第5話

「これからウツクシの里に行くんだから、頑張って」


「わわわ、わかっておる……! でも急にあの顔を見るとびっくりするじゃろ!」


 小声で抗議してくるイエを宥めながら、イエの後頭部を右手で包むようにして支える。こうするとイエは安心しやすいからだ。


 イエが飛び上がったのは、男性の顔面上部、おでこから鼻先にかけて、挿顔花(かざしはな)という紙製の花飾りでびっしり埋められていたからだ。


 ウツクシの里の人間は、一部の例外を除いて全員挿顔花を顔に縫いつけている。美しさを求めるウツクシの里独自の文化だ。


 桃の花飾りで顔の半分が隠れている男性は、視線の先にある岩を指差した。


「実はあの岩を半球の形にして、僕達の里に持ち帰りたいんだがね。あのままだと運びにくいからいらない部分を切り落としたいんだが、どうもクセの強い石でね。思うようにいかないんだよ」


「そうですか……でしたら、きっと皆さんのお力になれます。採石用の道具を貸していただけますか?」


 私の言葉に男性は虚をつかれたような顔をして、苦笑しながら手に持っていた採石道具を渡してきた。


「お嬢さん、気持ちは嬉しいがね。これは力と技術がいるんだよ。そこの石で試してみるといい。思うようにヒビを入れるのも、割るのも簡単ではないんだ」


 男性は足元にあった石を指差した。大人が腰掛けるのにちょうど良さそうな大きさのその石はごつごつしている。


 見るからに硬そうなその石は、風化によって細かいヒビがいくつか入っていた。これでは下手に力を加えたら、あらぬ方向に割れてしまうだろう。


「ふふん、こやつ、ボクさまの相棒を見くびっておるな。目にものを見せてやれ、杜紀和!」


 イエは小声でそう言うと、私の腕から飛び降りた。ついさっきまでビビっていたのを忘れたように好戦的なイエに肩を竦めつつ、私は自由になった手を石に当てて、体温がじわりと岩肌に伝わるまで意識を研ぎ澄ませた。


 石は朝から晩まで、何年もの間この山に存在していた。そして途方もない年月の中で、雨風に晒され、日に焼かれ、薄皮を剥がすように緩やかに姿を変えてきた。


 これからもそれを繰り返していくはずだった石に、こちらの都合で手を加えるのだ。


 その為にはまず、石に宿るものを知らなければならない。未知のままでは石に宿るものとの足並みが揃わず、望む形には出来ない。


 だからまずは、息を合わせるのだ。


(――ああ、聞こえる。この石に宿る匂いも、景色も、肉体が感じ取れる範疇を超えて聞こえてくる)


 日に焼けた砂の匂い、頭上で旋回している鳶の声、遮るものがなく荒涼とした音を立てる風……。この石が常日頃から浴びているものを受けながら、石と自分を繋げる糸を想像する。


 そうすれば次第に視えてくる。手を置いた石から立ち上る、煙のような細やかな銀の粒子が。それを鼻だけでなく、素肌や髪の一本一本まで使って吸い込めば、その石の事は、わかる。


「……今からこの石を、立方体にします。無事に立方体にできたら、あの岩を割らせてください」


 私がそう言うと、男性は怪訝そうに石を触り、細工がされていないか確かめた。何の変哲もない石だとわかった男性は、首を傾げながら元の位置に下がった。


「まぁ、無理に石を叩いて手を痛めないよう、気をつけるんだよ」


「はい、もちろんです」


 私は深呼吸をして気持ちを整え、採石道具でコン、コン、コンと石を軽く叩いた。するとその石はたちどころに割れ、内側から立方体の石が現れた。


 心得のない者が失敗するのを見届けるつもりだった男性は、目の前の出来事に衝撃を受けたようだった。雷に打たれたように硬直し、慌てて石に飛びつく。


 どう触っても、どこから見ても、その石は余計なヒビが一つも入っていない完璧な立方体だ。


「な……なっ⁉ 君は一体、何をしたんだ⁉」


「見ての通りです。石に触って石を知り、あなたの道具で叩いただけです」


「……」


 男性は信じられないと言いたげに首を振り、人工物のように規則正しい形を取った石を眺めた。


 しばしの絶句の後、男性は私に向き直って拍手をした。口元には感嘆の笑みが浮かんでいる。


「お見それしたよ。君は腕の立つ石工だったんだね。若いお嬢さんなのに大したものだ」


「お褒めに預かり光栄です。しかし、私は石工ではありません」


 私は石に手を置いて、むき出しの肌をそっと撫でた。立方体になった事で今まで内側に潜んでいた部分が露出したのを新鮮だと石は感じているらしい。


 銀の粒子が元気に波立っているのが伝わってきて、思わず頬が緩んだ。


「石の事が少し、わかるだけです」


 イエは立方体の石にヒョイと飛び乗って、自慢げに鼻を鳴らした。やっとこやつの凄さがわかったか!と言いたげに胸を張るイエを撫でると、イエは満足そうにぶんぶんと尻尾を振った。


 感情を隠さず全身で表すイエに、思わず私と男性は笑い合った。朗らかな心地良い風を浴びながら。

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常しえの四季 風成 粋雨 @kazanari_suiu

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