ボート二人きり
夢月七海
ボート二人きり
「布団の上で安穏と死ぬくらいなら、私はキャンバスの前で、血反吐を吐きながらでも、絵を描く」
殺し屋がかつて見た映画の台詞を諳んじると、目の前に座る男は嬉しそうに拍手を送った。
夜の海の救助ボードの上に彼ら二人はいた。男がうっとりと溜息を吐く。
「いい台詞だね。僕が昔、出会った画家も、そんな風に絵を描きながら死んでいったよ」
「そうでしたか」
平然と答えながら、殺し屋は、改めてこの男は何者だろうかと考える。
黒髪に黒い瞳をした欧米人で、見覚えのない顔だ。ボートに乗り込んだ時にはいなかった。黒いスーツも黒いネクタイも濡れていないので、この場に突然現れたのか。
人ではないのか、あの世の存在か。訝しむ殺し屋をよそに、男は悠然と語りかける。
「画家がキャンバスの前で死にたいのなら、ダンサーも踊りながら死にたいのかな? それなら、殺し屋は殺し合いの果てに死にたいということになるだけど、それは違うよね」
「……だよね」
この場は同調する殺し屋。男は、殺し屋の口調がまた変わったことには反応せず、頷いている。相手が、映画の台詞だけで喋っていることを知っているようだ。
ふと、殺し屋には、「死」と「踊る」という言葉より、連想したとある絵画があった。知らず、そのタイトルを口にする。
「ダンスマカブル」
「あ、それ、いい絵だよね。僕らのことが、骸骨で描かれているけれど、許容範囲だよ」
男は心の底から、愉快そうに語る。殺し屋は、自分の推測が正しかったのだと確信する。
間接的に自分の正体を明かした男だが、旧友に話しかけるような砕けた口調で、また話しかける。
「イメージが独り歩きするというのはよくあることだね。天下無双の大将軍と呼ばれた人間も、直接戦ったのではなく、周りの人間が強かったからというのはよくあることさ」
ここで男は言葉を切り、「でも、」と視線を殺し屋の背後に向けた。
殺し屋もオールを漕ぐ手を止めて、振り返る。彼らの目線の先には、炎に包まれた大型クルーザーがあった。
「最強の殺し屋の呼び声通りに、君は一人であそこの人間を全滅させるなんてね」
賞賛にも軽蔑にも聞こえる声で、男が言う。
殺し屋は黙って頷き、再びオールを漕ぐ。岸はまだ遠い。
ボート二人きり 夢月七海 @yumetuki-773
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