黒いカタマリ

天音えくれあ♡

32歳、私。

 私はレイプをされた経験がある。


 そんな告白をしたら、誰もが悲しい目で私のことを見るかもしれない。でも、私はレイプされた翌日だって平然と出社して働けた女だ。人としても、女としても、何かが欠けていると自分でも思う。


 そんな私にも怖いものはある。それはゴキブリだ。私の実家は平屋の一軒家。夏場ともなれば、週に二、三度は出くわした。私にはゴキブリを殺す勇気はなく、その役目は主に祖母だった。


 現在、32歳の私。マンションの9階に暮らし初めて8年が経つ。すべてはゴキブリから逃れるため。一人暮らしはマンションと決めていた。


 深夜、私は目が覚めた。


 私はパジャマの上にパーカーを羽織って外に出た。今週、満開の桜のニュースを見た。たいぶ暖かくなってきた。いい季節だ。私は花粉症ではないので、春も快適に過ごすことができる。ありがたい。


 実は、私の余命はあと二ヶ月を切っている。医者に余命半年を宣告されて四ヶ月が過ぎたから、間違いがなければ、そうなる。


 死ぬのが怖くないと言えば嘘になる。でも、ゴキブリの方が私は怖いかもしれない。余命二ヶ月の私が最近思うのは、人は、やり残したことがあると死に対する恐怖が増すということだ。


 私は考えた。やり残したと思えることを、ざっとノートに書いてみた。そして実行に移した。行きたかった北海道へ行き、好きなものを好きなだけ食べた。富士山にも登った。スカイダイビングもした。ノートに書いたことは全部やった。


 それでも、私の死に対する恐怖はさほどなくならなかった。この一週間、ほぼ毎日考えていた。私はなにがしたいのか。なにをすれば心残りなく、旅立てるのかと。結論が出た。


『社会貢献』


 自分のために過ごしてきた四ヶ月だったけど、なにかものたりなかった。やはり人間は世のため、人のために貢献してこそ満たされる生き物。夜空を見上げ、私は決意を新たにする。


 情けない話、私は人のためになにかをするといったことが、あまりなかったように思う。ボランティア精神のカケラもない女だった。人からありがとうと言われた記憶がない。それが私の心残りだったのかもしれない。


 私がこんな時間にわざわざ外に出たのには理由がある。最近目覚めたボランティア精神に突き動かされたに他ならない。


 私の住むマンションの側には廃れたパチンコ屋がある。その駐車場で夜な夜な暴走族がたむろしているのだ。からぶかしの音が非常にうるさい。


 いたいた。まずは優しく挨拶から。それが基本だ。


「こんばんはー」


「おばさん、なんか用?」


 こいつ、ムカつく顔してんな。ダサい服装にダサい髪型。似合わない髭にピアス。訳の分からんフォルムに改造された哀れなバイク。


『暴走族』なんて微妙にかっこいい呼び名をつけた奴でてこい。本当に許せない。だからこいつらは調子にのるんだ。チンカス族、社会のゴミ族、そのあたりでいい。


「なんか文句あんの? あん?」


「犯すぞ、コラ」


「そんなキモい女やめとけって」


「間違いないっすわ」


 品がない。育ちが悪い。親の顔が見たい。こいつら、騒音を撒き散らして人に迷惑をかけることでしか、自分の生きる意味を見出せないクズ。交通ルールも社会のモラルも守れない低脳クソ野郎ども。


「私、暴走族のバイクって初めて間近で見たけど、すごくダサいんだねー」


「んだとこらぁ!!」


「こんなのに乗るのが楽しくてしょうがないんだ? ばっかじゃなーい」


「殺すぞ、こらあ!!」


「東リベとかにも憧れてるの? この中のマイキーは誰? ドラケンもいるのかな? バイクに卍のシール貼ってるー、わー、恥っずー!」


「この女、あたおかか?」


「あんたたち近所迷惑なのよ。社会のゴミが。ゴキブリみたいにちょろちょろ走り回りやがって。この世から消えてくれる?」


「あんたなに? ババアが調子のんなよ。そこまで言って、ただで帰れると思ってんのか?」


 そう言いながら、ガタイのいいくそガキが私の胸ぐらを掴んだ。私の人生で唯一やり残した社会貢献の時間がついに来た。私はパーカーのポケットから黒いカタマリを取り出して、そいつのこめかみに押し当てた。


「はい、駆除開始」


「……!? ちょっ!」


 バンッ!!


 ドサッ!!


 昨日、ようやく手に入れたベレッタが火を吹いた。くそガキの頭ん中を弾丸が突き抜けた。死ぬ前に一瞬ビビった顔してた。これはもはや快楽でしかない。社会貢献は快楽。やはり、これを味わわずして死ぬなんて、ありえなかった。


 はあ、はあ、はあ、はあ♡


 う、う、うっ……















「うっきゃああああ!! 最高! 最高! 最高!! お前らみたいなゴキブリどもは私が全部、一匹残らず駆除してやるんだあぁ!!」


「こ、この女、ヤバいってぇ!!」


「逃げろぉ!!」


 社会のゴミどもが逃げ出した。逃すかよ、バーカ。お前らがこれまでに撒き散らしたキチガイレベルの騒音は死に値する。お前らの死は世の中が望むこと。誰もがコケて死ねばいいと思っている。その程度の命。


 バンッ!!


   バンッ!! バンッ!!


 バンッ!! バンッ!!


「駆除! 貢献! 駆除! 貢献!」


 私の弱々しかった命の灯火が、今は激しく燃え上がっている。間違いない。今が人生で一番、生まれてきてよかったって思えてる。充実している。


「はあ、はあ、はあ、はあ♡」


「た、助けて……下さい……」


 一匹仕留め損ねた。放っておいても出血多量で死ぬだろうけど。こいつもムカつく顔してんなぁ。私はしゃがんで、そいつの額に銃口を突きつけた。


「ほら、逃げてみろ。ゴキブリ」


「助けて……下さい……」


「ゴキブリは命乞いなんてしない。ほら、早く逃げろ。追いかけて、追い詰めて……殺す」


「やめて……やめて……」


「さっきまでイキッてたくせに、ちょっと撃たれたらザコマインドだだ漏れやん。ゴキブリらしく逃げろ。早く」


「うう、死にたくないぃ……許して下さい……もう、バイクは乗らな……」


 バンッ!!


 バンッ!!


「駆除、貢献……完了」


 最高の社会貢献の夜。パチンコ屋の駐車場は血の海になった。余命二ヶ月を残し、私は手に入れた。死を恐れない最強のマインドを。私はベレッタをポケットにしまい、帰宅した。


「今夜は、よく眠れる」


 私は深い眠りについた。

















 これが私の前世の記憶だ。現在の私は、ある男に捕まり監禁されている。仕方がないといえば仕方がない。私が男の家のベランダでうんこをしたからだ。その男の逆鱗に触れ、捕まった。


「このくそ鳩が。ようやく捕まえた。お前らは世の中になんの貢献もしねぇ。糞しかしねぇバカだ。ぶっ殺してバラバラにしてやる!」


 バサバサッ!!


「おとなしくしやがれ!」


 バサバサッ!!


「さて、お楽しみの時間だ。社会貢献、発動!」


 ガンッ!! ガンッ!!


 男はおもいきりハンマーを私の頭に振り下ろした。意識が吹っ飛ぶのと同時に目玉が飛び出し、私は死んだ。男は言っていた通り、私の死骸を包丁でバラバラに刻んだ。


「ったくよー。役所がちゃんと駆除しねぇからいけねぇんだ。ムクドリもカラスも鳩も、全部撃ち殺せばいいんだ。さて、これは警告として役所の玄関前に捨てておくか」


 こうして、私はただの黒いカタマリになった。

 


 

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