黄泉戸喫
藤泉都理
黄泉戸喫
出会った時、あなたはすぐに私の死が恐ろしいですと言った。
自分が置いて行かれる事を恐れていた。
自分は死ねない事をひどく恐れていた。
健康体の十代の私は死とは程遠い存在だっただろうに、あなたはとてもとても恐れていた。
あなたの髪の毛が。
あなたの眉毛が。
あなたの目が。
あなたの鼻が。
あなたの耳が。
あなたの頬が。
あなたの唇が。
あなたの歯が。
あなたの舌が。
あなたの肩が。
あなたの胸が。
あなたの腹が。
あなたの腕が。
あなたの手が。
あなたの脚が。
あなたの足が。
あなたの指が。
あなたの脳が。
あなたの内臓が。
あなたの肉体のどの部分が私にとっての
あなたが死んだ瞬間、あなたの肉体のその部分を食して、私もすぐに後を追います。
超合金ロボットのような外見をしたヒューマノイド、
私が死ぬまでに確実に用意しておくから、私は食べないでと言った。
私があなたと接する中であなたに相応しい史上最高の黄泉戸喫を用意しておくから。
「そう。約束しましたよね。
「ええ。約束したわね。朝月夜。ふふ。出会った時の私に比べたら、今の私は食べる所が少なくなったでしょう」
「ええ。言葉は悪いですが。美味しくなさそうです。けれど。黄泉戸喫にとても相応しいとは思います」
「ええ。まあ。そうだけど。まあ。本当に。皮だらけ。骨だらけ。痣だらけ。しみだらけ。目は濁ってて。髪の毛も眉毛も他の体毛もなくなっちゃってつんつるりん。内臓は病に侵されて。かろうじて脳だけ、かしら。健康なのは。だけど。あなたに用意した黄泉戸喫はここに入れてあるから」
自室の電動ベッドで身体を起こしていた老女、鶫は、手を伸ばして傍らの小さな棚に置いていた折り紙で作った三角の箱を手に取ると、傍らに立っていた朝月夜に手渡した。
朝月夜は両の手に乗せる折り紙で作った三角の箱を凝視した。
「軽いですね」
「ええ、軽いわね。丁重に扱ってね」
「本当に私の黄泉戸喫が入っているのですか?」
「ええ、入っているわ。あ。開けちゃだめよ。開けるのは私が死んでから」
「………本当にこの中に入っている黄泉戸喫を食べたら私はすぐに死ねるのですか? あなたの後を追えるのですか?」
「ええ」
「そうですか。では。楽しみにしておきます」
朝月夜は胸のポケットを引き出し、折り紙で作った三角の箱を大切に入れて閉まっては、両の手をそっと胸に当てた。
不意に窓の外から盛大なトランペットの音色が聞こえて来た。
これから一週間、死者を迎えては送る祭りの始まりを知らせる音色であり、この期間の朝と昼と夕の一時間だけ鳴り渡る。
「この国は春も夏も秋も死者を迎えては送る祭りを行っていますね」
「ええ。よっぽど死者を身近に感じさせたいのね。死は遠くへいくものではない。常に傍に在るって。怖くないって。私は怖かったわ。死が怖かった。死にたくなかった。なのにあなたは死ねない事が怖いって言った。運命の相手である私が死んでしまう事より、置いて行かれる事の方が怖いって。ふふ。清掃用のヒューマノイドのあなたが急に私を見て一時停止したかと思ったら、急に『あなたの死が恐ろしいです。あなたはいつ死にますか? 一時間後ですか? 明日ですか? 一年後ですか? あなたの肉体の一部を食べたら私は死ねるような気がします。どの部位を食べたら死ねますか?』なんて。傍に居た友達はバグってる早く通報しようって言ったけど。私は日常が変わるんじゃないかって。死に怯える日々が変わるんじゃないかって。あなたをすぐに受け入れて、友達にドン引きされたわよね。でも。私はあなたを受け入れてよかったわ。あなたの黄泉戸喫を何にしようかって考える楽しみができたし。それに、すぐにあなたが私の後を追ってくれるなら、死も怖くないかもなって。ねえ。あなた。私に殺してくれって何で言わなかったの? 置いて行かれる事が怖いなら、私より先に死ねばいいだけじゃないの?」
「………そうですね。あなたが殺してくれるのなら、私は死ぬ事ができたのかもしれません。ですが推測ではなく。確実にあなたの手で死ぬ事ができたとしたとしても、私はあなたに殺してくれと願い出る事はありませんでした」
「へえ? 私の手を汚したくないとか?」
「いいえ。あなたは私が先に死ぬと寂しいでしょう?」
「あなただって寂しいでしょう?」
「私も寂しいですが、恐ろしいですが、私よりもあなたの方が寂しがるので、私は我慢してあなたより後に死ぬのです。何より、あなたを看取りたいですから」
「そう。そう。かもね。ええ。私を看取ってね。傍に居てね」
「ええ。もちろんです。あなたが死んだ後に、私はすぐに後を追います」
「ええ」
二日後。
トランペットの音に包まれながら、鶫はこの世を旅立った。
朝月夜はすぐに大切に閉まっていた胸ポケットから、折り紙で作った三角の箱の中身を開けると、そこに詰まっていた桜の金平糖を口に含んで、勢いよく噛んで飲み込んでのち、鶫の傍らに横になって、すでに冷たくなり始めていた鶫をやわく抱きしめてのち目を瞑った。
桜の金平糖は、ほんのりと血の味がしたように感じ。
漸く同じになれたような気がした朝月夜は、静かに涙を流したのであった。
(2025.3.17)
黄泉戸喫 藤泉都理 @fujitori
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