというのも本音であるが、それ以上に、誰かを失う痛みを他人には味わわせたくなかったのだ。

 いざとなれば誰かを殺す覚悟は誰よりもあるはずなのに、それでもなるべく殺したくないと彼女は思ってしまった。


 リリカは拘束を終えると同時に両親のことが脳裏に浮かんだ。そして自分を褒めてくれる姿を幻視する。

 いや、今自分がやっている事はきっと褒めてはくれないだろうと知りながら。


 10年前、両親が血まみれで倒れる姿を見た。殺されたのだ。幼い彼女はただただその恐怖に怯えて全てを放り出して逃げ、隠れ、自分が助かることだけを考えるしかなかった。

 彼女にとって悪夢としか言いようがないあの夜、逃げ込んだ先で龍の被り物をした奇妙な男に出会った。それは運命だとでも言うべきものだろうか。

 彼の差し伸べた手を掴むことにした彼女は、闇の世界と繋がる生き方を決めた。


 任務を終えて事務所に戻ると、プロデューサーが待っていた。彼の名前は竜崎りゅうざきリュウマ。その男は名は体を表すとでも言いたげな様に龍の被り物を被っている。

 黒いスーツに鍛えられた体格をした長身。言うまでもなく裏社会に精通した人間であり、スターリットの表と裏のシステムを考案した張本人である。

 しかし何故龍の被り物をしているかは不明だ。きっと素顔を見せたくないのだろう。


「お帰りリリカ。随分早かったな。まぁスマートなのは尊ばれることだ、あの男は回収班がもう向かっている。直に処理されるだろう」


 低く渋い声が響く。やや芝居がかったような、少しばかり調子の良さそうな声色だ。


「ああ、いつものね」


 なんて言い方をすれば、例えばドラム缶に詰めて沈めて海底の景色を見せてやるなんて具合に何かと物騒な想像を掻き立てられてしまうが、あくまでも裏社会の人材確保である。決して殺したりはしない。

 人の命は換金可能だと良く理解してるからこそ、だからこそ貴重なのだ。

 ただし、裏社会で甘い汁を吸えていた人間にとってそのあまりに真っ当な、単なる労働力としてしか見ていないようなその扱い方ははっきり言って死んだ方がマシかもしれない。

 辛うじて奴隷扱いにならないだけまだ温情をかけているのだが。

 こうした回収班を率いているのはミツキである。リリィのマネージャーでありながら、裏社会にも精通する彼女はやはりと言うべきか、仕事人気質であるというのは間違いない。

 

 リリカはその後ミツキが戻ってくるまで時間があるため、リュウマとのたわいもない話をしながら、タブレットで音楽を流した。それはとある歌い手がアノニマス・リリィの曲をカバーしたものだった。


「この歌い手のクロノスって人、アタシのリアコなんだけどさぁ、特に声が好きなんだよね、もう毎朝目覚ましボイスにできるっていうかさぁ……まあ殺し屋が癒しを求めてるなんて、笑えるけどね」

「 別に俺は笑わないぞ?」


 リュウマは彼女の趣味を否定したりしなかった。元より不合理的な掟を設けてまで、殺し屋の自主性に拘る彼は、単なる道具として彼女が振る舞うことを良しとしない。

 殺し屋はただ淡々と殺しを行う機械のように感情を押し殺すべきだという殺し屋の一般論的なものは勿論理解している。

 そう理解した上であえて破っているのだ。責任を取れる範囲であれば好きにやらせてやるのが人情であると、殺し屋でありながら彼は本気で信じていた。


 街の裏側で、銃声が鳴る。怒声、叫び声、血みどろの闘争の果てに赤い赤い鮮血の華が咲く。

 黒瀬くろせマサトという人物の仕業だ。

 その男はマフィアの若き跡取りであり、武闘派を自称している。しかし自称するだけあってか前線に立って部下を指揮していき、その指揮は指揮者がタクトを振るが如く優雅であった。

 今回の抗争においてもその指揮官っぷりは遺憾無く発揮されており、敵は一方的に殲滅されるばかりであった。

 彼により統率された部下に無駄な動きは全くなく、機械的に殺し続ける殺戮人形であるかのようだった。

 何よりその声は良く響き、彼の下す命令全てが部下達の脳に良く染み込む。

 部下の一人が敵を仕留める横で、彼はワイヤーレスのイヤホンを耳に押し込み、酩酊する薬物中毒者のように気分を高揚させ、体を捻りながら呟いた。


「お歌の時間だ」


 流れるのはアノニマス・リリィの新曲。血に濡れたコートを翻しながら、彼は大胆不敵に笑いながら歌うように話し出す。


「いい声だ。殺しの後で聴くと、さらに映える」


 滴り落ちる血の跡。しかし彼のコートについた血は全て返り血なのだ。

 彼は前線に立ちながらまるで無傷。その異常な身体能力、計り知れない強さに対して部下達は感嘆するばかりだった。


 翌朝、ニュースがマフィアの殺人事件を報じた。別にこの街では良くあることなので、話題はすぐに何処かの俳優の不倫へと移り変わった。

 しかし、マフィアの増長を良しとしない者たちもいる。死者が増えれば勢力図は変貌し、闇はよりその深さを増していく。

 裏社会から事務所に舞い込んだのは、黒瀬マサト暗殺の依頼だった。


「マフィアのボスとなると準備がいるな、をするしかないだろう」


 リュウマの指示で、リリカは仕掛けの準備を始めるのだった。


 その夜、事務所の裏口で異変が起きた。リリカの熱狂的なファンを名乗る男が、彼女の居場所を嗅ぎつけて押しかけてきたのだ。

 勿論偶然などではない。彼はマフィアお抱えの殺し屋である。マサトの部下の一人が独断で暗殺を依頼したのだ。裏社会の情報網から事務所の裏の顔を知り、不安の芽を潰そうと先走ったのだ。


「リリィに会わせろ! 俺は特別なファンなんだ!」


 酔った演技で男が叫ぶ。これはこの男の十八番であり、今まで何人も癇癪を起こした酔っ払いだと油断した人間をあの世に送ってきた。

 しかし目当てのリリカはタイミング悪く今マフィアのアジト目指して外出中である。ミツキがリュウマに目配せした。


「私がやるよ」


 言うが早いがミツキがナイフを手に一閃、男の首筋に刃を滑らせた。男はナイフを構え反撃を伺っていたが、迫り来る刃を躱しきれず倒れる。その攻防は紙一重だった。

 あとほんの少しでも遅ければ、血を流していたのはミツキの方だっただろう。

 リュウマは自分がやろうとしたのに先に動かれたことに対して不満はあったがぐっと飲み込み、淡々と後処理を指示していき、騒ぎがまるで嘘だったかのように回収班によって片付けられた。


「リリカには言わないでね。あの子に血は似合わない」

「……そうだな。あいつは歌うだけでいい」


 掟を守るために二人は秘密を交わし、そして手を汚すことを躊躇わなかった。


 数日後、一度潜入して下準備をしていたマフィアのアジトに滞りなく潜入したリリカは、下っ端を次々と無力化した。年齢も性別も体格も、あらゆる不利を跳ね除けるだけの強さがリリカはある。マフィア相手だろうと並の敵なら役不足だ。

 ──だがそこに足音が近づく。


「お前か、俺の大事な部下をやったのは」


 殺気を放ちながらも洗練された動きでマサトが強襲する。彼の身体能力の真髄、極まった五感によって侵入者を容易く探り当ててみせた。

 黒いコートを纏い、ナイフを握りしめ、獣を思わせる鋭い目がリリカを捉える。

 先手必勝でリリカが仕掛ける瞬間、彼の異常な身体能力が炸裂した。電流が迸るスタンガンの連撃を華麗に回避し、お返しとばかりに彼女を壁に叩きつける。


「その玩具はなんだ? 笑えるな。もっと殺す気で来いよ、こんな風になぁッ!」


 相手を逃がさず壁に追いやっての打撃の嵐。肋骨が軋む痛みに、リリカは歯を食いしばった。しかし防御も追いつかずついに地面に倒れ込む。

 彼がナイフを使ってさっさと切り刻もうとしないのは彼自身の悪癖だ。彼はその研ぎ澄まされた五感と身体能力によって至近距離の弾丸すら躱せてしまう。

 だからこその慢心。自分の部下がこんな小娘にやられたというのは部下を率いるボスとしてのプライドが許せないのだ。


「せっかくだ、殺す前にテメェの名前を聞いてやるよ……お前なんて言うんだ?」

「……花宮リリカ」


 マサトは何かを悟ったように笑った。その面は悪意で満ちていた。


「花宮? ああ、あいつらガキがいたのか。お前の両親、デケェ悲鳴を上げててそりゃもう傑作だったなぁ。マフィア風情に土地は渡さないだのなんだの抜かしやがったからな、斬り刻んでやったさ」


 リリカの視界が揺れた。両親の叫び声の残響。

絶望。後悔。走馬灯じみた想いを巡らせていく。

 いったい誰が両親を殺したのか、あの時は刻み込まれた恐怖心によって全く冷静ではいられなかったが……今一度鮮明に蘇る。


「お前を殺したとしても両親は喜ばない……それでも!」


 彼女は力を振り絞り、足払いの要領で地面から起き上がりマサトの足を蹴った。しかしすんでのところで防御され、決定打にはなり得なず、よろめかすことはできなかった。

 彼は足掻きじみた反撃に動じず、興醒めだと言わんばかりに無情にナイフを振り上げる。


「冥土の土産に歌でも歌ってやるよ」


 マサトが歌い出した。アノニマス・リリィのカバー曲。それは脳裏に焼きつくその美声。

 今まで戦っている最中では意識が回らなかったが今ならはっきりと分かる。それはクロノスの声だった。


「まさか…………お前……歌い手?」


「ああそうさクロノスって歌い手だ。副業みたいなもんでな……悪いな、こんな奴で」


 マサトが油断した瞬間、爆音が響いた。ライブ会場用のスピーカーだ。眩しいライトが窓を貫き、大音量が空気を震わせる。

 カモフラージュのために予めこのアジトに仕掛けた舞台が稼働したのだ。ミツキ率いる回収班の裏工作である。

 本来はマフィアの部下の陽動に使うつもりだったのだが、リリカの無双ぶりにより嬉しい誤算が生まれ、それにより今このタイミングで稼働させることができた。

 そして黒瀬の異常に発達した五感がこの瞬間だけ裏目に出た。彼の目は眩み、耳を咄嗟に押さえ、動きが止まる。


「今だ!」


 リリカはスタンガンを黒瀬の胸に押し当て、最大出力で電流を流した。彼が膝をつく中、彼女は呟いた。


「お前が歌ってた曲のアイドル、アタシだよ」


 マサトの目が見開く。信じた神が張りぼてであること気付いた愚かな信者のような顔だった。


「何? お前が…………アノニマス・リリィだっていうのか」


 動揺した一瞬の隙をついてリリカは彼を拘束した。そのカミングアウトは彼にとって何より効果的だったらしく、簡単に拘束されてしまった。

 そこに裏工作を終えたミツキが駆けつけた。手にはナイフを握りしめており、今から何を言うかリリカには大体察しがついていた。


「私がトドメを刺すよ。彼を活かしておくにはあまりにも危険すぎる」


「やめて!」


 頭では分かっていたとしても、揺らいだ心から嘘偽りなく言葉が漏れ出した。

 リリカの悲痛な叫びに、ミツキは思わず手を止めた。リリカはマサトを見下ろし、静かに言った。


「事務所のルールだし、アタシは貴方を殺したくない。いや、違う。仮に殺せと言われたとしても、それが両親の仇だったとしてもやっぱり今でも好きなのよ……貴方が」


 マサトは呆れた様な、何処か寂しそうな様な顔をして笑った。


「面倒な奴だな、殺したきゃ殺せ。悔いは無い」

「いや、貴方は法が裁く。それでいい、いや……それがいい」


 ミツキはナイフを降ろした。彼女のために排除しようと決意したその冷たい心は、余計な血を見せずに済むという安堵感によって溶かされていた。


 今のマフィアに法を握りつぶす力など残っているはずもなかった。最早逃げることすらできなくなった。

 特に致命的なのがお抱えの殺し屋がいなくなったことだ。

 人は銃を突きつけられれば怯えるが、その銃に

弾が入っていないと分かれば恐怖しない。

 それは人材不足という他ならず、殺し屋含め他の勢力に圧をかけていた戦力を失った以上、マサト達マフィア集団が警察に連行されていくのは自明の理だった。

 そして今は独房で差し入れしてもらったリリィの歌を聴いていた。それだけで彼にとっては充分過ぎた。


「まだアイツが生きてるなら……俺はまだ……」


 死刑が確実であろう彼の呟きは、誰にも届くことなく風と共に消えていく。


 リリカは元マフィアのアジト、現事務所となった場所でライブ配信を始めた。

 元々カモフラージュ用とはいえ舞台や機材はそのまま使用することができ、配信の用意はリュウマの手回しにより整えられていたため問題なく配信をすることができた。

 かつては悪人の巣窟であった舞台の上で、彼女はその過去を拭い去るかのように歌い踊る。

 そしてライブを終えて後、彼女は余熱を纏わせたまま高らかに宣言する。


「これからも歌うよ! みんながいてくれる限り、アタシは輝けるから!」


 ファンのコメントが画面を埋め尽くす中、彼女は小さく笑った。事務所の掲げる不殺主義と、その胸に宿す確かな信念。

 それが彼女をここまで導いたのだ。この先もその信念を守れるかは定かではない。

 けれども、この先も精一杯やり切るという覚悟はある。それは痛みを抱える覚悟だ。もう彼女に迷いは無い。


 事務所の裏では、リュウマとミツキが配信の様子を静かに見守っていた。


「やはりあいつに血は似合わないな」


リュウマの呟きに、ミツキが頷く。


「そうね、あの子がアイドルを辞めるその時まで、私たちが代わりに手を汚せばいい」


 その時になったら真実を話そう。貴方が背負うべきものを代わりに背負って、貴方を歪ながらも純真なままにしてしまったことを。

 きっとその時なら受け入れてくれるはず。そう二人は彼女の未来を想うのだった。


 その少女はアイドルにしては抱える闇が深く。殺し屋と呼ぶにはあまりに純真に輝いている。

 そんな少女は今日もまた、電脳世界で煌めいている。

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