NEXT STAGE

草鳥

1話



 アイドルは完璧でなくてはならない。

 完璧で無くなった人気アイドル『茅原かやはら瑞希みずき』は、アイドル引退を余儀なくされた。




 パーカーとジーンズに身を包み、自宅の沓脱でスニーカーに履き替えていると、母親が話しかけてきた。

「瑞希、今日は……」

 私は振り向くことなく俯く。

 合わせる顔がないという言葉の意味が、最近ようやく実感できた。

「……ごめん。ちょっと予定あって。出かける」

「そっか」

 素っ気ない返答だったが、そうするよう努めてくれているのがわかる。

 その厚意がありがたくて、だけど心が痛くて、私は逃げるように玄関を出た。


 外に出て、やっと息をつく。

 パーカーのフードをかぶり、スマホで時間を確認すると、午前11時。最近、一日がやたらと長く感じる。まだこの生活習慣に慣れなくて落ち着かない気持ちになってしまう。

 いつもなら……ううん、以前はこの曜日のこの時間、レギュラー番組の収録中だった。

 スケジュールはあの日から空っぽだ。


 私は、アイドルを辞めた。二週間ほど前のことだ。

 

 駅前のCDショップに向かう。

 アイドルの棚を見れば、多種多様なグループのCDが並んでいる。

 だいたいはどこかで共演したことのある顔ぶれだ。連絡先を交換した子もいる。

 それも、全部ブロックした。芸能界関連の連絡先は全部。

 事務所やマネージャーからも、もはや私に声がかかることは無い。一緒にアイドルをやっていた仲間でさえも。 


 事務所から出た声明では卒業、引退ということになっているが、それは建前だ。

 『他の目標が出来た』『今後はそちらに取り組むため、卒業という選択をした』――全部嘘。もっともその嘘を信じている人なんて誰もいないだろうが。

 私は、自主的にグループを脱退し、所属事務所を退所した。

 原因はスキャンダルだ。


 退所の数週間前。あれはとある都内のスタジオに向かう道での事だった。

 歌番組で共演した男性アーティスト――その時は挨拶を交わした程度の関わりでしか無かったが――とばったりと会ったのだ。

 あと三分ほど歩けば到着する距離だった。スキャンダルという単語が頭に浮かんだが、ここでわざわざ別れた場合の印象の悪さを考え、リスクと天秤にかけて同行することを決めた。


 その三分が致命的になるとは夢にも思わなかったが。


 振り返れば迂闊で浅はかだったと言わざるを得ない。

 彼にも風評被害は向かっただろう。おそらく、というか確実に私のファンに攻撃されているだろうことを考えると胸が痛くて仕方なかった。事務所を通してでしか謝罪ができなかったことを今も後悔し続けている。


 あの選択が、全てを台無しにしてしまった。

 何が熱愛なんだろう。真昼だったし、ホテル街からも遠かった。

 たったひとつの記事が、私のアイドル像に泥を塗った。

 アイドルは完璧でなくてはならない。一片の疑いも孕んではならない。


 理想の体現者、それがアイドル。

 少なくとも私はそれがあるべき姿だと思っていた。だからそうあろうと努力していた。

 子どものころ私が憧れたアイドルは――少なくとも私たちファンに対しては、完璧であり続けたままアイドルを辞めたから。


 私もそうありたかった。

 ファンと、メンバーと、家族と、私たちのために頑張ってくれてるスタッフさんのことだけを考えて頑張っていた。

 

 だけど、全てが壊れてしまった。

 ずさんな記事だったから信じない人もいたけれど、やっぱり信じてしまうファンもいて――いや、その疑いが一片でもあるだけでダメだったのだろうけど。

 心無い言葉をたくさんかけられた。色眼鏡で見られるようになった。

 目前に控えていたライブは中止。そこで披露し、ライブ終了後に配信されるはずだった新曲もお蔵入り。

 

 私のせいで、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。

 自分が辛いだけならいい。力の限り謝って、しばらく身を潜めて、ほとぼりが冷めたらまたイチから始めるつもりで頑張ればよかった。

 でも、辛いのは自分だけじゃない。


『あんたのせいで全部台無し。責任取ってよ』


 グループメンバーの一人に、そんなことを言われた。

 目に涙をいっぱい溜めて、怒りに満ちた顔でそう言われた。

 いつでも冷静な子だったから、そんな表情を見たのはあの時が初めてだった。

 同時に、私がそんな顔をさせてしまったのだと気づいた私は――「わかった」と、そう告げたのだった。

 それ以外、私にできる償いが見当たらなかった。


 私が所属していたグループは、今も活動を休止している。

 いや、元は三人組だったから、もう二人組デュオなのか。

 二人のことだけは許してあげてほしいと思うけれども、大衆の心を動かす力が、今の自分にはない。

「……何やってるんだろ」

 辞めてからずっとこうして時間を浪費している。

 アイドルのことしか考えずに生きてきたから、何をすればいいのかわからないのだ。

 ろくに行けていなかった学校にも今さら行く気は起きなかった。行っても、私の扱いは想像できてしまう。

 だからこうして、親や社会に甘えて、昼間から徘徊を繰り返している。

 

 何をしても無味乾燥で、それでも深い後悔と罪悪感だけが今もこびりついて離れない。

 涙だけは、ずっと出ないままだ。

「あ、あのっ」

「……帰ろう」

「あのっ、瑞希ちゃんです……よね」

「え?」

 横から聞こえた声に顔を向けると、そこにいたのは私と同年代の、大人しそうな感じの女の子だった。

 挙動不審で目は泳ぎ倒していて、耳まで真っ赤になっていた。

 どこかで見た顔だ、と思った。

 

 元有名人だから――いや今もか――フードで隠したところで、わかる人にはわかるのだろう。

 見たところ悪感情は感じなかったので、何とか返答をしてみる。

「ああ……うん。そうです。瑞希です」

 前はもっと愛想よく対応出来ていたのになと、もの寂しい気分に陥っていると、目の前の女の子はぱあっと顔を輝かせた。

「ほ、ほんとに瑞希ちゃん……! えと、あたしファンで……瑞希ちゃんの……!」

「そ……う、なんだ。ありがとう」

 まだいたのか。私のファン。

 ありがたい気持ちよりも、申し訳なさが勝つ。

 この子はあのスキャンダルを、私の『卒業』を、どう受け止めたのだろう。

 しどろもどろになっているこの子が、純粋な好意をぶつけてくるこの子が、今の私よりよっぽど輝いて見える。

 見ていられなくなって目を逸らす。するとファンの子は私の手を勢いよく掴んだ。

「えっ」

「あのあのっ、あたし瑞希ちゃんに聞いてほしいことがあって――握手会で話そうと思ったんですけど、その機会も無くなっちゃって……!」

 鼻息荒く話すファンの子の声のボリュームはどんどん増していく。

 やばい、平日昼と言えどもそれなりにお客さんはいる。

 振り払うこともできず、とにかく注目を集める前にこの場を離れなければと考えた私は、とにかく走り出すことにした。

「こっち。ついて来て」

「え、ええっ……」

 慌てたような声を半ば無視しながら走り出す。

 手は、繋いだままだった。



 * * *



 選んだのはショップから少し離れた場所に構えられた喫茶店だった。

 入るのは初めてだ。失礼ながら、お客さんが少なそうなところに飛び込んだ。

 目論見通り、初老のマスターしか店内に人はいない。外から死角になっている奥の席を選び、ブレンドコーヒーを注文した。

 あまり運動をしないのか、息を切らせた彼女はオレンジジュースを選んでいた。そう言えば私のメンバーカラーもオレンジだったな。


 そう言えばこの子はどうして平日の昼間にこんなところにいるんだろうと、私が言えることではない疑問をぶつけると、創立記念日だったらしい。

「それで、話って?」

 アイドルを辞めたのに、私はなんでこんなことをしているのだろう。

 まだ自分の味方で居てくれていそうなファンと接して、ささくれた自尊心を癒そうとしているのだろうか。

 それとも――それほど彼女の眼差しが眩しかったのだろうか。

 それではまるで光に引き寄せられる虫みたいだが。

「えっとあたし、高校に入ってから……じゃない、あたし、その、狭山さやま……」

 そのつんのめるような話しぶりと、苗字を聞いた瞬間に、脳の片隅が刺激された。

 同年代で、控えめで、私と住んでいる場所が近いファン。

「あ、姫子ちゃんか」 

「ひぃえ!? おおおお覚えて……?」

「うんまあ」

 頷く。

 さすがに全員とはいかないまでも、印象的なファンは認知している。

 特に握手会に来てくれるくらい気合の入った、それも同年代の女の子は。

 目を白黒させている姫子ちゃんに続きを促すと、何度か深呼吸を繰り返し、意を決して口を開いた。

「お礼を言いたかったんです」

「お礼?」

「あたし、前は不登校だったんです。中学の頃いじめられてて、その時のことを引きずって高校でも馴染めなくて……」

 ……ああ。思い出した。

 そんな話を、確か聞いた。

 握手会の短い時間で、メモまで用意して捲し立てるように話していたことだから、覚えていた。 


 あのとき私はどう返したのだろう。

 思い出せない。

「あれからあたし、学校に通えるようになって……友達も出来たんです。あれだけ嫌だった学校が、今は楽しくて。それも全部、瑞希ちゃんのおかげで」

「私、なんにもしてないよ」

 自嘲気味に笑うと、姫子ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。

「歌を聞いたり、テレビや動画で頑張ってるところを見るだけで勇気づけられたんです。どんなことにも一生懸命で、真剣な瑞希ちゃんを見てると、このままじゃダメだ、あたしも頑張らなきゃって思えて……」

「…………」

 全てが台無しになったと、そう思っていた。

 たった一度の失敗で、全てがおしまいになって、アイドルを辞めることになって、私の遺したものは全てが黒々と汚れたものになってしまった。


 だけど、違ったのかもしれない。

 遠い星が長い時間をかけて私たちに光を届けるように。

 私が残した足跡が、いつか誰かを照らすこともあるのだろう。

 例え、落ちた星だとしても。

「でも、知ってるでしょ? 私、あんな辞め方しちゃったよ。みんなのこと裏切っちゃった。今日だって、せっかく会えたのにこんな情けない感じでさ」

「そんなことないです! 辛そうなのは、やっぱり悲しかったけど……でも、こうして生きてくれてるだけでも……顔が見られただけで、よかった」

 そう言って柔らかく笑う彼女に、嘘や誤魔化しは無かった。

 ただただひたむきな気持ちで私に向き合っている。

 それはいつか、アイドルだった私が心がけていたことだ。

 嘘だらけの世界だからこそ、私は清廉で居よう。みんなの信じる私で居ようと。

 羨ましいなと小さな嫉妬を覚えると同時に、こうありたいと憧れを抱いた。

「……なにそれ。大げさだよ」

 そう言いつつ、私は大げさではないことを理解していた

 芸能界を去ったアイドルを、また目にすることは難しい。認知する機会を失うのだ――それはきっとファンからすれば、死と同義。

 今さらながら、引退という選択が正しかったのかわからなくなってくる。


 君は信じてくれてるんだねと言うと、もちろんですと彼女は頷く。

 気持ちいいくらいの即答だった。

 その信頼が、少し重くて、とても嬉しかった。

「……誰にも言ってないけどさ。復帰できたらなって、あの日から何度も考えたんだ。でもやっぱり無理だった」

 あれだけ燃やしていたアイドルへの情熱はぱたりと途絶えてしまった。

 張り詰めた糸は、一度切れれば戻らない。

 残念ではあったが、それほど残念に思えない自分が一番残念だった。

 私はもう、アイドルにはなれない。

「……あたしが握手会でさっきの話をした時、瑞希ちゃんが言ってくれたんです。『頑張らなくてもいいよ』って」

「私そんなに無責任なこと言ったの?」

「い、いやいや! あたしは本当に嬉しかったんです! 『今は頑張れない時なんだよ。でもその時が来たら、きっと頑張りたくて仕方なくなるよ』って、そうも言ってくれました」

 適当なことを言っているな、と我ながら思う。

 何を思ってそのような発言をしたのだろう。

 でも、少し気持ちはわかる。私の『頑張れない時』はまさに今だから。

「だから……ありがとうございます。今のあたしがあるのは、頑張れたのは――瑞希ちゃんのおかげだって、伝えたかったんです」

「そっか……」

 天井を仰いだのは、溢れそうだったからだ。

 ずっと自分を責めていた。これまでの何もかもを否定して、罪悪感に囚われて、死んだように生きていた。


 だけど――ああ、自分でも呆れてしまいそうになるけれど。

 救われた気分になってしまったのだ。

「私も頑張ってみようかなぁ」

「お、応援してますっ」

「ありがとう」

 アイドルを終えても人生は終わらない。

 毎朝太陽は昇るし、一年ごとに歳を取る。

 どう足掻いても、生きていかねばならないのだ。

 今の私が生きるとしたら、どんな道を往くべきだろう。

 ダメ元で、事務所に連絡してみようか。

 それとも路上で弾き語りでもしてみようか。

 スポーツを始めるという選択肢もあるかもしれない。

 ただ、挙げてはみたものの、どれもしっくりこなかった。

(ああ……)

 そうだ。目の前で微笑んでいるファンは、頑張って学校に行き始めたという。

 ならばそれに倣ってみるのも悪くない。

 私はまだ女子高生。なら、やはり学校に行くところから始めるのが良いだろう。

「姫子ちゃん」

「なんですか?」

「私、頑張ってみるよ」

 マスターがブレンドを持ってくる。

 私は小さくお礼を言いつつ、ふーふーと冷ましてから口に運ぶ。

「あち」 

 やけどをした。

 舌を出すと、姫子ちゃんが笑う。

 私も釣られて笑った。久しぶりに。

 目尻から涙が一筋、頬を伝った。



 * * *



 鼓動が耳の奥まで叩く。

 深呼吸をして、もう一度して、結局三度繰り返した。

 目の前には教室の扉。

 今日は入学式以来久々の登校だ。


 きっと馴染めないだろう。

 色眼鏡で見られるだろう。

 楽しい学校生活は、きっと望めない。

 

 だけど、それが私の選んだ道だ。

 アイドルを辞めた私の新しい人生だ。

 あの子のように、頑張ると決めたのだ。

「…………よしっ」

 気合いを入れて扉を開く。

 瞬間、たくさんの視線が私に向いた。懐かしい感覚だ。

 遅れてざわめきが広がり――しかし騒ぎに発展しそうになった直前、ガタン! とけたたましい音に遮られた。

「…………え、え、あ」

 ぱくぱくと口を開け閉めする、今しがた椅子を蹴倒して立ち上がったクラスメイト。

 見た顔だった。それもつい最近。

 ああ、そう言えば住所が近いんだっけ。

「あははっ」

 どうやら私の人生は、そこまで悪いものにはならないらしい。

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