映画館と国立国会図書館で

隅田 天美

何のために『作家』になろうとしているのか?

 もうすぐ閉館する映画館で実写版『白雪姫』を観た。


 一言で言うのなら「何も残らない映画」だった。


 前評判がなくても天下のディズニーが『こんな作品を世に出さなければならないほどポリコレや表現規制が厳しい世界になったのか!』とすら絶望に似た感情さえ抱いた。



 それから、数週間後。


 毎年馴染みの好きな作家の墓参りに東京に行った。


 作家の墓前で瞑目し、色々祈った。


 願った。


 

 そして、今年はもう一つの目的があった。


 好きな俳優で鬼籍に入った青野武氏の生前のインタビューがある同人誌を『国立国会図書館』の資料検索から見つけ、読むために永田町まで行った。


 手続きを済ませて本を読んだ。


 話の流れは昔のアフレコ現場の話などが多かったが、ある言葉が私の臓腑に刺さった。


「最近の若手は、すぐに金目的になる。こんな楽しい勉強をしているのにもったいない」


 実際、会ったわけじゃないけど、青野氏にこんな言葉を突き付けられたような気がした。


--お前さん、何のための小説家になりたいの?



 帰宅中の電車で流れゆく風景を見ながら、自問した。


『何のために小説家になりたいの?』


 最短距離で、文字通り金目的なら流行りのライトノベルに乗っかりAIに書かせる。


 もっと書けば、作家でなくていい。


 株式投資、例えば少額でも今はNISAなどのほうがよっぽど儲かる(儲からない場合もある)。


 世の中の不正などを暴く?


 そんな正義感、私は、ちゃんちゃら持ってない。


 

 過去、私は学校で虐められていた。


 発達障害あるあるの「団体行動が苦手」という問題だ。


 その中でアニメが好きだった。


 やがて、こう思うようになる。


「あのアニメとこのアニメを合わせればもっと面白くなるのではないか?」


 それをノートに書きだした。


 これが私が小説を書いた第一歩だ。


 十歳ぐらいだったと思う。


 小説を書くのには十二分な知識が必要だと知り、少しずつではあるが、苦手な勉強などに取り組んだ。


 成績は相も変わらず最下位だった。


 でも、中学校で数学の先生から言われた『公式は覚えなくてもいい。あれは、数学における魔法だ。ゲームだってそうだけど、魔法がなくても時間はかかるが敵は倒せる』という言葉で奮起して猛勉強をした。


 だが、現実世界において、私は色々な悩みに涙した。


 自分が発達障害、正確にはPTSD(心理的外傷)という脳の障害だと分かるのは三十を過ぎてからだ。


 その時の私は、小説は娯楽ではなく、虐めていた奴らに対する復讐の道具と化していた。


『有名になって名を挙げて、虐めていた奴らを、その家族全部含めて精神崩壊させる』


 復讐に凝り固まっていた私を家族や医療関係者、職場の人たちは少しずつ解きほぐしていった。


 特に昨年亡くなった友人は、私の知らない世界を見せてくれた。


 師匠も元々心理学をしていたこともあり、的確なアドバイスをくれた。


 ここまで考えて、ふとこんなことを思った。


『何も、小説家に凝り固まらなくてもいいのではないか?』


 もちろん、諦めたわけではない。


 ただ、『小説』というものに固執せず、『文芸』という、より幅の広い目線で書いたほうが読んでもらえる。


 

 少し脱線するが、デイル・ドーテンはこんな言葉を言っている。


「夢が叶ったって、それが楽しいになるとは限らない」


 プロの野球選手になりたい。


 ユーチューバーになりたい。


 インフルエンサーになりたい。


 しかし、その夢が叶ったとして本当に楽しめるのか?


 稼げるのはほんの一握りであり、名を挙げるにはもっと少数になる。


 青野氏のインタビューでも、三十代までは芝居をしつつアルバイト生活をしていた。



 夢を変更するのに、抵抗を感じる人はいるだろう。


 だが、本当にやりたいこと、伝えたいこと。


 もっと根本を書けば充実した人生を歩むためには、常に自分を『更新』しないといけない。


「今はアニメの仕事ばかりだけど顔出しの仕事があればやりますよ」と青野氏も語っていた。


 

 逆説的に書けば、常に「最短」で「成功」を求め『更新』をしないと、つまりは勉強を怠ると、不安とマンネリで冒頭に酷評した「白雪姫」のようにつまらない作品を書くことになる。


 仮に成功を収めたとしても、きっと、筆を折る。



 私は、自分の体験や思考を相手に伝えて、いろいろ意見を交わしたいし、それによって自分をもっと向上させたいを思っている。


 それを私自身がとても「面白いこと」と思っているから。


 

 それから、もう一つ。


 天国へ行ったであろう名優たちが「あー、あの作品は俺たちがやりたかった」と悔しがらせたいから。


 

 未来は誰にも分からない。


 だから、書きたいことを書かなきゃ損だ。



 そんなことを考えつつ、私は電車を降りた。



 きっと、私は今の潮流には乗れないのかもしれない。


 でも、私の死後でも、私の文芸に影響を受けた作家が出れば、それも一興ではある。

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映画館と国立国会図書館で 隅田 天美 @sumida-amami

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